〜地震に強い重量鉄骨の家〜
TEL:03-3386-0701

1 住宅設計にあたっての考え方

住まいの設計で一番大事にしていることは、丈夫な構造と内部空間のフレキシビリティ(自由度)です。将来の家族の変化に対して自由に対応することができる家づくりを目指しています。
ビルに使用される重量鉄骨を柱や梁等の骨組みに使用することで、強度 耐震性において地震に強くリビング等の40帖程の広いオープンスペースが容易に確保出来ます。床・壁・屋根は厚さ100ミリのALC版( Auto Claved Light Condrete)〜発砲軽量コンクリート〜で覆うことにより高性能の住空間が得られます。ALC版は普通のコンクリートの約1/4の軽さにも関わらず同等の強度があり、断熱性は約10倍になり、遮音性のバランスも良い。また、木材ではないので有毒なガスがでなく、不燃材として優れた耐火性能を持っている。更に一般的に多く使われる工事材料なので大量生産によりローコストであることも特徴です。
30年前にCM方式で建てた友人I邸の実験住宅以降、150棟の実績になりました。

2 建主へのメッセージ

現在の生活をすべて忘れて無から出発して下さい・・・新しい家づくりには今までのライフスタイルが邪魔になることが往々にしてあることです。今までの生活よりも新しい住宅と共に新しい生活が始まるのです。
2〜3年後、もっと先の10年後20年後をイメージして下さい、子供が巣立って夫婦二人だけの生活を送っているかもしれません。生活スタイルがまったく変わっているでしょう。目先のことに囚われず、将来の展望を夢に描く事が大切です。
私の経験上、家を建てたが後悔するケースを多く見てきました。「家は3回作らなければ満足の行くものが出来ない」とよく言われるように、大抵の建て主が今までのライフスタイルに囚われがちです。住まいの器を固定的に考えずに、自由に可変的に生活は動くものとして私に相談して下さい。きっと満足出来る家づくりのお手伝いが出来ると確信します。

3 自己紹介

「建築家」と言う言葉を聞いたのは確か中学2年の頃である。高校まで岡山県高梁市の城下町で育った私にとって、美しく心地よいそして耳慣れない響きだった。アサヒグラフで若き建築家、鈴木洵氏の設計による日活スターの宍戸錠邸を見た時の事で、今では安藤忠雄作品等で珍しくなくなったが、コンクリート打ち放しの上から光を取り入れたトップライトの家だった。こんな家今まで見たこともなかったし、ましてこの町には存在する由もなかった。
感性豊かな少年にとって建築家という職業が衝撃的で、ただ「カッコイイ!」と思った。これが建築を志した動機である。大学に入ってから住宅作家を志した私は、背伸びしない自分の体や境遇に合った家をそうと思っていた。そこで辿り着いたのが「池辺陽の工業化住宅」で住宅を工芸的な芸術作品としてではなく、生活デザインとして現代の技術によって量産化された、性能の良い材料をバランス良く構成してローコスト化を追求する。30年前独立以降「重量鉄骨ALC住宅」が私自身のライフワークとなりました。


4 最近の出来事

6月24日(水)     真鶴町まちづくり条例「美の基準」

10時 池田女史と林区議来社 法政大学五十嵐教授が提言している、真鶴町まちづくり条例「美の基準」を持って来てくれた。ゼミに参加したらしい。商工会活性化委員会が中野区に提出している要望書等説明する。大和町T邸耐震診断の報告

6月26日(金)      耐震診断依頼説明会 

10時から東中野地域センターでMコートの耐震診断依頼説明会 I理事長の説明を受ける壁式コンクリート4階建て24世帯築44年の建物で企業の寮を分譲したらしい。滝口氏とケンタローと説明を聞く。既存不適確建物なので中野区助成対象になるか大いに疑問だ。6時半 西武信金 仲村 鍋村氏来社 町会の中島氏 JOを交えて下の居酒屋「美盛丸」でNマンション建設計画を中心にして飲む

6月22日(月)       潟qグチ設計 事務所登録更新

一日中憂鬱な雨の暗い一日 東商不動産部会「今後の不動産の動向」TAAF「温暖化と建築」等キャンセルして 潟qグチ設計 事務所登録更新のための登記簿謄本印鑑証明 納税証明 会社定款等 法務局 都税事務所等廻る 杉並区 狭隘申請提出1階テナント「美盛丸」造作譲渡の件で山恵不動産 池田社長を交えて協議する。営業して早や7年経つ

6月23日(火)      地震のリスク診断

午前 間瀬副支部長来社 例会前の講師に地震のリスク診断 外村氏を頼みたいという相談 午後から中島副支部長来社支部ニュースの発行にあたっての打ち合わせ 4時商工会張替氏と都市計画田中課長を訪ね都市マスの用途地域の変更箇所を教えてもらう。

6月21日(日 )   ジョイントスポットダンススタジオ29回「白鳥の湖」の発表会

午後から中野ゼロホールで行なわれている昌子のジョイントスポットダンススタジオの発表会29回「白鳥の湖」の発表会を見に出掛ける。子供達の成長に目を見張るものがある。80人位ステージに立つと誰が誰だかわからなくなる位、変身する。5時開場 受付に行きお客さん 池辺婦人 根岸 五味 国文氏等と終わりまで対応する。JOも悪魔役で80人位出演し600人位客席を埋めた、終わってから池上の車で荷物を運ぶ2階でスタッフ達と打ち上げ、梅酒が効いた。

「夢にまで見た 支部長 21年度の抱負を語る」          中野区支部長 樋口 修

事務所を開設して昨年どうにか30週年を迎えることが出来ました。事務所協会に入会して早10年経過ました。先輩達の努力で中野区からの信頼は厚く、耐震診断業務の実績が多くあります。今年度から設計協同組合設立して区役所の仕事(耐震診断、定期健診、教育施設等)を積極的に仕事を取りに行くつもりです。

2.支部の特徴

会員32社 賛助会員4社と決して多くはありませんが、五味元会長を中心に結束力は強く、仲良しクラブといった感じです、他団体(JIA、土建)との交流を深め、中野まつり等、共同主催でイベント等を積極的に行なっています。今後共継続して行くつもりです。

3.次の世代に伝えたいこと

建築の設計監理業務の重要性を、区民に対して啓蒙し、夢のあるおもしろい仕事だということを、これから育っていく若い世代に伝えていきたいと思います。それには設計事務所の経済的安定を計り、社会的信頼性が最も必要だと思います。地域に根付いた活動を通して建築設計者の存在をアピールして行きたい。

大切にしている商店街

薬師あいロード商店街に住んで早20年がたちます、10数年前 御影石の舗装道路 街路灯 アーチの設計を頼まれ140店舗と共に完成にこぎつけました。仕事場と住まいがあり 職住近接を生活を絵に描いたような生活をしています、近くの新井薬師 北野神社と神社仏閣を中心に結束力が強く人情味あふれた 住み易い、都市と自然環境のバランスのとれた町です。この町を愛し一生住み続けたいと願っています。

6月13日(土)      「環境祭り」

10時からリサイクルセンターで環境祭り星野の新ちゃん、前回 区長選に出馬した定弘さんからひょうたんの苗木をもらう、前区議の木村氏 植木 吉田都会議員等と JCの展示に大妻の学生にしゃべったエコと建築がHPに掲載されていた。昼から民族資料館で中野の歴史 受講 5時半から町会の中島 栗山氏と薬師の天八で一杯

6月9日(火)         「これまでの地方分権改革とこれからの地方自治」

10時半 MACにてコーヨークリエイト高田氏 牧野 永田氏 山本社長とKマンションの軽量鉄骨造の施工 工事範囲 詳細等 打ち合わせる。近くの現場を見学し屋根を寄棟でいくかフラットにするか議論 夕方竹橋のKKRホテルにて11回吉備クラブに出席元鳥取県知事 慶応義塾大学片山善博教授の「これまでの地方分権改革とこれからの地方自治」を聴く7時から皇居を見ながら懇親会片山氏は26年瀬戸町生まれで自治省出身名刺交換の際高梁市長と同姓同名ですねと言われた。さすが良く頭に入っている。高梁高校からは橋本支部長 那須先輩と3人出席だこの会は60人位でちょうど良い。香山 安延両官僚とも話をした。

6月7日(日)      「コミュニティ防災とまちなみ形成による路地文化再生のまちづくり」

11時頃 ゼロホールで朝早くからジョイントスポットのリハーサルを見て、浅草アサヒアートスクエアー5階で開かれた「コミュニティ防災とまちなみ形成による路地文化再生のまちづくり」のシンポジウムを聴く1部は下町谷中地区 根岸地区 京橋地区 向島地区まちづくり協議会の代表がそれぞれまちづくりの経緯を語る 2部は京都祇園町と大阪法善寺横町の協議会の会長の話 3部は東大の西村先生 首都大学の中林先生 松田国土交通省のシンポジウーム 祇園の会長の42条2項道路はマッカーサーが押し付けたもので日本の道路は1.5間(2.7メートル)が基本だ 祇園は3項道路を通しているというのが印象的だった。終わってから西村先生と備中高梁のまちづくりの経緯について話した。

六角鬼丈氏の「五感をつなぐまちづくり」

一日 たまった情報整理 夕方 あんさんぶる荻窪でJIA杉並土曜学校に行く道中 西口からすずらん通りに向かうと 40年前ここに住んでいた貧乏学生時代が思い出され感慨深いものがある。あれから半世紀近くだ。あっと言う間に時は経つ。あの頃あこがれていた建築家 六角鬼丈氏の「五感をつなぐまちづくり」〜知る区ロード・オアシスの試みの講演を聴く 杉並区の公園を設計しそれを繋いでいこうという試みだが、説明が判りにくく、説得力に欠けた。彼も芸大教授になり、最近退職してらしい。芸術家とまちづくりには何故か違和感を感じざるを得ない。先日の世田谷地域会といい杉並といいがんばっている。中野JIAには期待出来そうに無い今 せめてTAAF中野を活性化していきたいと思う。

5月24日(日)        メキシコ発の新型ウイルス

内田光子のモーツアルトのピアノを聴きながら、2週間たまったブログを打っている。最近 休みがあっと言う間にやってくるのでブログが追いつかない。昌子はこれからゼロホールで6月発表会のリハーサルで忙しい。メキシコ発の新型ウイルスの感染が関東まで迫っている。発表会まで中野に伝染しなければ祈る思いだ。政界はと言うと 辞任したばかりの小沢が麻生を「グズな首相だ」と罵っている。「それならお前は・・・?」と言いたくなる。一番大事な仕事をする 政治家でこれはと思えるのがいないのは日本の悲劇だ。特に自民党2世議員のひどさにはあきれ返るばかりだ。悔やんでばかりいられない。自分のやるべきことはやらねば・・と思う。

5月20日(水)     アンナ橋本+日本フィルハーモニー交響楽団

午前10時 東中野駅で宮崎氏 ケンタローと待ち合わせTアパートの耐震調査 明大中野の裏手 セキスイの30年前に建てられた軽量鉄骨のTアパート図面と契約書を見ると構造図が無いセキスイの連絡先を聞き別れる。昼から杉並公会堂(伊東豊雄設計)で橋本同窓会長のお孫さんのアンナ橋本のクラリネット演奏を聴く日本フィル交響楽団のバックで演奏する姿は おじいちゃんの孫だけあって なかなか立派だ。休憩中橋本会長に挨拶して同窓会の近況報告。中野区役所契約課からM会館改修工事の入札資料を渡される。初めての経験なのでいくらいれたらいいか悩む。

UFJ信託銀行にて投資信託情報を聞くが まだまだ不景気感は続く、ゴールデンウィーク明けから回復すると経済評論家 今井均氏から聞いていたが 一向に底が見えない。歓工 相原氏来社 見積もり依頼の件 牧野氏にFAXにて変更案工程等チェック。6時から商工会館「これで良いのか中野」〜サブカルで貧乏くさい〜編集者との意見交換 30人近く参加 おもしろい企画だった。8時からJIA地域会 宇都宮大学小西教授が代表になったので挨拶する。JIA入会したのが15年前 その頃の 先生のお宅の見学した記事が出てきたので懐かしく思い出される

1995年建築家協会発行「ブルティン89」より

一天からの声一  [建築家は倣憶になる前に] 5年に1回ははえろ

10月28日僻の夜,建築家会館ホールにて「新会員の集い」が、会員委員会の主催で行なわれ招かれた。新会員とは.ここ1年に入会した会員で,遠くは新潟.栃木等からも参加した十数人と旧会員30人の合計40人程集まった。第1部は,大谷幸夫先生の「設計を通して考えてきたこと」というテーマで,講演が始まった。建築との出逢いから始まり,終戦当時の丹下研究室の設計の体験談………。「建築は,思想とか理念とかを表明する思想的行為で,近代建築とは何かということを常々考えてきた。物事はすべて特殊で普遍性が初めにあるのではない。普遍的な原理をいきなり出してすべてに当てはめるのではなく,個別的な事からを通して普遍的なものを見出していきたい。具体的に社会と接触する時は,相手の個性を尊重することから始めるよう心かけてきた。特殊から普遍ということを,初期の段階は考えてきた。」「日本の建築の近代を考えると,西洋の近代建築にさかのぼる。日本と西洋とをどのように,融合するかということが,大きなポイントだった。近代も,現代建築も過去の建築や歴史に支えられているが,特にここ数年のバブルの時期,経済性だけが横行し,日本固有の文化を、ふみつぶしたような建築が多く建てられたのは残念だ。自分だけが立派に生きていると思うのは倣慢で,決して大きな力にはならない。設計する環境があまりに悪すぎるから,JIAを通してお互いに連携し高めあい社会に存在を知ってもらうよう,アピールするべきではないか。5年に1回ははえるべきだ」と,最後に結ばれたのが印象的だった。 講演の後,京都国際会議場,金沢工業大学,最近の沖縄コンベンションセンターのスライドを解説していただいた。  数分休憩の後,第2部は,松下重雄会員委員長,斎藤孝彦支部長の歓迎挨拶に始まり小倉善明副支部長の乾杯と,ジャズ演奏を聞きながら,なこやかな立食パーティー形式に移っていった。しばらく懇談の後,新会員自己紹介が一人ずつ行なわれた。紹介の後それぞれに質問をぶつけコミュニケーションをはかった方がもう少し盛り上がったのではないかと思った。その後,委員会(保存問題,会員等)部会(デザイン,住宅,業務等)の活動の説明とPRをそれぞれの代表者が行い,山口恵子副支部長の中締めで閉会した。まるで入学式のような気分になった。帰路,偶然にも中野クラブで日頃お世話になっている東直彦氏(大谷門下)と大谷先生と御一緒出来,直接先生からレクチャーを聞くことが出来たのはラッキーだった。

ヤッホー通にUFO出現

 中野区野方の「ヤッホー通り」のはずれにユーホーが現れたという情報を察知した。JIA中野クラブ「建築探偵団」は,さっそくかけつけた。(3月19日夕方)大きな楠のある古い民家の瓦屋根に,白くてグロテスクな様相をした物体は,へばりつくように我々を凝視していた。この古い民家は,JIA栃木クラブ代表,小西敏正氏の自邸である。 小西氏の案内で我々は,おそるおそる,1階の玄関から侵入することになる。この古い民家は大正時代の典型的な中廊下型の住居で南に和室の続き間と縁側,北側に厨房や水廻りが配置されている。中廊下から2階のユーホーヘ向かう階段室のドアを開くと,まったく異質の空間が広がっている。三角形の階段室を昇ると,ユーホーの内部に侵入することができた。内部は,軽量鉄骨の真赤なトラスが架けられ,その上はキラキラと光るシルバーのシートで覆われた天井だ。その物体が何でできているのだろうかと,そっと管制塔のタラップを昇ってみる 素材は温室用のシートらしいその内部にグラスウール,穀にあたる部分が鉄筋のメッシュの上からモルタルを塗ってある。「なんだ建築でよく使う材料じゃないか」,内部はどうやら,子供室らしい。空から降りてきたのではなく中からふくれあがってできたようだ。よく話を聞いてみると,小西氏の,手づくりによる,実験住宅なのだ。最近の住宅の商品化傾向に対して,誰でも簡単に自由に作れる空間を,身をもって提示したかった,ということである。小西氏御夫妻のあたたかいもてなしを受け,玄関を出たのは11時をまわっていた。ホロ酔い気分で振りかえりつくづくなかめてみたら,瓦屋根と,ユーホーのなんとも奇妙な取り合わせが,アンビワァランスな魅力とかさなって,ほのぼのした気分の春の宵であった。  <潟qグチ設計主宰 樋 口  修>

5月16日(土)  「世田谷区庁舎を考える」

豪徳寺の高梁高校佐藤先輩を誘い国士舘大学多目的ホールで開かれた「世田谷区庁舎を考える」シンポジュームに参加 明治大学小林教授 篠田正浩監督 藤岡東工大教授 野澤正光司会によるもので区の高層建て替え案に対して増築案で前川作品を残していこうというものである。東京工科でお世話になった中田先生がいたので懇親会にも出席 小林先生と高梁のまちづくりについて意見交換 ジョージ国松 黒木実等 世田谷JIA地域会は頑張っている。それに比べて中野は・・・と言いたくなる。

5月17日(日)    東京の重心は調布

姪のサキが来たので母と奥多摩にドライブに行く青梅市 御岳でそばを食べる。モノレールに沿って南大沢の紘平の通っている南大沢の首都圏大学へ築20年以内のマンションやら新しい町だ東京の重心は調布だと聞いたことがあるが、湾岸の超高層郡が目を引くが、東京は確かに西に広がっている。こんなスプロールした都市は世界でもめずらしいのではないか世界の都市の広さを調べてみよう。夜 北野神社の無尽溝 さゆりが高梁から帰ってきた。梁水園改造計画の福本との打ち合わせの結果を聞く。来年3月頃オープンしたいらしい。

5 月5日(金)    「危機の中で未来を考える〜世界を襲う5つの波」  

朝9時からハゲタカファンドの再放送の後ジャックアタリ氏の「危機の中で未来を考える〜世界を襲う5つの波」を3 4 5日と連続で見る フランスの 経済学者でフランソワ・ミッテラン側近中の側近で 81年から91年まで大統領補佐官。 91年から93年まで欧州復興開発銀行総裁。指揮者としてオーケストラを指揮したこともある。ja.wikipedia.org/wiki/ 氏に言わせれば 人類はここ数年自殺行為を行なっている 人類にとって生存危機だという 世界を襲う 5つの波が近い将来やってくる @アメリカの崩壊 内向きになり今までのような帝国主義は困難になる。A多極型秩序の誕生 G20に代表されるように世界が今まで以上に多極化する。B超帝国 世界市場そのものが帝國化するエンターテイメントと保険が重要になる。C超紛争 エネルギー問題や気候変動により世界各地で紛争勃発 D超民主主義 博愛 ノマド 放浪と定住社会の格差 個人主義から利他主義へ人のために人生を捧げる (EX マザーテレサ ビルゲイツ)トランスヒューマンa.wikipedia.org/wiki/ マイクロファイナンスja.wikipedia.org/wiki/

4月18日(土)     立原道造 「ヒヤシンスハウス」

午後1時埼京線中浦和駅集合「まほろばの会」元収入役の藤原 若林 中野 神尾の4人集合 別所沼畔公園の立原道造 「ヒヤシンスハウス」見学 歩いて玉蔵院を通って浦和駅から北浦和より黒川記章設計の埼玉県立近代美術館でシンボリックなウサギで有名なディックブルーナ展を見る。北浦和近くの居酒屋で一杯 赤羽で降りもう一杯 文化を堪能した一日だった