岡山県での「平和のための戦争展」(以下戦争展)は、「平和のための戦争展実行委員会」(以下実行委員会)が主催して戦後50年の1995年に始められ、毎年8月の終戦記念日を中心に昨年まで5回にわたって開かれた。このうち1996年を除く4回は天満屋市民ギャラリー(以下市民ギャラリー)という、岡山市ではこれ以上望めない最良の展示場所を利用することができた。
戦争展は、市民ギャラリー全面使用の場合は190点前後の資料を、申し込みが競合し、天満屋の好意で片面使用の便宜が与えられた場合は90点ほどの資料を展示した。南京大虐殺、治安維持法、岡山空襲、沖縄戦、広島長崎の原爆被害等の写真パネルを中心として、十五年戦争が引き起こしたアジア諸国民に対する加害の実態と日本国民が受けた被害の実相に迫るとともに、命をかけて戦争に反対し抵抗した人々にも光を注ぎ、戦後一貫して公的に不問にされ続けた天皇の戦争責任を明確にすることにも努めてきた。また、現実に政治問題となつている戦争と平和に関する出来事についても、例えば「新ガイドライン」、「日の丸」「君が代」問題なども限られたスペースの中で意識的に扱うよう努力した。
このような方針で開催された戦争展は、年ごとに少なくなる戦争体験者にも、いまや岡山市民をはじめ県民の多数派を形成する戦争を知らない世代にも少なくない感銘を与えてきた。それは会場の一角に用意した「わたしもひとこと」に記載された感想を読めばおのずから明らかである。会場を訪れた1日1000人、あるいはそれ以上の岡山市民・県民が展示資料に目を注ぎ、再びあのような戦争の時代を繰り返してはならないと心を新たにされたことは疑いない事実である。特に次代を生きる小・中学生に対しては学校教育に不足しがちな平和教育の教材を提供し、家族連れには戦争体験の継承の場となったことは会場要員の誰しも体験したところである。 このように戦争展は、市民による社会教育の実践例としてもその意義を認められ、過去5回の実績の上に岡山県内で市民権を得つつあった。
ところが、実行委員会がことし2月、天満屋に対して行った第6回戦争展の会場使用の申し込みについて、天満屋から「当会場ご利用につきましては慎重に検討させていただきましたが、申し込み者多数のため、誠に残念ではございますが、ご希望に添いかねます(以下略)」という4月17日付けの通知書が届けられた。このようなことはこれまでにないことであった。
そこで事情を聞くために本年5月18日、実行委員会から竹内和夫委員長ら代表が天満屋に出向き、直接の担当窓口である岩上憲昭催事・広報チ−ムチーフらと面談した。その際驚くべきことが判明した。
まず第一点は、実行委員会に届けられた市民ギャラリー利用不許可の理由は「申し込み者多数」などというものではなく、後述のような理由で戦争展そのものを初めから排除するという天満屋の内部決定であった。天満屋は顧客でもある市民ギャラリー利用者に真実を覆い隠し、あたかも公正な抽選があったかのごとき印象を与える虚偽の回答文書を平然と送付して全く恥じない、ごうまんな体質を備えていることがここで初めて明らかになった。
第二点に天満屋は、第5回戦争展が成功裡に無事終了した直後の昨年8月末に突如として「市民ギヤラリーご利用のさだめ」を改定し、その条件にことし開く予定の戦争展が抵触すると強弁したことである。
この「市民ギャラリーご利用のさだめ」は、実は第1回の戦争展を開いた1995年から昨年8月末まで、基本的には全く同一内容のままであった。「展示物」については「私企業、私団体の宣伝・販売を行わないこと。公序良俗に反しないこと。個展はご遠慮ください。」という簡単な条件が提示されていただけであった。
それが、「展示物」を「展示条件」とし、以下のようになる。
・私企業、私団体の宣伝・販売はできません。
・公序良俗に反しないこととします。
・公共的、文化的、趣味のサークルの作品等の展示と致します。
・政治活動、宗教活動、並びにこれに類ずる行為は一切できません。
・個展の開催はできません。
その上、新たな条項が追加され、「公の秩序または善良の風俗を害する恐れのあると判断されるとき」など6項目に該当した場合は、「既に使用許可を出している場合でも、許可の取り消しまたは、使用の停止をする事があります」とされた。
天満屋側は、面談の席で初めてこの「市民ギャラリーご利用のさだめ」改定版を実行委員会に示し、実行委員会側を驚かせたが、これから開かれようとする、従ってまだ開かれてもいない戦争展のどこが「展示条件」に抵触するかという質問には一切答えられなかった。本来ならば、利用実績もある実行委員会に対して申し込みの現段階で改定内容の事前の説明があつてしかるべきところなのに、あえてそれを行わず、予見をもって「展示条件」に抵触する催しと断定するのは不当ではないかという追及に、天満屋側は困惑の表情を隠すことができなかった。
その結果、第三点に、ついに天満屋が内部で決裁した不許可の真の理由が明らかにされた。その真の理由とは一九九八年に起きた右翼の戦争展に対する威力業務妨害事件であり、そのような事態を再発させないために戦争展そのものに市民ギャラリーを利用させないという、当該右翼の主張に全面的に屈服してとった措置であった。天満屋は、戦争展を威嚇妨害したかどで現行犯逮捕、刑事訴追の上、罰金刑を課せられた右翼の反社会的行為を市民、顧客とともに糾弾する態度をとらず、この事件を「お客様に迷惑がかかる」事案としてとらえ、攻撃された側の戦争展を迷惑行為の当事者として天満屋の管理区域内から排除する決定をしたのである。これは、いやしくも地場企業として老舗を誇ってきた天満屋の社会的責任にかかわる決定的な問題となるはずである。このようなことが市民社会で一般化すれば、暴力的反社会的行為の跋扈を許し、公正、平安な社会秩序を保つことが到底できなくなる恐れがある。しかも事件を起した右翼は現行憲法を否定し、戦前の皇国史観と軍国主義的規範を復活させようとする集団である。結果としてその犯罪を免罪する天満屋は自らの決定の重大な意味を強く反省し、改めるべきであると実行委員会側は主張した。
しかし、この会場使用問題は既に一窓口担当者の判断能力を超えることが明らかになったので、しかるべき重役または取締役社長と直接交渉をもちたいと強く要請したが、ついに聞きいれられることはなかった。
第2回目の面談は天満屋代理人の山脇章成、安倉孝弘両弁護士臨席のもとで6月8日に行われた。その席で両弁護士は市民ギャラリーを戦争展に利用させない理由として、戦争展が「政治活動」であると説明した。これは思いもかけない言葉であった。
第一、戦争展が市民ギャラリーの利用を断られた理由がこれで三転したのである。最初は「申し込み者多数につき」、次ぎは「お客様に迷惑がかかる」、そして今回の「政治活動」となったのだ。一体百貨店が顧客や市民に対して自らの立場を説明するとき、このような「口からでまかせ」的な態度をとることが許されるのかという実行委員会の追及に、天満屋側は言い訳に終始するのみであった。第二に「政治活動」とは何を指していっているのか糾したところ、「国会で問題になっていること」としか答えられず、その定義も具体的な事例も挙げることができなかった。仮に中国における日本の侵略行為の写真展示が「国会で問題になっていること」だと言いたいのであれば、せめて1993年の「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」を、弁護士として読み返す見識くらいは持ちあわせていただきたいものであるが、それは望むべくもなかった。第2回面談ではこれ以外に新たな進展はなく、第1回面談の論点を繰り返すことになったので、天満屋は実行委員会側の要請を受け入れ、改めて会場利用の諾否を検討してそれを文書で示すことを約束した。
第2回目の面談後、上記両弁護士名による6月30日付けの回答書が、書留内容証明郵便で実行委員会中尾元重宛に届けられた。
この中で、市民ギャラリーの利用を断る理由と事情が2点にわたって述べられている。
まず、「ギャラリーの使用申込みに対し、弊社がそれを承諾する義務があるかのように主張されていますが」「応諾する法的義務はない」と反論されている。しかしこれは、当実行委員会の主張を曲げて解釈したものである。当実行委員会は前述のとおり、右翼の反社会的行為によって「攻撃された側の戦争展を迷惑行為の当事者として天満屋の管理区域内から排除する決定」を行ったことを問題にしているのであり、善良な市民の戦争展を右翼の威嚇や妨害から守る姿勢が天満屋にあるかないかを問うているのでおる。それは、「快適な雰囲気の中で」買い物をする顧客のためにも店舗内での反社会的行為を許容するかどうかの姿勢を問うことにもつながり、「回答書」に言う「地域を代表する企業であると自負している」という天満屋の企業理念を問題にしたのである。
それにしてもこの回答書の反論は、期せずして天満屋の姿勢を露わにすることになった。「ギャラリーの使用申込みに対し、弊社が」「応諾する法的義務はない」ということは「市民ギャラリーご利用のさだめ」に規定されている展示条件や「希望者多数の場合は抽選で決定」する方法の他に、市民ギャラリーの利用を申し込んだ各種団体、サークル等を、天満屋があらかじめ選別する可能性を示唆するものである。これは市民ギャラリーの利用者、市民を失望させても到底納得させることはできない。当実行委員会は、市民ギャラリーを管理運営する天満屋といえども、天満屋と利用者の契約的文書である「市民ギャラリーご利用のさだめ」に拘束されるべきであると考える。この中に明文化されない天満屋内部の選定基準を設けることは、契約を履行する誠意を疑わせるものであり、天満屋を信頼する利用者を裏切り、既に岡山市の貴重な公共的文化施設となっている市民ギャラリーをおとしめるものと言う他はない。
さらに市民ギャラリーの利用を断る理由と事情として、一昨年のように「一部団体をいたずらに刺激するような」展示を昨年の戦争展が行つたこと、その展示に「政治活動に類する行為が見受けられ」たことを挙げた上、昨年の戦争展と前後して「一部団体より厳しい抗議を受け、その対応に1カ月以上追われ続けるという事態に追い込まれ、8月31日弊社社長名で右団体に対し回答を出すことにより事態を収拾した」事実があったことを明らかにしている。
このときの天満屋社長の回答がどのようなものであったかはうかがい知る由もないが、これによる事態収拾後の天満屋の措置が市民ギヤラリーからの戦争展の理不尽な排除となった事実に照らすならば、「ご利用のさだめ」改定版にもない、特定の政治的立場、この場合は右翼の立場による展示内容の承認基準を天満屋が圧力に屈して受諾したと判断する以外にない。天満屋は、天満屋の管理区域内における市民の表現の自由に対し、現行憲法を否定し、戦前の昼国史観と軍国主義的規範を復活させる勢力の事前審査を許容し導入したのである。これは、極めて重大と言わなければならない。
またこの回答書の中で、「政治活動に類する行為」とは、「日本共産党名義のビラや日の丸君が代法案に対する『しんぶん赤旗号外』を会場に備えつけ、展示会場を利用して市民に配布するという」ことであると初めて具体的に説明が加えられた。しかし、この説明は、「政治活動に類する行為」についての概念規定を全く行わずになされたものであるから、天満屋として右翼の主張を粉飾するための恣意的な判断を行ったに過ぎないものと言わざるを得ない。
必要によって一つの事象に対する異なった説明資料を並列展示し、見学者の判断材料に供するということは、戦争展の性格上当然のことである。昨年は展示期間中の8月13日に公布され、即日施行された国旗・国歌法について、朝日新聞などの社説とともに『しんぶん赤旗号外』も併せて掲示した。しかし政党の機関紙を資料として展示することを直ちに「政治活動」と即断し、表現の自由を抑制する理由は一体なんであるのか。むしろ天満屋の見解を求めたいところである。
また「担当者のお断りの理由に食い違いがあった」と述べられているが、その「食い違い」が天満屋の権威と信頼をいかに失墜させるものであったかは既に述べたので繰り返すことをしない。
この回答書で「御客様の安全を第一に考え」「御客様がトラブルに巻き込まれたり御客様に不安感を与えることを回避するため」、市民ギャラリーがことし12月26日をもって閉鎖されることを正式に知り、残念と言わざるを得ない。しかしその直接の理由が戦争展に対する一昨年の右翼の暴力的攻撃と、昨年の天満屋に対する右翼の常軌を外れた脅迫にあったとすれば、天満屋が公序良俗をかき乱す勢力に屈服したと言われても申し開きはたたないであろう。
天満屋が、「営利を目的とする一企業である」ということだけで、戦前回帰の風潮に迎合することは、天満屋自身も大きな被害を受けたあの岡山空襲の惨禍を再び招く戦争への道に協力することにならざるを得ないことを強く警告し、抗議するものである。
また当実行委員会は、天満屋が直ちに誤った方針を撤回し、戦争展に会場を提供するよう再考を強く要求するものである。
2000年7月28日
平和のための戦争展実行委員会
実行委員長 竹内和夫
天満屋
社長 伊原木 隆太 殿