松山で演奏された伊福部作品

 

越智 誠

 私が松山で音楽活動を始めたのは、1980年です。それまでは、地元でありながら演奏会等の音楽事情ほとんど知りません。元々クラシック音楽の愛好家ではなく、自発的にクラシックの演奏会に足を運ぶようになったのも1980年以降のことになります。また、演奏会等の資料をきちんとファイルし後々のために保管するという作業も怠ってばかりでしたので、不十分な点も多いですし、また回想記的な書き方になることをお許し下さい。

 

 さて、松山で比較的多く演奏された伊福部作品といえば『物云舞』が上げられます。私の知る限り今までに野坂惠子氏以外の方の演奏も入れると4・5回演奏されていると思います。邦楽の盛んな松山ならではのものでしょう。

 まず、1980年5月18日松山市民会館において「野坂惠子・二十絃箏エコールの魅力」と題されて行われました。主催は「赤松うたお箏曲教室」。赤松雅楽夫氏は松山でも著名な箏曲の演奏家で、お弟子さんを集めての披露演奏会をよく行われており、今回もお弟子さん達の受賞・名取披露演奏会ということで行われ、野坂氏の二十絃箏エコールがそれに花をそえるというものでした。同様の形で1983年にも同じく松山市民会館で演奏され、その後(これは演奏年や主催団体等演奏会の詳細は不明ですが)愛媛県民文化会館でも『物云舞』を演奏されています。『物云舞』は野坂氏以外にも赤松氏ご本人もご自分の演奏会や、私の「現代日本の音楽同好会」の例会で演奏していただいたこともあります。この、私の例会での演奏のいきさつについては、また後で述べることにします。

 1986年10月12日には、松山市民会館にて日本フィルハーモニー交響楽団の本公演が行われ、安倍圭子氏のマリンバ独奏で、オーケストラとマリンバのための『ラウダ・コンチェルタータ』が演奏されました。

 この演奏会は「日本フィル協会愛媛支部」と「愛媛労音」の共催という形で行われました。「日本フィル協会愛媛支部」は日本フィルとは組織的には直接の関係はありません。いわゆる支援団体、後援団体という性格を持つ団体です。ですから活動は独自に行われています。

 86年の時は数年ぶりの本公演とあって選曲は度重なる会議によって慎重に行われました。その年の「日本フィル協会愛媛支部」の総会資料から差し障りがない部分を書き出してみます。「(前略)世話人会としては『邦人作品を取り上げる』『ヨーロッパ公演の成果を反映できるような曲目』を基本に協議しました。しかし日フィルがヨーロッパ公演のため留守という事情もあって、決定までに数ヶ月を要し、3月にずれ込んでしまいまた。支部の結論と日フィル側が用意したメニューとは合致しませんでしたが、日フィルは12月24日に緊急事業部会を持って、愛媛支部の希望にそうよう努力して下さり、ために松山のプログラムは今回の一連の中四国シリーズの中では独自の内容となりました(以下略)」

 私が「日本フィル協会愛媛支部」と関係を持つようになったのは、現代日本の音楽同好会」の例会会場となっていた喫茶「ムンダナ」のご主人、故・渡部英正氏の紹介で、1980年頃からだったと思いますが、その頃から何かある度に「伊福部作品を是非日本フィルの演奏でお願いします」と6年間しつこいくらいに言い続けてきたことが具体的な結果として現れたものなので、この演奏会は個人的にも感慨深いものでした。また独奏の安倍圭子氏が松山の「東雲学園」というミッション・スクールに在籍されたこともあり、しかも安倍氏のお姉さんが当時松山在住で、お姉さんのお力添えで安倍氏との交渉等も円滑に行われたということ、それに日本フィルも演奏経験があると言うこと等々で、『ラウダ』は伊福部作品の中では演奏実現の可能性が高かった作品でした。本来なら他県との兼ね合いで自由な選曲が出来ませんし、ましてや私の個人的とも言える要望が易々と受けいられるものではなく、きっかけは私の提案だったとしても、それを好意的に理解してくださった地元スタッフの尽力や、その他全ての点で条件が良い方向に向いた結果でした。

 スタッフのこだわりも強く、残念ながら私は行けませんでしたが、他の松山のスタッフが上京して、伊福部氏と安倍氏の対談をセッティングし、その内容をプログラムブックに掲載したり、私が書いた伊福部氏についての文章も掲載されました。もちろん演奏の方も見事で評価も高いものでした。

 この時の指揮は田中良和氏でしたが、田中氏は「愛媛交響楽団」という地元の市民オーケストラも指揮されたことがあり、1996年12月8日には松山市民会館での演奏会で『交響譚詩』を演奏されました。この選曲は楽団員からの提案ではなく、田中氏ご自身の要望であったことは間違いありません。田中氏も86年の『ラウダ』の成功で伊福部作品を取り上げるのに前向きであったと思います。演奏自体十分とはいえませんでしたが、アマチュア・オケとしては水準以上の演奏で、健闘されたと思いますし、日本の作品を取り上げる可能性がまずないと思っていた「愛媛交響楽団」が伊福部作品を演奏したこと自体は高く評価しています。

 実現はしなかったものの、演奏家との交渉も行って、具体化しかけた演奏会の企画もあります。これは1983年か84年の頃だったと思いますが『二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ』の演奏会を行おうという団体が現れました。今は存在しない団体ですが企画倒れとなったことでもありますから、名称は伏せますが、ある特撮映画のファンの団体でした。代表者が伊福部氏の純音楽にも関心があって、何か演奏できないものかと候補を当たっていたとき『エグログ』に感銘を受けられたそうです。

 とにかくやりたい一心で企画を進め、スコアを取り寄せたり、ソリストやオーケストラとの交渉も進めていました。その段階で私の方にも演奏会の実現に向けてアドバイスをお願いしたいということで相談に見えられました。当時から私は「日本フィル協会愛媛支部」の世話人という立場で多少は演奏会の運営の事は知っていましたが、私の乏しい知識で考えても十分なスタッフもいなくて、組織作りも杜撰で、もちろん事前にプールしてある資金もなく不安だらけの企画でした。また、オーケストラは地元の「愛媛交響楽団」にお願いしようということでしたが、どうやらその交渉もうまく進まなかったらしくて、結局実現には至りませんでした。

 その時のソリストとしてお願いしていたのが赤松雅楽夫氏で、赤松氏は演奏を快諾して頂いていたので、中止と知らされた時はかなりがっかりされていたようでした。でも、その時赤松氏と個人的に面識が出来たため1985年8月17日に行った私の同好会の5周年記念演奏会で『物云舞』を演奏していただくことができました。

 アマチュア・レベルの演奏でも良ければ、ピアノ曲『日本組曲』も演奏されています。これも私が主催する「現代日本の音楽同好会」の例会(1992年8月22日・12周年記念演奏会)で行いました。現在はやっていませんが、以前は年に一回生演奏の例会を行い、知人のアマチュア演奏家等にお願いして全て無報酬で演奏していただいて事があり、『日本組曲』は、当時私がピアノを習っていた先生にお願いして演奏して頂きました。また、同じく例会では『ヴァイオリン・ソナタ』の第二楽章だけ、私の下手な伴奏と地元の演奏家のヴァイオリンで演奏したこともあります。

 こうして回想してみると、少なくとも地方で現代作品の演奏会を行うのは誰か熱狂的な愛好家の熱意と努力と、それを理解してくれる協力者の存在がいかに重要かと言うのがよく分かります。そしてその事は1990年に私が行った「清瀬保二・生誕90年記念演奏会」でも同様に実感することが出来ました。伊福部作品に関わらず、地方でも日本の現代作品の演奏を聴くことが出来るような環境作りが今後の私の課題です。

 

【プロフィール】越智 誠(おち まこと)

1957年、愛媛県松山市に生まれる。松山商科大学短期大学部卒。18歳の時、映画「わんぱく王子の大蛇退治」を観てその音楽から、伊福部昭をはじめとする日本の現代の作曲家に強い関心を持つようになる。1980年8月より「現代日本の音楽同好会」を主催。レコード・コンサートが主体の小さな団体だが、1990年には松山ゆかりの作曲家・清瀬保二の生誕90年記念の生演奏会を開催したことがある。元々は、漫画・アニメの活動を長く続けていて、その方面の活動からも未だに抜けきることが出来ないでいる。なお、本業は漫画や音楽とは全く関係ないただの会社員。

 

現代日本の音楽同好会代表

愛媛作曲協議会会員

 

 

*本稿は「伊福部昭アーカイブス」のために書いたものを同アーカイブスの了解の上ここに転載しました。 

 

もどる

トップへ