鈴木輝一郎『何がなんでも作家になりたい!』河出書房新社、1300円
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このようなタイトルの本は、紙媒体の書評欄で見かけることはほとんどない。にもかかわらず類書は多い。それなりのマーケットが存在するようだ。いったい、どのような人々がこうしたタイトルの本を読むのであろう。
そんなことよりもっと気になるのは、なぜ俺はこのような本を買ってしまうのだろう、という点だ。ど〜してなのかにゃあ。
さっそく、こんな一節に目が留まる。
《いつだったか、官能シーンを書いている最中に、作品にのめりこみすぎて発情した。自分の書いた作品に発情しちゃ世話ないんですけど、それでは仕事にならないんで、ティッシュ片手に発散処理してい……る最中に、突然書斎の戸を開けて「ごみ、捨てるけど?」と顔を出した女房と、ばっちり目があった》
いや、こういう場面に興味を覚えて読むわけではありません。でも、その後、どうなったのだろう。奥様は直後、なんて言ったのかなあ。「昼間っから何やってんの!」か。「呼んでくれれば良かったのに」のハッピーエンドか。まさかね。現実的には、「あんたぁ、そりゃどういう意味よ!」って怒ったかも。
話を本筋に戻します。
この本が類書のなかで異彩を放っているのは、何よりまず「作家」を業すなわち経営体として捉えていること。あたりまえと言えばあたりまえなのだが、多くの類書はその点を欠落させてきた。類書では例えば、作家に「なる」のは簡単だが、それを「続ける」のは困難だ、という一般論は書かれていても、ではどうやったらそれを「続けていけるのか」が記されない。私なぞ最初から「作家」とは、一発あてて「家」を「作」るという意味だと思っていたくらいだ。
近く、私は『原稿料の研究』という本を書く(予定)。準備は万端(予定)。ともかく、原稿料や印税の話、あるいは明治以来の物書きがどのようにして稼いできたか、という話は意外に普遍性や社会性や時代性をもっている(予定)。 この本の著者も、聴衆の半ばが眠りかけたとき、小説家の収入の話を始めたら全員が一斉に飛び起きた、と書いている。
講演で眠らせちゃあ、だめだ。
なかにはこんな断定もあるが、気にしないでいい。
《プロットをきっちり組みあげて書くタイプの小説家には女好きが多い。とりあえず書いてあとのことはそれから考えるタイプはバクチ好き》と本書にはある。男性作家を前提にしているようであり、まったくもって本質的な部分からの引用ではないのだが、当たっているのかどうか。少なくとも私はどう考えても後者である。
私がおもしろいと思うのは、例えば上記引用箇所がある第2章第3節に付された小見出しが「第2章 転職先としての小説家 3小説家の税務」であること。同じ節には、こうも記されている。《小説家の仕事は例外なく十二月決算
です》。
明確である。
《連載を持っている小説家は、売れている人か、これから売れると期待されている人か、安心してそのページを任せられる人か、のどれか》。なるほど、きっとそうなのだろうなあ。《長編のなかの三十枚は一日で書けますが、短編は下手をすると十日ぐらい平気でかかります》
もっと言ってほしい。
《多くの編集者が求めているのは天才です。これもまた理由は単純で、天才は努力できるけれども、努力しても天才にはなれないから》
ぎくっ。
《手厳しい話をして、あなたが腹を立てて書くのをやめてしまっても、編集者にとって、あなたのかわりになる小説家の卵は掃いて捨てるほどいる》
ぐちゃ(同意はするが、あんまりな言い方に壊れた音)。
鈴木輝一郎氏のサイト宛には、小説家志望者からのメールが多く届く。これに、かなりシビアに答えてきた実績が、彼にはある。自分の知っていることだけを書いている点にも好感をもてる。というか、本書をわざと「横柄」な感じで書いてはいるのだが、中身をよく読めば、おのれの立ち位置を冷静に観察する目を備えており、一言でいえば謙虚な作家であることがよくわかる。
《ぼくの場合は、担当者の直しの指示については「まず耳を傾けて聞く」という方針でやっています。何せ、自分の原稿は、書いた枚数ぶんぐらいは読み返している。冒頭部分は下手をすると五百回ぐらいは読み返しているわけです……》
《できるだけ無駄な努力を避けるのは、職業小説家を目指すのならば当然です。――ここだけ読んで横着を決め込む人が絶対にいると思うので釘を刺しておきますね。たくさん本を読み、いろいろな体験をし、たくさん書いて、書いた原稿を徹底的に読み返すのは『しなければならない苦労』で『必要最小限の犠牲』です》
鈴木輝一郎氏は、私と同世代である。彼は時代小説を書いている。書き始めてからデビューするまで彼の場合6年かかったという。タイトルには「作家」とあり、本文では「小説家」となっているのは、単なる語呂の問題であって、それ以外の意味はない。というより、本書は「小説家」ないし「作家」を素材にしたサービス自営業の本なのである。いや、もっと正確には、良きエンタテインメント開拓業者でなければ作家など続けていけない、ということを明確に書いた本だ。
フリーの記者やジャーナリストに欠けがちなのは、断じて「志」や「書く技術」ではなく、「経営感覚」なのかもしれない。
(「ガッキィファイター」2002年10月21日号に掲載)
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