ほのぼの の どどいつ亭
現代風 都々逸(どどいつ)の創作を楽しみませんか

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 ほのぼの の どどいつ亭

(上は ある日の東福寺 です)


現代風「都々逸(どどいつ)」を創ってみましょう


 日本文学とりわけ詩歌の中で、俳句や短歌に比べて、「都々逸」はこれまで、庶民的な、時には低俗的なウタと思われてきたきらいがあります。

例えば
 
 横に寝かせて枕をさせて 指で楽しむ琴の糸
 
 ゆうべ意地悪した好い人が 朝の鏡の中に居る 
 (良一)
 
ちょいと見たときゃさせそな様で 拡げてさせない破れ傘
 
 頼りない身に頼りが出来て 出来た頼りが頼りない
 
などはその様に、思われるかもしれません。 しかし、それだけに現場の人情味の機微に触れるものが多く、現在では、そのようなヒューマニズムは保ちながら、口語型の新しい日本の詩歌として、「現代都々逸」を創作する風潮が高まってきているのです。

野菊の勲章みんながつけて 一人ころんだ茜雲 (三保)

和綴じの歴史に閉じ込められて 慰安婦老いてく世紀末 (鈴木節子)

絡み付いてる見事な蔦が  瀬音聞いてる木曾の宿  (石原梅学)

三角ベースで遊んだ友の 訃報見つけた朝刊紙 (ほのぼの) 

先ず、都々逸になじんでいただくために、私の好きな、そして皆さん方も御存知の都々逸のうち、歴史上の有名人の作品も含めてご紹介して行きましょう。

高杉晋作
苦労する身はなにいとはねど 苦労し甲斐のあるように
 
三千世界のカラスを殺し 主と朝寝がしてみたい

河井継之助
 九尺二間に過ぎ足るものは 紅のついたる火吹き竹

頼 山陽
 お月様さえ泥田の水に 落ちてゆく世の浮き沈み

陸奥宗光
 末は袂を絞ると知らで 濡れて見たさの花の雨

都々一坊扇歌
 たんと売れても売れない日でも 同じ機嫌の風車

扇歌さんのこの詩なんかは、人生そのものを詠っていると思いませんか

又、身近な心情を詠んだ面白い詩歌として、神戸節より

 ほかへ心を移してみても いつかおまへのことばかり

須田 栄
 閉めずに寝たのがこっちの不覚 月に見られたすだれ越し

平山廬江
 降りの強さに閉め切る雨戸 後は無口にほてる顔

読み人知らず
 知らぬ顔して風鈴だけが 知っていそうな今のこと

 わたしゃとうからその気でいるに あんた勝手に口説く人

 ことりことりと小鳥と小鳥 ことりことりと小鳥かご

このヒューマニズムに満ち満ちた「現代どどいつ」の創作を、一緒に楽しみませんか。
創るのは簡単です。

 どどいつ の基本形は、「七/七/七/五」二十六文字の口語のポエムです。
 この、「七/七/七/五」の文型は、日本語の基本的文型でもあり、皆さんが普通に喋っている言葉がそのまま、どどいつ調になっていることも、しばしばあります。

 例えば、あの草津節

 草津よいとこ一度はおいで お湯の中にも華が咲く

 立てば芍薬座ればボタン 歩く姿はゆりの花 

 などもそうですし、何の抵抗もなく聞き流せますね。日本の多くの民謡、例えば佐渡おけさ、白頭山節などなどみな、どどいつ調なのですね。

 「七/七/七/五」の文型は、さらに詳しくは、普通
 「三・四/ 四・三/ 三・四/ 五」
 となるわけです。
 上にあげた例のすべてが、そうなっていますね。

勿論、厳密には都々逸の創作にも「きまり」と言うものもありますが、それはまた次回にでもお話しするとして、最初のうちは、気にせずに、前述の文型で指折りして創ってみてください。俳句のように厳しい「歳時記」的制約もありません。
 
 あんなに大きく描いた夢を 消して惜しげもない余生 
 (三保さんの作品を参考にして、ほのぼの) 

 流れさらさら若葉が光る 向こう岸にも二人連れ

 朧月夜に逝かれた人の 詩(うた)を詠(うた)って帰る道
(ほのぼの)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、どどいつの中には、織り込み句というのがあります。例えば、「うぐいす」を織り込むとして、七七七五の各節の頭の文字をそれぞれ、「う、ぐ、い、す、」となるように、どどいつを創ればいいのです。 例句として、
 マーチャンの作品、

うちの亭主はぐうたら亭主 いざというときすっと立つ      
など、面白く出来てますね。 
今少し織り込み句の例を挙げてみましょう。

(セクハラ)
狭いながらも苦しかないと 張り切る女房は楽天家 (ほのぼの)

水無月(みなづき)
みんな濡れてる泣くのはおよしづくたんぼでも君が好き  (ほのぼの)

台風(たいふう)
他人のそら似と言っては見たが 古い思い出うずく胸  (ほのぼの)

ただしかし、この際、織り込み句を創るときに、「出題の字句の連なりを読み込んではいけない」とされています。 例えば「つゆあけ」という題なら梅雨とか、露、開けるとか 明けるなどを使うことは、「ヤマイ」と言って、失格になります。

梅雨の晴れ間の湯上がり浴衣 開けりゃどこかで稽古三味 (三保)

これはこのままの詩としては情緒もあって、素晴らしいのですが、「つゆあけ」の織り句としては、ヤマイとなりますね。 織り句としては、

つれない悲しい夢見で覚めた 朝のしじまをけらが鳴く  (喜久)
を、好しとします。

 次に今ひとつのきまりとして、
「川柳止め」は良くないとされています。
都々逸の、七/七/七/五は、どの詩(うた)や文章にも見られますように、起承転結がその基本的なラインです。 起承転結の最後の結び五字に、「川柳止め」に似た言葉の「投げ」が見られる作品、例えば、
  ・・・ 一人へり
  ・・・ 連れができ
  ・・・ バスに揺れ  
いわゆる「連用形」などで、終わるのは好ましくないとされています。これらの詩の場合には、例えば、
 ・・・減る一人。     
 ・・・出来た連れ。    
 ・・・揺れたバス。
と言うように、必ずしっかりと「結ぶ」ことが必要とされています。

加えて、今ひとつ
都々逸 七/七/七/五の第三句の、七は、三/四と唄われるべきで、ついついこれを四/三としてしまうことが多いのですが、これも好ましくないとされています。 弦(イト)に載せた時、都々逸の唄のリズムが崩れるからだそうです。これを「腰折れ」と云います。

飾る錦は無くてもよいと 故郷の山の苦笑い    
(ほのぼの) 
では第三句が、四/三 になっていて、厳密には失格です。
飾る錦は無かったボクを 山の錦が出迎える       では如何でしょうか。

と、言うように一応の規則めいたものはありますが、最初のうちは気にせずに、とにかく楽しく、どんどん創って見てください。 俳句や短歌でも見られますように、どどいつでも「字余り」は許されています。 しかも普段使っている口語体で、三・四/ 四・三/ 三・四/ 五 と創ればいいのです。

バス待ちの時間、病院での待ち時間、などなど、ちょっとした空き時間帯に、指折りしながら、自分なりの都々逸作りを楽しんでみてください。面白いものですよ。では早速一つ、試作してみてください。

最後に少し、創作都々逸の例を挙げておきますので、参考にしてみて下さい。

ひととこ読めない文字があって 腰をかがめる花の句碑  (三保)

小さな不満に寝そべる俺を ぐっと見下ろす世界地図   (三保)

他人の幸せもう聞き飽きて 風に揺れてる猫柳 (三保)

きれいに洗ってある日の丸に いまだ戻って来ぬ遺骨 (辰巳)

時計は見えないところに置いて ながい二人の夜にする (良一)

滝壺まで来て聞こえぬまんま ガイドの口元見てるボク (読み人知らず)

今も人生不可解のまま 落ちて散ってる滝しぶき    (華厳の滝にて:ほのぼの)

痛い手術の辛さを消した 今朝の母御の蜆汁 (ほのぼの)

今朝も優しい白衣の天使 俺の遺伝子すぐ惚れる (ほのぼの)

診察待つ身のどどいつ創り 外は雪降るホスピタル  (ほのぼの)

 


 リンク集

 ほのぼの の ココログ(大凡人)
拙稿「大凡人」の中にも 都々逸の文集があります。
 しぐれ亭
我が国の代表的な都々逸会の一つです。


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