実名と匿名のあいだ(その1) 現代日本blog論3



「ジャーナリズム」を因数分解すれば、日々発信×不特定多数の受け手×記録性ということになるでしょう。伝書鳩を使っていた黎明期にも、主として戦争を通じて技術進歩と読者増が結果的に果たされた時代にも、その本質は変わりません。蓄積(データベース)性は、もちろん(デジタル時代には)記録性に含まれます。

  他方、blog(ブログ)を因数分解すると……。あらあら不思議、日々発信× 不特定多数の受け手×記録性という3要素を、きっちりその本質として備えていることがわかります。

  何が違うのでしょうか。
  そもそも、違うものとして認識する必要があるのでしょうか。

  ライブドアの堀江氏が言うようには、10年後にテレビが消え去ることはありえません。多チャンネル化はすでに日本でも進んできましたが、同じ物語を同時代に共有することへの欲望が、今後もキー局を必要とするでしょう。

  しかし、一部のサイトやblogが日々百万人単位の読者を獲得し、他方で、千人単位の契約者でも有料テレビが成立しうる時代です。テレビのコンテンツで生き残れるのは、ドラマとドキュメント番組くらいでしょう。数千万人に共有されるニュース番組やバラエティは、すでに重大な危機に直面しつつあります。好みや知性や関心が、重層的に分化してきているからです。

  強いて言えば、旧来のジャーナリズムに希薄でblogに濃厚であるのは、コミュニケーション(読者参加)とハブ(人気blogの拠点化と緩やかなネットワーク)と個人の役割でしょう。その逆、つまりジャーナリズムに濃厚でblog に希薄なのは、エディターシップ(編集者の介在)とチャージ(広告を含めた料金の徴収)の仕組みと組織性だと思われます。

  もちろん、欠点をできるだけ削ぎ落とし、長所をできるだけ取り込むことが、今後さらに両者で目指されてゆくはずです。

  blogの担い手は、言うまでもなく、ジャーナリストでない人が圧倒的です。しかし、実際にやっていることは、ジャーナリスト(日々の出来事に関心を示し、それを記録し、不特定多数に発信する)と現象的に変わるところはありません。
  ジャーナリストなどと名乗ったり、そうしたハイエナ的職業と比較されること自体が唾棄すべきことだと思っていても、です。
  違うのは、それで食っているかどうか、ということぐらいでしょうか。

  さらにややこしいのは、記者や編集者を含むプロのジャーナリストでも、フリー(チャージ無し)のblogに嵌(はま)っている人が少なからず出現していることです。

  サラリーを貰っている記者の署名性を重視する「毎日新聞」や「週刊朝日」や「週刊金曜日」は、むしろ例外的な存在です。
  日ごろ実名で書いていない記者が、実名でblog活動を始めることはほとんどありません。
  そもそも、blogの書き手も大きく二つに分かれています。実名で書く人々と、匿名やハンドルネームで書いている人々と、にです。

(この項続く)

(「ガッキィファイター」2005年3月10日号に掲載)





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