マカオGPから帰国しました
(2007.11.21UP)

香港発月曜日朝10時30分のヒコーキでマカオGPから帰国しました。
香港の空港から荷物スルーでそのままマカオにいけるフェリー(ジェットフォイル)があるんですな。
帰りはマカオのフェリー乗り場でチェックインして搭乗券ももらえる。
そのシステムを知らず後で切歯扼腕した温帯でした。

ところで、マカオGPでいちばん光っていたのはこのお方(頭が、じゃないですよ)。
4日間の取材を通してすっかりファンになってしまいました。
いつも温顔の僧侶のようでありながら走りは熱い、でも、粗くない。
走りはもう“デキて”ます。言葉もエンジニアとは問題なし(と、見た)。
昔の日本の素直で元気な子はみんなこんな感じだったんだい。
戦国武将の子供みたい。
将来は武田信玄みたいになってほしい。
いや、ダライ・ラマ師か。

アンダーステアに苦しむはずのレス・ダウンフォース・セッティングでアスマー、大嶋和也らを抜いたお手並みはお見事。
あと3周くらいあったらオリバー・ジャービスとの一騎打ちも見られたか。
来季、ユーロF3の噂も出てます。
早くGP2に来て欲しい。待ってます!
 ああ、ありがたい、ありがたい(と、写真に向かって拝む温帯でした)。






佐藤琢磨センシュに町田市市民栄誉賞

やった、憧れの“ウルフ”北野元さんを取材!

 (2007.11.9UP)

佐藤琢磨センシュに町田市市民栄誉賞

……という記事が11月8日づけの東京新聞に載っておりました。
温帯はスーツ+ネクタイ姿の琢磨センシュのお姿を初めて見ましたよ。
サッカーの北澤豪さんが第1回(1998年)受賞者で、琢磨センシュで4人目とか。
実は11月6日の松本写真師との対談の時にその話が出たので「右京先輩がもらってないのにズルいじゃんか」と抗議したら「右京さんの時はこの賞自体がなかったんじゃないですか?」というので調べてみたら、右京先輩の引退は1997年。
さよう、たしかに引退が1年早かったのである。
温帯しつこく「金一封は出るんでしょう?」(出たらオゴレよな〜)と訊いたら「さぁ、その話は出なかったなぁ。出ないんじゃないですか」と逃げられてしまった。
ケチ!
やった、憧れの“ウルフ”北野元さんを取材!

世に「日本の名レース100選」(イデア発行)というシブ過ぎるムックがあって、温帯も何冊か巻頭インタビューなどやらせてもらっているんですが、来たる12月25日発売(Vol・40)号は懐かしの「'68年日本グランプリ」。

そのウイナーである北野元(もと)さんにお会いして、当時のお話をジックリと伺うことができた。
温帯、正味の話、ハッキネンがチャンピオンになった時よりも感激しました。

北野さんは国内でたった5レース(4勝+2位)しただけでホンダの2輪ワークス・ライダーに抜擢され、海外初レースの1960年マン島TTレースで日本人最上位の5位。
61年のアメリカGP(デイトナ)ではM・へイルウッドを破って優勝。
1964年から4輪に転向。
1・5リッターホンダF1のテストを担当したこともある。
1965年からニッサンに移籍、高橋国光選手と並んで“ニッサンの竜虎”と称され、'68年日本GP優勝、'69年日本GP2位など華々しい活躍をされた名レーサー。
温帯にとっては高橋国光さんと並ぶ憧れの“伝説のレーサー”だった。
ハードボイルド作家・大藪春彦の「汚れた英雄」「血まみれの野獣」には北野さんのイメージが強く投影されているように思うし、「血まみれの野獣」の主人公の名前はたしか北野晶夫じゃなかったかな。カッコいいんだ。

そんな方に往年の名レースを語ってもらったのだから、自動車レースライター冥利に尽きる一日でしたが、ちょっとビックリしたのは北野さんが最近のF1もよく観ていること。
注目の選手を訊くと「ハミルトン。アロンソもビックリしただろうね」とおっしゃるではないか。
そして「今年の富士のF1は雨でよかったですよ。晴れていたら一列になって面白くもなんともない」と軽く言われ、さすが! と思いましたね。

北野さんはいま川越街道に「ウルフMOTO」というタイヤ・ショップを経営しておられる。
MOTO=元。
「ボクはオートバイから生まれたんだよ」という北野さんのレース談義をお読みになりたい方は「100選」をぜひ(あ、宣伝しちゃった)。
なお、12月2日に富士スピードウェイで開かれる「NISMOフェスティバル」に北野さんも出演。
どうやら'68年に勝ったR381に乗られるらしい。
ファンの方はぜひ富士に集結!

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