岐阜バリアフリーイベント!(へいぽーの記事)(新規ウインドウで開きます)
2004年9月5日(日)
イベントタイトル:バリアフリーな地平
パネリスト: 6名
手話通訳、パソコン要約筆記あり
パネリストの方々のお話は、とても面白くパソコンに関する逸話や、難しさや問題点を提議されていました。本当に生きた言葉を話されていたと思います。
実は、今回のパネリストの方々へは、「バリアフリーな地平」それしか情報が無かったようです。その中で、話す内容を考えるというのは大変な事だったと思います。そして、だからこそ生きた言葉に繋がったのではないかと思います。
全盲でありながら普通学級へ通ったというAさんは、高校生のとき、先生から「お前のような”めくら”が来る場所じゃない、盲学校へ行け」と言われたそうです。それは落胆をしてしまって、学校へ行くのを止め様と思ったけど、母親からはお弁当を作ってもらってしまったから、学校へ行った、彼が登校するのを確認してクラスメートが職員室へ行き、先生の暴言に対して謝罪を求めたそうです。それは、泣くほど嬉しかったし、このクラスメートの行動は、まさにバリアフリーだと思ったと言う事です。この後、この先生には色々と教えてもらったそうです。
そして、パソコンを覚えようというときには、教えてくれる人が誰も居なくて、当時の鍼灸治療院に通っていた患者さんが少しはできるということでセットアップを一日がかりでお願いしたら、すぐに壊れてしまった。またお願いする事も出来ずに、自分で猛勉強をして使えるようになり、今では人のパソコンのセットアップくらいならできるようなった。
もう一人の全盲のBさんからは、パソコンができるようになったことで、ラブレターとか、代筆してもらったり、代読してもらうことがなくなりプライベートが保てるようになったこと。健常者から「パソコンで文字が打てるようになったのだからいいじゃないか」と言われたが、みんながやってる事と同じ事をしたいのだと言われておりました。
お2人とも話されていましたが、辞書とかを点字にすると50冊とか100冊とかになるんだそうですけど、その中から目的の単語を探し出すのは容易ではない。パソコンなら、あっという間に見つかるということをおっしゃっておりました。(注:点字は絶対必要です。イベントの内容がパソコンに関しているので、表現自体はパソコンのみに絞られています。)
盲ろう者のCさんのお話も興味深いものがありました。目が悪い、耳が悪い。そうなると、感で行動するしかないところもある。いつも通訳者と一緒にいるわけにはいかない。とても対人関係が難しいとおっしゃっていました。後ろから声を掛けられて「私よ」と言われても、誰だかわからない。困るとも話されておりました。(盲ろうに限らず、視覚の方も、いきなり「私」と声を掛けられるのは驚くみたいです。せめて、「私は、だれだれです」と言わないとかもしれませんね。) この方の通訳は、残された視力を使う方法です。いわゆるノートテイクと呼ばれるもので通訳します。少し大きく書いた文字を読んでもらうということです。
パソコン・ボランティアをされている肢体不自由のDさんからは、パソコンはできない事をできるようにしてくれるものだというお話がありました。過去の話ですが、昭和50年代に実態調査として入所施設が必要な人の調査が行われたそうです。そのときに、脳性まひの人を中心に調査を拒否されたんだそうです。そりゃーそうですよね。豊かな生活をサポートするための調査ではなくて、押し込める事が大前提の調査なのですから。そして、岐阜県では身体障害者手帳を発行されてる方が7万9千人ほどいらっしゃるそうです。全国レベルで見てみると300万人、知的障害、精神障害を入れるともっともっと多くの人が手帳を持ってるということになります。それから、手帳申請してない障害者も中にはいるんですね。そう言う人も入れたら、もっともっとになります。
それから、聴覚障害のEさんのお話はとても興味深く聞かせて貰いました。聴覚障害の方は文章が苦手、つまりは日本語が苦手なんですね。日本語が苦手というくらいですから、長い文章を理解する事は、大変な労力を使うんです。パソコンを覚えるということは、文章も理解しなくちゃいけない。漢字に変換しなくちゃいけないということがあるんですけど、彼らはそれが苦手なんですね。つまりは、パソコンを覚えるのも容易ではないということです。
彼らの通常のコミュニケーションは、手話に頼るところがあります。だからこそ、日本語への理解の仕方もまちまちなのですけど、手話の出来ないへいぽーとかが、パソコンの話をするにしても、筆談やメール、片言の手話でコミュニケーションを取っているのですが、どこまで理解したのかもわかりにくいし、相手もどう理解したのかがわからなかったりします。この方のお話の中に、パソコン講習を開いても、その後の問題で普及していかないということをおっしゃられていました。誰にどうやって聞いたらいいのかわからないし、そういう支援の準備が中々進んでないんですね。
一緒に行った仲間から、手話通訳者とかがパソコンが出来たら、もっともっと近くなるのにというような話をしておりましたが、まさにそのとおりです。聴覚障害者の世界を変えていかなければいけないという問題意識を持ってる方のお話は有意義でしたし、この方のお話の中で、もっとネットワークを作っていけるようにしたいというのが、印象的でした。
そして、この方自身は、聾学校には行かずに、普通学級で教育を受けたそうです。その中でどれほど努力をしたのかは、話をしていてわかります。この方との会話は、手話が必要ないのです。この方は、口を読み取れます。そして、発語ができるのです。生まれつき音が無いのに、言葉を喋るということがどれほど大変なのかは想像するにもできません。しかも、とても表情が豊かなんですね。手話は後で覚えたんだそうです。本当に凄い人だと思いました。この方は、「こも豆腐」というのを作っているんだそうですけど、仕事上でもパソコンを便利に使い、納入先ともダイレクトにやり取りが出来てるそうです。聞こえないからと諦めずに、やればできるんだと話されていました。
最後は、手話通訳を長くやってるらっしゃるFさんのお話しでした。ボランティアを32年間やってきたそうです。手話通訳者がいるところで話をする時って、結構、気を使うんですよ。ゆっくりと話すことが大事なんですね。へいぽーなぞ、早口で難しいカタカナをしゃべるもんですから、ゆっくりとか言われながら話しています。今回は、手話通訳とパソコン要約筆記がつきました。パソコン要約筆記は、パネラーの皆さんの話す事を字のごとく要約してパソコンで打ち込んで、字幕に映し出すんです。これは、聴覚障害者の人たちに、情報保証をするためにあります。手話通訳も同じですね。手話通訳がいい人は、手話通訳を、パソコン要約筆記がいい人は字幕を見ています。これがね。結構、普通に聞こえる人にとってもありがたいんです。話し言葉は意外に聞き取り難い事があるんですけど、彼らはプロフェッショナルでちゃんと字幕になっています。だから、字幕を見てそっかと納得できる事もあるんですね。(他に、手書き要約筆記と云うのもあります。)
パネリストの皆さんの飾らない生の声を聞いてみて、パソコンという便利な箱を本当に必要な人に必要なだけ行き渡らせたいと思いました。もちろん、ご本人の意思の尊重はされるべきでありますけど。現実、自分の意志ではどうにもできないで生活をしてらっしゃる方も多いんですね。こういったイベントも、開催される事は知っていても、会場に出向くためにはそれだけの準備をしなくてはならない。多くの人の手を介さなくてはならない。しかも、その手段すら持ち合わせていない人もいる。つまりは、外に出る機会の少ない人、介助なしでは生活できない人にとっては、自分のプライベートを保てるツールであるということです。社会と繋がる、人と繋がるということ以上に、プライベート空間がもてる、その歓びを感じる事ができるのだと思います。自分で選んで繋がる事を実感できるわけです。つまり自己決定です。自分で決めていけるという普通の事が叶わない人だっているんですね。パソコンは、今では支援ツールもたくさんあります。目が見えなくても、耳が聞こえなくても、手足が不自由でもパソコンが使えるようになれるんですね。そして、独自の世界を切り開いていけるツールでもあると思うのです。
インターネットを楽しみたい、なのにWEB上のバリアに阻まれる。自分の努力が足りないのかと落胆してしまう人もいることでしょう。そして、何より「WEBにバリアがあるということすらわからない」という人が圧倒的なんです。つまり、用意されたものに、自分があわせて操作をすることが当たり前なんです。特に生活に密接した自治体WEBに関して言えば、誰のもののWEBなのかです。だけど、それを責めてはいけないんだと思います。だってね、自治体WEB制作者は知らないんです。どんな人がアクセスしてるかを。だからこそ、使いにくいことを伝えていかなくちゃいけないんだと思います。誰もが当たり前に情報を受け取れるようになること、そして、誰でも世界を広げていける事、それが「WEBアクセシビリティー」なんだと思います。
へいぽーはディスカッションの口火切りをしました。話した事をまとめると
・日本で最初にホームページが出来てからまだ12年しか経ってないこと
・パソコンの歴史は、まだ、50年ほどということ
・世界ではじめてワールドワイドウェブを作った人の話
・ようやく技術の見直しがはじまった事
・みんなが、努力してきた事、また支援する人の努力があったこと
・支援者は、これからパソコンを始めようとする人には心強い味方であること
・style-TKさんと、じまぁさんとのやりとりの話
「身体や精神に障害があるのではなく、社会にある障害によって不自由している人がいる」という意味で、障害者という言葉は使うべきではないか
・WEBアクセシビリティーが必要だという根底には「ホームページに障害があるから、不自由している人がいる」ということ。そして、その障害を平らにする事で、ノーマライゼーションにも繋がる。そして、自分と障害がかけ離れたものではなく、近くにあるのだと知っていく事だとお話をしました。
そして、へいぽーの仲間からの話(一番最初に話したんだけど)
この方は、パソコンボランティアをされています。へいぽーも、一緒に活動をしていたんだけど、今は、休み中かな。パソコンボランティアの団体があるんですけど、その団体の設立経緯や活動内容などを紹介したりとか、岐阜でがんばってる方たちとの出会いの話、群馬県障害者情報化支援センターの話、WEBアクセシビリティーに関しての活動内容と群馬県の動向。そして、最後にはちょっと問題点を提議しております。
-------以下の文章について、追記部分に挨拶者から追記があります。
物質文明というものを手に入れるには、お金が必要である、そのお金を工面するためには、それだけの犠牲も払わなくてはならない、それで得た、最新の情報、大量の情報、驚異的なスピードのコミュニケーション、ビジネスチャンスなど、心穏やかな生活なのか疑問でもあると言われております。
-------以下、追記部分
物質文明を謳歌するために、人々はたくさんの犠牲を払っている。その中の典型が、お金を用意すること。でも、お金だけじゃなくて、自分を誤魔化したり、他人に傷つけられたり、こころがどこかに逝ってしまったり。豊かな物質文明は、穏やかで、こころの豊かさをベースにして、初めて、本当の生き易さを与えてくれるもの。
------ここまで
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