ぼくのペンの息が長続きしないことを、星々に感謝してもいいかもしれない
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昼:アンパンに牛乳。
今日は20匹以上のムクドリが電線に止まっていて、なかなか壮観だとながめていたが、上には上があるものだ。最初、捕食者に追われた小魚の群れが海面近くで波打っている姿、あるいは農作物に多大な被害を与えるバッタが次の収穫を目指して大陸大移動の真っ只中、はたまた生命溢れる朝日を避けて、地獄へ通ずる闇の頤へ帰還を果たさんとしている蝙蝠の大群、と思っていた、黒々として不気味で有機的な流れが、ムクドリだと知り、たまげる。
先週の次回予告から誰が大田とやりあうなどと無益なことをしたんだと思っていたら、阿川兄か。両者が論戦しているけれど、その後ろに阿川パパとヴォネガットの影がちらついてそれはそれで一興。しかし、2時間半の論戦で余程消耗したのか、肝心要の使えるところを編集したオンライン版は、両者疲弊しぐったり模様。一体全体、放送不可なところで、どうしのぎを削ったのやら……。
しかしながら、「アメリカって何?」とは嫌らしい質問だ。アメリカを否定するにも、そも「アメリカを定義しなさい」という。そうだなあ、まず、人ではないだろう。けれど人々ではあるかもしれない。議会政治が執り行われているのであれば、その決定が論じる対象か。すなわち、国の方針。そんでもって、国でもなし。
梅雨っぽい音がする。「ゆ」と「や」の大きな違い。
インゲボルグ・ボーエンズ著『不自然な収穫』読了。
一九九〇年代後半には、利益をなによりの目的とする世界的な大企業が私たちの生命にとって必須な食物を支配している。それを懸念するのは、そして政府や消費者が黙認し、あるいは気づかずにいるために、こうした事態に立ちいたっていることを憂慮するのは、時流にはずれているのだろうか。
食糧危機対策ではなく、付加価値の追求に突き進む世界。消費者としての市民が置いてけぼりを食らうものなら、著者の懸念も自然。とにかく、怖いというより、未知で、気づかないでいるのはいけない。「デザイナーフード」を作る贅沢を見聞きすると、その労力で食糧危機に取り組めなかったものかとは確かに思う。一方で状況を改善する見込みもここにはありそうで、医療品ともども期待は大きいけれど、途上国を支援したところで、儲けに繋がらないのが企業の事業としての限界。ただ、既に足りるどころか過剰を廃棄していながら、牛乳の国内生産を上げるBSTの開発は乱暴そのもので、そうした有用を越えて、必要性の見えないもある。実際、生産性と経済面でバランスは取れたのだろうか。「富みが富み、貧しきものはそのままに」の構図は、別の社会でも見たものであり、やはり馴染み深い。
門外漢が将来を懸念しても、科学的に証明できなければ、単に感情的に毛嫌いしている、と言われてしまうのが落ちである。果敢に楯突き、工業的農業の延長としてのバイオ産業であれば、地球を貧しくしている多様性の喪失は目に見えているので訴えられる。まあ、何を念頭においているかといえば、雑草どころか、雑虫を愛する人もいたと思い出してね。
除草剤を除草剤耐性作物と組み合わせて販売するしたたかな企業。遺伝子組み換え作物は大豆やトウモロコシだけではない。何も知らないだけで、想像を絶する組み合わせが試行されている。危険なものでもなさそうだけれども、日持ちするトマトの存在すら知らないのだから、そうした浅薄な己が憎々しい。本書の出版は10年前。利益追求で急成長したバイオテクノロジィ業界を語るには遅きに失しているが、当時までの事柄をまとめたものとしては申し分ない。その後の今日に至る10年はこちらでも多少は調べられる。モンサントは相も変わらず順調で「2008年世界で最も影響力があった10社」に選ばれた。主力製品である除草剤「ラウンドアップ」は特許が切れジェネリック化、数々の類似品が発売されている。そして、不安視されていたBT耐性を持つ昆虫が、ついに去年発見の報が上がった。そういえば、一度しか満足に収穫できないように改良された「バーミネーター」などの不稔性種子の特集を先日TVで見たばかり。もう日本産のものはほとんどなくて、あると思っていたのが、とんちんかんだと思い知らされた。DVDで限られた数しか再生できないものは、まあ、受け入れられるが、著作権侵害が、農作物まで支配して、それでどう農業を持続させていくのだろうか。まあ、出来のいい実がなるからこそ、種を求めるのであって功罪半すだ。
ところで、北米の食品市場はこちらが考えている以上に規制の緩やかなもので、案外企業からの圧力と張り合えていた日本の抵抗と厳格さが際立った。被害が出るなら北米が先に出ようものだが、何世代先に被害出るか測れないので、観察対象とするにも根気よく観察しなければなるまい。カナダ人による出版物なので日本のことも少しは登場するけれど、それは文字通りささやかなもの。もっと日本の状況を知りたい。そういえば、ここ10年で特定保健用食品という言葉もよく目にするようになったような気がする、それもバイオ産業の賜物か。
次世紀には、ヒト用の生物医薬品を製造するクローン動物についてのニュースがますます多く聞かれるようになるだろう。
有名なクローン羊のドリーは、今日のバイオリアクタ(動物工場)としての布石となっている。単純に複製に成功しましたという話でもなかったか。そのドリーも2003年に死亡した。
そういえば、先日クローン牛の販売を見合わせるという報道があった。牛の健康と人間のクローン技術に対する嫌悪感が拭えず認められなかったと記事にはあったが、これも今のシステムを変えるほど日本人が牛肉に飢えているとも思えない――というか、BSE問題がまだ鎮火せず、年齢制限の撤廃云々でもめていたはずだが、ああ、そうか、そちらは成長ホルモンで極限まで肥大化させて年齢制限以下で充分出荷の品質を保てるのか。また動物の健康もおもんぱかねばなるまい。クローン特有の肉体の脆弱さから抗生物質を投与する、それが体内の取り込まれ、食品に加工される、回りまわって人間が食い、耐性菌が誕生、ひいては魔法の医薬品抗生物質すら無効化してしまう恐れがある。これは懸念材料。そして、百歩譲ってクローンやホルモンは許してもヒト遺伝子入りの「ヒトに似て脂肪分が少ない大きなブタ」
は遠慮したい。
ほとぼりが冷めたのか、豚からの臓器移植の可能性の話題も最近はとんと聞かなくなった。先日脳死に関する法律改正案が可決されたが、どの国でも臓器は足りない。脳死ドナーからの提供が可能になっても臓器は足りないのだ。豚で育てた臓器が一時的にでも使用される日が本当に来るのか?
「遺伝子組み換え」「トランスジェニック」などと呼ばれたりするが、馴染み深くて伝わりやすい姿は「キメラ」。
北アメリカの消費者は規制は厄介なもので、進歩や個人の自由に対する不必要な障害であると考えている。規制しようとする意思、公益のために集団的な措置をとるという意思、ゆっくりと慎重に歩むという意思は、北アメリカ社会では賢明と思われていない。対照的にヨーロッパの文化は、政府が不正を取り締まり、欺瞞を防ぐ仕事をおこなうことを認めている。(中略)今日のカナダとアメリカの社会では、商業的な価値が優先し、消費者の個人的な自由が唯一重要なものと考えられている。
この思想がバイオ関連だけではなく、BSE全頭検査拒否や昨今の金融問題に影を落としている。もっとも、ヨーロッパも一度イギリスの狂牛病で煮え湯を飲み、鞍替えしたので、サブプライムローンで少しは規制も必要なものだという意思も拡がるかな……、なんて思っているとそれほど甘くもなくて、バイオ企業と金融は一緒くたにされてもいい迷惑だと反論するだろうし、第一、見えないだけで、忘れちゃならないのは、サブプライムローンでがっぽり儲けた人たちもいる。アメリカの民主主義のやり口はまだ変わらないよ。
突然だけど、ドッキリでもなさそう。「喰霊-零- 超自然災害ラジオ対策室」最終回。安定した明るいクオリティを発揮、聞いて悔やむ等の精神汚染を積むこともないので、一週間のうちで今もっとも心安らかに避難場所として機能していた番組なので突然の幕引きとは、かさねがさね残念なこってす。特に伊藤Pへの「アニメ業界なんでも質問コーナ」が充実してためになることしばしば。口惜しいことに、咄嗟には収納した記憶を引き出せず、そのほとんど忘れているような気もするが、たとえば、DVDと異なりブルーレイを製作する場合に英語による手続きの煩雑さとか、海外展開のせいで、いつまでも過去の作品にかかわっていくプロデューサとして仕事および忙殺されていく生き方が印象的だった。あと「喰霊」で手間取ったから「ハルヒ」の製作が延びたとかそういう裏話もここだけな感じで聴き応え充分。しばらくは「ハルヒ」に集中して影を潜めそうだが、製作側の人間とは思えぬ芸達者な人物。最後の物まねは、本人かと錯覚するほどの酷似ぶりで、誰よりもおかしかった。そしてPにお株を奪われているきらいすらある白石稔は、仕切りというポジションにいたので、「ねとすた」においての孤軍奮闘よりはマシだけど、不幸なことに躰を張った苦労話は聞けるが、面白話はついぞ耳にせず、そこが致命的。水原薫のキャラクタは収穫で、Pと一緒でまたどこかで聞きたい。茅原実里が何故あれだけ近況に苦戦するのかわからず、あれ、こんな不思議ちゃんだったかなと認識を改めた。
「蟲師」も最終回だったか。以前に何かしら綴っているはずなので、特筆すべきこともないかとも思われるが。動物、植物、以外にもうひとつの生がある。それらは「蟲」と呼ばれ、特別な体質を持った感受性の高いものたちにしか見ることもかなわず。と、そういうことなんだけど、もう一通り観察してこの物語は「生」よりも生々しく「孕」だったなと受け取った次第。
原作のプロットの素晴らしさは言うに及ばず、正直な話、これほど見事に感服させられる物語も他には見当たらない。同時代では遅れをとらず、他の追随を許さない。そろそろ続きが作られないものだろうか。来週からは「プラネテス」らしい。これも好きなアニメだが、これ以上見ると反対に嫌いになりかねないのでこちらはパス検討中。本来、この時間帯は「週刊ブックレビュー」に当てていた時間であった。4月からの改編でハイビジョンを除けば朝にしか見れず、夜しかTVを見ない人間には満足な視聴もあたわず。それにしても、ハイビジョンの番組CMを見る機会が増えた。そんなに加入者がいるのかしら。もっとも、そのハイビジョンの放送時間にしたって、厳しい。
普通、体調が悪い。といえば、頭痛か、腹痛、あるいは倦怠感などが考えられる。けれど、骨を折っているのは論外だよなあ、と、本すら支えられない左腕に溜息を吹きかけた。かばって浮かしている腕の筋肉もいい加減疲労が蓄積してだるい、と愚痴る。
モトGPだろうか、それとも日本のレースだったろうか。ともかく、バイクレースの映像をスポーツニュースで見たが、ああ、もう、ここにはノリックも大ちゃんもいないんだと突然、喪失感に襲われた。いずれマイケルのことも唐突に悲しむ日がやってくる。今は死亡原因の究明とわずらわしいことに世間がうるさくなっているのに嫌気が差し、ほとぼりが冷めるまで、あきれて悲しみが見えない。ラジオから11歳の歌声が響く、ああ、天才だ。それはもう強烈なほど輝いて、今となっては痛々しいほどに。
朝からビックリしているのかすらどうかワケワカラン。ただ、この人にはいつもドギマギさせられたので、情けないことにこの状況がイマイチ理解不能。しかしネ、やっぱりナ、と言うべきか。天才は長くは生きないものだ。この人も、タヴァナーやディックと同じで、ただ人の目を集めすぎた。思えば、これだけの大物で歴史に名が刻まれた海外スターが亡くなることを私は経験していない。
古傷悪化による思わぬ弊害。キーボードを打つ支点がずれて躰に染み込んでいるパスワードを入力できない。頭で一つ一つ入力しようとしても頭には染み込んでいないので、弾かれる。
誓い。牛乳を飲もう! 魚は骨まで食うぞ!