「近松つぁん」
辞世文の意図と心情
◎自筆辞世文の全文
近松は、享保9年(1724)11月22日に72歳で死亡します。その2週間前に、礼装で端座する最後の姿を描かせた自筆の辞世文が、このトップページで紹介しました下の図版です。
肖像の上部に書かれた辞世文は、ちょっと難しい文章ですが、死を前にした近松の心情を測る重要な文ですので、原文を全部紹介します。面倒でしょうが、ご辛抱してお付き合い下さい。(カッコ内のふりがなは筆者)
代々甲冑(かっちゅう)の家に生まれながら、武林を離れ、三槐九卿(さんかい きゅうけい)につかへ、
咫尺(しせき)し奉りて寸爵(すんしゃく)なく、市井に漂(ただよう)て商買(しょうばい)しらず、隠に似て隠にあらず、賢に似て賢ならず、ものしりに似て何もしらず、世のまがいもの、
からの大和の教(おしえ)ある道々、妓能、雑芸、滑稽の類まで、しらぬ事なげに、口にまかせ、筆にはしらせ、一生を囀(さえづ)りちらし、
今はの際にいふべく、おもふべき真の一大事は、一字半言もなき倒惑、こころに心の恥をおほひて、七十あまりの光陰、おもへばおぼつかなき我世経畢(わがよへおわんぬ)
もし辞世はと問人あらば、
それぞ辞世 去ほどに扨もそののちに 残る桜が花しにほはば
享保九年中冬上旬
入寂名 阿耨院穆矣日一具足居士(あのくいん・ぼくい・にちいち・ぐそくこじ)
不俟終焉期 予自記(終焉の期を待たず、あらかじめ自ら記すの意) 春秋七十二歳印
のこれとは おもふもおろか うづみ火の けぬまあだなる くち木がきして
◎辞世文の大意
「私は武門の家に生まれながら、武門を離れて三槐九卿(宰相や公家ら高位の人のこと。公卿ら)に、咫尺し(ごく身近に仕え)たが、自分には寸爵(なんの爵位)もない。
庶民の中で暮らしても商売しらず、隠者のようで隠者でなく、賢者のようで賢者でなく、物知りのようで何も知らぬ、世のまやかし者である。
唐や大和の教えになる道理や、芸能・雑芸・笑い話の類まで、何でも知らぬことがない風をして、口から出任せ、筆の走るままにしゃべり散らしてきた。
いまわの際になって、他人に伝えたり、自分が思う真の一大事は、一言半句もなくて当惑し、心中ひそかに恥じ入っている。七十余年の歳月を顧みると、思えばとりとめない一生を過ごしたものだ。
もし辞世はと問う人があったら、
それぞ辞世 去ほどに扨もそののちに 残る桜が花しにほはば
(私が書いた浄瑠璃の作品が、後々まで残るならば、そのひとつひとつが私の辞世だ)=「去ほどに、さても、そののち」は、浄瑠璃の語り出しの決まり文句。桜は、桜木に彫った板木で刷った板本で、浄瑠璃の正本をいう。
のこれとはおもふもおろか うづみ火のけぬま あだなるくち木がきして
(埋み火が消えずに残るわずかな暇に書いたたわいない作品が、あとあとまで残れと思うだけでも、愚かなことだなぁ)」
◎研究者の解釈と評価
この辞世文は、近松がこれまで語らなかった自分の身分、出自をはっきりと記し、誇らしげでもあります。
その半面、「まがい者」とか「一生を囀り散らし」などという文句を使っているのを見ますと、照れ隠しというか、自嘲というか、そういう感じも強いのです。
近松研究者は、この辞世文をどう解釈しているのでしょう。3人の方の見方を紹介しましょう。
●「死を直前にして、したためる辞世文まで韜晦(とうかい)的な姿勢をとる近松、そこに私はこの文豪の恥らいの心と屈折した情念をも感じるのです。功成り名遂げて逝くこの人にしてなお、己が一生を振り返った時、心の底に満たされぬ何物かがあったのではないかと」(信多純一)
●「なすところなく『おぼつかなき』一生を終った、『世のまがいもの』の姿であった。…自分自身に対するふがいなさ、はがゆさ。…その至らなさを痛感するのは、自分に求めるものが大きければ大きいほど、いはば当然である。しかし、それと同時に劇作者という存在に対する自嘲のひびきがある」(河竹繁俊)
●「戯作者らしく、浄瑠璃の作家らしく、いささか照れながら書きました戯文であるということが解かります。しかし、彼は自分が、そうした大衆芸能の浄瑠璃の世界の中に身をぶち込んで、そして自分の書いたものが、全部辞世だと言えるだけのものを書いている自負、そういうようなものも、この戯れ書きの行間には見えると思います」(土田衛)
◎死んで「作者の氏神」に
近松が死んで3年後、「今昔操年代記」という演劇書が出て
「近松門左衛門は、作者の氏神也。(略)今作者と云はるる人々、みな近松のいきかたを手本とし書きつづる物也」
と誉め称えられます。
しかし、これだけ有名だった近松ですが、「近松の歌舞伎・浄瑠璃を通じて、初演以来、現代に至るまで改訂を経ることなしに、原作のままで上演され続けた作は一作もない」(諏訪春雄)といわれます。なぜ、でしょうか。
一つは、当時の作品は使い捨てで、絶えず新しい作品を求め、たとえ大当たりした名作でもその時一度限りの勝負であったことです。
また、人形操法の変化を挙げる人もいます。一人遣いであった人形が3人遣いに変わって、原作通りでは人形が動かず、曲節に合わなくなったため、改作が必要になったというのです。
ですから、現在の文楽の舞台に上がっている近松の作品は、昔のままの再現でなく、手が加えられていることを知っておく必要がありますね。
[参考資料]
「鑑賞日本古典文学・近松」(角川書店)
信多純一「近松の世界」(平凡社)
河竹繁俊「近松門左衛門」(吉川弘文館)
「上方の文化・元禄の文学と芸能」(和泉書院)ほか