ルポライター・鎌田慧様からの罵詈雑言


《「敢闘言」の志の低さを自己暴露している駄文のようでした。〔中略〕言葉ばかりが大げさで内容空疎な言説を、「デマゴギー」というのではないでしょうか。》(『エコノミスト』一九九八年十一月二十四日号)

『エコノミスト』編集部および毎日新聞社の上層部に向けて執拗に圧力をかけた鎌田翁の、工作文を私は全て入手しており、その卑劣さは反面教師的"教科書"として公開に値するものと思えます。ご希望があれば、この欄で、いずれまた。なお、同誌上での私の反論は以下のとおりです。



白を黒という鎌田慧氏へ

『エコノミスト』一九九八年十二月一日号

 本誌十一月二十四日号に、鎌田慧氏が《「敢闘言」への反論》と題する文章を書いておられます。六月三十日号に私が書いた「敢闘言」への反論とのことです。
 あれこれ同情は禁じえませんが、だからと言って無視すると言論界に悪しき慣例を刻むことになるので、字数の許されるかぎり事実関係をはっきりさせておきたいと思います。
 まず鎌田氏は、五カ月前に書かれた「敢闘言」は、《全文、小生にたいする悪罵を羅列したものでして、「敢闘言」の志の低さを自己暴露している駄文のようでした。》と書いておいでです。私は、先の「敢闘言」を、こう書き出しました。
 《鎌田慧さんは、反骨のルポライターとして知られている。労働者出身で苦学した書き手であり、自ら働いて書き上げた『自動車絶望工場 ある季節工の日記』は、その後の若いライターたちにも大きな影響を与えた。「取材の仕方がフェアでない」とかのばかげた評価は、さすがに九〇年代には為されえないだろう。
 このように始まる短いコラムが全文、氏にたいする《悪罵を羅列したもの》かどうか。
 そのあと続けて私が批評したのは、主としてジャーナリズムの本質にかかわる次の二点でした。一つは、今や氏を批判する人が誰も見当らず名声がひとり歩きしているわりには、氏のルポが、あまりにも単調であること。
 《組合側だけに依拠した取材とか、被害者遺族だけにしか取材していない聞き書きとか、戦争体験者の証言を鵜呑みにして綴った物語などが、とても多いのである。》
 「王様は裸だ」というのはいささかオーバーだけれど、私がこう指摘してから、堰を切ったように同様の批評が見られるようになりました。
《鎌田慧の本は今までいくつか読んでいるが、どれ一つとして面白かったためしがない。理由は明白、鎌田がタンサイボーだからだ。労働者ときたら、仕事に誇りを持ち、仲間と連帯する。〔中略〕それどころか、今は亡きプロレタリア文学ばりの陳腐な決まり文句が頻出する。》(『サンデー毎日』誌上の鎌田著『ドキュメント屠場』書評)
 鎌田氏の本を《快刀乱麻を断つ》と絶賛する人でさえ、こう指摘するようになりました。
《権力対弱者、大企業対庶民、保守反動対革新といった二分法の斬り口はいささか安易すぎないか。》(『週刊現代』誌上の鎌田著『壊滅日本』書評)
 もう一点は、かつてデビュー時には六カ月、三カ月といった粘り強い取材を常とされていたはずの鎌田氏が、現在『潮』誌に連載中の「地方紙の研究」のように、取材された新聞記者たちが唖然とする日帰り程度の手抜きインタビューだけで、《歯の浮くようなヨイショ文》を書き連ねているのを見るにつけ、もはや若い書き手たちの良いお手本とは、とうてい言えないところにいってしまった、と私は改めて思うのです。
 鎌田氏が本誌一一月二四日号に再び掲げたその他の点についても、私は具体的に事実を列挙して、今から四カ月も前に完全反証しているのですが、それに対して鎌田氏は《筆者の泣き言とスリ替えと弁解と歪曲と居直り、それに下司のカングリだけの愚にもつかない手紙》と一蹴されました。それこそ《全文、小生にたいする悪罵を羅列したものでして、「反論」筆者の志の低さを自己暴露している駄文のようでした》と、お返ししたくなりますね。




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