「近松つぁん」
華麗な「世話物」の世界
◆竹本座・座本に竹田出雲
初の世話物「曽根崎心中」の大当たりで、竹本座は借金を返してすっかり立ち直るのですが、とんだ”おまけ”が起こります。竹本座の座本・竹本義太夫が、興行の難しさにつくづくイヤ気がさして「座本を辞め、引退する」と言い出すのです。
この義太夫の芸と人気を惜しんだのが、興行師として優れた手腕の持ち主・竹田出雲(詳しくはこちらへ)です。説得して、義太夫は芸道だけに専念ということにします。
そうして2年後の宝永2年(1705)、竹本座の座本には出雲がつき、太夫に義太夫、座付き(専属)作者に近松、三味線は竹沢権右衛門、女形人形は辰松八郎兵衛という一流中の一流の布陣で、時代浄瑠璃「用明天王職人鑑」を上演して、またもや大当たりをとります。
この時、近松は看板に太夫・竹本筑後掾(義太夫のこと)、座本・竹田出雲と並べて名前を掲げ、義太夫と並ぶ地位を獲得するのです。
翌宝永3年(1706)、近松は京都から大阪に住居を移します。いよいよ長年住み慣れた京都と歌舞伎にすっかり縁を切って、浄瑠璃作りに没頭する体制を作るのです。
この大阪移住の背景には、京都よりも大阪が経済力をつけてきたという理由もあったのでしょう。
これ以後の近松は、伝承上の著名な人物による重厚で非日常的な「時代物」と、極めて人間的な悲喜劇を写実的に描く「世話物」を並行して、年に4〜5編の作品を書く旺盛な生産力を見せます。
特に「世話物」では、心中物を中心に色鮮やかな世界を書き続け、傑作の名が高い「冥途の飛脚」「心中天の網島」などを次々と生み出していくのです。
また、内容的には登場人物にからむ人間関係が複雑になるとともに、周囲の善意の人たちも巻き込んで行く図式をとっていきます。
◆「世話物」は24編
近松が書いた世話物は、全部で24編あります。この分類法はいろいろありますが、高野辰之氏の分類によって分けますと、
心中物=11編、処罰物=5編、姦通物=3編、仮構物=5編。
やはり心中物がほぼ半分を占めています。
心中物=「曽根崎心中」「心中二枚絵草紙」「卯月紅葉」「卯月潤色」「心中重井筒」「心中刃は氷の朔日」「心中万年草」「今宮心中」「生玉心中」「心中天の網島」「心中宵庚申」
処罰物=「五十年忌歌念仏」「淀鯉出世瀧徳」「冥途の飛脚」
「博多小女郎波枕」「女殺し油地獄」
姦通物=「堀川波鼓」「大経師昔暦」「鑓の権三重帷子」
仮構物=「薩摩歌」「丹波与作待夜の小室節」「夕霧阿波鳴渡」「長町女腹切」「山崎与次兵衛寿門松」
(詳しくは、作品編「世話物24編一覧」をご覧下さい)
◆「世話物」の作品構成
ここで、世話浄瑠璃の作品構成について見てみましょう。
「曽根崎心中」が誕生して「世話物」という呼び名ができてから、従来の主題で作られた浄瑠璃は次第に「時代物」として区別されるようになります。
この「時代物」は、能の「五番立て」上演形式を見習ったものですから、五段物といって五段階に話が分かれていたのに対し、「世話物」は一段物なのです。
その成立については、故黒木勘蔵氏が「浄瑠璃史」の中で指摘した「時代浄瑠璃の三段目を独立させた」という説が代表的です。この説は、多くの人たちの支持をえて、継承されています。
一段の中の構成は、上・中・下の三巻に分かれます。
上の巻が金銭のいざこざなど「事件の発端」
中の巻がその「事件の展開」(一応の解決と新局面)
下の巻が心中の決心など「事件の悲劇的解決」です
長々と繰り広げる「時代物」に比べて、「世話物」はこじんまりとしていたわけです。それには理由があります。
浄瑠璃興行は、あくまで「時代物」が中心で、「世話物」はその日の興行の最後に、いわば添え物的に上演されました。最後でしたので「切り浄瑠璃」ともいいます。
「曽根崎心中」も、「日本王代記」という時代浄瑠璃の「切り浄瑠璃」として上演されたことは、先にも書きましたね。ですから、そう長々とやっているわけにはいかなかったのです。
そのような「世話物」の多くが、現在では近松の代表作となり、多くの人たちに親しまれているのですから、不思議といえば不思議な思いがします。
(この項は、諏訪春雄著「近松世話浄瑠璃の研究」を参考にさせていただきました)。
(次ページ「世話物24編一覧」に興味のない方は、「趣向を競う時代物」のページをご覧下さい)