磯部潮『人格障害かもしれない』光文社新書、700円
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日本語で書かれた人格障害についての基本文献は、臨床精神医学講座全24巻のうち第7巻『人格障害』(中山書店、2万9,000円)です。また同じシリーズの第11巻『児童青年期精神障害』(同、2万9,800円)も、一連の不可解な少年事件を読み解くうえでは、目を通しておきたい基本文献の一つです。関連参照文献も総計1,000点あまり、これらには網羅されています。
一般にはなかなか手が出せない値段だとは思いますが、事件報道に携わる方は、ぜひ読んでおいてください。ただし、およそ読書というものは、書かれていることを暗記したり妄信するためにするのではありません。
一般に人格障害は、たいてい犯罪との関連で浮上するレッテルです。実際の病院では、医療スタッフや他の入院患者にとって「やっかいな存在」以外の何者でもないはずであり、しかし同時に精神病院経営者にとって、精神病の数倍から数十倍の人数がいるとされる人格障害は、それだけ一気に「顧客」の分母を増やせる好都合なラベルなのです。
実際、アメリカ精神医学会による『DSM−IV(精神疾患の分類と診断の手引き 第4版)』(邦訳は医学書院、3,800円)に列挙された人格障害の各種は、病院経営の拡大に資するために、いたずらにその定義を拡大したと言うほかないものです。
そのような現状にあって、本書『人格障害かもしれない』は、まじめな臨床家医によって、むしろこの人格障害というラベルをプラスに捉えようと試みた貴重な本です。
ただし、本書にいう《一九八〇年のDSM−IIIに「人格障害」という名称が登場して以来、多くの文献で「人格障害」は増加し続けていることが報告されています。〔中略〕私は実数として人格障害者は増加していると考えています》(P65−P66)という観測には、私は与(くみ)しません。そのようなレッテルを貼られる人々が増えている、という以上の内実はないと確信しているからです。
わかりやすく「ヘンな人」あるいはより司法精神医学的に「極端に偏った人」というふうに人格障害者を捉えると、そのような個性的な人たちが増えているのは必ずしも悪いことではなく、しかし実際には、凶悪犯罪を解説するに際して安直に持ち出されてきたのがこの人格障害なるカテゴリーであることに鑑(かんが)みると、そのような持ち出し回数が増えたことは事実としても、そうしたカテゴリーに当てはまる日本人の割合が増えたことにはならないはずです。
しかし、そのことを措いても本書を薦める理由は、人格障害という問題に関する類書のなかで、もっともわかりやすく、かつ誠実にアプローチしたものであるからです。そして、私が指摘した上記の問題点についても、著者は《DSMの出現によって、誰もかれもが精神障害に罹患しているということになってしまうという弊害》(P71)をきちんと自覚しておられます。
そして本書では、わかりやすい解説とともに、著者自身が接した「人格障害」の10のケースが紹介されており、臨床(病院)と司法精神医学(要するに事件を起こした容疑者や被告の責任能力=刑法39条=を云々する)の双方にとって何が問題なのか、が自覚的に書かれている点にも好感がもてます。
本書の白眉は、必ずしも私は賛同できないのですが、《人格障害の人は非常に魅力的です。それは絵や音楽に才能があったり、話がとても面白かったり、容貌が魅力的だったりする》(P126)という立場から、尾崎豊、太宰治、三島由紀夫を人格障害者として論じる章です。
なぜ私はこの視点にやや賛同できないかといえば、例えばこの三人の才能や個性を描出するのに、わざわざ人格障害などというカテゴリーを持ち出さなくても充分に論じることが可能だからです。逆に、宅間守や麻原彰晃や酒鬼薔薇聖斗らの犯罪を裁くのに、「加害−被害の実態」を見ればそれで必要かつ充分であり、人格障害だの心神喪失だの心神耗弱だのといった莫迦げた概念を持ち出してきて刑を軽減ないし免罪しようとするのは止めろ、という立場に私は立っています。もうご存知ですよね。
でも、その点を考慮してもなお、本書を「読みやすさ」と「真摯(しんし)さ」において私は高く評価します。
ここで真摯さというのは、学会の権威やら定説に左右されず、自分の頭と体験に基づいて、自分の言葉で語っているという意味です。
《精神鑑定そのものについても、そもそも犯行から何年も経ってから、犯行時の精神状態を再構成する試みが難しいのです。たとえば私は過去にスピード違反で捕まったことがあるのですが、そのときなぜそんなに急いでいたかを正確に再現することはできません。せいぜい約束の時間に遅れそうだったとか、イライラしていてついついスピードを出しすぎたとか、振り返って思うのがやっとです》(P191)
私が問題提起してきた精神鑑定無用論まで、あと一歩です。このイライラが仮に心神耗弱の範疇に入るものであったにせよ、アルコールや覚醒剤によるものだったにせよ、結果的にこの運転により人を轢き殺してしまった場合には、人の命をあやめた犯罪としてのみ裁かれるべきであり、精神鑑定なるものによって、アルコールや覚醒剤を摂取していたから心神耗弱だとして刑を半減させるような莫迦な真似とは、そろそろ絶縁すべきでしょう。「人殺しの罪半減」運動の先頭に立ってきた福島章氏のような精神科医を、常連コメント依頼先にするようなディレクターその他は、被害者や遺族にとっては犯罪の加担側にいることになると知るべきです。
最後に、このタイトルは著者がつけたのか、編集者がつけたのかは判然としませんが、なかなか優れた書名です。
私も、『DSM―IV』で各種人格障害の定義集を初めて読んだとき、「あっ俺だ」と思いましたもの。
(「ガッキィファイター」2003年7月16日号に掲載)
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