《先日、テレビの某トーク番組に出ていたら、出演者の一人が『買ってはいけない』の話題を出しました。……〔書店では〕その横に、「『買ってはいけない』はインチキ本だ」という特集をした文藝春秋9月号がパックで積まれていたりします〔註:そのような特集は存在しない。日垣の書いたものが一つ掲載されていただけ。パックで売っていた書店も実在しない。それは違法であり、検挙されてしまう。蛇足ながら助詞「たり」の用法が間違っています。正確には「〜たり〜たり」とセットで使います。どうでもいいけど〕。
……〔日垣には〕なかなかギャグセンスがあります。……〔日垣は〕まだまだ飛ばします。……次でトドメを刺します。……〔しかし、ヤマザキ製パンのことが鴻上にはどうにも納得できない。そのことを延々と書くのだが、どうして納得できないのか、その理由が本人にもわからないし、読者にも伝わらない〕。
……〔でもっていきなりアクロバチックな三段論法に出る。だから日垣が例えば〕「ソルビン酸カリウムとソルビン酸は似て非なるものである」と書いても、「ううむ、こんなファンキーな著者が言ってるんだもんなあ」といまひとつ腑に落ちません。》(「SPA!」1999年9月22日号)
→ファンキーというのは、まさか本来の意味(黒人教会音楽やブルースを取り入れたジャズ、転じて野性味のある音楽)じゃあ、ないですよね。鴻上様は1年間の英国留学をなさったあとも、まだ「沖縄ワークショップのファンキーなテンマツ」(「SPA!」2001年7月18日号)と相も変らぬ語彙力をまたもご開陳です。和製英語として、「田舎者の」という意味で使っておられるのでしょうか。米国のスラングでは、「風変わりな」「すばらしい」「新鮮な」という意味になります。しかしまあ文脈からして、ここでの「ファンキー」が罵倒表現であることは間違いなさそうです。彼は東京出身なのかな。いま調べたら愛媛の産じゃあないですか。あらま、あなたもファンキー。
さて、たとえ私がそのような者であったとしても、「ソルビン酸カリウムとソルビン酸は似て非なるものである」かどうか、もし気になるなら調べてもらうなりご自分で調べるなりすれば3分で済むことで(私がなぜ「似て非なるもの」と、わざわざ言ったかといえば、『買ってはいけない』のその"引用"は完全なる捏造であり、彼らが引用したとする文献には全く逆のことが書いてあったからです。ですから、そこで争いになっていることの真偽は、両者が引き合いに出している同じ文献の該当ページを図書館で開けば、すぐにわかることで)、それは私がファンキーかどうかとは関係ありません。
ところで私は鴻上様を、本職ではどんなお仕事をなさっておられる方なのか全く存じ上げません。ごめんね。素人として文章を雑誌に書いておられるのは、ときどきお見かけします。クリティークとかユーモアの精神は見あたらず、もとより芸を見せるでもなく文章の工夫もない、要するに生活雑記的経過報告文を、いつもお書きです。 私としては、これからも、そんな鴻上さんをあたたかく見守りたいと思います。
(ファンキー日垣)