私の臨死体験


Anriの臨死体験



  1985年6月の事である。喘息持ちの私は、激しい喘息発作に襲われ病院にいった。喘息の発作から、両方の肺の肺胞が破れて肺と胸腔の間に空気が入り肺が70%位に潰れていた。気胸という病気である。レントゲンを取って肺が潰れていることがわかり直ちに入院ということになった。通常の喘息の治療をするも、呼吸困難は完全には消えなかった。その晩、呼吸困難が消えないので横になって寝ることはできず、食事時ベッドの両脇に掛ける板に突っ伏して休みを取った。呼吸が苦しく寝てられなかった。夜中3時頃だったと思う。苦しかった呼吸がさらに苦しくなり、大発作を起こす。ナースコールでナースを呼ぶ。喘息とは子供の頃からのお付き合いではあるが、こんなにひどい発作を起こしたことはない。突っ伏した体制からまったく動くことができない。肺に息を吸うことができてもほとんど吐けない。苦しい。もうこんな苦しい思いは沢山だ。「神様、どうか私をみもとに召してください。早く楽にして下さい。」と神に祈る。吐けない呼吸の度に何度も何度も祈る。そのうちふと自分の意識がまったく呼吸の苦しさを感じていないことに気が付く。肉体は呼吸が苦しくて七転八倒の苦しみを続けているのに、祈っている自分はまったく苦しみを感じていない。不思議な気持ちだ。「あーこれで神様のみもとに召されるのか」と思う。看護婦が酸素ボンベを運んでくる。当直医を大急ぎで呼びにいってる。当直医があわててかけ込む。彼は、看護婦に薬をもってくるように指示、点滴でステロイド剤を投与する。「あっ」と驚く。自分の肉体を治療している看護婦や医者の姿が見える。自分は病室の天井の片隅からその様子を見ている。「おれはどうしたんだ。自分の身体が見えるなんて。天国に行く途中なのか?」と自問自答する。意識はハッキリしている。治療の光景がハッキリ見える。そんな不思議な状態が30分位続いたろうか、ふっと自分の意識が消えていった。

  意識を失ってから、自分は夢を見た。暗いトンネルの中にいる自分。トンネルの出口は明るい。明るい出口の向こうには素晴らしい美しい花園が見える。幸せそうな、気分がとっても明るくなりそうな、そんな情景が見える。あ〜神様の元にいくんだと、思いつつ、明るい出口を目指して進むのだが、いくら進んでも出口にたどり着かない。「え〜〜どうして。出口まで行けないんだ。」と何度も何度も思う。そんないらいらしたなが〜〜い夢を見ていた。

  朝、病室で目が覚めた。ベッドの横板に突っ伏して寝ていた自分は息をしていた。病室に入り込む太陽がやけにまぶしい。生きてる。生きてるんだ。

  以上が私の臨死体験である。以後私は、死者に同情しなくなった。人間は死の直前はまったく痛み苦しみを感じないという確信があるからだ。自分は魂は肉体から離れることを体験した。魂は永遠に不滅だ。死後も神の元に召されて永遠の命を授かるのだ。死ぬのは恐くない。あの明るい幸せな神様のみもとに召されるだけなのだから。