日記大好き民族の逆襲 現代日本blog論2



  さて、もともと日本人は、日記の民族です。
『日本につける薬』にも書きましたとおり(「日本人の『日記』考」)、古代ギリシャやローマ、あるいは15−17世紀の大航海時代にも公的日誌は連綿としてあり、日本でも7世紀における律令制の成立以来、官僚による日誌は義務的でした。

  もちろん、律令時代から江戸時代に至るまで、すべて漢文日記です。
《男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。》で始まる「土佐日記」を書いた紀貫之は、女に化身した歌の詠み手として、仮名文字で書き綴ったわけです。ひらがなは、女の文字とされていました。

  紀貫之は土佐を出発する前日まで(西暦934年)、土佐守(とさのかみ)という高級官僚でした。任期満了にともない、出世して上京するまでの55日間の仮名文字ダイアリーを「土佐日記」と呼んでいるわけです。

  私が驚くのは、「土佐日記」には1日として「欠」がないことです。
  カエサルの「ガリア戦記」や、岩波書店から出た私の大好きな「大航海時代叢書」のどの巻を見ても、1日も欠かさず書かれた日誌は見当たりません。


  60年前まで、日本が数年間続けてしまったあの世界大戦中にも、「ちびっこでみすぼらしく学があるようにはとても見えない」日本兵の多くが日記を携帯していたことに、連合軍の兵士がびびったという記録は、ワシントン公文書館にたくさん保管されています。

  注意深い方は、もうお気づきになったかもしれません。
  業務日誌(log、daily record)と、私的日記(diary)は、かなり違うのですね。
  日誌は世界標準ですが、気楽な国民的日記習慣は、日本に特徴的なものだと言っていいでしょう。

  前述した「日本人の『日記』考」で、《もともと日記大国であったこの国で、インターネットの出現により、「日記」が大ブレイクしつつある》と書いたのは、2001年6月のことでした。
  当時はまだ、blogの流行は起きていません。

  あくまで、みずからサイトを立ち上げた個人による「公開日記」が散見され始めたのが2001年です。
  当時はまだ、サイトで個人日記を更新し続けるのは、それなりのエネルギーと技術と資金が必要でした。

  それがblog提供会社の出現と繁栄により、みずからサイトを立ち上げることなく、「やろう」と思い立ってから数時間もあれば、とにもかくにもblogを始められるようになりました。

  blogは大別して2種類あります。
  毎日更新されるblogと、時々しか更新されないblogです。

  つまらないblogが日々更新されないのはご愁傷様ですが、おもしろいblogが更新されないと、いらいらします。
  そこには中毒性がある、と指摘する所以です。

(この項、かなり長くつづく)




(「ガッキィファイター」2005年3月4日号に掲載)






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