板坂元氏の巻 "酒とゴルフは文章の大敵"


■板坂元(いたさか・げん):1922年〜2004年没。中国南京市生まれ。東京大 学大学院文学研究科修士課程修了。武蔵高校、成城大学で教えた後、1957年、 渡英。ケンブリッジ大学を経て、60年、ハーバード大学講師。85年に帰国し、 創価大学客員教授、創価女子短期大学教授。同大副学長も務めた。日本文学、 日本語を教える傍ら、長年の海外生活体験をふまえた鋭い文明批評で知られた。 著書に『日本人の論理構造』『アメリカ診断』『考える技術・書く技術』『板 坂元の江戸再発見』『怯えるアメリカ人』など多数。58年『英文日本百科事典』 を完成させている。
 下記の引用は『何を書くか、どう書くか』(光文社カッパブックス、1980年 5月刊)によった。


《書くことを仕事にしている人の中で、酒を一滴も飲まず覚醒剤に類するもの も絶対に近づけない人が最近はかなり多くなってきた。そういうものが規則正 しい生活を破るものということを、十分に自覚しているからだろう。だいいち 唯一の商売道具である脳細胞を、酒や覚醒剤でダメにするのは自殺行為にひと しい。〔中略〕

 あの名文書きのヘミングウェーが晩年に闘牛や何かについて書いたものは、 読むにたえないほどタガがゆるんでしまっている。伝記を調べてみると、もは や書く能力を失っていたものらしいが、彼の身辺近くにいた人たちは、酒の飲 みすぎによるアル中症状だったと指摘している。逞しい体格のヘミングウェー も、大量の酒に敗れたとでも言おうか。誰よりもそれを知っていた彼が自殺の 道を選んだのは、しかたのないことだったのかもしれない。もっとも、作家ヘ ミングウェーは、それ以前に死んでしまっていたのだろうが。

 ゴルフも、私のまわりのライターと名のつく人で、やっている人にお目にか かったことがない。ほかのスポーツならともかく、ゴルフのように時間をとる スポーツは仕事の邪魔になるし、それだけの経済的余裕がない、というのが彼 らの答えだ。
 競争のはげしいアメリカでは、書くだけで生活を支えている人はわずか二 パーセント、あとは何かほかの仕事を兼ねている人たちである。〔中略〕

 その点で、作家が酒を飲んだりゴルフをしたりを自慢そうに雑誌類に書いて いる日本は、けっこうな作家天国なのかもしれない。待合で芸者をはべらせな がら原稿を書いたという昭和初年の文豪あたりがモデルになって、今もそのマ ネゴトをしているのだろうか。本来、そんな時間の浪費などできるはずがない。 それで十分な取材や思考ができるわけがないではないか。》(同書P202〜P 203)


★日垣によるコメント:「唯一の商売道具である脳細胞」について★━━━★

 アメリカで《書くだけで生活を支えている人はわずか二パーセント、あとは 何かほかの仕事を兼ねている人たちである》というのは、私にはなかなか衝撃 的でした。
 私のようなものが、《書くだけで生活を支えている》ことができているのは、 この国の競争が厳しくないからでしょうか。

 それはともかく、私は物書きになりたてのころ、この文章を読んで酒を原則 としてやめました。原理主義者ではないので、誘われたときには多少のアル コールを口にしますし、野暮ですから他人の酒や覚醒剤やマリファナまで制す ることはしません。主として徴税の便宜から合法か非合法かという違いは明確 にあるにせよ、その能細胞損傷機能と中毒性と犯罪誘発性において、これらに まったく変わるところはありませんので、そのことは強調されていいと思いま す。詳しくは、このメルガマでまた書くことにしましょう。

 私は、自分に何か突出した才能があるとはとうてい思えないので、《唯一の 商売道具である脳細胞》を日々破壊するには忍びなく、できるだけ中毒性のあ るものからは遠ざかろうと願うようになりました。
 おそらく、この問題をどうするかも、それぞれの人生観に逢着するでしょう。

 私の場合は直接であれ間接であれ、他者から助言されて「それは良いことだ」 と思えたものを即日行動に移すことが、35歳くらいから簡単にできるようにな りました。

 どうやってそのような意思を貫き通すのか、と問われることが時々あります。  そうするほうが圧倒的に良い(例えばタバコをやめるとか、人と会う前にた くさん本や資料を読むとかメモをとって内ポケットに隠し持つとか)と思える のに即日行動に移さない人にこそ、「なぜ」と私は問いたい、としか言いよう がありません。

 そのような人たちは、よほど自分に自信があるか、過去の実績と肩書きで勝 負すれば済むと断念したかの、どちらかでしょう。

 誤解のないように言い添えれば、酒もゴルフも、私は若い頃にさんざんやり ました。ですから、例えば酒やゴルフを通じての楽しみは、酒やゴルフがなく ても満喫できるようにはなっています。




(「ガッキィファイター」2005年10月11日号に掲載)

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