ぼくのペンの息が長続きしないことを、星々に感謝してもいいかもしれない

NOTHING TO HIDE

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# These days

2009年11月12日(木)

諸行無常を響かせて

改編期ごとにちょくちょく放送枠を変えていた「アニ探」をラテ欄から見失っていて、地元局でも放送終わったのかと調べてみたところ、なんと番組自体終了していた。厳密には水谷優子が卒業して2が終わり、3が始まったみたい。振り返れば根拠なんてものはこれっぽっちもなかったのに、終焉とは対極に君臨する存在として永遠に続くもののような気がしていた。地元局に限っての終了の想定も不吉な予感からの逃避だったのだろう。19年の歳月に最後は泣いたらしい、ああ、最終回聴きたかった。柄にもなく「時間よ、巻き戻れ」と悔やんだ。大失態。

レアもレア

昨夜、アナウンスを耳にしたときからこの限りある時間を愉しみにしていたが、生天目仁美の妹キャラは、記憶にない。一瞬、時が止まるほどの巧さで場が静まり返ったように、一般人やアナウンサや俳優とは異なる声のプロとしての当たり前に備えている能力が顔を覗かせるとビックリする。それは、場としてのアウェイでは尚更で、腕がある。

そのあと、ナイナイのオールナイトを久しぶりに頭から拝聴すれば、岡村の肛門が爆発していて笑った。明後日には、正月恒例のボーリングの収録があるらしいので、ああ、あの頃は痔なのに大変だったなとのんびり、おコタでくつろぎながら思い出そう。

2009年11月11日(水)

探夢坦懐

1年に1回、夢を見るかどうか。だからこそ稀に見る夢が異様で、井伏鱒二の妹の名前(勝手に命名「夏」)がHIVの特効薬の鍵であることに閃きを得て、長い階段を駆け下り、駆け上り、自室へたどり着いたときには閃きを得たことだけ覚え内容を忘れていたところが夢にありがちな泡と消える失望感。見渡せば、渡り廊下で別館と繋がっており、階段を駆ける必要もなかったようだ。悄然として、会議室なり図書室なりに戻ると、アイディアの元となった本はなく、アイディアごと盗まれたらしいとわかりパニック……、といったナントモナントモな夢で御座いました。

野暮ったくも分析すれば、HIVの出自は直近の小説と見当が付き、研究室のようなところをうろついているのも次のエッセィと推量が成り立つ。では、井伏鱒二はどこから湧き出したものだろう。たしかに『山椒魚』を読みたいとは春ごろから密かに思いを募らせる。すわ、夢にまで見て、ついに潮時か! でも、これをお告げと微塵も思わないあたりが非常に現代的かも。

地産地消

ワイドショー系の番組を見ていて、「欧米型の殺人事件」と言われるのに引っかかった。一体どこまで他人に押し付けるつもりなのか。仮に何かしらに嵌め込むならば、日本や世界は関係なく、現代型の殺人事件ではないのか。それを臭いものには蓋の精神で、路頭のホームレスを無視するかのごとく「猟奇的な殺人は日本には存在しませんよ」といった精神がいただけず、面目なく、申し訳ない。昔は良かった……、と懐かしむ、その昔にあれだけの戦争を繰り広げた国の精神が野蛮な側面を一切持たないわけがないが、それすら蓋しているのだろう。

2009年11月10日(火)

真っ赤な虚構

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ひょっとこがいるなら、恵比寿様よりおかめが似合うと思う……。また、たたら場に女性がいたら、神様に嫉妬されるのではないか……。と、こちらも妙なところを気に病むけれど、はたと赤朽葉の女性自身が女神様なのやもしれぬとエウレカ!

川上弘美のようなうそばなし、森見登見彦のようなすっとぼけ、打海文三のようなエログロに囲まれて立ち上がる雄編。桜庭一樹著『赤朽葉家の伝説』読了。映画なら「フォレスト・ガンプ」に当てはまる叙事。不明を恥じつつ告白すれば、すっとぼけたキャラクタには女性しか思い当たらず。ガンプの場合は病気だ。しかし、女三代の戦後を振り返り、それが正しく戦後なのは、戦争をしなかったからで、それは当たり前の論理なのに凄さを忘れがち。翻ってアメリカは、日本が戦後を過ごした期間、戦前と戦後を安らぎなく小刻みに繰り返した。現在もほぼ戦中である。したがって、戦うという野蛮な行為が介入してこない歴史には、フィクションでしか戦争ものは語れないかもしれないけれど意義深く、ときに国益として太平の世に文化は花開くが、「死」を強烈に意識し反発力を得なければ、ピークを越えたあと頽廃の一途で立ち上がるものも立ち上がらないジレンマを抱える。

この地方都市はいつも都会からすこし遅れて戦後の繁栄を追ってきたが、寂れていくものに限っては必ず、都会よりも地方に先に、やってくるのであった。

歴史は勝者の目線で語られる。敗者として再起動した戦後の日本史とは紛れもない東京史であった。TVを媒介に歴史を振り返ったとき、繰り返し流される映像の学生運動やバブルすらもやってこなかった白々しさ。先日の幻に終わった東京オリンピック構想の盛り上がらずくすぶっている様も、とどのつまり、そういうことだった。ただし、若い世代はオリンピックが好きではないと一括りに言えば語弊が生じる。好きだけど、直接もリアルタイムでも、競技を見る必要を感じない環境のうちにメディアの発展とともに成長した。これがオリンピックを誘致しようと懸命になっていた世代との埋まらなかった隔絶の正体だろう。これの裏返しで犯罪に於いては実際には遠く僻地で起きた事件に対しても、過敏とも言える恐怖を身近に抱え慄然としている。一体、どこまで離れれば、安全だと思える距離になるのか。日本としては島国の利点を生かして、海外との線引きは明らかである。これが地続きの欧州の場合はどうなるか。たとえば隣国で起きた連続猟奇殺傷事件をどれだけの距離を保てば無視できるだろう。EUとして経済圏の融合が進む中、一昔前なら安全な距離とは母語とするTVの電波が届く距離だったのだが、昨今では、WEBが幅を利かせ、携帯で繋がる時代は情報に徹底的にストーキングされる。でも、ヨーロッパの各国よりも日本って実は国土は小さくないのである。

戦後から現代に近づいて、アーケード街が荒廃している理由が見えた。昔日の賑わいが去って陰りが見えていた中での子供時代を過ごした身には、商店街に立つ子供として目線しか持っていなかった。その中で、発見したる原因とは道路をやたらと拡張したことだ。それによって車道と歩道が整備されて車は通るようにはなったが、立ち退き金を得た家主は引っ越し、店が閉じれば、人は通わなくなり、そもそも車で乗りつけるなら郊外の大型店へと足も向いた。すると商店は次々にシャッタを下ろし、畢竟、街の濃度が拡散し薄くなった。これを体験した子供目線。大人から見ると団地から郊外の一軒家という物件がこの時代に登場している。こういう部分に「フォレスト・ガンプ」にはない国内の物語だという部分を身に引き比べられて感じられた。

そうえいば、これはミステリィだったよね……、と小首を傾げていたら、最後にそうした展開が待ち受ける。大したことないと視えていた物語の落ちも、すわ、その時が来れば感極まる展開で泣けた。常々明言しているミステリィ小説を読んでミステリィを忘れる人間が選ぶ見所は、輿入れのシーン。幽玄な趣きがある万葉の時代が素敵で、近代化と直面した時代の趨勢でそうした面妖なものが失われていくのが寂しかった。きっと今もエコという代名詞に任せて不可逆的に色々なものが失われている。

奇妙な方言が目についた。地方の言葉というよりお屋敷の言葉が特別なのかもしれない。それしては、各地からのミックスが目につく。恐らく、本気で書いたら、誰も読めやしないのだ。もっとも、読めないにしても、もう少し乱暴に書いても良さげではある。それぐらいは許容範囲だろう。

ご丁寧に参考サイトまで書き込まれているのが律儀だけど、そういう時代なのかと本編が時代を扱った物語だけに、胸にしみた。

麗しのイエローキャブ

「ハリーとトント」。再度、見ても車がいい。特別、格好良さや洒脱なものはないし、むしろ格好悪くないかという野暮ったさすら備えているようなのに、どこか素敵で、それは全体的であり、小道具としてでもなくあちこちで揃っているところが、いわば再現の難しい一風景としての時代性の強み。下手したら、建物は変化しないのに、車だけ入れ替わっている。

悪貨は良貨を駆逐する。格好よくないどころか、ダサい車が、安全性と価格面での後押しを受けて平気な顔して売れてしまった過去。しかし、借金してまで格好悪い車を買うだろうか? というミスマッチの訪れが現代の悩みだと思う。

2009年11月9日(月)

20年目の真実

壁が崩れて20年が経過した。20年前は意味もわからなかったが、20年後も意味がわからない。家族の誕生日が近いので、その日は、何をしていたのか思い出そうと試みても、記憶にない。自分のですら覚束ないのに他人のなぞ思い出せるものか。だとすれば、壁の崩壊はわからないなりに覚えているのだから――もちろん当日の記憶かどうかは甚だ疑わしく、その後、何度も流れた映像の可能性がかなり高いものの――それなりに異彩を放つ人生の特異点。

今年の取材で興味深かったのは、東から西に社会が傾いたの同時に、東の悩みを捨て新たに西の悩みを授かったことだ。どちらにしろ完璧な社会ではない。西が否定した東への郷愁と募らせる20年後の人々の存在は、さすがに浮かれた様子もなく目新しかった20年目の粛々とした真実。

2009年11月8日(日)

伝わらない興奮

結果、投了してしまったが、9段相手にはなかなか勝てるものではなかろう、とチャレンジ精神と時間に追われる中であわよくばという気持ちが混交しながらの観戦。左右同型に梅沢由香里の一歩も引かない反発精神溢れる盤上、下手打てば即やられる緊迫感が一興だった。こうしてNHK杯を愉しめるのもこの人あってのことなので、闘う勇姿が見られるのは嬉しいかぎり。ただ、その興奮も伝わってないだろうなあと言えるのは、家族の反応を見ても知れたこと。

辞書インフル

鼻水は止まらないし、咳は出る。昨夜もまったく同じ症状が出て閉口したが、どうも辞書が原因だったみたい。今年の夏ごろから、前小口のほうから手垢にまみれ、油染みてきた辞書が、ぴたりとくっつくなどしていたけれど、どうもその先の段階に進み、異臭を放ったらしい。辞書と言うものの性格上、眼前でぺらぺらと捲るので、微風も呼吸器に直撃する次第。とにかく、濡れティッシュで油を拭い、もしくは紙ごと溶かし、ファブリーズのような殺菌&消臭スプレィを噴射しておいた。もしかして本って手入れする必要があるの? 虫干しするのは知っているが手入れは耳にしたことがない。装丁がぼろぼろになれば、都度テープで補修はしていたけれど……。まあ、8年間毎日のように読み続ければ、そういった未聞の症状も出てくるものか。まちがいなく繰り返し、一番読んでいる本だろう。

ちなみに、人生の終末に近づくと絵本を超えて最後の読み物は辞書にたどり着くものらしい。


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