|
*第1章 作者の合作時代に近松死に、紀海音引退して個人による創作時代を終え、竹豊両座とも複数の作者が1編の作品を作り上げる合作時代に入る。豊竹座では西沢一風、並木宗輔、竹本座では竹田出雲、文耕堂らが活躍し出し、人形の3人遣いも始まる。 |
*第2章 黄金時代の前触れ竹本座は、合作陣に三好松洛、竹田小出雲のほか、新たに並木宗輔を加えて充実。興行界不振の中で、大坂の操り浄瑠璃だけが相次いで大当たり作を出し、「歌舞伎はなきが如し」といわれる盛況を見せ始める。 |
*第3章 3大名作の黄金期延享から寛延の7年間、大坂に突如として操り浄瑠璃ブームが巻き起こり、この間に「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」という3大名作も生み出し、かつてない黄金時代を迎える。 |
*第4章 絶頂期から衰退期へ当たりが出ない豊竹座に、並木宗輔が立作者として戻ったあと「一谷嫩軍記」や「祇園祭礼信仰記」などの大当たりが出る。一方、竹本座では浄瑠璃作者として近松半二がデビューするが、相次ぐ火事などで操り浄瑠璃そのものは衰退の兆しを強めて行く。 |
*第5章 竹豊両座ついに退転豊竹座では、創設者の豊竹越前少掾が亡くなって経営が悪化、ついに道頓堀の芝居小屋を歌舞伎に明け渡す事態になる。また竹本座も、2代出雲の死や火事などで経営が苦しく、不入りも続いて明和期に豊竹座同様に歌舞伎小屋になり、操り浄瑠璃の2つの拠点が消滅する。 |
*第6章 両座の再興ならず豊竹・竹本両座の相次ぐ退転で、両座の大夫らは道頓堀の旧座で興行したり、別天地に拠点を移して生き残りをかける。豊竹座系では菅専助、竹本座では近松半二が活躍、再興を図るが、両座とも実質的な再興には至らず、消滅への道を歩む。 |
*第7章 江戸浄瑠璃の隆盛衰退した上方に対し、江戸浄瑠璃界では義太夫節が席捲した明和〜安永〜天明の18世紀後半、突如として素人浄瑠璃作者が続出、「加賀見山旧錦絵」「伽羅先代萩」などの傑作が相次いで生まれ、庶民の人気を得て大盛況となる。 |
*第8章 浄瑠璃諸派の流れ大坂の義太夫節以外にも、浄瑠璃は存在した。京都では「一中節」と「豊後節」、江戸では「河東節」と豊後節から分派した「常磐津節」「富本節」「清元節」のほか、「新内節」も流行した。その成り立ちと特徴を見る。 |