ぼくのペンの息が長続きしないことを、星々に感謝してもいいかもしれない

NOTHING TO HIDE

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2008年11月19日(水)

手がかじかむ

キーボードは叩けないし、本も読めない。エアコンが苦手でも暖房が必要だ。手を空気にさらすのが嫌なものだから、マウスで文字が早く打てないかと、かつ、打つのみではなく両手に劣らぬ早さを求める。ああ、こういうときに手書きブログが有効かも。

アンカも出したけれど、最大出力に異臭が漂う。

蹴球の間隙

GKへのバックパスがはらはらする試合は久しぶりだ。まあ、前半で先制しての3-0なので、最後まで余裕を持って見ていられた。

ところで、ハーフタイムには民主党のCMが多かった。選挙対策か。ならば、政治家の顔を大写しするよりも、もっと格好よく印象的に党名が心に刷り込むよう決めればいいのに……。しかも、複数のパターンがあれば――ただでさえ起きているだけで苦痛な深夜に、変化の乏しさほどうざいものはなく――嫌がられなかっただろう。「イノセン・テイセス」のCMも見たけれど、まだ売る気はあるんだな。ところで、もし撃ち堕とされたとして、コンティニューという事態になるとすれば、ああ、そういう筋か……。

2008年11月18日(火)

ヒマラヤ登頂!

ガチャピンがヒマラヤ登頂に成功したらしいけれど、無事に下山できなかったらやだよう。だって、そうなった場合、ガチャピンの氷漬けが容易には近づけない山に残されるわけでしょ……。しかし、冬山には南国生まれのガチャピンではなく、ムックが向かうべきだろう。でも、どちらも暖かそうではある。

ところで、日本でも一週間先どころではなく一気に冬になった。衣装も秋から冬へ。さる気象予報士いわく寒気は「クリスマス並」であるとかなんとか……。20キロ先の都市でも初雪を観測したらしいが、ここいら一帯でも降ったのかしらん。

最高の宇宙人論

「宇宙人を見つけるのではなく、宇宙人を作る」

今まで生きていた中での最高の宇宙人論だった。ナイス。でも、ギンヤンマを捕獲できる81歳って凄いな。あの、捕獲網を振る切れのある動きは只者ではない。こちらはいまだにできそうもないことを楽々こなしている。まあ、止まっているものより、堂々と飛んでいるものを追いかけていたからだけれど……、言い訳だな。

74歳イタリアからの手紙

「マンガノゲンバ」に『ガラスの仮面』の作者登場でしみじみ思っていたことをつれづれに。

作者より年下であれば、物語の最後まで読めるのかといった不安はないのだが、たとえば未完に終わったとしてもそれは未完の結末である。作者より年上だと危機感を感じたのももっともな話だ。ピンチである。しかも、翻訳にはさらに時差が発生する。ピンチだ。まあ、どちらにしろ命懸け。しかも、いつか行く道として笑えない。ピンチ。

2008年11月17日(月)

リストラ

辞書ツールの表示がすべて表示されない、と不調を来たしたので、昨日、辞書をリセットした。ために、今日からは新規に辞書の作り直しである。まず、「……」と「――」を登録して、あとは人名が主に登録されるだろう。

すでに思い出すことさえ忘れていたが、ふと思い出したこと

引っ越した折に部屋からTVを消し去った。TV自体は、捨てたのではなく、今も隣の部屋にあるけれど、個室にはない。これが23時台の報道が詰まらなくなった。つまり、見なくなったとの感慨に、直接、結び付くのかもしれない。もっとも、TVを除いた理由がTV支配からの脱却を掲げたものであったので、当時からTVに倦んではいたが、はては理由になることすら度忘れしている。まあ、試みは成功しているよね。

4大スポーツ観戦法

  1. NBAは、4Qからが見物。
  2. MLBは、ポイントだけ。これは日本も同様。
  3. NFLは、日本人がいないのに最初から最後まで見られる非常に限られたスポーツ。日本人贔屓での視聴ではないから、スポーツ自体に魅力があるのだろう。純粋に面白いスポーツでは一番ではないかと思っている。
  4. NHLは、放送してない。

かように、スポーツ観戦法といえど、TVに限られたもの。それこそカウチポテトができて、トイレに席を立ってもどこぞのお馬鹿さんのごとく迷子になって名前を放送されない利点もある。実況が邪魔だと常々感じているが、CMと同じで嫌なら現場で金を払って体験すればいいのだ。金を払う意義とはそこに発生するのだろう。なんなら、実況自体ミュート可能。残された問題は、応援がうるさくなければであるが……。

寒すぎる

頭痛がして寝付けない。普段なら、体が温かく頭が冷えている方が眠りに落ちやすいものだが、冷えすぎたか、かき氷を掻き込んだような症状に近い。そして最優先事項でもないことで考えあぐねる。こうした不眠スパイラルのときには、もう今夜は眠らないと断固腹を決めた方が断然眠れる。

2008年11月16日(日)

雨ガ降ル

昨日の天気予報では、この一週間は曇りと雨が同居し、まさしく本日、雨ガ降ル。一週間後には、冬ガ来ル。

2008年11月15日(土)

叶った

ソース画面でマウスジェスチャが働けばというのが積年の願いだったけれど、ようやくにして叶った。

青春の歌

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中原中也著『山羊の歌』読了。中原中也ともなると、どれほどの距離で瞬いているものなのだろうかと距離を測ってみたら、とても近くで焦げ付いていた。ともあれ、夭折が惜しい。一冊通して、過ぎた時間は感じるけれど、初期も羊もなく、基本的なものの見方は同じである。抜け出たかも知れぬ、また、あえて抜け出なかったかも知れぬ境地を時間切れで抜け切れなかった。見上げていた若気と見下ろす老境を知りたいなあ。まあ、青春が過ぎたと嘆くのも、ぎりぎり青春の範囲に留まっているのだろうが。

賢治が夜から朝にかけて詩を歌ったのに対し、中也は黄昏から夜を歌う。朝を歌っていても、眠れず明かした朝を思う。それに応じたのか、印象は自然ダウナ。ただし、『夏の日の歌』などは爽やかで気持ちがいい歌だから、調子が良ければ、こんなんもできますよといった素質も勿論併せ持つが、見つめたものは夜だった。されど詩人。研がれた言葉は心地良く胸に届き、聞こえないものを聞く長い耳を持つ。たとえば、『サーカス』では擬態に眩暈し、『更くる夜』には脱帽。

『失せし希望』で感嘆したのは、「その浪はあまりに深く/その月はあまりに清く、」と、希望という絶対的対象が、「深く」、そして「清らかな」存在であることだった。深く遠くではなく、深く清らかなところに感じ入る。この心理を対極的見地からずばりタイトルにして表現したのが、超有名作『汚れちまった悲しみに……』であろう。

ところで、霙と霰はどちらがお好み、いや、お嫌いですか。私は、霙が嫌いで、霰がお好み。なぜなら、霙は衣服が濡れて冷えるけれど、霰は跳ねて濡れないからである。この認識が『生ひ立ちの歌』で引っかかる。中也の少年時では、霙が降っているが、十七―十九になると霰が降っている。これはどう考えるべきか。全体の流れからは、悪い方へ向かっていると取るべきだろうが、自分の好みを考えると、案外、そうばかりとも言えまいと苦悩する。

賢治もそうだったけれど、出版に至るまでに苦労した。これほどの才人でも、なかなか出版までに漕ぎ着けぬとは、いったい、誰なら良かったのだ。時代的に軟弱との烙印でも押されたのかしらん。歴史的現在、次々と消費する出版形態も今や飽和していて、たくさんのノイズを解き放っているけれど、既に書き手であろうとする誰しもが楽々と発表できるサイトを手にした。ただし、読み手としては四方八方十六方以上もある三千世界のどこを見ればよいのか視線が定まらないけれど。

作品は終わったが、何も知らず解題のページへ移ったときの寂しさは例を見ない。切なさは秀で猛烈だった。この降って湧いた喪失感には、作品以上に感傷的になる。


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