第2話 アミッシュと呼ばれる人々
「アミッシュって知ってる?」という友人の言葉で私は初めて彼らの存在を知った。友人はアメリカ中西部インディアナ州のフォートウェインという小さな町に住んでいた。彼を訪問する機会を得て、国際電話で日程を話しているときだった。彼の町の近くにはアミッシュの呼ばれている人々が大勢住んでおり、フォートウェインに来たら彼らの町に私を連れて行くというのだった。
こうして1991年11月私は初めて米国本土を訪れた。シカゴから30人乗り位の小さな飛行機に乗り1時間弱でフォートウェイン上空についた。フォートウェインは黄金色に輝くトウモロコシや麦の畑が見渡す限り続く大平原の中にポツンと作られた小さな町だった。友人は空港まで迎えに来てくれていた。彼の自宅に案内され、翌日の日曜日にグレイビルというアミッシュの町まで連れていってもらった。
車で国道を走っていくと、初心者マークに似た赤い3角のマークを(低速車両を示す)をつけた黒い馬車が何台も国道を走っている事に驚いた。ホース&バギーと呼ばれるこの馬車は、二人乗りの人力車のような車を馬一頭で引くようになっていた。乗っているのは皆カップルである。どの男性もあごひげを生やし、黒か紺のスーツを着て、頭にはユダヤ人がかぶるようなつばの広い帽子をかぶっていた。女性の方は、裾の長い黒のドレスを着て、赤ずきんちゃんの様な、髪の毛と耳をすっぽりおおう白いフードで頭を覆っていた。どのカップルも黒っぽい洋服を着ているので正装して教会に行く途中であることが推察された。黒い馬車が何台も国道をパカパカ走っている光景は、19世紀の開拓時代のアメリカにタイムスリップしたような感じがした。これが初めてみたアミッシュであった。
グレイビルの町につくと、例のホース&バギーが彼らの集会所の近くの駐車場に20台近く止めてあった。駐車場は馬の排泄物が山を作っていて異様な臭いを放っていた。私と友人一家は昼食をこの町でとり、彼らの集会が終わった頃を見計らってアミッシュの住む農場を訪ねた。
飛行機から見えた見渡す限り続く平坦な畑が彼らの農場であった。農場には、土を掘り起こしたり、収穫に使う農機具が置いてあるが、トラクターが見あたらない。馬が何頭もいる所を見ると馬に引かせているみたいだ。この広大な農場をすべて馬で耕しているとは信じ難かった。農場は鮮度の良い野菜や果物が売っているので近郊に住む人々は良く買い物に訪れるという。売っていると言ってもかぼちゃ、じゃがいも、えんどう豆等々を、納屋に山積みにして値札をつけているだけである。納屋の中は非常に暗い。なんと電気の明かりがないのだ。冷蔵庫もない。レジがあるにはあるが、機械式で数字のぼたんを押してレバーを引くとチンと音がして、引き出しが飛び出すとう時代ものだ。冷蔵庫がないから作物はすぐに悪くなってしまう。だから彼らの売り物はすべて取れたてで鮮度がいい。友人の奥さんが野菜を選んでいるとき、見事なあごひげを生やした農夫が、私に「どこから来たんだ?」と聞いてきた。「日本からだよ」と答えると、「へ〜〜〜〜日本!日本だって???日本人をみたのは初めてだよ」と驚いていた。この辺りではアミッシュより日本人の方が珍しいわけだ。
友人は彼らの生活について次の様に説明してくれた。アミッシュは現代文明を完全に拒否して、彼らだけの共同体を作って生活している。ガス、電気、自動車などは一切使わない。写真を写されることも拒む。生活に必要なものはすべて自分たちで作る。ホース&バギーの車輪、車体、家具、家・・・・すべて共同体の中で皆が強力し作るるのだそうだ。明かりは、石油ランプ。テレビ・ラジオ・電話は使わない。情報は共同体を回っている回覧板で伝えるという。家を建てる時彼らはこの回覧板を使って一度に1000人以上の同胞を集めてわずか1日で一気に建ててしまうという。
彼らがこのような生活をしている理由は、彼らのキリスト教信仰にある。彼らは日曜に正装して集会所に集まり礼拝を持つ。牧師や神父といった聖職者はいない。礼拝は英語ではなく、ハイジャーマンと呼ばれるドイツ語の古い方言で守られている。日常会話でさえ、かれらはこのドイツ語を使う。彼らは独自の小中学校を持ち、小学校からこのドイツ語で聖書を教えてきたという。もちろんこれは、法律違反だったのであるが、1972年にはこの学校が正式な小中学校として連邦政府に認められている。
私はアミッシュのルーツに興味を抱き、彼らの歴史について記した本をワシントンで探した。幸いにもカラー写真入りの本を見つけることができた。以下のこの本から調べた彼らのルーツを紹介する。
John V. Wasilichik, "Amish Lite - A Portlait of Plain Living", 1991, Crescent Books, New York.
アミッシュの信仰のルーツは16世紀ヨーロッパにおけるアナバプテスト運動にあった。当時のカソリック教会やプロテスタントの改革派の教会では幼児洗礼を受けたクリスチャンが大人になってから再度洗礼を受けること(再洗礼)を認めていなかった。この再洗礼を忠実に実施し、聖書の記述、キリストの言葉に忠実に従う信仰を守ろうとしたのがアナバプテスト(再洗礼派)と呼ばれた人々であった。1525年スイスのチューリヒでツビングリの弟子たちが師に反発して、アナバプテストの教団「スイス兄弟団」を形成したのが、アナバプテスト運動の始まりであった。1693年スイス兄弟団の牧師であった、Jacob Ammon が率いたグループがアミッシュ(創設者の名前を取ってアンモン派と言う場合もある)であった。
アミッシュは非暴力主義を貫き、徴兵や戦争のための徴税を一切拒否した。また再洗礼を行ったので、他のアナバプテスト諸派同様、カトリックばかりではなくプロテスタントからも、宗教的・社会的迫害を受けた。彼らは、迫害を避けてヨーロッパ各地に散っていった。さらに信仰にのみ生きることをモットーとして生きていくために、アミッシュは新世界「アメリカ」への移住を決意した。1727年から1770年に、彼らはペンシルバニア州ランカスター郡に移住した。ペンシルバニア州は、聖職者の存在を認めず、人間の内に秘められた信仰心を呼び起こすために沈黙の礼拝を行う特異な教義をもつクェーカー教徒のウィリアム・ペンが入植して切り開いた土地である。また、アナバプテストの一派のメノナイトも移民しており、特異な宗派の宗教移民が集中した場所でもあった。19世紀に入り、アミッシュの共同体は中西部のオハイオ、インディアナ、イリノイ各州にも移住していった。20世紀に入ると、ヨーロッパに残されたアミッシュの集落はさまざま迫害を受けて絶滅に至った。しかし、アメリカのアミッシュは教勢をすこしずつ拡大し、現在では全米でその数は12万人に達しているという。
1693年にAmmon が設立した、宗教団体アミッシュが300年間独自の共同体を守って行くことができたのは、自給自足の生活を可能にしたアメリカの広大で豊かな大地と、あらゆる思想信条を持つ人々の自由を認める社会的要因があったからと思われる。しかし、300年独自のライフスタイルを守って来られた本当の理由は、
キリストの教えのままに生きる
というアミッシュの強固な信仰にあったと私は信じる。(1995年、改1999年7月)