腹立月録6

『こんな"批評"を私は許さない』

日垣 隆
(『新潮45』二〇〇一年六月号)
 
 くだらない本は無視するに限る。しかし、同世代の書き手として、捨ておき難いひどさを感じた。それは、潮匡人氏という評論家によって成った『田中知事の「真実」』(小学館文庫)に見られた手抜きぶりである。こんな批評≠横行させてはいけない。
《マスコミはなぜ、田中知事の側にだけ一方的に肩入れするのであろうか》との前提で、この本は書かれている。
 その前提からして完全なる事実誤認なのだ。長野県民を読者とする全国一般紙(県版)は、産経の「田中知事ダイアリー」という新しい批評記事を除いて反「田中」一色だといっていい。公正に切抜きを続け積み上げてみるに、「肩入れ」を一とすれば、「ケチつけ」は九である。前知事や元知事に対して、この二人で四十一年も続いたのだが、その間に県版および地元紙が批判めいた記事を書いたのは、長野五輪がらみでのミズスマシ失言と帳簿焼いちゃった騒動の二回だけだ。いずれも海外のマスコミが先に報じた。青森で生まれ育った潮氏なら、多少は理解できるのではないか、守旧時代の知事様には批判など一切許されなかった実態を。
 潮氏は、県庁はおろか長野県内にすら足を運ばず、諸々の事実関係について裏づけを取る基本的作業も全く行なわなかったことを、なぜか自慢気に記している。いつもそういう人≠ネのだろう。自衛隊にいたわりには、ひたすら本に囲まれ本に呑まれて世の中を知らない。潮氏は、こう書く。
《本書では、地元の松本市長の意向を事実上、無視してダム計画の取りやめを発表した十一月十四日の時点では、田中知事は長野市民でも長野県民でもなかったこと、田中康夫氏は十月十五日の即日開票で県知事に当選後、一カ月以上を経て、長野県に住民票を移したことだけを指摘しておく。》
 このような事実誤認が延々と続くのである。誰もこのめちゃくちゃをチェックしてあげる人はいなかったのか。
 このダムも、国と県の予算と権限で作られようとしてきたのであって(その構造自体が問題だったのだ)、地元の民主主義が埒外に置かれてきたのは田中知事就任以前の常態だったのであり、しかもこの市長氏は知事選に際して前副知事氏の後援会長として、公務員にはあるまじき大胆な選挙応援に没入していた人物である、という事実は、調査や取材のイロハを知らない潮氏に確認を求めるのは酷であろうから、ここでは措く。
 それにしても、公職選挙法上は沖縄県民でも北海道知事選に立候補しうるとはいえ、当選かつ就任して一カ月も経つ時点で長野県知事が《長野県民でもなかった》などということが、現実にありうるだろうか。
 同書は、一事が万事こんな感じで最後までいってしまう。ちなみにこのくだりは、田中康夫氏が「東京ペログリ日記―長野県知事ドキュメント」(『噂の眞相』二〇〇一年三月号)に、十一月二十二日分として《長野市役所で住民票の転入手続き》と書いてあることだけをもって、潮氏によりあのように断じられてしまったのである。実際には、軽井沢町から長野市に住民票を移しただけなのに。
 私なら、「田中康夫」という新しいタイプと思える知事をどう評価すべきか、あるいはどう位置づけるべきかをめぐって書くなら(実際『文藝春秋』六月号に書いた)、四十七都道府県の過去および現在の知事全員の実績や手法を調べ著書にも目を通し、世界各地の地方自治も調べ、可能なかぎり訪ね、ダムについても触れたいのなら何年かかろうとも幾多の現場には必ず訪れ自分で取材する。
 取材力ゼロの氏の資料読破力はどうか。
《ダンボール数箱分の文献資料を集めるに当たり》(あとがき)とあるのは、集めたが読まなかったという意味か、それともゴミを集めたのか。同書を分析したところ、拠って立つ文献の数は二十点ほどだった。束ねても八センチ。《今回、本書を書くに当たり筆者は信濃毎日新聞東京支社から過去の紙面を取り寄せた》ともあるから、ダンボール数箱の正体は、その四カ月分だったのか。だいたい、《数箱》って何だ? それくらい数えろよ。
 私が怒っているのは、不惑に達した評論家が、新聞と雑誌で既に書き散らされた「ケチつけ」だけを切り貼りして一丁上がり、とする情けない姿に対してだ。
 今年一月六日からの私費による田中氏の海外旅行にも、他メディアからの借用した言葉だけで批判してみせるのだが、その一年前まで、県内の「長」がつく千五百人が知事と副知事に"お年賀"の挨拶に長蛇の列をつくって並ばされていた事実など、潮氏が妄信する記事や文献には出てこない。そういう批判は表に出ることはなかったのだ。で、どちらが「まとも」なのかと設問すべきだろう。
 田中氏がかつて《僕が批判した会社は、後々、必ずといっていいほど、社会的に叩かれている》と語っていたのを引いて、潮氏はまたしても意味を取り違える。
《田中氏が批判した会社が「必ずといっていいほど、社会的に叩かれてる」のは当たり前である。なぜなら、田中氏がマスメディアで批判したからである。》
 どひゃ。田中氏は「後々」といっているのであり、具体的にはリクルートとか日航とかダイエーとかでしょ。どういう読解力をしてるんだろ。《知事としての資質を問う》って、俺は君の批評家としての資質を問いたいぞ。
 私も田中知事を好きになれない(笑)。
 だが少なくとも、田中康夫という人物はこの二十年間、ずっと誤解と揶揄にさらされてきたのではなかったか。ならば、それに屋上屋を架すだけの仕事など断じて"批評"の名に値しない。
 



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