荻野目慶子『女優の夜』(幻冬社、1,400円)




 荻野目慶子という女優は、もちろん知っている。私よりは数歳若い。深作欣二監督が前立腺癌だという話も最近のワイドショーで知った。二人には35歳の年齢差がある――。

  ここのところ出張が続き、いつもよりテレビ視聴時間が減っていたからか、私はこの二人の関係を知りませんでした。
  小さな書店で、偶然この本を手にした私は、普段めったにないことですが、最初のページから少しばかり立ち読みをしたのです。

  冒頭、それまで体験したことのない美しい音楽のようなセックスについての詩的な表現で、『女優の夜』は始まります。このまま曖昧な文体で行くのかと思ったら、全然そうではありませんでした。
  その最高の性歓を交わした《その日は、監督が前立腺癌を手術されて退院後、初めての夜だった》とあり、まったく無防備に本を読み始めた私はどぎまぎしてしまいました。

  深作監督が前立腺癌で最初に痛みを訴えたとき、二人は京都のホテルにいた、と文章は続きます。ここはまだ2ページ目です。

《二人の関係は秘めたものであったため、私はつきそってゆくわけにはいかない。大急ぎで荷物を片づけ、一人でホテルの部屋を出た。肝心な時には、何の役にも立てない。そんな関係の虚しさを、思い知らされる時。私は鞄を抱えて、ただぐるぐると京都の街をさまようばかり》

  ここだけは、ありふれた悲しい光景です。
  このたびの手術をする前、監督は治療のため、セックスを諦めなければならない、という選択を医師から迫られたとき、つまり《命か、セックスか。監督はセックスを選んだという》と荻野目さんは淡々と書き綴ります。
  そして、その次に、こう続くのです。
《以前、恋人だった監督は、自死を選んだ。
  私が彼の前から去った後、その部屋で》と。

  こうして本書には、実名の《監督》が二人登場します。彼女のこれまでの人生で恋をした二人です。
  本当に、そうなのか?

  ずいぶん前、撮影のための合宿的ホテルで、ひょんなことから彼女は深作監督のマッサージを引き受けることになります。

《すると突然、監督の体が翻った。
私の体に被さってくる。
何が起ころうとしているのかとっさに判らなかった。
〔中略〕体から抗う力が抜けた。一年前、恋人が自死した日の自分の叫び声が記憶に蘇り、肉体の意思を奪った。〔中略〕やがて全ての静けさが戻った。
〔中略〕監督は優しく私の頭を腕にのせて抱いてくれた。
  私は茫然として、部屋を出た》

  これは、まごうごとなきレイプではないですか。
  彼女は、再び絶望を味わい、仮面をかぶる。
《心から撮影を楽しいと感じた日々は、あっけなく終わってしまった》

  私は、何だか、おそろしいものを読んでいるような気がしてきます。

  データベースで「荻野目慶子」を引いてみれば、14歳で「奇跡の人」でヘレン・ケラーの少女役を、その翌年にはNHKの大河ドラマでさらに羽ばたき、深作映画への出演は「いつかギラギラする日」が最初、とあります。そのオーディションに合格し、のちに彼女はこの映画でヨコハマ映画祭助演女優賞をとることになります。

  監督に犯されたその当時のことを、彼女はこう振り返っています。
《ドン底状態にあった私は、この先自分が生きてゆくのなら、今度の役でひどい結果を生むわけにはいかなかった。女優の仕事を続けていけるかどうかは、この仕事にかかっていると言ってよかった。自立した生活をするためには、どうしても活かさなければならないチャンス。
  もうあとがないのだ》

  読み進むにつれ、だんだん胸が苦しくなってくる。それにしてもなぜ、いま、この本を書いたのだろう。書くことによって、人は超えることができる、のか。復讐でもなく、自慢話でもない。心の傷を治癒するには必要な道程だったのか。

  最初の恋も、《監督》でした。自殺した彼もまた実名で登場します。彼女が、彼の生活費を出していたことも、彼の妻が《すべて》を知っていたことも、淡々と明らかにされてゆきます。

  これは、絶望の淵に何度も立った女優の物語です。純真さが際立ち、しかしやはり読者の息苦しさは最後まで去りません。
  芸術をやっているからといって、ここまで「女」に甘えていいと本気でこの男たちは思っているのだろうか。

  笑いと希望に溢れていない恋は、よくないと思います。



(「ガッキィファイター」2002年12月9日号に掲載)

 




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