週刊読書人様からの罵詈雑言
《六月八日、大阪教育大学付属池田小学校で起きた痛ましい児童殺傷事件の直後から、事件と「精神障害」の因果関係が何一つ明らかになっていないにもかかわらず、因果関係を断定する報道が相次いだ。そして、このような根拠のない報道をきっかけに、刑法を改正して保安処分を導入せよという主張が再び声高に叫ばれるようになっている(日垣隆「異常と正常のあいだ」、『文藝春秋』八月号)。実際、首相の発言を受けて、六月一五日には法務・厚生労働両省が、重大な犯罪行為をした「精神障害者」を強制入院させる「刑務所に限りなく近い」(厚生労働省幹部)専門治療施設の設置に向けて検討を始めたという(『毎日新聞』六月一六日)。
〔中略〕過去の議論の積み重ねと、保安処分が必ずしも「社会の安全」につながらないことを証明した諸外国の例を無視ないし否定して、保安処分を導入せよとする主張が繰り返されている。
保安処分導入論が前提にしているのは、第一に「精神障害者」は危険な存在だという根強い偏見である。保安処分を導入しなければ「精神障害者が野放しにされる危険が生じてしまう」という主張が対象にしているのは、精神分裂病だけで約二二五万人の患者、とくに社会にいる約二〇〇万人の人々である。
〔中略〕第二に、保安処分導入論の背景にあるのは、現在この社会に広がっている不安と不確実性を個人の安全についての関心のなかに解消させるために、「異常」を排除することによって「秩序」を確立しようとする強い傾向である。》(「週刊読書人」二〇〇一年八月一〇日号「論調」欄)
⇒ 「週刊読書人」からは、私も原稿を依頼されたことがあり、その依頼状に誇らしげに印刷されていた原稿料における価格破壊は、執筆者に対する人権侵害としか私の目には映りませんでした(そのときの返信メールはこちら)。なにしろ、書評原稿への対価(一三〇〇円!)より、書評対象たる本代のほうが高いくらいなのですから。このような背景もあって、「週刊読書人」に掲載される書評は――
(1)他著を評するふりをして評者自身の本のPRをする
(2)別のページで有料掲載した広告の本をヨイショする
(3)安易なアルバイトを兼ねて大学教員が仲間誉めをする
(4)「週刊読書人」を批判した者を批判する
とまあ、ほとんどこの四本柱で成り立っているわけです。日本の書評をつまらなくした元凶だ、との声もあるのですが、それは間違いだと私は思います。そんな影響力は全然ないからです。
さて、本題です。この「罵詈雑言集」では、まず先方の罵詈雑言を私が再入力することから始めなければならないので、精神的な安定を保つのがむずかしい。冗談です。
冷静さを担保するために、今回は、大学入試講座みたいに一つ一つ丁寧にチェックしていきましょう。
(i)《事件と「精神障害」の因果関係が何一つ明らかになっていないにもかかわらず、因果関係を断定する報道が相次いだ。》
→ 「週刊読書人」の書き手は、文脈からして、一つの事件と精神障害の因果関係が、いずれ《明らかに》なるときが来ると信じておられるようだ。この妄信は、因果関係を司直が判断するまで、マスコミや世論や被害者遺族は黙っていなさい、と言っているに等しい。私は「異常と正常のあいだ」で何よりも、このような妄信を批判した。週刊読書人氏は、私の文章をまったく読まずに、あるいは意図的に無視してこの一文を書いている。
また、《因果関係を断定する報道》を難じているが、八人の児童を殺した宅間守には殺人未遂に相当する容疑での逮捕歴があり、精神障害との司直判断により無罪放免にされていた、というのは疑いもない事実なのである。
なお週刊読書人氏は、「精神障害」と「 」をつけておられる。観念左翼の常套記号であるカギカッコによって、我々はぁ、カギカッコつき反動概念を認めないぞぉ≠ニ言っておられるわけだ。ご苦労様でぇす。
要するに彼らは、精神障害は存在しない、と言っているのである。これは一九六〇年代に流行った手品の一つなのだが、もし未だにそのように信じているのならば、精神障害による無罪放免を明記した刑法三九条を、あなたがたこそ真っ先に削除を要求していいはずではないのかな。
(ii)《そして、このような根拠のない報道をきっかけに、刑法を改正して保安処分を導入せよという主張が再び声高に叫ばれるようになっている(日垣隆「異常と正常のあいだ」、『文藝春秋』八月号)》
→ 私以外に、刑法の全面改正を具体的に論じている者が、他にいるのなら教えてもらいたい。それなら心強いことだ。というか、ほかに同じ論議があるのなら、私はそのテーマで書きはしない。
私は「異常と正常のあいだ」で、例えば、「成人に対する三時間の監禁」と「児童に対する九年以上の監禁」をまったく同等に扱う日本の現行刑法が、被害者および国民感情と大きく乖離してしまっていることなどを具体的に指摘し、その全面(一部ではなく全面)改正について私案を提示した。これには(刑法を肯定し解釈することだけが使命の)刑法学者以外から、多くの賛意が寄せられている。週刊読書人氏は、それでも(というか私の文章を読んでないから仕方ないんだけど)明治時代につくられたまま時代錯誤となり果てた現行刑法を改正すべきでない、と仰るのだろうか。
なお、週刊読書人氏は意図的に無視しているようだが、少なくとも保安処分導入のための刑法一部改正という意味でなら、一九三〇年代から何度も何度も議論され続けてきたものであり、最近になって急浮上したものでは決してない。
(iii)《実際、首相の発言を受けて、六月一五日には法務・厚生労働両省が〜》
→ 二〇〇一年六月九日に小泉首相は「刑法改正も視野に入れての見直し」を指示したのに、両省はこれをさっそく歪め(←首相の発言を受けて、では断じてない)、刑法改正にはまったく手をつけずに済ませる小手先の微調整で、国民の目をごまかそうとしているのである。
(iv)《過去の議論の積み重ねと、保安処分が必ずしも「社会の安全」につながらないことを証明した諸外国の例を無視ないし否定して、保安処分を導入せよとする主張が繰り返されている》
→ おおまいごっ。あなたがたのいう《諸外国》にはみな《保安処分》があるのでっせ。
しかも驚いたことに《過去の議論の積み重ね》と仰るが、実際には六〇年代末にヘルメットを被った過激派が、威圧と暴力によって各学会で「保安処分反対」を強制したにすぎない。
「異常と正常のあいだ」で過去の文献も引用しつつ暴露しておいたように、保安処分反対派が理想としたのは中国とソ連と北朝鮮だった(これらの国々では精神病や精神障害犯罪者がいないと思い込んだ)のである。
ついでながら、《**は必ずしも「社会の安全」につながらない》という屁理屈で新制度が否定されるのなら、あらゆる改革は頓挫してしまうほかない。超反動的な論理だ。
(v)《保安処分導入論が前提にしているのは、第一に「精神障害者」は危険な存在だという根強い偏見である。》
→ (彼らが読んでいない)「異常と正常のあいだ」のなかで私は明確に指摘しておいたことだが、いま問題になっているのは凶悪な殺人を故意(過失ではない)によっておかした精神障害犯罪者の処遇であって、精神障害者問題一般ではまったくない。一般健常者の生活と凶悪犯罪者の処遇を同列に論じるのが莫迦げているのと同様に、精神障害者と精神障害犯罪者を同列に論じるのは莫迦げている。
にもかかわらず、刑事治療処遇を否定する論者は、他に依拠する正当な論理がないため、精神障害者と精神障害犯罪者を意図的に混同させ、精神障害犯罪者の処遇を論じている文脈で、巧妙に《「精神障害者」は危険な存在だという根強い偏見》などと問題をすりかえるのが常套である。
誰がいったい差別者なのか。
(vi)《保安処分を導入しなければ「精神障害者が野放しにされる危険が生じてしまう」という主張が対象にしているのは、精神分裂病だけで約二二五万人の患者、とくに社会にいる約二〇〇万人の人々である。》
→ ここでも、精神障害犯罪者とすべきところを、意図的に、精神障害者や精神分裂病者と置き換え、議論をすりかえている。稚拙だが詐欺的手法である。少し考えればわかるはずだが、刑事治療処遇が問題にしているのは、精神障害者や精神分裂病者ではなく、凶悪犯罪をおかした精神障害犯罪者だけだ。そんなことは、あたりまえだろう。
ついでながら週刊読書人氏は、《とくに社会にいる約二〇〇万人の人々である》と表記し、図らずも《社会》をどのように意味づけているか露呈してしまっている。この文章を「週刊読書人」編集部の依頼で書いたのは、市民権とか差別とか主体とかが大好きでそんな薄っぺらい本ばかり翻訳している(オリジナリティは皆無な)神戸市看護大学の松葉祥一という哲学・社会学の先生なのだそうであるが、この先生が不用意に仰る《社会》には、なんと、病院は含まれていないのだ。文中から単純に引き算して、入院中の二五万人は《社会》にいない、と言っている。こんなちぇんちぇいに哲学や倫理学や社会学を教わっている看護大学の生徒と、将来の患者たちに、心から同情を禁じえない。アーメン。
(vii)《第二に、保安処分導入論の背景にあるのは、現在この社会に広がっている不安と不確実性を個人の安全についての関心のなかに解消させるために、「異常」を排除することによって「秩序」を確立しようとする強い傾向である。》
→ 私が書いた「異常と正常のあいだ」を否定するために書かれたこの一文は、さすがに中身を読まなくてもタイトルくらいは凝視したかと思っていたら、それすらも怠ってしまったらしい。「異常と正常のあいだ」というタイトルだけ見ても、《「異常」を排除することによって「秩序」を》などという浅薄な旧態依然を主張していないことは、わかりそうなものだ。
現行刑法は、精神障害犯罪者に異常というレッテルを貼って、司法システムからそれを完全に排除してきたのである。異常を排除するな、と仮に言うのなら、精神障害(異常)が疑われるというだけの理由で、公判から排除する現行制度を改めよ、という主張に賛成すべきではないか。
最後に、これは最も肝要な点なのだが、お気づきのとおり、週刊読書人紙上では一貫して《保安処分》が全否定されている。英語を直訳した保安処分とは、日本語のニュアンスとしては本来「刑事治療処遇」とすべき概念である。日本の現行刑法システムでは、殺人などをおかした精神障害犯罪者を処遇する施設は一つもなく、したがってこの場合に殺人者らは無罪放免となってしまい、専門的治療も行なわれず、何の罪もない人たちを殺傷したのに刑罰も科されない。
週刊読書人は、それを放置せよ、被害者や遺族は泣き寝入りせよ、と言っている。
さすが、と言うべきか。
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