勢古浩爾『この俗物が!』(洋泉社新書、720円)




 この著者の得意技の一つは、いわば"自分ツッコミ"です。団塊世代の書き手 には珍しく、羞恥心と文章芸の折り合いがつけられているわけですね。
 この新刊の「あとがき」は、以下のように始まります。

《ようするに、本書で何をいいたかったのか。
 とくにいいたいことなどないわけである。例によって、本書にもまたなんの 教訓も含まれてはいない。ほんのわずかな創見をひとつふたつ提示することが できたら、ということなら一応目指してはいるのだが、教訓や啓蒙などは最初 から放棄している。
 はずなのに、創見どころか、随所で偉そうな言い方をしているようである。 もう不徳のいたすところである、などと見え透いたことはいわない。わたしの 徳・不徳なんかまったくどうでもいい。そもそも本なんか書いて人様に読んで もらおうというところからして、偉そうなのだから。〔中略〕
 といいながら正直にいうと、こいつの書くものはわりとおもしろい、と思わ れたいという気持ちがあるのである。〔中略〕
 多くの知識人は、もちろんこんなことを脂ぎって意識しているわけではない だろうが、こいつほんと頭がいいな、切れるな、よく考えているな、モノを知 っているな、文章がうまいな、と評価されるのが一番と思っているのかもしれ ない。かもしれない、ではない。たぶん、まちがいなくそうである。たぶん、 まちがいなく、ってどっちだ》(P218)

 著者の勢古浩爾(せこ・こうじ)氏は、『わたしを認めよ!』『まれに見る バカ』『ぶざまな人生』(いずれも洋泉社y新書)などで知られる、会社員と 文筆家の二足の草鞋(わらじ)の人です。
 一度酒席でご一緒しただけですが、この方は講演は下手だろうなあ、と思い ました。同僚にはご自分の熱心な読者などおらず、ほとんど定刻に勤務先から 帰って、夜ひとりで書き下ろしを進めているときのみ激しくドーパミンが放出 されるタイプでは、と勝手に想像したわけです。失礼な。
 
 2003年最大のベストセラーは養老孟司さんの『バカの壁』でしたが、一連の 「バカ本」ブームに先駆けたのが、この方の『まれに見るバカ』ではなかった か、というのが私の見積もりです。その後の『まれに見るバカ女』(宝島社) など、いくら(洋泉社と宝島社が)関連会社だからといって、あまりにも露骨 なパクリ書名でありました。まあ、パクられるくらいには売れた、ということ でしょうからその点、慶賀すべきことではあります。

 ほかにも『おやじ論』(PHP新書)や『こういう男になりたい』(ちくま 新書)など続々と書き下ろしをされており、そんなに初老や男を意識しなくて もいいのにとも思いますが、朝から夕方まで勤務に携わりながら、しかも53歳 にもなるのに、偉いなあ、と思わずにはおれません。いま流行(はやり)の週 末企業家の走りであり、中年遅咲きライターの星です。

 といいますか、これまで「書くのが速い」と自ら思い込んできた私ですが、 最近「遅筆」認定を受けまして、少々衝撃を受け弱気になっております。遅筆 というのは、てっきり「筆(原稿を書く速さ)が遅い」ことを言うのだとばか り思ってきたのですが、幾人もの編集者によれば、「書き始めるのが遅いのも、 書くスピードが遅いのも、待つほうからすれば同じこと」だとのことでありま して、そう言われてみればなるほど! と関心しつつも、いまひとつ納得しき れない部分が残ります。
 私は、遅筆なのではなく、書き始めるのが遅いだけなのだ!
 でもやっぱり同じかも。

 その点この著者は、とても優秀です。遅咲きの効用と言っていいかもしれま せん。
 遅咲きというのは、体験と教養と視点と打たれ強さなどの点で、充分すぎる ほどの蓄積をもって、いわば満杯状態から新たな仕事を始めた人のことです。 その後は、あふれ出るがごとく疾走する。褒めすぎかもしれませんが、司馬遼 太郎さんや松本清張さんが遅咲きタイプでした。これは褒めすぎ。
 早くデビューした人は、いっぱいいっぱいで走り続けなければならないので (他の仕事や組織での蓄積がなかなかできない、という意味です)、中年にさ しかかると枯渇しやすい傾向があります。

 本書は、端的に言えば『まれに見るバカ』より、半分以下の時間で完成した のではないか、と推測されます。一つの素材(例えば福田恒存の「俗物論」と か、沢木耕太郎『無名の人』など)に関する言及が長く、よく言えば勢いがあ り、悪く言えば調子に乗って書き飛ばしている面がないではない。
 この次には、何をお書きになるのでしょうか。得意技ではあっても、処女作 から文章スタイルがどれも代わり映えしないのが若干気になりますが、そうい うことを言って「遅筆」に誘い込む作戦は、きたねえかもな俺も。

 氏の本はすべて拝読してきましたが、今回もまた迂闊に何度も笑ってしまい ました。さきほど「どれも代わり映えしない」と書きましたが、読者を笑わせ る、おもしろがらせる、というのは文章レベルとしては最もハードルが高いの で、この方の文才をあなどってはなりません。あなどろうとしたのは私ですが 気にしないでください。

 蛇足ながら、日本には稀有なメンズ・ファッション評論家の落合正勝氏が、 『ダンディズム〜靴、鞄、眼鏡、酒……』(光文社新書)で、うだうだファッ ションの王道なるものについて書き連ねたのを引用したあとで、勢古さんの筆 はまた炸裂します。

《しかしわたしには根本的な疑問がある。スーツから靴から腕時計から眼鏡か ら鞄からなにからなにまで整えたとして、当の本人はあばら骨が浮き出るまな 板みたいな貧相な体で身長一六五センチでもいいわけか(身長一六五センチを バカにしているわけではない)。脂てかりする下卑た顔つきで、目はヒラメ、 うすらハゲで、歩き方はがに股、声は鼻づまりで、裸になれば弛みに弛んだタ プチョンの体でもいいわけか。白のTシャツとジーパンに引き締まった筋肉を もつスマートな一八〇センチ男に一発で負けるのではないか。同書には著書 「近影」が掲載されているけど、けっこう遠景ではないか》(P75)

 これ、さすがに、ちょっとヤバい感じがします。岩波新書や中公新書なら確 実に削除されるところです。だから、そういう新書はつまらないんだろうけど。 50歳を過ぎた遅咲きライターに許される特権かもしれません、考えようによっ ては。
 私はこの点でも著者(勢古さん)を間近に見たことがあるので、書きたいこ とはいっぱいあるけど、著者近影が載っていないので、やめておきます。ちく ま新書には載っていました。

 ともかく、俗物はバカよりも奥が深く、おもしろい。禁欲的で規則正しい勢 古さんよりは確実に俗人であるわたくしは、そう思いました。


(「ガッキィファイター」2003年12月18日号に掲載)





このページに関するお問い合わせはガッキィファイター編集室:info@gfighter.comまで。