一流の批評家とは、自分にとって切実な問題を、突き放して考え続けられる人々のことだと私は思います。
およそ文章を書くという営みにおいて、「説明する」や「主張する」が実はいちばん簡単で、中級編として「他者をおもしろく描く」こと、上級編の一つが「自分を興味深く描写する」でしょう。表現技術面では、「怒り」が初級。「泣き」が中級。「笑い」をとれれば上級です。
ナンシー関さんは、まぎれもなく上級の批評家でした。
『天地無用』の帯には、《日本最高のTV批評コラム 最・終・回》とあります。パワーダウンしない批評家ほど、毎回読んでいて気持ちのよいものはありません。かえすがえすも夭折が惜しまれます。
申し訳なくもここで若干(若干?)揶揄させてもらった『期間限定の思想』には、健康熟慮に対する軽率な言いがかりがありました。しかし私は、「できる批評家」の二番目か三番目の条件に、健康であること、を挙げるべきだと思うようになりました。
このようなややセンチメンタルな文章のあとで何ですが、民主党の菅直人氏の元恋人・戸野本優子さんを「自分から布団を敷くような女」と言い放ち、鼎談のなかで、鈴木その子やデヴィ夫人や浅丘ルリ子や小柳ルミ子を「化粧前と化粧後で体重が違う」と山藤章二氏に言わしめる(というか山藤画伯が勝手に言ったのか)ような突っ込みと、例えば「奇跡の詩人」に対しても、《あれを信じるか否かは個人の自由。ただ出来あがった番組がどう伝わるかを見極める客観性は要るだろう。あれで、文字通り「奇跡の詩人」的な所へ感動の着地をさせられると思っていたなら、それは客観性という能力の欠如である。当初は「告発してるのかも」と思ったほどだ》
彼女のような人に今はなき「天声人語」(なくなってないッ!)の社外筆者になってほしかった。
(「ガッキィファイター」2002年11月11日号に掲載)
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