2001年9月11日に同時多発テロが起き、その犯行をオサマ・ビンラディンと その組織アルカイダによるものだとブッシュ政権が発表するのは9月16日のこ とでした。さらに「ビンラディンはアフガニスタンにいる」との断定に基づき、 米英両国はタリバン政権に宣戦布告します。カンダハルの制圧は10月20日、カ ブール陥落は11月13日です。
このあたりの経緯は、もう忘れてしまいましたか?
でも、その顛末はご存知でしょう。
タリバン政権はあっけなく崩壊してしまいました。容疑者を匿(かくま)っ たかどで一国の政権が圧倒的な軍事力で転覆されるさまを、私たちはリアルタ イムで傍観するしかなかったわけです。
その結果はどうなったのでしょうか?
今もアフガニスタンに和平は訪れていません。残ったのは、貧困と破壊と治 安の悪化です。
タリバンはテロリスト集団だったのでしょうか? さすがにそれはブッシュ やラムズフェルドやチェイニーですら否定しています。
米軍の報復攻撃が開始され、アフガンから南方に向け大量の難民が出ます。 この逆コースを辿った日本人に、柳田大元さんというジャーナリストがいまし た。彼がアフガン潜入取材中にタリバンに拉致・拘束される、というニュース が日本にもたらされたのは、当時の新聞を繰ってみると10月23日のことでした。
1964年生まれの柳田大元さんは、寡作のライターで、『アラスカ最底辺』 (青峰社、1991年)を出して以来、コレクターに民芸品を売りながらアフリカ で長い取材活動を続けていたようです。
本書を出版したのは2002年9月。すでにこの時期にはもう、たいていの日本 人は「アフガンでの拉致事件」を忘れていたのではないでしょうか。
書評も見ませんでしたし、その後すぐに日本を再び離れてしまったのかもし れません。少なくとも帰国後、逃げも隠れもしなかった代わりに、あちこちの 局に出ずっぱり(でもディテールに踏み込んだ話はない)という今回の拉致事 件の顛末とは、当事者の立ち居振る舞いも扱いも批評のされ方も大きく異なっ ていました。
本書を読んで思い出したのですが、柳田さんの解放時には義兄(ノンフィク ション作家の野村進さん)がイスラマバード入りしており、この野村さんが出 国の段取りをつけたのでした。さすが、と思います。
今回の場合、外務省を支配する福田康夫官房長官が「自業自得」説および 「自己責任」論を意図的に流したわけですが、当時の外務大臣は田中真紀子氏 でした。「何もしない」代わりに「バッシングもない」が奏功したのは皮肉な ことだったのでしょうか?
本書『タリバン拘束日記』は結果的に、断末魔のタリバンの内側を描いた貴 重な記録となりました。副題は「アフガン潜入から拘束、解放までの26日間」。 イラクでの拘束・人質問題がらみで「自己責任」やら「取材の必要性」やらが 問われている現在、視点を相対化させ進化させるためにも本書を敢えてこの時 期にお薦めしたいと思います。私も、ようやく本日読む機会があった(=締め 切り地獄から逃げた)に過ぎないのですが。
柳田さんは、拘束二日目にして《タリバンの持っていたラジオから何度か ジャパンという単語が飛び出した。「お前のことだよ」と童顔。「名前は?」 「いっていないみたいだけど」。それはよかった》という次第でした(P62)
彼が拘束された理由は、今回と同様やはり《スパイ容疑》です(P99)。
拘束10日目には、こんな記録が残されています。文中に登場するミッシェル は、同じ時期に拘束されていたフランス人ジャーナリスト44歳、週刊「パリ= マッチ」の契約記者です。
《「日本人はみんなお前のことを知っているだろうな」。ミッシェルが言う。
「ここを出たら、どうするんだ? すぐに日本には帰らないんだろう?」
「一カ月くらいはパキスタンにいるよ。その後二カ月もアフリカで過ごせば、 ほとぼりもさめるだろう」
「家族は?」
「電話で話せばいいさ」
外でどの程度の騒ぎになっているのかはわからない。一歩出れば、今回私が とった行動についての誹謗中傷の言葉も矢のように降ってくるだろう。しかし、 たとえば幼なじみに悪口をいわれたらグサリとくるが、会ったこともない人に 何を言われても、その人たちの言葉は私の心にまで届くことはない。
ところで『パリ=マッチ』の方はどうだったのだろう。アフガン行きを許し てくれたのだろうか。
「行きたければ行けばいい、それだけだよ、言われたのは。捕まってからも出 来る限りのことはしてくれてる」》(P153−154)
こんな欄外注記にも、今さらながら刮目ざるをえません。
《〔二〇〇一年一一月一五日〕タリバン軍部隊がカンダハルに集結し、防衛戦 に臨む。「国境なき記者団」(本部パリ)は、消息が不明となった柳田の発見 と保護に全力を尽くすよう、反タリバン勢力に働きかけた。同勢力の司令官も それを了承した。なお、アフガン報復攻撃開始後、死亡した外国人記者・カメ ラマンは一〇人になった(一一月二二日現在)》(P298)
日本の新聞各紙が1面トップで柳田氏の解放を報じたのは、11月18日の朝刊 です。英国紙「ガーディアン」が、《アフガン空爆で民間人は3,700人以上死 亡し、米国同時多発テロの犠牲者を上回った》と報じたのは、その2日後のこ とでした。
米国は、これで報復を遂げたはずではなかったのでしょうか?
同じ数の犠牲者をアフガニスタンに強い、のみならず政権を壊滅させた米国 ブッシュ政権は、次なる標的としてイラクを選び、1年間で約1万6,000人も の罪なき民間人を殺戮することになります。
対イラク戦争は、対アフガン戦争の第2弾だったわけですが、9・11テロの 犯人と断じたビンラディンを逮捕するために始められたのでしたっけ?
見せしめと石油利権と米国内軍事産業特需のために、でした。
中東エリアで大量破壊兵器のみならず核兵器を確実に持っているのは、イス ラエルではないのですか?
そしてまた、アフガンからイラクに殺戮と特需の舞台を移すなかで、テロリ ストのみならず反米武装勢力は何十倍、何百倍にも増えてしまったのではない でしょうか?
(「ガッキィファイター」2004年4月26日号に掲載)
|
|