へら鮒釣りの行方(らっきょ池・三重県)
                                                2003年3月8日

久々の更新です(^_^;)。というのも、3月の第二週以降、例のウロコの持ち主とデートしようとせっせと通ったのですが、これがみごとに3連続のボーズ。29日にはナイターまでかけたのですが、明け方に氷が張るような強烈な冷え込みがあって玉砕。ま、諦めたわけではないのでが、もうこの季節はブルーギルの襲撃で収拾がつかない状態になっていまして、暫くは様子見というところです。

さて、98年の春から野の釣りをはじめて早5年目。管理池育ちのサンデーへぼ師にとって毎週の休日を楽しみにしてへら鮒釣りに行くわけですが、よりによって野の釣りに手を出したもんですから、これはもういくら時間があっても足りません。まあそれでも一応、毎週のように日曜日には釣りに行けるわけですから、これ以上を望むのは身のほど知らずといったところでしょうか。

ところで、ボクがへら鮒釣りをはじめて釣ったのは小学校6年生のころでした。父親に連れられて月に2度ほど自転車で釣堀に行っていたときのお話です。釣堀とは言ってもいわゆるハコではなくて、今の管理池のハシリだったように思います。桟橋こそはありませんが、大きな池で、毎年、ちゃんと放流していたようでした。昭和でいうと40年のはじめのころで、グラスロッドが普及しはじめた頃ころでしょうか。エサは「マッシュ」「赤ヘラ」「青ヘラ」が主流で、さなぎ粉とオカユが必需品だったと記憶しています。道糸は1.5号、ハリスは0.8ぐらいだったでしょうか。一年中同じ仕掛けで、ウキは父親が孔雀の羽で作っていました。というか、高級な道具を買うような生活ではなかったんですね。

竿掛けはその釣堀に用意されていて、というか席に棒のような木が打ちつけてありました。スノコの代わりにビールケースが無造作に置いてあって、持参の座布団を敷いていました。そうそう、テントの変わりにトタン葺きの「∧」というな形のものが常設してありました。非常に便利ではありましたが、強い雨になると煩くて嫌でした。家から唯一自転車で行けるこの釣堀も、高度経済成長の波に呑み込まれて住宅地になってしまったこともあり、それからへら鮒釣りとは疎遠になりました。

以来、20年以上もへら鮒のことは忘れていましたが、平成5年頃、ひょんなことから再開することになりました。教えていただいたのは、近所に住んでいたピアノ教室の先生(K氏)。いわゆるトーナメターでG杯などの決勝の常連さんだったということは、ずいぶん後から他の方から教えていただきました。通ったのはほとんどが管理池。ウキも仕掛けもずいぶんと変化していて、エサなどは信じられないほどの種類が釣具屋さんに並んでいました.。道具類もスマートになって、釣りもスポーツの仲間入りをしていることを実感できます。さて、昔の釣堀とこの管理池は同じへら鮒釣りのはずなのに、まったく違うカテゴリーと言っていいものでした。特にエサのタッチは難しく、同じ仕掛けで同じ釣りで同じ配合のエサでも、このタッチひとつで釣果が大きく変わります。比重、バケラ具合、大きさ、粒子のつぶし方、ウキのナジミ幅。もう、途中で放り投げ出したくなるような気分にさせてくれます。それでも、5年間、毎週日曜日と祝祭日にGW、夏休み、年末年始、有給(^_^;)と、ありとあらゆる休みに通い続けたお陰で(というか、よくK氏も付き合ってくれました)、なんとか人並みに釣れようになった気分にはなれました。ノルマとして夏は150枚以上、厳寒期でも30枚以上という目標なんとかこなせるようになって、まあ、いっぱしのへら師の仲間入りができた気分です。凡そ、年間、60回ぐらいの釣行を5年間。よく家を締め出されなかったものです(^_^;)。

で、当地に転居して、まずは管理池を一通り通いました。が、関東のそれとはちょっと事情が違うこともあって、なんとなく回数が減ってしまいました。そこへ、「野の釣りで40上を釣らせてあげる。」という悪いお友達(^_^;)の甘言に乗り、今まで経験もないアタリなしボーズの洗礼を受けた末、やっとのことで尺半を釣り上げてからは、そのほとんどの釣行が野になってしまいました。今は月一の例会以外は、すべて野の釣りになっています。たった1枚のへら鮒を求めてと言ってもいいでしょう。

しかし、です。実際に野の釣りをはじめて一体、へら鮒釣りの将来はどうなってしまうのかという不安が日増しに強くなっています。その一番の問題は、釣り場の環境です。どこへ行っても、一般的に知られているところはゴミの山です。しかも、そのほとんどはへら師殿が発生源と言ってもいいでしょう。よく、他の釣り師のマナーのことがマスコミなどで取り上げられることがありますが、誤解を恐れず言えば、まあへら師が最悪でしょう。一部の地元の漁協関係者やへら師が育て上げたどんな小さな野池でも、一度、雑誌にでも掲載されればその釣り場の環境は1年と持たないのが悲しいかな現状です。地域住民にも断わられる釣り師なんて、一体、どんな釣りをしているのでしょうか。そもそもそんなもんは釣りなんでしょうか。野の釣りでは、ときどきそんな気持ちになってウキを眺めていることがあります。

正月からこっち、野の釣りではまったくのボーズの連続で、この「らっきょ池」は今年になって3回目の釣行でした(2回はアタリなし)。当日の天候は最悪で、突風と冷たい雨、午後には雹まで降ってきました。釣り人はボクだけ。それでもこの日たった一度のアタリではあったのですが、なんとか元気なへらさん(36.5cm)をゲットできました。

らっきょ池 36.5cm


この池は地元の有志の方が長年にわたってへら鮒が釣れる野池として育ててきた場所で、周囲は田畑に囲まれている静かな環境が保たれているところです。もちろん、雑誌などには掲載されたこともなく、山間にひっそりとある野池で言わば会員制の釣り池のようなところです。

本来ならば、へら鮒釣りもできるだけ多くの人が楽しめればいいのでしょうが、想像を超える仕業を残して行くのへら師もいることも事実で、しかも集団ともなるとこれに輪がかかり、地元の住民まで巻き込んだトラブルになっていることも周知の事実で、こうなるともう、へら師そのものが厄介者のレッテルを貼られても反論できない状態になってしまいます。たかがへら鮒を釣るだけなのに、なんでこうなってしまうのかと思うのですが。というわけで、へら鮒釣りをするというよりも環境を保全するという意味でやむなくこういう形になってしますわけです。それでも、この状態がいつまで続くかわかりません。たった一人の悪気の無い一言で、翌年には立ち入り禁止の立て看板が標示される可能性があります。この池だけではなくて、全国にあるひっそりと自然と溶け込んでいる野池で起こりうることと言っていいでしょう。

ボクが子供ころに通った釣堀は今、管理池と名を変えて多くのへら師を楽しませてくれています。もともとは田圃などに引くためにできた野池は減反政策や住宅開発で激減し、砂利穴と呼ばれている河川敷の野池は公園の池として変貌しています。そして野池では立ち入り禁止の看板が立つ日が来ると、たまの休日に静かにウキを眺められる日は、いつまで続けられるのでしょうか。また、ハリスカッツケで300枚も釣り上げる忙しい釣りをする準備をしなければならないのでしょうか。


おしまい。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。m(_ _)m


<<釣行データ>>

【ハンドル】クワマン
【釣行日 】2003/03/08
【時 間 】am7〜pm2
【都道府県】三重県
【対象魚 】ヘラブナ
[釣り場名]らっきょ池
[ポイント]堰堤
[天気  ]雨のちくもり時々雹
[使用竿 ]16尺
[道 糸 ]1.0号
[ハリス ]0.6号
[ウキ  ]孫助野池使用1号
[上針と餌]グラン5号(27cm)、グルテン四季
[下針と餌]グラン5号(33cm)、グルテン四季
[水深  ]1mぐらい
[タナ  ]底
[釣果  ]36.5cmのみ!
[備考  ]今年、最初の野のへらさんです。