伊藤礼『こぐこぐ自転車』(平凡社、1,680円)


 私の仕事部屋の近くに、けっこう険しい坂道があります。そこを65歳くらい のおばあさんが、いつもスーパーの袋を二つぶら下げてやや赤い顔をしながら、 最後まで自転車を降りずに登り切る姿を見るにつけ、俺も負けてはいられない なあと思っていました。

 でも、自転車に乗り始めるには至りませんでした。まだ寒いし。疲れるし。 車も危ないし。それに自転車ないし。

 ところがこの本を読んで以来、私は毎朝、息子の自転車を借りて乗り始めま した。
 もう恥ずかしいほど愉しいのです。ドヴォルザーク交響曲第9番ホ短調の気 分です。先ほどもうちの犬を連れて6キロくらい走ったら、いつも俺に散歩を せがむ犬が久しぶりに昏睡状態みたいになって、午後はずっと寝ています。先 ほど前を通ったら、目を合わせませんでした。

 自転車を飛ばすのがあまりにも愉しいので、かつて「あれだけは許せない」 と強く思えていた「ズボンの右裾を縛るバンド」まで密かに買ってしまいまし たし(でもまだ恥ずかしくて付けられない)、次には、高性能スピードメー ターとパンク修理セットと競技用ヘルメット、それにできたら超軽量折り畳み 自転車の購入を検討しているところです。順序からするとまず自転車から買わ なくちゃいけない。

 本書を読みますってえと、どうでもいいことが哲学的に語られてフムフムと 頷いてしまいますけれども、ちょっとよく考えると、そのばからしさに笑いが こみあげてくる、というおもしろい本です。

《人間はなぜ結局は真面目に自転車をこぐか、というと一度自転車にまたがっ て走り始めたら、あとはこがないと自宅に帰れないからである。》

 ひとをくっていますよね。

《私は落ち着いてお尻のことを考えてみた。以下は私の結論である。》
 などと長々「なぜ自転車に乗るとお尻が痛くなるか」について生理学的に分 析したあと、でも、途中で降りてお尻をさすれば元に戻る、というあたりまえ のことを意味深げに語る。

《自転車と自動車のちがいは、スピードメーターがついているかいないかにあ る、と言っていい》とヘンな定義をしておいて、マイチャリにスピードメー ターを付けている伊藤さんは、スピード違反をしても自動車と違って自転車は 警察のネズミ捕りに引っかからないと優越感を語り、どんどん話が流れていく のですが、途中で文章をこんなふうに戻します。

《自転車のスピードメーターのことを言おうとして最初から話がそれてしまっ たのはうっかりしたことであった。》

 さりげなく書いておられますが、こういう達意の文章は、明らかにプロのも のです。わざとらしさや嫌味がないのは、観察力と文章力に加えて含羞がある からでしょう。

 伊藤礼さんの父君は、『日本文壇史』(菊池寛賞)や『女性に関する十二章』 『太平洋戦争日記』(全3巻)をはじめ『伊藤整全集』(全24巻、新潮社)で知 られる、日本を代表する評論家です。昭和25年にロレンスの『チャタレイ夫人 の恋人』を翻訳刊行して猥褻(わいせつ)文書とされ(すごい時代でしたね)、 その裁判の被告となったことでも有名ですが、平成8年には二男である伊藤礼 氏が『チャタレイ夫人の恋人』の完訳本を出しています。
 その「訳者あとがき」を読んで、なんておもしろい文章を書く人なんだと感 嘆したのを覚えています。

 いつのまにか、伊藤礼氏も73歳になっていたのですね。偉いものです。父を 超えました。伊藤整は65歳で亡くなっているのですから。でも、定年直前に なって自転車に乗り始めたとき、ぜいぜい言って10歳くらい老けた感じになっ たそうです。
《足の筋肉は空気が抜けたチューブみたいにふにゃふにゃで、坂を一メートル 登るのでさえ青息吐息というありさまだった。》

 老人は深く(ちょっとヘンな方向に)反省します。
《私は、もっと脚力を養成して将来に備えておくべきである、と考えたので あった。将来というのはすこし先のことである。すこし先になると東京には大 地震が来る。》
 車の渋滞や、長い信号待ちの大群衆を尻目に、彼は自転車をこぐこぐ!
《そういう大群衆が私を見て、やはり自転車はいいな、と感嘆しているのがひ しひしと伝わってくる。十キロメートルを走りぬいて、最後に大観衆に見守ら れながら新宿駅南口の陸橋を駆け上がる私の姿があるのである。》

 大学教授だった人なので、自転車一つ買うのにも専門誌で「研究」を重ねて しまいます。

《私はなんとなくお店を見たくて来たのであって、とくに何かを買いに来たの ではないというふりをした。最初からこれこれこういう自転車を買いたくて来 たのだと言うのはお互い気疲れするものであるからだ。これこれこういう自転 車が欲しくてたまらない、というような気分を横溢させて店に飛び込むという ようなことは控えなければいけないのだ。買うことになるにしても、なんとな く買うはめになったとか、すごく気に入ったものを偶然見つけたら嬉しくなっ てつい買ってしまった、という形にしたいのである。最初から計画的になにか を欲しがるというのは下品なのである。》

 ばかですね。でも、含羞があるから、これでいいのです。
 話はどんどんエスカレートして、単独で老人は軽井沢をめざします。

《私は洗濯物の整理をしていた家人に、「明日軽井沢に行く」と宣言した。そ のとき軽井沢に行くということが碓氷峠を上ることであると理解したかどうか 知らないが、家人はこちらを見もせず黙って首を一ミリぐらい縦に動かした。 長年の経験で私はこれが「結構なことでございますね。どうぞお出かけくださ い。家のことはご心配なく」という信号であることを理解したのであった。こ れで碓氷峠登坂の第一関門は通過したのであった。》

 伊藤さんは、心臓と前立腺の治療薬と痛風の予防薬を毎日飲んでいます。自 転車でコケて骨折までするのです。読者としては心配にならざるをえません。

 同じく最近になって自転車に乗り始めた平均年齢67歳の4人が、北海道サイ クリングを敢行するのも圧巻です。というか、珍道中としか言いようがありま せん。

 定年になって、有り余る時間を如何に愉しく過ごすか、という重大問題を考 えるにあたって本書は、冗談のようなエッセイでありながら、世の中を確実に 動かす本です。

 今年最高の収穫、と早くも宣言したいと思います。



(「ガッキィファイター」2005年5月10日号に掲載)





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