吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス、1,197円) |
私は、フリーになった直後になかなか思うようには生活が立ち行かず、ホー
ムレスたちと自分との距離の近さを明確に自覚して、あっちに行くのはちょっ
とした弾みだけだ、と痛切に感じていた時期があり、「でも意外にあっちは
"ずく"(労を惜しまないこまめさ)がなければやっていけないのではないか」
というリアルな認識が私を思いとどまらせてくれました。
希望を捨てきれないホームレスは、ある意味ぜんぶ自分でやらなければなら
ないという"ずく"が要るので(雨露をしのぎ、残飯を調達し、自家製マヨネー
ズを作ったり……)、私から見たら、あっちのほうが面倒くさいのではない
か、と思えたのです。希望も気力もまったくない状態でのホームレス化なら、
長い時間をかけての自殺と見たほうが正確かもしれません。
実際、吾妻さんは自殺を試みましたが、失敗しました。そこに分水嶺があっ
たと思います。
この実体験に基づくノンフィクション漫画を読むと、笑いが随所で誘発され
ます。
いしかわじゅんさんは「芸術新潮」5月号で、吾妻さんの「俺は、ああいう
連中とは違う」を、ひどく真面目に受け取りましたが、やっぱり、あそこは
笑っていいところだったのではないか。
著者だって笑い飛ばさなければ、あんなことは言えないし、こんな本も出せ
ないでしょう。
ところで私見によれば、ホームレス化してしまう人々は、1、恐妻家である
ため家に帰りたくなくなり、2、まじめで融通が利かず、3、無理をしてでも
休暇を定期的にとる重要性を認識していないためポッキリいってしまう、とい
うタイプに出現率が高いように思われます。
無意識のうちに奥さんを恐れている吾妻さんが、夜明け前に自分の居場所に
戻ってくるとき「ただいまー」と言っていたり、次第に食料確保や小銭拾いに
も慣れて「生活のペースも安定してきた」と記していたりするのは、おかしく
もあり、ものがなしくなりもします。
うどんの具を拾ってきて食っていたら中から吸殻が出てきたり、カビだらけ
の食パンもカビを取って食べ、夜具の下で即席の漬物まで作ってしまう。それ
でも、自宅にも仕事にも戻りたくはない。警察署に任意で連れて行かれ、そこ
でロリコン系の若い警官に「先生ほどの人がなぜこんな……」と絶句されて、
ついでにサインをねだられる。二度目の失踪では、中盤から配管工として日勤
に出る。さらには、アル中の日々も綴られる。
この本を読んでぐったりする人は、生命力が落ちているのかもしれません。
正しく笑い飛ばしてあげましょう。
ついでながら、本書の表紙カバーをめくると「おまけ」がついています。発
見した人だけのお楽しみなのだとか。サービス精神の旺盛な本です。
なお、ネット全盛のこの時代に、印刷され製本された「日記」がこれまで以
上によく読まれているという事実とともに、メジャーな漫画週刊誌で多くの仕
事を続けてきた漫画家の、自費出版という形態をとる個人誌「産直あづまマガ
ジン」が、毎年夏のコミケでいつもよく売れ、収入にも大いに貢献していると
いう事実は、充分刮目に価します。
最近では、市販の漫画誌に連載をもつより、コミケやネットで人気の産直の
自費出版のほうが実入りが多かったりするのは、けっしてもう珍しいことでは
ありません。コミケ事情に詳しい人が周囲にいたら、ぜひ聞いてみてくださ
い。
かつて島崎藤村が、樋口一葉の貧困ぶりを間近に見て、さらに自分の子を餓
死させ妻を栄養失調にしてしまいながら、現在のお金で1億円単位のお金を子
どもたちに生前贈与するまでになったのは、ひとえに『破戒』を敢えて利益率
の高い自費出版で刊行したからでした。
このあたりのことは、いずれまた書きます。
(「ガッキィファイター」2005年5月10日号に掲載) |
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