岡留安則氏が「噂の眞相」2002年11月号の「編集長日誌」で、こう書いておられる。
《某月某日 毎日新聞社の『エコノミスト』編集部より取材依頼が入る。かつては一応目を通していたが、「敢闘言」が佐高信氏から日垣隆氏に交代したあたりから遠ざかっていたメディアだ》
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ふむふむ。ここで俺の名を出す必然性があるのかしらん、と考えてみる。佐高信氏といえば、「噂の眞相」が一度も批判したことのない愛すべき常連執筆者であり、無条件に擁護したい気持ちは、わからぬでもない。以前にも、佐高信氏の編集担当者が同誌上で俺を罵倒したことがある。
もともと「噂の眞相」は、取材の手抜きと裏取りの弱さでは一貫しているものの、実に読ませる月刊誌の一つである。
上記の文脈からすれば、『エコノミスト』に条件反射して、佐高信ちゃんと、ついでに俺の名前を連想してしまったのだろう。たぶん、それだけだと思う。岡留氏にとっては、俺の名など、佐高信先生の付属物でしかないのだ。淋しいねえ。
もっと淋しいのは、岡留氏が《かつては一応目を通していた》のが本当なら、《「敢闘言」が佐高信氏から日垣隆氏に交代したあたり》などというミスを容易におかすはずがない、という点だ。「敢闘言」というのは俺の造語であり、俺のコラムにのみ冠せられたタイトルである。だから、「敢闘言」が佐高信さんから俺に交代した、などという事実はない。それにそもそも、なぜ佐高さんと俺が「エコノミスト」で誌上喧嘩≠したかといえば、まさに同時に長く「エコノミスト」誌上に連載をもっていたゆえなのだ。
もちろん、そんなことは遠い昔の小さな小さな世界の出来事にすぎない。しかし、仮にも同じ雑誌メディアに住む御仁が、同業の週刊誌の過去に触れるとき、果たしてこれほどお粗末で良いのだろうか。
たぶん、それで良いのだ(笑)。