野口悠紀雄『「超」納税法』(新潮社、1,300円)
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確定申告を、もう済まされましたか?
負傷私(不肖とすべきですが骨折が完全治癒していないので)は、確定申告初日にあたる2月17日に済ませてまいりました。フリーになって15年。毎年、納税額を前年より多くすることを目標にして生きてきたのですが(オーバーに言えば)、今年は皆様から頂戴したメルマガ購読料や、毎日注文の絶えない《日垣本の即配便》もすべて収入になりますので、2002年はちょっとヤバいことになっていました。
興味あります?
あれば全部公表しますけど。ないですか。では次にいきます。
野口悠紀雄さんは、私とは全然比較にならない本物のタイヘンな事態を経験されました。
《この頃〔十数年前〕の納税は、牧歌的なものだった。納税額が少額だったというだけではない。納税の仕方で税額が大きく変わってしまうことはなかったのだ。
それが大きく変わったのは、1993年から数年間、著書がベストセラーとなったときだ。〔中略〕
この年、私の所得税額は約1億5000万円となり、住民税と合わせると約2億円となった》(P34〜42)
私は思うのですが、いくら納税額が膨大になっても、同情する必要はありません。控除を考えれば、どんなに多くても50%を超えて納税しなければならない事態はありえないからです。約2億円納めたなら、それ以上のお金が懐に残っているわけですね。そこはビシっと押さえておきたいと思います。
それにしても野口さんのスゴイところは、転んでもタダでは起きないところだと思います。起きあがるついでに、宝石をつかんで立ち上がるタイプの人です。
そして、疑問を徹底的に突き詰めて考え、調べぬく性格が著書の信頼性を担保しています。
《われわれは普通、差し出された証拠品に注意を向ける。その中に目立つものがあれば、それに目を奪われる。しかし、「あって然るべきものが、ない」ことにこそ、注意を向けるべきなのだ。なぜなら、往々にして、物事の本質は、存在しているものの中にあるのではなく、存在していないものの中に隠されているからである》(P22)
これは戦後のシャウプ勧告について向けられた深淵な指摘です。シャウプ調査団は、米国流の納税制度をもとに、「正しい申告制度」を日本に知らしめた、という物語が長く信じられてきたわけですが、野口氏はこれに真正面から異を唱えることから第1章を書き起こします。
米国では、サラリーマンも確定申告をしているのに、日本では1940年の戦時突入体制によって"発明"された源泉徴収制度が、シャウプ勧告という隠れ蓑の下で、大蔵官僚によって巧妙に温存されたのではないか?
こうして《事業所得の懐柔的徴税は自営業者の政治的保守化をもたらし、給与所得の源泉徴収は給与所得者の政治的無関心をもたらした》(P26)
さて、本書にしばしば登場する例は「男はつらいよ」の「たこ社長」が経営する「朝日印刷」です。たこ社長は、自分と妻の給料を、朝日印刷の所得がマイナスになるように設定しているはずで、どうしてそのようなことになるのか。一言でいえば、《たこ社長は、実質的には企業経営者であるにもかかわらず、税務上は給与所得者なのである》(P117)
そして、問題は次の点にある、と喝破されます。
《日本の中小企業の経営者の殆どがこのような申告をしているはずである。そして、完全に合法であるこうした税務申告が、さまざまな問題を引き起こしているのだ。これこそが、日本の税制の根本問題である》(P118)
その問題点を野口さんは詳細に論じたうえで、《サラリーマンのままで会社を作る》道を提唱します(P170)。本書には、そのためのハウツウが詳しく紹介されているのですが、これはサラリーマン本人にとっても得だというだけでなく、日本経済にとっても再生への近道だと私も従来から指摘してきました。
以前このメルマガでも紹介しましたが、資本主義の細胞核たるフリーエージェントが育っていないのは先進諸国の中で日本だけです。
http://www.gfighter.com/securezone/bookreview/bookreview.cfm?bookreviewID=1
日本のサラリーマンは、現在進行中(3月15日まで)の確定申告期間に、ほとんど何の関心も寄せていないでしょう。対照的に自営業者は年がら年中、領収書をやりとりする場面で常に「税」を意識せざるをえません。それは節税とか脱税とか不公平とかいう以前に、近代国家で経済活動をするものの必然的常識です。
必要経費をかけ何らかの経済活動を通して収入を得る。経費と収入のバランスを考慮するのは、当然のことでしょう。しかし、日本のサラリーマンは往々にして、それを意識していません。
それはちょっとヤバいと思います。
(「ガッキィファイター」2003年3月4日号に掲載) |
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