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*第1章 「近松門左衛門」登場宇治加賀掾に見出されて、浄瑠璃小屋に出入りしていた若者が、もう1人いた。竹本義太夫より2歳年下の杉森信盛ことのちの近松門左衛門である。その近松が歩んだ若いころの経歴を紹介する。 |
*第2章 「竹本座」の櫓揚げ独立をねらう五郎兵衛が「竹本義太夫」と名をあらためて、貞亨元年(1684)ついに大坂・道頓堀に進出、「竹本座」の櫓を揚げる。そして翌年、師匠であった京都の宇治加賀掾の挑戦を受けて道頓堀で”因縁の師弟対決”を行う。 |
*第3章 「当流浄瑠璃」誕生”因縁の師弟対決”で上演した「出世景清」は、竹本義太夫の頼みで近松門左衛門が初めて書いた提携第1号だが、その革新的な内容から「当流(新)浄瑠璃」と評価され、義太夫節がスタートを切る。 |
*第4章 元禄時代、華やかに元禄の時代に入ると、近松門左衛門は操り浄瑠璃より上方歌舞伎の方に没頭し、義太夫は「筑後掾」を受領するが、赤字経営に頭を抱える。その歌舞伎で、庶民の事件などを取り上げた「世話狂言」が人気を集めて流行する。 |
*第5章 「世話浄瑠璃」の成立元禄16年に大坂・曽根崎で心中があり、近松は初めての心中物「曽根崎心中」を竹本座で上演し、これが大当たりする。世人はこれを「世話浄瑠璃の始まり」と呼び、竹本座は積年の借財を一気に返すほどの大入りを続ける。 |
*第6章 豊竹座の櫓揚げ竹本義太夫の弟子・竹本釆女が豊竹若太夫と改名して、道頓堀で豊竹座を櫓揚げ。一度は挫折するが、豊竹座を再興して紀海音を座付き作者に迎える。一方、竹本座は座本が義太夫から竹田出雲に変わって、近松門左衛門を座付き作者にした強固な新体制を敷き、ここに竹豊両座の対抗時代の幕が揚がる。 |
*第7章 竹本座の両巨星墜つ竹本座を支えてきた大黒柱の義太夫が64歳で死亡し、若い後継者・政太夫を盛りたてた「国性爺合戦」が3年越しの大当たりをする。しかし、亨保の大火で竹本座も焼け、その8ヶ月後にもう1本の柱であった近松門左衛門も72歳で息を引き取る。 |