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書斎日記2008
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小島宏編集
教育開発研究所




読書活用能力の育成
野口芳宏監修・解説
堀裕嗣
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明治図書




明日の教室2
学級をつくる

「明日の教室」研究会・編
ぎょうせい



明日の教室3
授業をつくる

「明日の教室」研究会・編
ぎょうせい



受付前の登壇予定
2010.05.08/国語科授業塾in札幌・3(石川 晋先生)
2010.05.15/累積国研in札幌・26(野中信行先生)
2010.05.16/堀・石川「ふたり会」・2(ゲスト/野中信行先生)
2010.06.19/国語科授業塾in札幌・4(大谷和明先生)
2010.06.26/第26回教師力BRUSH-UPセミナーin函館
2010.07.10/国語科授業塾in札幌・5(山田洋一先生)
2010.07.17/堀・石川「ふたり会」・3(ゲスト/池田 修先生)
2010.07.24/国語科授業塾in札幌・6(堀 裕嗣)
2010.07.30~31/累積国研大会・3(赤坂真二・土作彰・他交渉中)
2010.08.21/中学校学級経営セミナーin札幌・15
2010.08.22/中学校国語科授業づくりセミナーin札幌・13
2010.08.28/中学校国語科授業づくりセミナーin札幌・14
2010.09.11/国語科授業塾in札幌・7(上條晴夫先生)
2010.09.12/堀・石川「ふたり会」・4(ゲスト/上條晴夫先生)
2010.10.16/堀・石川「ふたり会」・5(ゲスト/桃崎剛寿先生)




【2010年2月】
1日(月) いよいよ2月。今年も残り11ヶ月ということだ。授業は4時間。自習監督が一つ。3年2組・7組、1年2組・3組・7組、すべて図書室で読書。生徒たちは静かに本を読む。ぼくも静かに本を読む。いい時間が流れた。空き時間は生徒会関係の事務仕事。放課後は卒業式係会の予定だったのだが、主要メンバーが外勤・年休で流す。そこでぼくも16時10分で年休を取って帰る。帰宅後は6日(土)のセミナー準備。完成。昨日は寝不足だったので、早めに寝る。
2日(火) 1時間目は空き時間。生徒会関係の事務仕事。2時間目は1年6組で自習監督。3時間目は3年8組でリハーサルの5回目。4時間目は1年3組で品詞の分類。昼休みは漢コンの追試4回目。残り9名。満点だけが合格である。5時間目は支払いのために外出。放課後は学年会。年度末反省・修学旅行・学級編制の手順などが議題。18時退勤。帰宅後は7日(日)の野口塾の準備。完成。録画しておいた2時間ドラマを1本見る。これがなかなか出来がいい。
3日(水) 1時間目は1年2組で品詞の分類。2・3・5時間目は3年2・8・7組でリハーサル。6時間目は1年3組で10品詞それぞれの定義と見分け。たった1時間の空き時間は同僚と映画の話で盛り上がる。放課後は生徒指導と生徒会役員指導。明日の全校協議会の準備が完了。17時10分、勤務時間終了と同時に退勤。帰宅後は原稿執筆。
4日(木) 1年2組の担任がお休み。1日学級に入る。学力テスト。試験監督が3つ。3年生の授業が一つ。空き時間は採点。放課後は全校協議会、生徒会規約改正特別委員会、校務部会と会議が三つ。17時退勤。帰宅後、しばらく犬と遊ぶ。その後、昨日録画しておいた「相棒8」を見る。風呂にはいる。PCに向かう。特になんということもない一日。
5日(金) 1年2組で学力テストの返却、10品詞の定義。4・5時間目は3年8・2組で図書室。6時間目は3年7組でリハーサルの7。空き時間はこまごまとした生徒会の仕事。放課後は生徒会役員と送別集会のビデオづくり。更に周年行事検討委員会。帰宅後、明日のセミナー準備。更に学年の飲み会。帰宅は1時過ぎ。
6日(土) 中学校学級経営セミナー。10回連続の10回目。最終である。通算では13回目。10回連続で参加していないとわからない講座の並びにもかかわらず、この日初めて参加という人も多く、二十数名の参加。とりあえず、予定していた10回が滞りなく終わる。セミナーが終了し次第、石川晋の車に乗って帯広へ。吹雪で高速が止まっていて、ずいぶんと時間がかかる。札幌を17時に出て、帯広着は22時過ぎ。それからホテルにチェックインして石川晋と飲む。ねたのは時過ぎ。
7日(日) 野口塾in帯広。ぼくの講座は第一講座。新学習指導要領の「習得」「活用」「探究」の授業モデル。60分。二日酔いでテンションが低かったが、なんとか終わる。森岡くん、小林くんの授業をはさんで、久し振りの野口節。更に懇親会。石川晋と二次会に行き、これまたへべれけ。寝たのは2時過ぎ。




【2010年1月】

1日(金) 元旦。怒濤のように冬休みが1週間過ぎた。7日間すべてに日程が詰まっていたのだが、まあ、悪くない1週間だった。朝起きて、昼寝をし、HPを更新し、「相棒」を見、風呂に入り、音楽を聴きながら書斎を片付ける。予定のない日のぼくの時間の使い方はこんなものである。子供頃、元旦が勉強をしなくても許された日であったように、今日は仕事をしない自分を心から許せる日でもある。それにしてもゆっくりと過ごしたなあ。明日から、またほそぼそと仕事をしようと思う。
2日(土) 昼過ぎに起きてから、ずっとPCに向かってた。仕事をしていたわけじゃなくて、AMAZONのお勧め商品を各カテゴリーごとに1036位まで見続けてた。すげえなあ、みんな趣味いっしょなんだなあ、と妙に感動した。
3日(日) 昼過ぎに起きて部屋の片付け。ずいぶんと綺麗になる。夕方から、梶くん、柏葉くん、山下くんと新年会。
4日(月) 一日中、学級経営論の構想を立てる。夕方から明日出すゴミを整理。その後、更に学級経営論。
5日(火) 一日中、原稿書き。くめさゆりの「天使のパン」を聴きながら。夜はオリビアを聴きながら、HP・ブログの更新をしたあと読書。更に原稿書き。
6日(水) 前日が3時間睡眠だった割には仕事が進む。音楽は日暮し。夕方からチーズフォンデュでワインを少々。ブロッコリーってのはチーズフォンデュにすると別の食べ物になる。安いバケットにも高級感が出てくるから不思議だ。その後、ほろ酔いで読書。高橋幸宏を聴きながら。早めに寝る。
7日(木) 一日中、原稿書き。休憩は勝手にしやがれ、原稿のBGMは岩崎宏美。夜はブルース・スプリングスティーン。取り敢えず、合宿の資料とDVDを完成させる。プリントアウト。
8日(金) 一日中、原稿書き。瀬木貴将を聴きながら。夕方から、年末に録画しておいた「野獣死すべし」を見る。松田優作に撃たれる小林麻美のスローモーションは何度見ても美しい。少なくともぼくが見た女優の中で、小林麻美ほど造形的に美しい女優はいなかった。演技がうまけりゃすごかったのに。いまどうしてるんだろうか。その後、ゆっくりと風呂にはいり、酒を飲む。明日からは寝不足が続くので、早めに寝る。
9日(土) 第5回「研究集団ことのは」合宿in長沼温泉。今年は国語科授業から離れて学級経営・生徒指導。1日目はそれぞれの学級システムについて7人のメンバーが提案。その後、具体的な学級経営システムとそれぞれのプライオリティ、そこから見える学級経営の裏の思想について検討。夕食後、ライフヒストリー・アプローチにかけるために、石川晋の合唱コンクール指導、ぼくの学校祭ステージ指導の各85分講座。朝10時から22時まで。その後、ブレストが2時過ぎまで続く。
10日(日) 2日目。午前中は石川晋、午後はぼくの昨日の講座をライフヒストリーアプローチ検討。それぞれ3時間半ずつ。更に夕食まで、研究方法としての可能性の検討。宴会。ブレストが24時まで。
11日(月) 3日目。田中・山下・森の3人が生徒指導の手法、対応するうえでのプライオリティ、更にその裏にある思想について。次年度の検討。森くん、山下くん、對馬くん、小木の5人で昼食を食べて1月23日の国語セミナーの打ち合わせ。帰宅。犬に大歓迎を受ける。
12日(火) 朝起きてから学級経営論。教が最後の自宅研修なので、途中まで書いたことものに一応のケリをつける。夕方までになんとかケリがついた。夕方から動物美容院へ。薬も切れたので定期検診がてら。帰りに買い物。刺身で一杯。「ことのは合宿」の激論を受けて企画を2本立て、MLにあげる。返信待ち。冬休みはあと二日。明日から出勤である。面倒だが、楽しみでもある。
13日(水) 朝起きて出勤。午前中はこまごまとした事務仕事。午後からは始業式でスピーチする生徒の指導や3年生の自己推薦書の朱入れなど。夕方から床屋。方々とメールのやりとり。いいやりとりができた。今日は美しい日だ。
14日(木) 昨日一日の出勤で冬休み中に予定していた仕事がすべて終わったので、自宅研修に切り替えた。一日中ね先週からやっている原稿の続き。夕方、2010年度1学期の企画を立てるべく、精力的にメールと電話。生活リズムは狂っていないのだが、腹時計が狂っていたのか、朝方4時過ぎまで眠れなかった。
15日(金) 始業式。その後、学年集会。学活。生徒は元気。乱れもない。始業式の生徒代表挨拶がとてもよかった。生徒が帰ったあと学年会が2時間半。みんな空腹。それでも13時半まで続く。それから学年教師11人で蕎麦屋へ。やはり勤務日というのは悪くない。15時過ぎに年休を取って帰宅。寝る。
16日(土) 次年度1学期の企画に関してメールをやりとり。いま特別支援関係の仕事を精力的におこなっている学生時代の友人に電話し、BRUSH-UPセミナー参加への了承を取り付ける。BRUSH-UPにまた強力な人間が一人加わった。夜はたまっていた雑誌原稿を3本書く。これで今年度の連載が終了してひと安心である。次年度4月号の連載原稿も書いてみる。まだ完全ではないが、こんな感じで毎月書いていけばいいな、というフォーマットが出来上がる。もう1本は新しく創刊される雑誌の原稿。これもどんな雑誌になるのか楽しみである。精力的に仕事をした一日だった。真夜中、懐かしいふきのとうのアルバムを聴いてしんみりする。
17日(日) 今日は一日原稿書き。合間に読書。更に合間にプログの更新。それだけの一日。企画が1本増えた。それにしても2010年は本当にアクティヴに動く年になりそうである。いろいろなところにも出かけようと思う。
18日(月) 朝、いつも早く出るが、夏なら6分の通勤時間が渋滞で20分。ぎりぎり間に合う。職員室は渋滞で遅刻者多し。3年生学年末テスト。1・3時間目は試験監督。2時間目は国語。巡回。訂正なし。質問なし。訂正がないのはともかく、質問もないというのは教師生活初。4時間目は集中して採点。5・6時間目は1年2・3組で「ものづくりの知恵」。白鷹さんの釘の図示。白鷹さんの台詞の意味。放課後は採点。なんとか3クラス分が完了。生徒会役員と全校協議会の打ち合わせをしたあと、テストの点数をPCに入力。これで明日は楽になる。17字退勤。帰りもまた20分。帰宅後は、原稿執筆。
19日(火) 朝、8時に家を出たのに遅刻。なんとたった2kmの通勤路に28分かかる。2車線の道が1車線に。バス通りなので、バスがバス停に止まる度に渋滞の車も止まる。その連続。8:25分までに学校に行かなければならないのだが、職員室に入ったのは8:31。朝から2時間の空き時間。明後日の校務部会の提案文書を作成し、3年生の平常点をPCに入力。3時間目は3年生の学年末テストの試験監督。4時間目は1年3組で「ものづくりの知恵」。白鷹さんの最後の台詞がなぜ控えめで誇らしいのか、81~120字でまとめさせる。給食後、銀行と郵便局へ行って支払い。5時間目が漢字コンテストだったので、その採点。放課後は生徒会役員と全校協議会と送別集会の打ち合わせ。終わり次第帰宅。家では土曜日のセミナー準備。BRUSHの新MLに自己紹介が続々とあがってくる。古くからの友人が入会してくれ、とても嬉しく感じる。
20日(水) 1時間目は1年3組で「ものづくりの知恵」。昨日の白鷹さんの台詞に関する論述をグループ交流して練り上げる授業。いよいよ交流中心の授業に入っていく時期が来た。2・3・5時間目は3年2・8・7組でテスト返却。4時間目の空き時間は学年末テストの点数を評定ソフトに入力し評定を出す。6時間目は1年2組で白鷹さんの台詞に対する評価の作文。放課後は生徒会役員と打ち合わせをした後、3年生の成績小票の記入、更に教育課程検討委員会。よく仕事をした1日だが、生産的な仕事は何ひとつしていない。おまけにテスト返却3連発で、喋りすぎたせいか喉が痛い。17時に退勤して、2月分のセミナー案内を発送。ついでにホームセンターで封筒を600部購入。更についでにスーパーで刺身を買ってくる。帰宅後、セミナー準備。妻が帰ってきたところで、刺身で一杯。久し振りの酒。たぶん「ことのは合宿」以来。「相棒」。風呂。ネット。おやすみ。
21日(木) 1時間目は3年2組で敬語。2時間目は1年2組で白鷹さんの台詞に対する解釈交流。3時間目は1年3組で谷内さんの節で指示語。4時間目は空き時間で生徒会関係の買い物に外出。昼休みは漢コンの追試。5時間目は採点、送別集会関係の文書作成、そして明日から始まる3年生の入試対策問題(通称「リハーサル」)の準備。これから紐を切り、箱を開け、箱から出し、とけっこう時間がかかる。なにせ数が多い。大規模校というのはこんなことが大変な作業になってしまう。放課後は全校協議会。生徒会規約改定特別委員会の発足。そのあと校務部会。更に生徒会関係の動きについて、教頭先生と詰めの打ち合わせ。17:30退勤。帰宅途中にエンプティ・ランプがついたのでガソリンスタンドへ。帰宅後は土曜日のセミナー準備。23時近くになって完成。なんとか間に合った。梅酒でも飲んで寝ることにしよう。
22日(金) 今日はためしにいつもと違う道路を通る。少し遠回り。15分で学校に着く。しばらくこの道で通ってみることしよう。1時間目は1年2組で谷内さんの節の指示語。2・3時間目は空き時間。職員会議提案文書の印刷をしたあとは読書。4時間目は3年8組、5時間目は3年2組でリハーサルの1回目。6時間目は3年7組で敬語。放課後は書き初めの審査を国語の先生方と。その後、成績子票の訂正、ついでに教務主任としばらく話す。17時15分に退勤。帰宅後、原稿執筆。義兄から毛ガニが届き、それを冷や酒といっしょに食す。美味。毛ガニはかなりでかい。それも二はい。たらふく喰って、風呂。明日のセミナーに備えて早めに寝る。
23日(土) 第10回の国語科授業改革セミナー。今回の売りはQA型のワークショップを90もの時間を使って一日の最初にもってきたこと。参加者の意識を耕すのにある程度成功していたのではないか。その後、「国語科授業づくり・AtoZ」と題して、山下くんの物語、森くんの説明文、ぼくの詩の授業という3本の90分講座。理念的なことではなく、実践的なことを具体的に語るのが中心。若い方々を中心に評価の高い一日。やってよかったなという会になった。その後、三人で小宴。話題が多岐にわたり、いじりいじりあいのとても楽しい時間。森くんが調子に乗っていた(笑)。
24日(日) 自分では意識していなかったのだけれど、疲れていたのだろう。昼過ぎに起きて、メールを確認して、音楽を流しながら、昨日暇つぶしに買ったつまらない短編を3つ読む。別の音楽を聴き、ブログを更新し、雑誌原稿を一本書き、ついでに同人誌原稿も……と思って、やはりやめる。次の短編2本を読み、プログを更新し、ゆっくりと風呂に入り、ホッケみりんとシジミの味噌汁の夕食。こういう質素な夕食が一番うまい。今日の学びは、初期の中島みゆきを夜に一人で聴いてはいけない、ということ(笑)。24時になってので寝る。明日からは時間に余裕のある1週間になる。これから2週間で2本の講座をつくらなければならないのだが、まあ、つくれるだろう。気がつくと、あと1週間で、2010年が残り11ヶ月になる。
25日(月) 1時間目~3時間目まで、3年生3クラスでリハーサル。適度に読書。適度に解説。その後、授業もなく、放課後の予定も特になかったので、12時過ぎに年休。家でゆっくり過ごす。テレビを見たり、本を読んだり。そんなことをしているうちに時間というものは過ぎていく。この何もしない時間というのがたまらなく好きである。
26日(火) 1時間目と4時間目は1年2・3組で「ものづくりの知恵」。谷内さんの台詞に対する筆者の捉えについてグループ交流。3時間目は3年8組でリハーサルの3回目。昼休みは漢コンの追試。2・5時間目の空き時間は学年反省を書いたり、教科の会計処理をしたり、生徒会規約の直すべきところを検討したり、といったこまごまとした事務仕事。放課後は職員会議。次年度の学校祭の骨格を提案して通した。先日のセミナーの参加者から葉書が届く。こういうのは励みになる。帰宅後は本当にゆっくりと風呂につかる。4ヶ月計画で思った通りの形で学校祭の骨格を通した。たぶんこの仕事の仕方は提案性がある。その後、2月6日(土)のセミナー準備。15分のプレゼンを2本行う予定。1本は簡単なのだが、もう1本がどの視点から切り取るか決めかねている。
27日(水) 1時間目は1年2組。「ものづくりの知恵」の青木さんの節の指示語。2・3・5時間目は3年2・8・7組でリハーサル。6時間目は1年3組で内容は2組と同じ。空き時間は生徒会規約改正特別委員会の準備。放課後はこの特別委員会を生徒達と十数名で。その後、生徒会規約改正について管理職と打ち合わせ。話は次年度の40周年事業へ。18時過ぎに学校を出て白石区民センターに行き、4/3(土)の仮予約。仮予約は一人一部屋しか出来ないことがわかり、急遽、大野さんに電話をしてネットで仮予約してもらう。帰宅後は他人に頼まれているこまごまとした仕事を片づける。その後、セミナー準備。
28日(木) 1時間目は1年2組で「ものづくりの知恵」のまとめ。2時間目は3年7組でリハーサル3回目。4時間目は自習監督。昼休みは漢コンの追試。空き時間は夢中で読書。放課後は調査書点検。帰宅途中にTSUTAYAに先日のセミナーで使ったCDを返しに行く。そのままビデオをずーっと見ている。いつか見たいなあと思うものをたくさん見つける。それでも今後の日程を思い浮かべると、借りようという気にまではならない。
29日(金) 授業は4時間。1年3組で「ものづくりの知恵」のまとめ。3年2・7組でリハーサル。3年8組はリハーサルの息抜きに図書室で読書。今日は1年6組の担任が途中で用事が出来て変えるというので、学級にはいる。給食と昼清掃と帰り学活。慣れない学級にはいるのもたまにはいいもんだ。私用のため、16時過ぎに年休。
30日(土) 昼間はいろいろと思考を整理する時間に使う。読んだ本のに内容を整理したり、それをどのようにセミナーに活かすことができるかを考えたり。夕方から久し振りに山田洋一くんと飲む。5時間ほど、酒を飲みながら鴨鍋をつつき、いろいろと話し込む。楽しい時間だった。彼はやはり一方の雄である。
31日(日) 昼過ぎに起きて、セミナーの準備。6日(土)の中学校学級経営セミナーのPPTをつくる。短い提案なので、ワークショップはなし。「いま、教育界に何が起こっているか」というテーマに沿った、重厚な提案になりそうな気配。夏から秋に向けて、イベント関係のメールのやりとり。
イベント情報
以下の研究会の申し込みは次の7点をお書きの上,Eメールにて下記まで御連絡ください。
1.氏名/2.勤務校/3.郵便番号/4.住所/5.電話番号/6.FAX番号(ない場合には「なし」と明記)/7.メールアドレス(なし場合には「なし」と明記)

對馬義幸(つしま・よしゆき)E-mail: yontsussy34@K3.dion.ne.jp

第25回累積科学国語教育研究会in札幌/2010年2月13日(土)
学力向上・活用力向上への道 第一弾
新学習指導要領キーワード「習得・活用・探究」「言語活動例」
~「話すこと・聞くこと」領域の学年別系統案~

札幌市生涯学習センター「ちえりあ」/参加費3000円
大谷和明・横藤雅人・南山潤司・森寛・堀裕嗣

第11回国語科授業改革セミナーin札幌/2010年2月20日(土)
国語科授業づくり・AtoZ/話すこと・聞くこと編
~教材研究から授業中の軌道修正まで~

札幌市生涯学習センター「ちえりあ」/参加費3000円
堀裕嗣・森寛・山下幸

第5回教室実践力研究会in札幌/2010年2月27日(土)
ふたり会/堀 裕嗣・石川 晋
〈教師〉は本来、楽しくやり甲斐のある仕事だったはず
授業づくりも学級づくりも楽しくなる〈教育観〉〈仕事観〉そして〈スキル〉

札幌市生涯学習センター「ちえりあ」/参加費3000円
堀裕嗣・石川晋

BLOG「裕弁は銀・沈黙は金~堀裕嗣.com」~今日のひとこと


謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

今年は久し振りに〈動く年〉にしようと思っています。外に出て行って、対外試合を志向する年ということです。80年代から〈スキル〉ということがずいぶんと言われ、〈スキル〉を高めることが教師の力量形成として大切にされてきましたが、いま、〈スキル〉をよりよく機能させるための土壌が壊れてきているようです。「壊れてきている」というよりも「薄まってきている」といった方が適切かも知れません。若い先生方が〈スキル〉よりはむしろ〈システム〉がないことを要因に苦労しているようにぼくには見えます。

かつては教師がわざわざ〈システム〉を敷かなくても、学校という装置自体が〈システム〉をつくってくれていました。かつてのぼくも含めて、若い教師は〈システム〉に無意識でもなんとか仕事をしていけたのだと思います。しかし、時代は変わり、いま力量のある教師はみな、自らの〈スキル〉が機能するような〈システム〉を自覚的に自分の学級経営や教科経営につくっているように感じています。力量のある教師と力量のない教師との差がネタの開発やスキルの獲得よりも、むしろ一貫した〈システム〉の構築、〈空気〉の醸成に自覚的であるか否かに見られる、そんな感じがしています。

今年は久し振りに〈頼まれたら断らない年〉にします。たまっている出版企画にも手をつけようと思います。

また、ここ数年、地道に地元で活動してきた成果を、ある程度大きな舞台で提案する年にしようとも思っています。いわば、〈カーニヴァル〉を志向する年にするわけです。まだ企画が固まっていないので詳しくは書けませんが、夏にはこれまでにない形のお祭りを企画しています。

ここ4年間、職場が遠かったものですから、なんとなく体力に自信もなくなり、外に出る気力も減退していましたが、昨年の1年間で近い学校に転勤し、担任を外れ、また大規模校への転勤だったせいで、更には自分よりも年齢が上の方々がたくさんいるという環境に身を置くことができたおかげで、久し振りにずいぶんと活動的になることができました。

去年の秋頃から、ずいぶんといろいろな依頼や打診をいただきました。まあ、いろいろと考えるところはありますし、具体的で小さな障壁もあるわけですが、取り敢えずこの決意を宣言することによって、2010年という年を充実したものにしていきたいと考えています。

本年もよろしくお願いいたします。



教育と平等/2010.01.28(木)


「教育と平等 大衆教育社会はいかに生成したか苅谷剛彦/中公新書/2009.06.25

私より11歳年長のこの著者に対して、最大限の尊敬を禁じ得ない。見事である。見事な研究者である。我が国の教育界が誇る頭脳である。他を圧倒する頭脳である。そして、他を圧倒する研究態度である。

私はこれまで、1万冊をゆうに超える書物を読んできたけれど、いかなる感動的な小説よりも、いかなる感動的な評論よりも、この書の論理の完璧さに感動した。「二十四の瞳」よりも、「おおきな木」よりも、「監獄の誕生」よりも、「太陽と鐵」よりも、いや、自分の処女作を上梓したときよりも、今日、この書を読み終わった瞬間の感動のほうが大きかった。まったく見事な研究であり、まったく見事な分析であり、まったく見事な論理であり、まさに「完璧な仕事」である。

世に教育を語る二項対立は多々ある。

経験主義か系統主義かはもとより、学力向上かゆとり教育か、個人主義か全体主義か、中央集権か地方分権か、文科省か日教組か、理論か実践か、理想主義か現場主義か、なんでもいい。とにかく、この書は、我が国が陥ってきた教育界の種々の二項対立をすべて超え、解消して見せた。それも詳細にして誠実なデータ分析と、苅谷自身がもつ日本の教育に対するロマンティシズム、もっといえば苅谷自身の日本人に対する愛との融合によって。もう教育社会学というよりは、民俗学といったほうがしっくりくるような書である。それでいて、データ収集とその分析、見事な構造的把握の仕方は紛れもなく教育社会学である。

なんという感動……。

15年前、「大衆教育社会のゆくえ」によって苅谷剛彦と出逢ったとき、私は苅谷の仕事を、いかにも教育社会学的な知見によって一般大衆に見えない構造をあばくことを核とした研究者だと捉えていた。こういう捉えをしたのは、私がまだ二十代だったということもあったかもしれない。しかし、苅谷の仕事の意味はまったく違っていた。いや、私がこの15年で成長したのと同様、苅谷も四十代から五十代へという中で成長したのかもしれない。それは私ごときにはわからない。

少なくともこの書において、苅谷の動機は日本の教育に携わる者への応援歌となっている。それも、文部行政からとか、日教組からとか、中央行政からとか、地方行政からとか、研究者からとか、教育現場からとか、地教委からとか、労働者としての教員からとか、都市の学校現場からとか、僻地の学校現場からとか、そういう立場には一切関係なく、すべての教育に携わる者への、ただ教育に携わる者という共通項に対してへの、完璧なる応援歌となっている。しかもそこには、日本人への「愛」を基盤にもっている。苅谷自身が日本という国を愛しており、日本の教育を純粋に憂いて書いているという、そうしたロマンティシズムに貫かれている。

素晴らしい。私は我が国が苅谷剛彦という研究者を生んだことを誇りに思う。それほどに素晴らしい。

苅谷が東大からオックスフォードに移ったとき、私は哀しく思ったものである。ああ、苅谷も名声を選んで海外に移ったかと。しかし、この書を読んで、おそらく苅谷はあくまで日本の教育制度に対して提案するために、欧米の教育制度のデータを集めに行ったのだと確信した。たぶん10年の後に、再び日本に戻ってくる。そのときには、我が国の教育制度を根本から変えつつ、これまでのすべての教育課題を解決するような提案を手みやげに戻るに違いない。そうも確信した。

さあ、この書が世に出てしまった以上、もうすべての教育を語る者は、少なくとも大小にかかわらず教育を〈システム〉として考えざるを得ない者は、この書を読まずして、この書の分析を踏まえずして語ることは許されないと思う。文科省はもちろん、日教組も、マスコミ人も、教育研究者も、教育実践家も、教育長も、校長も教頭も、学級経営をする一介の教師でさえ、もうこの書の論旨を無視して教育活動を展開することは許されないと思う。

苅谷が自らのロマンティシズムを出来うる限り表に出さずに、出来うる限り冷静に、誠実に、歴史的なデータと言説とを追って辿り着いたこの結論を踏まえることなく、もう教育を語ってはいけないと思う。

なんとこの書は昨年の6月に刊行されている。私は今年度、実践型の教育セミナーにかまけて苅谷を読む気分には至らず、この書を買ったまま積ん読しておいたことを後悔した。なぜもっと早く読まなかったか。自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。

この国の教育に携わる者たちよ。私たちは同志である。戦前からの共同幻想的トラウマを、私たちは無意識につながり合うことによって解消してきたのだ。つまらない表層に自己批判をするんじゃない。自らの国の教育に誇りを失うんじゃない。私たちは自信をもって良いのだよ。

この書は、私たちにそう投げかけている。

私はいま、苅谷剛彦と同時代を生きることのできる幸せを噛み締めている。そして、オックスフォードで集めたデータを、これまた冷静に誠実に分析した結果として、この国の教育を動かすための提案がなされる日を待ち望んでいる。

ああ、森田に読ませたかった……。

【追記】

このブログを読んでいる教育関係者に堀からのメッセージである。まだこの書が未読であるならば、すぐに買いなさい。そしてすぐに読みなさい。仕事なんて一日くらい休んでもかまわない。そんなことはこの書を読むことに比べたら、価値などないに等しい。そしてこの書を読んで感動できたか否か、これが、あなたが我が国の教育課題について本気で考えてきたかどうかの試金石になる。それほどの書である。



ゆるい講座/2010.01.24(日)

準備1時間。いつもと比べて手抜きの講座……といっては言葉が悪いが、ごくごく簡単につくった講座だった。これの評判がいいというのは、ちょっと複雑。なんとも皮肉。

まあ、詩については学生時代から最も研究(というには半端なのだが)してきた領域で、準備しなくても口頭で語れることが多かったのは確か。また、なにせ本文が短いので、常に全体像を提示しながら細かなことを語れるというのもミソ。やっぱり物語や小説の講座とは一線を画す。おそらくそういうことなのだろう。

今回は21歳のときに綴った自作の詩を教材候補の一つとして提示したのだが、三木露風の「赤とんぼ」、まど・みちおの「キリン」と比べて、ぼくの詩の方がいいと感じてくれた参加者が5人もいた(笑)。嬉しいのは嬉しいのだが、この出来の悪い詩を好んでくれる人がいたのは問題と言えば問題なのかもしれない。

学生時代、年に数編の詩を創作することがゼミのならいだった。毎年、浜益村の民宿でゼミ合宿をする際、二十数名のゼミ生が全員一遍ずつ詩を編む。作者を伏して一覧にした創作詩をみんなで解釈し合い、作者をあてっこする。だれもが楽しみにしている夏のイベントだった。感性の陶冶……創作なくして詩心は感受できない、そんな合い言葉に奮い立ったのを昨日のように想い出す。今回提示したのは、そんなゼミ合宿に提出した創作詩の一つである。大学2年、21歳の作である。

Akikoからもリクエストがあったので、全文をあげておく。

   わすれもの

    なみだ
    ときにかなしくて
    ときにくやしくて
    ときにうれしくて

    放り出されたリュックサック
    机に貼ったシール
    徹夜で縫ったハチマキ
    校庭に折れたミニスキー

    なにもかもがなつかしい
    おおきな
    おおきな
    わすれもの

この詩をいいと言ってくれた参加者には申し訳ないのだが、この詩は駄作である。まず韻律が悪い。論理的にも言葉の結びつきが弱く、直接的な形象性だけに頼り切っている。象徴的な表現も皆無で、読者にとっても作者にとっても何一つ発見がない。センスのない歌詞みたいなものに過ぎない。言ってみれば、昔、「My詩集」でよく見かけたような、甘ったるい詩である。

つくった本人から見れば、あたりまえである。ゼミ合宿の作者あてっこで、自分が作者だとあてられないような甘ったるい詩を、つまりは作者がゼミの女の子だとみんなが思うであろうようなものを、わざとつくって提出したのだから。つまりは遊びでつくった詩なのである。これをまじめに受け取られても困る。

さて、講座である。

今回は講座の全体構成を大きなワークショップとして位置づけた。つまり、詩教材としてのふさわしさとは何かを参加者に考えてもらって交流してもらう。それを受けて、ぼくが詩教材の特性について、良い詩教材とは何かについて、ちょっとしたワークを用いて3点あげる。その3点を学んだうえで、もう一度、冒頭の問いに戻って交流する。こういう構成である。ぼくがよく使う授業構成でもある。

冒頭のワークと最後のワークで変容が見られれば良し。変容が見られなくても、深まっていれば良し。そうした変容分析が授業では評価対象となる。まあ、講座ではそこまでは求めなかったけれど。ただけっこうおもしろい議論が交わされていたのは耳に入ってきたことだけは確か。

スライドは全部で9枚。三編の詩を載せた教材プリントが1枚。たったこれだけで90分。参加者同士の交流が約20分。模擬授業が約30分。「赤とんぼ」のCDをみんなで聞いていた時間が約10分。まあ、長い講座というのはこのくらいのゆるさがちょうどいいのかもしれない。

今年は、これでもかと情報を提示する講座構成を廃して、ゆるい講座ばかりでいこうと思っている。そのほうが参加者も疲れない。そして何より、ぼくも疲れないで済む(笑)。



YokoとAkiko/2010.01.19(火)

11月上旬だったと思う。

すすきの。22時頃。すでにべろべろで、友人の言われるままに小さな店にはいった。あぶり鯖がうまくて更に調子よく飲んでいたのだが、店の女の子(女将)の顔にどこか見覚えがある。その女将の実兄という男が隣に座っていて、話をしているうちに名刺をもらった。Tという苗字。

これですべてがつながった。

「おまえ、T.Yokoか」

女将はきょとんとした顔。

「堀だ」とひと言、私。

「堀せんせい~」とYoko。

Yokoは私がはじめてもった学級、1年2組の生徒である。新卒の年だから、既に20年近く前のこと。2~3年は隣の学級で国語の授業だけは受け持っていた。

数年前、旦那といっしょにこの店を始めたという。旦那には悪いが、中学生のときとほとんど顔が変わっていない。どうりで見覚えがあるはずである。

Yokoの料理の腕はよくわからない(きっとたいしたことはないのだろう)のだが、旦那の腕は確かである。札幌在住の方は是非。下記にブログがある。

酒 めし いづ屋/札幌市中央区南4条西5丁目第四藤井ビル2階

ここに私のことも書いてある。しかし、私の話は前置きに過ぎない。で、本題はピスタチオ。20年振りに会った昔の担任はピスタチオに負けるらしい(笑)。

私はめったにすすきのに出ないので、まだ2回しか行っていないのだが、今後、数人での二次会は常にここと決めている。

今日、このブログにコメントを寄せてくれたAkiko。この子もこのクラス、1年2組の子である。こちらは3年間、担任だった。

中学1年生だというのに大人びていて、正論しか言わない。私は「おまえはふけてるなあ」とよくからかったものである。Akikoはそんなとき、「どうせわたしはふけてます」と受け流していた。そういうところも大人びていた。

けっこう言いつけたことはなんでも完璧にこなす、能力の高い子でもあった。学校祭のたびに会計を頼み、現金をわたして領収書をどんどんわたす。すると学校祭が終わったときには帳簿ができている。そんな子だった。

あの頃は学校もまだなごやかで、こんなことも許されていた。いや、こんなことをしていたのは私だけで許されてなどいなかったのかもしれない。

そういや、母親(Emiちゃん)が魚屋でパートをしていて、ほっけをくれたりしてたっけ。家庭訪問は毎年、必ずその日の最後にして、夕食も食わせてもらっていたっけ。当時は私も25歳。25歳独身の若者にには保護者も優しい。43歳の髭のおっさんには、だれもほっけなんてくれない(笑)。

Yosuke.Kという男の子からも、毎年、年賀状が来る。私たちが「ハナ」と呼んでいた、小っちゃな男の子である。一人息子は5歳になったようだ。キューちゃんという猫を飼っている。

よくぼくのブログにわけのわからない、自己否定・社会批判の長いコメントを寄せるKazuもこのクラスである。

いい時代になったものだ。ネットがなければ、この4人のうち、何人と連絡を取り合えただろうか。最近になって、ずいぶんと教え子から突然のメールをいただく。



破綻をハジョウと読むこと/2010.01.15(金)

「いやあ…授業で予定していた計画がすぐにハジョウしちゃうんですよね」

今日、勤務校の若手教師と話をしていて、彼がまじめな顔をして言ったひと言。ぼくはすぐに「ああ、破綻の言い間違いだな……」とわかったのだが、こういうのを指摘されると恥ずかしいものなので、指摘しようか指摘するまいか迷っていた。

ぼくが迷っているうちに、彼は「ハジョウ」という言葉を4回使った。彼はいつから「ハジョウ」という言葉を使っているのだろう。いつ覚えた言葉なんだろう。少なくともその言葉は活字で読んで覚えたに違いない。音声言語なら「破綻」とちゃんと読めているはずだ。

では、この若者は「ハタン」という言葉を知らないのだろうか。いや、そんなはずはないだろう。「ハタン」という言葉を20年以上一度も聞くことなく生きてくることはできないはずだ。理解語彙どころか、もしかしたら使用語彙にもなっているのではないか。

そこまで考えたとき、ぼくは彼に訊いてみた。

「ハジョウだけどさ、似たような言葉にハタンって言葉があるよね。ニュアンス的にどう違うのかな。」

彼は言った。

「授業みたいにその場が壊れるのはハジョウです。結婚生活とか友情みたいに人間関係が壊れるのがハタンじゃないですかね。」

なるほど。ぼくにはまったく理解できなかったが、言葉を間違って覚えると、間違ったなりの語感が形成され、新しい言語世界が生まれるのである。ぼくは彼をバカにしてこう書いているのではない。言葉とはまさにそういうものなのだ、ということである。

かつて内田樹が英語の「devil fish」を引いて、エイとタコをまとめて「devil fish」と呼ぶ英語圏では日本人のもたないこの概念をもっている、言語が異なるとこういうことが多々あるわけで、やはり言語こそが世界をつくっているのだ、というようなことを述べていたが、この若者にも同じ構造が見て取れる。もちろん次元が違うと言ってしまえばそれまでだが、確かにぼくとは異なった概念をもっているのは確かである。少なくとも彼は「ハジョウ」と「ハタン」とを使い分けているのである。

さて、ここで迷った。「破綻」は「ハタン」なのだと教えることは簡単である。しかし、それを教えたとたん、間違いなく彼は「ハジョウ」と「ハタン」の使い分けの概念を失う。間違ってるんだからそれでいいじゃん……というのもわかる。しかし、しかしである。このつまらない規範とは異なる、ほんの少しの別世界をもってる彼に対して、ぼくが、国語教師だからとか先輩だからとかそんなあまりにもつまらない理由によってあまりにもつまらない指導をし、彼が数年かかって築いてきた「ハジョウ」と「ハタン」との使い分けの言語感覚を奪われてしまうとしたら……、果たしてそれは良いことなのだろうか。

結局、ぼくは彼の言葉を「なるほどね。そうかもね」と引き取って、彼の世界を壊さなかった。ぼくのしたことがいいことなのか悪いことなのか、それはわからない(笑)。

しかし、彼はこのHPを読んでるから、いずれ知るはずである。本人はブログにまで書かれてバカにされたとしか思わないだろうが、ぼくはいたってまじめに考えて書いている。



すとっぷも~しょん授業検討&らいふひすとり~あぷろ~ち&ふぁしりて~しょん/2010.01.12(火)

ことのは合宿からまる一日が経つ。今夜は合宿での討議を経て新年度の企画を2本つくってみた。研究会企画として一日通しての企画を考えてみると、これはおそらくうまくいくなあ……という直感みたいなものがわいてきた。ただし、人は集まらないだろうなあ、というのも実感である。20人くらい集まれば御の字と考えなければならないだろう。

簡単に言えば、新たな企画はある人物が模擬授業をして、その授業者がどのような意図をもって授業をしたかを「ストップモーション授業検討」でみんなで検討、その後に「ライフヒストリー・アプローチ」でどのようにそのような授業意図が形成されてきたかを明らかにしようというものだ。

「ストップモーション授業検討」で参加者も充分にその授業意図を把握することによって、討議に参加する地盤を耕す。おそらく、これを経ていれば、「ライフヒストリー・アプローチ」の長時間もかなり興味をもって参加することができるだろう。更に、60分のシェアリングはファシリテーションの手法である。4~6人の小グループで学びをシェアし、グラフィック化していく予定だ。こうした三手法のセットによって、「なぜ、その授業をおこなうのか」「なぜ、その授業が生まれたのか」「授業を作るうえで考えなければならない範囲はどのくらいなのか」という3点が明らかになっていくはずである。

問題はあまりそれぞれの手法のあるべき仕方にこだわり過ぎないこと。「ストップモーション授業検討&ライフヒストリー・アプローチ&ファシリテーション」ではなく、「すとっぷも~しょん授業検討&らいふひすとり~あぷろ~ち&ふぁしりて~しょん」くらいのつもりでいるのがいい。

ただ、模擬授業の具体からできるだけ離れないようにすることが、研究会としての成功には必要だろうと思う。これだけは肝に銘じたい。「ライフヒストリー・アプローチ」本来の性格には反する手法だが、なんといったって、これは「らいふひすとり~あぷろ~ち」なのである。

現実はこんなふうに割り切った方が成果が出る場合が多いものだ。



ぼくの絶望感は深い/2010.01.11(月)

「頑張れば頑張るほど損をするシステム」

ことのは合宿の中でこのフレーズが出た。討議のさなか、何気ない発言として出たものだ。教員世界は頑張れば頑張るほど損するようにできている、と。

確かにそうである。少なくとも、時間・労力といった費やすものと成果・実入りといった得られるものとを比較した場合、時間・労力を費やして努力すればするほど、どんどん仕事が増えていく。できる人と思われると際限なく仕事が増えていく。あの人にまかせておけば大丈夫。あの人にお願いすれば大丈夫。あの人に任せよう、あの人にお願いしよう、そうなっていく。

経済効率の観点で考えてみると、確かにこれが現実のようである。もちろん、子ども相手の学級経営や授業への取り組みの話ではない。校務分掌上の事務仕事や外部団体の運営業務のことである。

校務分掌上の事務仕事や外部団体の運営業務というものは、一般に実入りの少ない仕事である。もちろん、例えば昇進を目指しているとか、ステイタスを高めることを目指しているとか、外発的な動機があれば別である。実力者と呼ばれる校長などは「昇進」や「よい転勤先」なんかをちらつかせながらこうした仕事を依頼する場合が多い。官製研や半官半民研の運営などにもこの構図があてはまることが多い。要するに、その仕事の外に目的がある場合には頑張る必然性が生まれる。

ぼくなどはいかなる仕事であっても、楽しむことができるタイプだが、それは教師の仕事のすべてにおいて原理・原則をまとめて理論化してみたい……なんていうことを趣味としている珍しい人間だからである。例えば、事務仕事が怒濤のように押し寄せてきているときには「仕事の優先順位」と「効率化の仕事術」に関する原理・原則をまとめられないかと考え、研究会の運営を頼まれれば「研究会運営マネジメント」に関する原理・原則をまとめられないかと考えながら仕事をするタイプである。つまり、その仕事の中に目的を生み出すわけだ。しかし、こんな考え方をする人間は超少数派だと思う。でも、こんな感じでいろいろなことに取り組んできたぼくのような人間も、最近は、仕事の中心が他人の面倒を見ることになってしまってまで、依頼を受け続ける必要もない……なんていうエゴイスティックな動き方をするようになってしまっている。

結局、頑張れば頑張るほど仕事が集中するというシステムは、職員室のように、管理職昇進しか対価がないような鍋ぶた組織には向かないのである。教職を労働として考えている人には頑張れば休みが増える、研究をしたいと考えている人には頑張れば大学院派遣が許される、教職が心底好きな人には頑張れば3年間学級経営と授業だけに専念させてもらえる、お金が欲しいという人には頑張れば給料が3号俸上がる、こんなふうに少し多様な外発動機を認めなければ、なかなか頑張る人は増えないだろうと思う。

教員評価、つまり教員に対する人事考課が収入アップだけという単線的な対価でおこなわれていることが、どうも教職員の意欲減退につながっているように見える。「もっと金を」「もっと地位を」「もっと名誉を」という、一般的にポジティヴと考えられている対価では、動かない者が多い。それが職員室の大きな特徴なのである。

ぼくはここ2年ほどで、これまでそれなりに頑張ってきた公的な研究団体や半官半民的な研究団体から次々に離脱している。

例えばある国語研究組織。新卒2年目からずーっと所属する部署の三役として仕事を続けてきた。研究主題をつくり、研究仮説をつくり、研究構造図をつくり、研究計画を立て、他人の研究授業を一生懸命につくってきた。ぼくが一生懸命につくれば、ぼくが転勤したとき、それを元にして新しい担当者がそれを発展させてくれ、ぼくもそれを見て勉強することができる。そういう構造が生まれると信じていた。

でも、そうはならなかった。ぼくがその区から転勤しても、ぼくが国語部会から抜けてしまってさえ、ぼくがつくった研究計画はそのまま使われ続けることが多い。他者によって発展するなんてことはまずない。いや、まずないなんてことではなく、正直に言えば、一度も見たことがない。結局、その研究は自分が発展させていくしかないのである。頑張っても結局発展なんかせず、自分の研究にしかならないのなら、共同研究なんて必要ないではないか。ぼくの絶望感は深い。

ぼくがかつて入っていた半官半民の研究団体もそうである。なあなあの研究で、下からだれかが出てくるのを待つ。後進を育てるなんていうシステムはまったくない。学生時代の恩師といっしょに現場に出てからも研究を重ね、後輩が教職に就くたびに入会させ、ダメ出しに次ぐダメ出しでなんとしても育てる……共同研究をする中で、こんなことを目的的に、しかも日常的におこなうことを当然として教員生活を送ってきたぼくから見ると、どう考えてもその研究団体はぬるかった。しかも人間関係のしがらみとか、好き嫌いとか、そういうことで人事が動きすぎる。ぼくの絶望感は深い。

ぼくは1年前、自由を得ることにした。こういう研究会からすべて抜けてしまい、国語の研究関係の管理職のいない、しがらみのないところに転勤させて欲しいということを筆頭理由にして転勤した。2009年度、ぼくは自由を謳歌できるようになった。校長には早々に管理職試験を受けるつもりがないことを宣言し、ふつうに働くことを選んだ。まわりもぼくのことを外でいろいろやっているようだが、どうやら上を目指しているのではないようだという認識だけはもってくれている。これほど精神的に楽なことはない。

校内でももちろんしがらみは生まれる。しかし、ごく近しい距離で、いっしょに仕事をしている人たちとしがらむのは普通のことであり当然のことである。ぼくはそういうのはまったくいやではない。むしろ歓迎である。むしろそういうしがらみを乗り越えて自分の力を発揮しようと思っている。もしもどうしようもなくなったときには、転勤によって、職場からは逃げることもできる。そういう期間限定的な気楽さがある。

しかし、先ほどのような研究団体は転勤しようが何をしようが、いつまでもついてまわる。自分自身が退職するまでついてまわる。しかも利用されることも多い。ある研究会で自分の役割は終えたなと休んでいたところ、突如、10分後の研究協議に研究担当として登壇しろと言われたことがある。仕方がないから、数百人の前でその日の研究授業に対する質問に対して答弁した。何分くらいだったろうか。たぶん1時間くらいだろう。ある人が紀要原稿に穴を開けたから、「堀さん、書いてくれないか」と言われて、次の日までに穴を埋めたこともある。締め切りが次の日だったのだから仕方がない。しかし、ぼくは大きく疑問だ。こういうことのある共同研究は共同研究の名に値するのだろうか。

研究協議の答弁は下の者に頼まないで、責任ある立場の者がやるべきではないか。下の者が原稿に穴を開けたら、それを埋めるのはその直接の上司ではないのか。それが通常の組織ではないのか。できる人間にあてる、できる人間に頼む。そのできる人間が逃げたら、逃げたと責める。もう組織の体をなしていない。結局、研究を純粋に目的とした研究団体ではなく、あくまでも外発的な目的と連動した研究団体だからこういうことになるのだ。地位が上に行けば行くほど研究に深い造詣を持つ。それが研究団体のあるべき姿なのである。研究について詳しくない者は上に立ってはいけないのだ。それが研究団体なのだ。

ぼくの絶望は深い。

まあ、もうやめたのだから、もういい。最初で最後の愚痴だ。

さようなら、かつて愛した研究団体たちよ。私はしょせん、あなたたちとは無縁の存在であった。



知ることが必ずしも絶対善ではない/2010.01.07(木)

知ることが必ずしも絶対善とは限らない。

最近よく思うことである。それは自分の実感3割、他人の話から6割、書籍の情報1割、そのくらいの比率でぐちゃぐちゃとこねまわし、半年くらいコトコト煮込んだ結果として、たどりついた結論である。

まず自分の実感の話からすると、20代から30代半ばくらいまでは、とにかく知ることがおもしろくて仕方がなかった。ひたすら本を読み、ひたすら研究会に参加し、ひたすら自他の実践を分析していた。

自分で語りながら、「おお、これは受けた」「あら、これは受けなかった」「おや、意外なところで受けたなあ」とか、「あっ、やっぱりこの言い方でストンと落ちたようだ」「ああ、やっぱりこの言い方では駄目だったか」「おや、意外にこんな説明がおもしろがられている」とか、授業中、生徒の反応を見ながらよく考えていたものである。

しかもそれをメモしておいて、自宅であれこれ分析する始末。確かに授業にも学級経営にも手応えを感じるようにはなった。それがおもしろくて仕方がなかった。

でも30代後半になって、自分が学年主任とか教育課程検討委員とか生徒指導を仕切る立場とかになって、状況が変わってきた。知っていることが非常にストレスフルになってきたのである。

「えっ、その年になってそんなことも知らないの?」

「そんなやり方で動くわけないじゃんか」

「いまなんだよ、いま! ここで様子見なんて、後にかける時間と労力を膨大にするだけじゃん」

なんてことを、他人との調整でしきりに思うようになった。もちろん、自分より若い人間に対してではない。自分より年上の教師に対してである。自分が知れば知るほど、自分より年上の人間を見る基準、ハードルが高くなっていく。

たとえば、ぼくはいま43歳だが、43歳ならぼくくらいのことは知っていなければならないし、ぼくくらいの技能はもっていなければならない。無意識的にそういう機制が働くのである。これはやっかいだ。

もちろん、普通の人が普通に仕事をしているだけ知ることなど、そうそう多くはない。しかし、そんなことは頭ではわかっていても、だれもが自分を基準をするように、どうしてもぼくもまた自分を基準にしてしまうのである。

知るということは、具体的な事象から見えてくるものが多くなることを意味している。見えるものが多くなるということは、普通の人には見えない細かなつまずきや細かなミス、細かな怠惰も見えてくるということだ。

見えれば見えるほど、それを解消したい欲望にとらわれる。普通の人なら気づきもせずに見過ごしてしまうことが、実に大きな問題のように感じてしまう。

しかし、あまりがあがあ言い過ぎると職場の和を乱してしまう。しかも、自分にできることなど時間的にも労力的にも限りがある。その結果、自分に見えるまずさのうち、6割、7割には目をつぶらざるを得ない。これがストレスなのである。

こんなことを考え始めて既に5年が経つ。

最近は割とストレスを感じることなく、目をつぶれるようになってきた。なぜ、目をつぶれるようになったかと言えば、一つ一つの見えるものに自分の中で優先順位をつけたから。それに尽きる。

次に、他人の話から考えたこと。サークル仲間とか同僚とか友人とかの中で、よく勉強している人と飲んでいると、校内でちょっとあり得ないような仕事量を抱えているという話を聞く。興味があるので具体的に聞いてみると、確かにそんな仕事量を一人でかぶるのは変だなと思う仕事量である。

できる人に仕事は集まるとは言うけれど、それにしてもひどい。

ぼくもある年、3年担任をしながら部活を主でもち、時間割をつくりながら学校便りをつくり、学年では生活係と学習係と道徳・学活係と進路サブと学年協と学年便り、おまけに教科代表に体育文化振興会の会計、PTA広報までもたされた年がある。年齢は三十そこそこだった。

しかも学年教師は20人近く、学校全体では60人以上の職員がいる学校でである。この規模の学校の時間割作成がどれだけ大変か、中学校で時間割係をやったことがある者なら想像できるはずである。43歳のいま考えてみても、ちょっと考えられない人事だ。

勉強して知ってしまうと、こんなことが起こってしまうのである。

さて、話を戻そう。若い頃から勉強を怠らず、スキルを身につけてきたある40代のある教師が、ふともらしたことがある。

「こんなことになるなら、向上心なんかもつんじゃなかった。もっと楽してる人がたくさんいるのに……。」

自分もそう思うかどうかは別として、ぼくには少なくともこの心象がよくわかる。この教師は、明らかに向上心をもったことがこのストレスにつながっている。勉強したことが仇になっている。勉強してきたことによって、いまは勉強する時間を奪われている。そういう構図がある。

この教師に対して、「それは中途半端な勉強だったからだ」と批判するのはたやすい。しかし、この世に中途半端でない勉強など決してない。それは程度問題であり、レベルの違いの程度のものに過ぎない。

おそらく多くの人にとって、知ることは必ずしも絶対善ではない。それに無意識的に気づいている人たちが、勉強しないことを選択しているのかもしれない。そんな不謹慎なことまで考えてしまう、今日この頃である(笑)。



空き時間の授業観察から見えてくる/2010.01.07(木)

糸井さんの昨日のブログ「仕事の流儀」が私には大変おもしろく読めた。次の箇所である。

何で、みんな、職員室での談話が中心なんだろう。
私たちの現場は教室なのに。
汚いままの教室で年を越し、そのままの状態で明日を迎えるなんて、信じられない。

ゴミ出しをするついでに、各教室を覗いて見て回る。
誰もいない休み中の教室にこそ、見るべきものがある。
つまりは、仕事の流儀である。
是非、若い先生は、誰もいない放課後の教室を見て回ってほしい。
私は、若い頃は、ウロウロと見て回り、勉強させていただいた。


私は糸井さんのような誠実な「仕事の流儀」をもたないけれど、各教室を見て回ることだけは続けている。あるときは感心しながら、あるときは批判的に見ながら、そしてあるときは何かおもしろいものはないかとネタ探しをしながら。

一つ目。

新卒の4月のことだから、もうかれこれ19年前のことになる。学年の宴会二次会である年配教師が私に言った。もう時効だろう。私が最初にお世話になった学年主任の先生である。ずいぶん前に還暦を迎え、いまはもう退職されている。

「堀さん、学級経営がうまくいっているかどうかをはかるには、放課後の教室を見るのが一番いい。床にゴミは落ちていないか、机・椅子はちゃんと並んでいるか、窓の鍵はどうか、カーテンは整えられているか、そういうところに学級経営が出るんだ。」

私はこの話を感心しながら聞いた。なるほど、そういうものかと。

翌日、言われたとおり、私は放課後の教室を見てまわった。新卒で赴任した学校は当時25学級。私は2階の3年生の教室から一つ一つ見て回った。確かに昨日、あの先生が言ったとおりだった。黒板の消し方が乱雑だったり、明らかに放課後に黒板に落書きをして遊んでいた形跡があったり……。はずれかけた掲示物が放置されていたり、掲示板が破れているのに修復されていなかったり……。机・椅子が乱雑に並んでいたり、机に大きな落書きがあったり……。ガーテンがまとめられていなかったり、乱雑にまるめられていたり、ひどいものは破れているものがそのまま放置されている。

これはよいことを聞いたと思い、3階の2年生へ、4階の1年生へ、と時間をかけて見まわっていった。私のクラスはさすがに昨日の今日で、担任の私が意識していたので、整然とした美しい教室になっている。うんうんと自己満足にひたりながら、学年主任の教室に足を踏み入れたときだった。

ひどい……。

カーテンがまとめられていない。黒板の消し方は汚い。掲示物は一カ所留めでひらひらしている。机・椅子も、並んでいないわけではないのだが、微妙にずれている。90度がない。各列の合間も均等化されていない。広い通路と細い通路がある。

私は思った。口だけだったのだ。頭でわかっていても、やっていないのだ。しかも新卒に説教した次の日くらい、付け焼き刃的にでも実践してみてはどうなのか。いや、酒席で自分がそんな説教をしたことさえきっと覚えてはいないのだ。1年生の4月である。最初からこんなことでは、3年生の教室がああなるのも無理はない……。これからいったいどうなってしまうのか。私はこれから3年間、この学年でやっていくことを不安に思った記憶がある。

二つ目。

これも新卒の年のことである。勤務校はその年、開校8年目。当時の職員会議では、開校以来勤務している教務主任と生徒指導主事がだれも否定できないような理念的な演説をぶって、話をまとめるのが習わしになっていた。

中学校には空き時間がある。放課後の教室を見てまわって以来、私は授業の空き時間も急ぎの仕事がないときには各教室を見てまわるようになっていた。戸の窓から教室をのぞくだけでも、なんとなく授業の雰囲気というものは伝わってくる。体育や音楽で生徒たちがいない教室からはいろんなことが垣間見えた。前の時間の板書が残っている場合には、それを見ながらどんな授業が展開されたのかを想像することが楽しみにもなっていた。

ある日、3年生の授業をのぞいてみて、戦慄が走った。

教室の後ろの方で3人の男子生徒が花札をしていた。学校でもだれもが名を知っているような3人である。他の生徒たちは前を向いてノートにペンを走らせている。何の授業だ?と視線を教卓にむけて驚いた。生徒指導主事なのである。しかも、後ろの3人が目に入らぬかのように淡々と授業を進めている。

おいおい。これが3年生か。職員会議であれだけいっぱしのことを言っている生徒指導主事の現実はこんなものなのか。

私は思った。口だけだったのだ。頭でわかっていても、やっていないのだ。自分はとんでもない学校に来たものだ。大荒れではないか。中学校とはやはりこういうところだったか。

後日談。この生徒指導主事は次の年、教頭に昇進した。生徒指導主事がかわった。新しい生徒指導主事は厳しい先生だった。生徒にも厳しいのだが、教師にも厳しい人だった。それでいて、最後にはさりげなくフォローする優しさも兼ね備えていた。どうなることかと思った最初の勤務校には7年いたのだが、2年目から7年目までは特に大きな問題もなく、授業に乱れもなく、落ち着いた雰囲気が維持されるようになった。私にとって、この経験はいまだに大きな教訓となっている。

三つ目。

それから14年経って、私は小さな学校の学年主任になった。掲示物や給食、清掃に割とうるさい学年主任だったと思う。放課後には各教室を見てまわり、空き時間には授業に入っていくことも多かった。授業のまずさを細かくメモに書いて指導することもあった。これらのことが学年の生活規範の維持にどれだけ大切かということを知っているからである。

四つ目。

今年、再び大規模校に転勤した。24学級である。副担であることもあって、空き時間はよく授業を見てまわっている。同じ学年の授業なら欠席者の席に座っていっしょに授業を受け、他学年の授業なら、授業が上手いなと思う教師の授業は1時間廊下に座って聞いていることもある。いろんなことがわかる。

最近、野中先生が初任者指導の立場になって、授業をやる側から見る側になっていろいろなことに気づき、驚いたということを盛んに書いている。話によると、小学校は研究授業があると、自分の学級を自習にして見に行くことがあるという。どうせ自習をつくってまで見るのなら、研究授業などではなく、普段の様子を見てまわったほうがいい。いろんな学びがある。

自分はこの感覚をもつことができたというだけで、中学校教師でよかったなと思う。



別世界に行きたい/2010.01.06(水)

今頃は、「授業づくりネットワーク」の函館大会も終わった頃だろう。

家に閉じこもったままの冬休みである。3日に学生時代の友人と飲んだ以外は、外出は年賀状を出しに行く程度。部屋を片付け、本を読み、資料を整理し、原稿を書く。それだけである。もう6日だというのに一度も車の運転をしていない。これは珍しいことである。ネットワークに行っていれば既に600キロを運転することになる。これは腰に悪い(笑)。

こういう長期休業はほんとうに久し振りである。

民間の研究会に登壇するようになって十数年、冬休みには必ず幾つかの研究会が重なっていた。少なくとも授業づくりネットワーク、札幌・冬の陣と題された国語科授業研究会、そして研究集団ことのは合宿などなど。こうした研究会が2~3日置きにあると、その合間はすべて提案準備に追われてしまう。ぼくは時間をかけずに要領よく講座をまとめるタイプではなく、時間をかけてじっくりと新たなものを生み出したときにだけそれを伝えたくなる、そういうタイプである。数年に一度は、やはりこういう時間をつくりたいものだと改めて思う。

先日の教師力BRUSH-UPセミナー合宿でも話題になったのだが、講座には「レクチャー型」と「研究型」がある。研究会にも「レクチャー型」と「研究型」とがある。「レクチャー型」とは講師が提案内容をもっていて、それを参加者にレクチャーするタイプ。これは説明の必要がないだろう。

問題は「研究型」である。

「研究型」とは、複数の提案者が対話を重ね、その場で何か新しいものを生み出そうというタイプの講座である。

例えば、模擬授業者が二人から三人、同一教材同一場面の模擬授業をおこなう。それも10分とか15分とかではなく、少なくとも30分、できれば45分程度の模擬授業である。その後、90分~120分、みっちりと二者比較・三者比較の協議をおこなう。最初は協議内容が授業技術に偏るが、次第にその授業技術が選択された背景がそれぞれの授業者の学習者観・教材観・授業観・指導観・教育観・人生観の違いであることが見えてくる。

だいたいここまでで60分~90分かかってしまう。それが見えてくると短時間ではあるが、それぞれの授業者が自らの教育観とか授業観を語り出す。そこに必ず対立が生まれる。短時間でもその対立的やりとりを参加者が聞くことによって、「そうか。この授業はそのような教育観から発案しているのか」とか「自分はBさんよりもAさんの授業観に近いな」とか、そういうレベルでやりとりを見るようになる。講座がこのレベルまで達すると、参加者にも、そして実は提案者にも「別世界」を見せるものとなる。

ただし、協議司会者に並々ならぬ力量が必要となるのに加えて、いくら力量があっても会の趣旨を深く理解していない外部の人に司会を頼むと失敗しやすいということは心得ておかなければならない。この協議を捌ききれる主催者の力量が必要となる所以である。

もう少し簡単なのは、ストップモーション授業検討である。一人の模擬授業者の授業を、これも90分~120分かけてじっくりと検討する。その際、毛色の異なる指定討論者が3~5人いることが必要である。力量のない指定討論者を立てたり参加者だけに発言を求めたりすると、授業技術論議だけに終始したり堂々巡りの教材論に終始したりしがちである。

そこで、例えば物語の模擬授業であれば、授業技術に深い知識・技能のある人、文学教育に深い知識・技能のある人、言語技術教育や単元学習といった学習形態に深い知識・技能のある人、思想的な背景に深い知識・技能のある人、場合によっては前四者が確実にいるのを前提で、新卒や他教科専門といった素人的な人を招いて現実なバイアスや外の視点を語ってもらう。こういった多角的に検討できる構成が必要になる。

いずれにせよ、ストップモーション授業検討も、参加者に「別世界」を見せる講座である。もちろん提案者が、自分の授業が多角的に、しかも徹底的に斬られるわけであるから、「別世界」を見るのは当然である。

いま、ぼくが注目している「研究型講座」の手法は、ライフヒストリー・アプローチと呼ばれる、提案者の歴史性に注目した協議方法である。一人が模擬授業や提案をおこなう。たぶん、1時間の授業よりは、学級経営論とか特別活動実践報告とか生徒指導論とかがいい。これまでの教師としての経験を踏まえた全人格的な要素をもつ提案になりやすいからである。授業についてであれば、おそらく「国語科授業づくり・5つのポイント」のような、実質的には授業論を語ってもらう形態の講座がいい。

これを最低でも180分、できれば300分くらいかけて、みっちりと検討することが必要である。昨年の「授業づくりネットワーク東京大会」はこのライフヒストリー・アプローチを旗印とした研究会だった。ぼくはこの手法に興味があって参加したわけだが、どうにも検討時間が短すぎて何一つ深まらなかったという印象を受けた。

もう一つ、これは大きな研究大会には向かないな、とも感じた。対話者が提案者に一つ一つ質問していくわけだが、どうしても対話者が参加者に有益になるようにと、本質的な質問をしようと急ぎすぎてしまうのだ。おそらくライフヒストリー型検討は、いくつかの本質的な質問のまわりに、その何倍もの膨大な退屈な質問、経緯の説明、四方山話、といったものを必要とする、そうした手法である。そうした退屈な時間をともに共有できるような人間たちで行わなければ、なかなか機能しない。そういう難しさをもっている。

しかしおそらく、これが機能したときには、参加者にはもちろん、提案者にとっても自分で気づいていなかった自己発見が見られるはずである。そういう手法であるという確信がある。参加者にとっては、「なるほど、そういう経験が一見まるっきり異なった○○という場面に活きているのか。」「授業だけで授業を考えてもいけないし、教育だけで教育を考えてもだめだなあ。」「そうか、同僚との出会いって大切なんだなあ。反面教師でさえ大切なんだ。」といった学びが生まれる。提案者にとっては、「そうか。無意識にあのことへのこだわりがあったんだな」とか、「ああ。結局、オレはあの手法を避けていたのだな」とかいった学びが生まれるはずである。

これを「別世界」といわずになんと言おう。ライフヒストリー・アプローチは、おそらくここまでいかないと意味がないのだ。

しかし、これは机上の空論である。数日後、「研究集団ことのは」合宿で初めて試してみることになっている。その成果と課題によって、もしかしたら一般の公開研究会でも可能な手法が開発できるかもしれない。そんな予感を抱きながら、楽しみにしているところである。

さて、最後に、これらの「研究型講座」が「ワークショップ型」として見事に機能しているのがおわかりだろうか。世に言われる「ワークショップ型授業」や「ワークショップ型研究会」は、その場のちょっとした気づきを交流しているだけで、それらを徹底して深めるということをしない傾向がある。対立や理解し合えない立場を前提とした「対話」も成立していない。ぼくにはチャットのおしゃべりやツイッターのつぶやきあい程度にしか見えない。

もちろん、これを1年間かけて教室でおこなうのであれば、話は別である。一つのことを長く続ければ、学習者は必ず「自分なりの学びの視点」「自分なりの学びの観点」を編み出す。それは数ヶ月すれば、間違いなく機能するようになる。ぼくが言っているのは、あくまで単発の研究会の話である。

ここ数年、ワークショップやファシリテーションといったものを学んできて、ぼくはいまのところ、こんなことを考えている。



オリジナリティ/2010.01.05.(火)

実践研究をしていてよく思うことは、「オリジナリティのある提案が評価されるのはなぜか」ということである。他人の提案を拝聴していても、これはオリジナリティがある、これはオリジナリティがないと判断している。そして、オリジナリティありと判断した提案を価値ある提案と考える自分がいる。

若い頃、自分が何夜も徹夜してつくった提案が、2年後にある先輩教師に全国大会の提言にパクられて激怒したことがある。ぼくと付き合いの長い研究仲間も、ある研究会で提案した文書が徹底的に批判され、後にその批判した張本人が授業でその提案どおりに授業をしていたことがわかり激怒していた。以来、ぼくらはなんとなく官製の研究団体や半官半民の研究団体に距離感を抱くようになったという経緯がある。言ってみれば、このときわいてきたエネルギーが「研究集団ことのは」の現在をつくったという側面がある。

しかし、考えてみれば、「研究」とはもともとオリジナリティを出発とするものではない。まったくのオリジナルな研究などというものは、「実践」ではあり得ても「研究」ではない。「研究」というものが「科学」だとすれば、それは先人の成果を細かく記録し分析したうえで、ぐちゃぐちゃとかき混ぜてみたり、時間をかけて煮込んでみたり、或いはもともと違う世界にあったものを具材にサンドウィッチをつくってみたり、そんな活動である。

ここまで書いてみて合点がいった。

そう。「研究」にはまったくのオリジナリティはないけれども、そこには一度ぐちゃぐちゃにしたり、時間をかけたり、違う世界観を外挿的にもちこんだりという営みがあるべきなのである。ところが現場の実践研究は、官製研究ならふりかけをまぶしたり梅干しをのせたりした程度のものが「研究」としてまかりとおってしまい、組合教研なら古米・古々米・古々々米を加工もせずにそのまま食わせようとするものがいまだに「研究」としてまかりとおっている傾向がある。

おそらく、ぐちゃぐちゃにかき混ぜたそのかき混ぜ方とか、時間をかけて煮込んだその煮込み方とか、外挿的にもちこんだきた別世界のかけ離れ方とか、そうした発想に驚きを感じたとき、人はその「研究」にオリジナリティを見るのに違いない。

そう考えると、一つの研究に10年とか20年とかかかるというのも肯けるというものである。ぐちゃぐちゃにかき混ぜたものを再整理したり、煮込み方に納得がいかなくて何度もやり直したり、別世界の世界観を一生懸命に勉強したり、そうしたことに時間と労力を惜しまない者だけがその「研究」にオリジナリティを感じさせることができるのである。

そう考えると、ぼくはまだ何一つオリジナリティある提案などしていないな、と反省する。



本をもってゴミステーションへ出よう/2010.01.05.(火)

3年振りに部屋を片付けたら、いよいよ限界を感じた。

書棚がどうにも窮屈なのである。かつては宝のように思われた本たちがずいぶんと遠くに行ってしまった気がする。例えば、言語技術教育関連の本とか、授業技術・教育技術関係の本とか、教育問題関係の本とか、心理学関係の本とか、社会学関係の本とか、こういったこれまでのぼくの仕事を支えてくれた本たちがどうにも鬱陶しくおもえてくるのだ。

おまけに、どうにもこうにも整理のしようのない文庫とか新書とかがごまんとある。文庫全集関係はとっておくにしても、東野圭吾とか盛田隆二とか由良三郎とかどう考えてももう二度と読まないだろう大衆小説(もう死語ですね)の嵐。これはもう捨ててもいいのではないか。松本清張や森村誠一や横溝正史はどうしようか。江戸川乱歩はとっておいたほうがいいな。何かに使えそうだから。いやいや、清張だってせっかく生誕100年だったしな。そんなこと言ったら森村だって横溝だって再び読むこともあるかもしれない……。こうして本は捨てられなくなる。

それに比べれば、新書の整理はしやすい。テーマ別に整理して必要なテーマの本はとっておき、不必要なテーマの本は捨てればよろしい。捨てたテーマが必要になることもあるかもしれない……と考える必要もない。そうなったらまた買えばいいからである。これだけ新刊があふれ、100円で手に入る古本屋もあふれている世の中である。さらにはネット書店も充実している世の中である。ふと思い出したとき、この新書が手に入らないのではないかなどと心配する必要はまったくない。

問題は時間である。大衆小説関係の文庫は「よし、捨てる!」と思い切れば捨てられるのだが、新書はテーマ別に整理する時間が必要になる。これをほんとうにやるとなったら膨大な時間がかかる。なぜなら、新書のテーマ別整理が新書だけで終わるはずがないからである。新書のテーマと単行本のテーマとは明らかにつながっている。それぞれをリンクさせているうちにこれまた作業が膨大になっていく。そのうちその作業は文庫にも派生していくはずだ。

例えば、山本七平の「空気の研究」は文庫といっても捨てるはずがない。そうすると、こんな文庫が出てきたところで、それまでの整理が一気にパラダイムシフトを起こしてしまう。そうか。「空気の研究」を整理の観点としたらこうこうこういう観点での整理も可能になる。その観点で整理し直してみよう。

あっ。諸葛孔明の兵法関係の本が出てきちゃった。この本たちと横山光輝の『三国志』60巻はいっしょに置くべきなのか否か。いっしょに置いたら、『項羽と劉邦』全21巻だっていっしょに置くことになるじゃないか。それじゃあ、司馬遼太郎もこの棚か?陽明学関係の本は? 論語の解説書は?

こんなことを考えているうちに、書庫の床は次々に平積みされた「整理を志向した本たち」によって占領されていったのが3年前。数ヶ月もたつと、誰一人、妻さえも踏み込むことのない部屋ができあがってしまったのである。いや、正確に言えば、二匹の犬たちだけはぼくの部屋に入りたくて仕方ないようだったが、あいつらを入れると別の大変さが出てくるので丁重にお断りしたのであった。

さあ、同じ轍を踏まないために、今度はどういう手でいこうか。まずは「捨てる技術」関係の本を10冊くらい買ってきて考えてみることにしようか。

こうしてまた価値のない、どうでもいい本が増えていくのである。

でも、今回は大衆小説だけは捨てよう。文庫はすべて。単行本も内海隆一郎や長野まゆみは捨てることにしよう(笑)。そう決意した。

片付けとは捨てることと心得たり。

本をもってゴミステーションへ出よう!



大傑作である/2010.01.05(火)

「天使のパン くめさゆり・さんびか集」

久米小百合の13年振りの新譜を聴いた。久保田早紀の新譜かと思われるほどにポップに仕上がっている。ああ、『回想録(メモリーズ)~午後の頁から』で吐露していた葛藤をとうとう乗り越えたんだなあ……という印象を抱いて、正直、感動してしまった。

「テヒリーム33」(1987)や「はじめの日」(1996)に比べても、ボーカルが久保田早紀に近づいてきている。久保田早紀名義の最後のアルバム「夜の底は柔らかな幻」に収録されていた「見えない手」を初めて聴いたときの感動と同じ質の、それでいて何千倍にも何万倍にも深みのある感動を覚えた。

久米小百合はぼくより確か8つ年上だったはず。たぶんいま、50歳か51歳だ。

二十歳そこそこで、「異邦人」というその後30年以上聴かれ続けている名曲を偶然にもつくってしまい、自らにこびりついてしまったシルクロードとかオリエンタルエキゾティックとかエスニックとかいったイメージに戸惑い、そのイメージ具現化の期待に押しつぶされた久保田早紀。

ファドを取り入れてもアイドル的なポップスを取り入れても、どこか自らにこびりついたイメージを払拭できなかった久保田早紀。

「夜の底は柔らかな幻」という圧倒的な傑作を最後に結婚して、突如引退した久保田早紀。

数年後、再びぼくらの前に姿をあらわしたとき、彼女はゴスペルシンガーとして、いや、というよりはあまりにも日本的な音楽伝道者に方向転換していた。ぼくは彼女のその頃の葛藤を『回想録』というエッセイで読んで以来、キリスト教には縁もゆかりもないけれど、「彼女の歌だけは聴き続けたいな」と思ったものである。

久し振りに、一人の人間の「人生」を感じさせてくれるアルバムを聴いた思いがする。まだ50そこそこだというのに、これからどうなっていくんだろう。また、10年待たされてもいいから、次回作に期待してしまう。

それにしても、あの頃の久保田早紀とその後の久米小百合をよくもここまで止揚したものである。おそらく今回、自分の名を「くめさゆり」とひらがな表記したのはそういう意味なんだろうな。久保田早紀のアルバムでも久米小百合のアルバムでもない、「くめさゆり」のアルバムなんだろうな。そんな気がする。

大傑作である。


左から「天使のパン くめさゆり・さんびか集」「テヒリーム33」「はじめの日」「夜の底は柔らかな幻」。「夜の底…」と「天使のパン」はともに大傑作。



安田/2010.01.03(日)

50をとうに過ぎて、残り数年になっても延長戦を闘っている教師がいる。延長戦は突出したスターのサヨナラホームランで決まることは少ない。球筋を見極め四球を選び、バントで送って次打者の安打を待つ。エンドランをかけるぞ、盗塁もあるぞ、と内野手を攪乱するランナーの動きも肝心だ。打者はミートを心がけ、決して引っ張らない、決して欲張らない決意をもって打席に立つ。要するにチーム力がものを言う、それが延長戦である。元気出せよ、一人じゃないよ、あいつには俺から話してみるよと、同僚はもちろん、ときには管理職をもフォローする。そんな教師が少なからずいる。

その一方で、20代で敗戦処理みたいな仕事しかしない教師がいる。締め切りまでに仕事が間に合わない。当然のように毎日残業を重ねる。それでいてホームランまで打たれてしまう大チョンボ。次第に職員室をあきれさせてしまう若手教師。かわいがられて嗤われているうちが華である。そのまま30を超えたとき、職員室のお荷物になっていく。転勤すれば、「○○校では若手が育たないらしい」なんて前任校の評判まで落としてしまう。そんな教師が少なからず存在する。

江川や松坂みたいな教師もいるにはいる。でも、多くの場合、彼らにはいい捕手がいなくて、独り相撲を演じてしまう。江川や松坂には阿部慎之助や城島みたいな捕手じゃダメで、山倉とか村田みたいな投手リードで投げられるキャッチャーか、伊東とか古田みたいな人間性でチームを引っ張れるキャッチャーか、どちらかが必要なのだ。しかも、鈴木啓示にとっての有田修三みたいに替えが効かないのも特徴である。江川や松坂みたいな超エース級の教師には、どうしても替えの効かない名捕手が必要なんだよねえ。

きっと松岡がいて安田がいて、どちらも操れる大矢がいて、それでいて監督は広岡みたいな能面タイプ、あの50年代前半のヤクルトみたいなのが割と職員室にはいいのかもしれない。それだけいりゃあ、まあ安定的な闘いができる。そこに大杉とかマニエルみたいのがいれば一気に優勝……つまり、大きな学校改革ができるってことなんだろうなあ。

そういえば、安田みたいなピッチャーって昔はずいぶんいたよなぁ。それもしっかりとエース級で。ロッテの水谷とか、中日の安木とか、西武の杉本とか、南海(ダイエーだったかな?)の西川とか、阪急(オリックスだったかな?)の星野とか。往年の西武には永射っていうとてつもない変則ピッチャーがいたっけ。あれに比べりゃ、岩瀬なんか本格派だね。岩瀬みたいのが本当に力を発揮するには、もう一枚、同じような右が必要なんだよね。ほら、鹿取と角みたいなさ。とにもかくにも、職員室に安田がいると、まわらないものが本当にまわるんだよなあ。

うん。結局、職員室にもっとも必要なのは安田なんだ。今夜はそう確信した。



たまたま崩壊していない学級/2010.01.02(土)

たまたま崩壊していない学級っていうのが、全国いたるところに存在しているような気がします。それもものすごい数で。いまは運良く崩壊していない学級ということです。崩壊しないための手立てを何も講じていないのに、たまたま子供の質がよくて、たまたま地域の教育力がいまだに残っていて、たまたま学校の教育力がいまだに残っていて、それに気づくことなく、その状態を当然と思いながら運営されている学級。そんな学級がたくさんあるような気がしています。

特にそういう学級は中学校に多いように思います。ある学級が落ち着かなくなってくると、学年のベテラン陣はその担任を傷つけないようにと、裏で手を回して幾人かの先生によってその学級の落ち着きのなさを指導します。それも授業中に指導します。授業という密室の中で指導されるわけです。自分の学級に来ている幾人かの教科担任が一斉に同じことを言い出した。それを察知した生徒たちは気をつけて生活するようになります。学年の中心を担っている先生方に一斉ににらまれては大変だというわけです。

多くの場合、そうした動きに担任は気がつきません。先生方もその担任を傷つけないようにと気を遣い、生徒たちも複数の先生方にそんな指導を受けたということを自分たちの担任に気を遣って言わない……そんな状況になります。

多くの小学校が学級崩壊に見舞われています。いまや崩壊した学級が一つもないという小学校は希少価値になってきました。有名国立、有名私立においても、そうした現象が起こりつつあるようです。中学校の立場からすると、中学校のように上のような組織的な動きが行われれば、おそらく6割~7割の学級崩壊は防げるだろうと思われます。

3割~4割の崩壊がなぜ防げないかというと、そうした学級の先生方は他の先生方の側面からの指導では効かないほどに、キャラの濃い「崩壊触媒性」を放っているからです。つまり、「他の先生が言うとおりだ」と自分たちも思うけれど、それでもその先生の具体的な一つ一つの指導の在り方に接したときに、我慢ならないほどに理不尽なことを言われてしまう、そう子どもたちが思っている場合です。

〈スキル〉とか〈システム〉とかを学べばいいと若者は思っています。しかし、外で学んできた〈スキル〉や〈システム〉が多いほど、教師としての力量が上がるわけではありません。外で学んできた〈スキル〉や〈システム〉を自分の学級に合わせて修正し、それらの〈スキル〉が一貫性をもって機能するような〈システム〉を構築してこそ学級は安定するのです。そしてまた、子どもたちに合わせてそうした〈スキル〉を機能させる〈システム〉を構築する志向の確実性こそが、教師としての力量なのです。

OSが不完全なままにいくらソフトをインストールしても機能しません。かえってフリーズするだけです。ソフトをインストールすること以上に大切なことは、OSをヴァージョン・アップさせることなのですが、年に数回の研究会参加や研究授業といった研修の場程度では、なかなかOSのヴァージョン・アップはできません。やはり職場の中に、先輩教師から後輩教師へという伝達の仕組みがあり、ダメ出し指導が適切になされる雰囲気がある、それ以外には道はないように思います。逆に言えば、そういう仕組みと雰囲気とをもった職場では、若者が著しいのびを示すものです。

ぼくの経験から、これだけは確信をもって言えます。



退屈じゃないところ/2010.01.01(金)

4月から教職20年目を迎えます。教職20年目を迎えるということは、実は森くんや對馬くんに出逢って20年目を迎えることを意味します(ちなみに山下くんは大学時代の一期後輩なので、出逢って23年が経過しています)。「研究集団ことのは」の結成は我々が出逢ってから数年を経過してのものですが、その前身「ポプラの会」の数年の活動を実質的な「ことのは」の活動と見れば、「研究集団ことのは」もまた20周年と言って差し支えありません。まったく長くやってきたものだと改めて感慨を覚えます。

こういう活動を長く続けていると、しかも同じメンバーで続けていると次第にだれてきて、離脱者が出たり喧嘩別れをしたりというものがあるものですが、不思議なもので、堀・森・對馬・山下の間にはなぜかそういうことがありません。ある時は馬鹿みたいにいろんな研究会を行脚して夜の論評会を続けたり、ある時は馬鹿みたいに本を年に5冊も6冊も出したり、ある時は馬鹿みたいに5年も6年も連続して大きな研究会を開催し続けたり、去年のように馬鹿みたいに小セミナーを開催し続けたり……。

どれもこれも「馬鹿みたいに」やるのがぼくら流なのです。しかも、数年は続けるのですが、すぐに飽きてしまってやめてしまうというのも共通しています。ぼくらなりに理屈があって、おそらく普通の人が10年くらいかけてやることをぼくらは3年でやってしまって、密度の濃さを体感するのだろうと思います。そうすると、何か次にやりたいことが見えてきて、それが見つかったらすぐに企画を立ててまた密度の濃い3年間を過ごす。その繰り返しです。最近、ぼくらは結局、刺激が欲しいのだな……と思うことがあります。なにせ80年代に青春期を過ごした、80年代的な人間の集まりですから。

なんだかんだ言って、ぼくらは刺激的で、楽しいことしかしてきませんでした。やるかやらないかは楽しそうかそうでないかという基準だけで決めているところがあります。そんな餓鬼みたいな基準で動いていますから方々と軋轢を生んできましたが、年を追うごとにもうやめられなくなっています。

それは楽しいか。

それは実入りが大きいか。

それは密度が濃いか。

こんな基準で動いていますから、いろんな団体に所属しても、いろんな活動に参加しても、どこかルーティンの匂いがしてくるとすぐに離れてしまうのです。

ちゃんとやってないからちゃんとやろうよ。

ちゃんとやらないならやる意味がない。

ちゃんとやらないなら俺たちは抜ける。

ぼくらは常に様々な団体に対して、そんな脅しをかけ続けてきました。これは官民問わず、子供が秘密基地をつくるように、暴走族が暴走に生きている証を見出すように、躍動感のないところに興味を持ち続けることが難しいのです。何かを生み出す研究だけが研究の名に値する、何かを生み出す研究会だけが参加するに値する、そんな餓鬼臭い心持ちを今なお抱き続けている。そんな学生サークルのノリをいまだにもっている。そんな団体なのだと思います。

20年たって、ぼくらの行動原理は常に「〈退屈じゃないところ〉に向かっていく」にあったような気がしています。

「どこかに〈退屈じゃないところ〉はないか……。」

教師の力量形成において、だれもが「アンテナを高く」と言いますが、ぼくらにとって、いいえ少なくともぼくにとって、それはいつも〈退屈じゃないところ〉を探しているということと同義なのです。



良いお年をお迎えください/2009.12.31(木)

今年ももう残り8時間となりました。これから岩見沢の実家に帰省します。おそらく、紅白を見ながら刺身とカニで熱燗……という恒例の年末年始となります。

思えば、2009年はかなり転機となる1年でした。

初めて自宅の近くの学校に転勤して、圧倒的に時間ができ、肉体的に楽になりました。これまでの18年間、家から1時間以上という学校にばかり勤めてきたため、勤務校が自宅から近いということが精神的にも肉体的にもこんなに楽だということを知りませんでした。今年は副担だったわけですが、担任がないということよりもむしろ通勤に時間をとられないということのほうが、ぼくにはとても楽でした。これまでの教員生活でずいぶんと寿命を縮めたのだろうなあ……と、改めて感じ入るものがあります。

ずいぶんと研究会を開催した年でもありました。森くんと山下くんと晋ちゃんと幹也くんと堀。5人を開催した「中学校学級経営セミナー」という10回連続講座(あと1回、来年2月6日を残す)は、ぼくらが日常的にやっていることの意味・意義を大きく自覚させてくれました。大変多くの方にご参加いただき、感謝しております。プレセミナーも含めて、延べ400人以上の中学校教師にご参加いただきました。ありがとうございました。

国語科授業研究においても実りの多い年でした。「中学校国語科授業づくりセミナー」「国語科授業改革セミナー」「累積科学国語教育研究会」「教師力BRUSH-UPセミナー」という4チャンネルで活動してきましたが、それぞれが明快に棲み分けをしながら、研究を進めてきたという実感をもっています。特に、授業における発問・指示型授業とワークショップの使い分け、指導事項(言語技術体系)の再確認、授業技術が小さな〈意図〉の連続であることの自覚、こうした境地に立つことが教師の力量形成に大きく効果を発揮するということに到達しました。こうした活動は夏以降に始めましたが、こちらもかなり大勢の皆さんのご参加をいただきました。ありがとうございました。

来年の「研究集団ことのは」は、「教師力BRUSH-UPセミナー」での活動を除けば、おそらく国語科教育研究中心の年となることと思います。特に「習得」「活用」という新指導要領の理念をできるだけわかりやすく、指導事項や授業形態、学習者研究の視点を総合して理論化・実践化していく年になります。お近くの方は来年も、私たちの研究会に足をお運びいただければ幸いです。

個人的には、外に出る年にしようと考えています。学級経営・教科経営を問わず、その目的や原理を根底から考えるチャンネルと、若者に教育技術の原理原則について具体的に身につけてもらうためのチャンネルと、この二つを両輪に考えていきたいと思います。前者は一般的な抽象度をもう一段抽象的に、後者は一般的な具象度をもう一段具体的に、その手法を考える年にしていきたいと考えています。今年の活動の中で、そろそろ模擬授業提案やワークショップ型研究会の限界性が視野に入ってきたことが、個人的には大きな収穫でした。

みなさま、良いお年をお迎えください。

books

ここ数年、読書記録をちゃんと更新しない年が続いたので、「今年こそ!」と、一応の決意をしています(笑)。


教師の作法 指導
野口芳宏
★★


野口先生にも験也さんにも申し訳ないが、この書が1700円というのは高い。1頁の字数が少なく、情報量も少ない。言葉は悪いがスカスカのイメージ。読み通すのに1時間ほど。ぼくが野口先生の主張内容をかなり知っているということを差し引いても、情報量が少なすぎる。ブックレットで500円というのが相場ではないか。そんな気がする。まあ、需要と供給の問題があるから、一概に値段だけで判断は出来ないけれど……。内容的には具体例が乏しいのが気になった。これが作り手側の問題なのか、それともマーケティングとしてこういうものでないと読まれなくなっているという読者側を想定した判断なのか、これを今度験也さんにお逢いしたときに訊いてみたいと思う。



Twitter革命
神田敏晶
★★


取り敢えず、著者がTwitterを心の底から面白いツールだと思っているということは伝わってきた。ビジネスに活かしていたり、コミュニケーションツールとして活かしていたり、という人たちの具体像もなんとなく浮かんできた。ただ、自分にとって必要なツールだという感触はもてなかった。面白い本ではあり、面白いと思わせる文章力ではある。結局、メール、ML、チャット、SNS、ブログと追いかけてきた人にとっては革命的なツールなんだろうなあという印象かな。ニュースサイトにフィルターをかけて送ってもらえる機能なら欲しいな……とは思った。



社会学入門
〈多元化する時代〉を
どう捉えるか

稲葉振一郎
★★★★

よくこれだけわかりやすく、おもしろい文章が書けるものだ、というくらいわかりやすくおもしろかった。しかし、「社会学入門」というわりには社会学者が読んだら違和感を感じるのでは……もっといえば、怒るのでは……という論述が多々あった。本当に「社会学入門」として成立しているのか否かが知りたい。しかし、デュルケムもウェーバーもパーソンズもまともに読んだことのないぼくには判断がつかない。ましてや、ダン・スペルベルなどという学者は聞いたことさえなかった。これじゃだめである(笑)。ただし、多用されている具体例とその分析は、社会学を理解するためにではなく、具体例の用い方、描き方という観点でずいぶんと勉強になった。読んで良かった。





私が見た21の死刑判決
青沼陽一郎
★★★


これが自分にとって役立つかという視点で考えたときには★3つだが、内容自体は抜群に面白かった。つまり、読み物としては★5つということである。裁判員制度が始まって数ヶ月が経つけれど、この本を読んでいると、やっぱり一般人には酷だし、無理だなあと思う。同じ裁判官が事情に対応してそれぞれ別々の高度な判決の違いを示したり、被告人の人間模様があらわになったりと、ちょっと一般人にはこうした判断は難しいだろうな、と思う。それでもやらなければならないというのなら、3日間などと言わずに、ちゃんとやるべきなのだろうなあ……とも感じた。著者の文章もうまい。すいすい読める。しかも著者の論理もよくわかる。良書である。



社会は存在しない
セカイ系文化論

限界小説研究会
★★★★★

宇野常寛を読んだ読者なら、この書も同時に読むべきである。知的な若者達が、しかも無名の若者達が笠井潔の力によって、若者が何を考えているのか、セカイをどう認識しているのか、「エヴァンゲリオン」以降のいわゆるセカイ系と呼ばれる認識の在り方がどういう構造によってつくられているのか、こういったことを吐露している。ぼくらの世代では考えたこともないようなセカイ認識の在り方がここにはある。おじさん世代こそが読むべき書である。それにしてもおもしろかった……。



books2010
books2009
books2008



music


Re-Cool Reflections
寺尾聰
★★★★★


1. HABANA EXPRESS
2. 渚のカンパリ・ソーダ
3. 喜望峰
4. 二季物語
5. ルビーの指環
6. SHADOW CITY
7. 予期せぬ出来事
8. ダイヤルM
9. 北ウィング
10. 出航 SASURAI
11. ルビーの指環 1981

2006年。もちろん1981年に元盤を聴いたときのような衝撃はない。でも四半世紀を経て還暦近くなった寺尾聰が当時と同じような印象のボーカルをとり、アレンジが変わって、かつて聴きまくった名曲たちが復活したのでは、おじさんとしては★を5つつけるしかない(笑)。なんというか、自分の14歳という1年間がぎっしりと詰まっている、そんな印象を与える名曲たちである。こういうアルバムのつくり方があるんだなあ……と感心させられた1枚。



延長戦を続ける
大人たちへ

馬場俊英
★★


ディスク:1
1. 夏の午後の長い坂道の途中で
2. 青い風の招待状
3. 世界中のアンサー ~Album Version~
4. 海を渡る風
5. ディスタンス ~Album Version~
6. 時間切れ ~Album Mix~
7. 明日の旅人
8. いつか君に追い風が
9. ファイティングポーズの詩
10. 雨のシーズン
11. 二十年後の恋
12. 君がくれた未来
13. 色褪せながら 輝きながら
ディスク:2
1. 君はレースの途中のランナー
2. 明日へのフリーウェイ
3. ただ君を待つ
4. ロードショーのあのメロディ ~弾き語り~
5. いつか君に追い風が
6. ボーイズ・オン・ザ・ラン with コブクロ

アルバムタイトルが気になって、存在さえ知らなかった同い年のシンガーソングライターのアルバムをAMAZONに注文してしまった。ボーカルが甘ったるくて趣味じゃない。でもずいぶんと隠喩のうまい、象徴的な歌詞を書く男だなという印象。こんな書き方で、ファンの方がいたらすみません。スプリングスティーンの影響があるかな?



MIS CAST
沢田研二
★★★★★


1. News
2. デモンストレーション Air Line
3. 背中まで45分
4. Darling
5. A.b.c.d.
6. チャイニーズ・フード
7. How Many “good Bye”
8. 次のデイト
9. ジャスト・フィット
10. ミスキャスト

1982年。陽水の「LION & PELICAN」と同時期にリリースされた沢田研二のアルバム。それも全収録曲が詞・曲ともに陽水。うち「チャイニーズ・フード」「背中まで45分」の2曲は「LION & PELICAN」と重なっている。このアルバムはすごい。これまた詞がいい。曲もいい。そしてアレンジもいい。たぶん高校時代から数百回聴いていると思うが、まったく飽きない。個人的には「A.B.C.D」「ミスキャスト」が好き。「How many “good bye”」では陽水がコーラスでも参加。



LION & PELICAN
井上陽水
★★★★★


1. とまどうペリカン
2. チャイニーズ・フード
3. 約束は0時
4. 愛されてばかりいると
5. カナリア
6. ラヴ ショック ナイト
7. リバーサイド ホテル
8. お願いはひとつ
9. ワカンナイ
10. 背中まで45分

1982年。陽水のアルバムはそれほど聴いているわけではないので、これが最高傑作といえるかどうかはわからない。でも、このアルバムは思わずそう言いたくなる完成度である。なんせ詩がいい。高校時代に初めて聴いたときにもいいと思ったのだけれど、齢が上がれば上がるほど味わい深さが出てくる。このアルバムがなぜ、あの程度のセールスで終わってしまったのか、ぼくには不思議でならない。



TRUE BLUE
MADONNA
★★★


1. パパ・ドント・プリーチ
2. オープン・ユア・ハート
3. ホワイト・ヒート
4. リヴ・トゥ・テル
5. パーティは何処に
6. トゥルー・ブルー
7. ラ・イスラ・ボニータ
8. ジミー・ジミー
9. ラヴ・メイクス・ザ・ワールド・ゴー・ラウンド

1986年。MADONNAの3枚目のアルバムだったろうか。確か、「バーニング・アップ」「ライク・ア・ヴァージン」に続いての3枚目だったと思う。話によると、どの曲もシングルカットできるように、そしてアルバム自体もメガヒットするように、「売れる曲」だけで構成するというコンセプトでつくられたらしい。確かに「売れる曲」だけでつくられている感がある。セミナー準備のために数十冊の本をぱらぱらめくりながら、BGMとして流し続けていた。このアルバムを流していると、書斎が心地よい空間になる。仕事も進む。気分もいい。たいしたもんである。


music2010邦楽
music2010洋楽
music2009邦楽
music2009洋楽
music2008



movie


ジェネラレル・ルージュの
凱旋

監督:中村義洋
出演:竹内結子・阿部寛
堺雅人・羽田美智子


くだらないものを見てしまったな、という感じ。「チーム・バチスタ」にあったエンターテインメント性さえ消えていた。なんのためにつくられたのかさえわからない。



感染列島
監督:瀬々敬久
出演:妻夫木聡・檀れい
★★★


ずいぶんとハリウッド映画を意識したつくり。日本映画にもこういうものが出てきたのだなあ…という印象。ストーリーはどうということもないのだが、佐藤浩市とか藤竜也とか、脇の役者の使い方がなかなか良かった。爆笑問題田中もいい味を出していた。まあまあ満足だった。



鑑識・米沢守の事件簿
監督:長谷部安春
出演:六角精児・萩原聖人

★★

今年の学祭でネタにしたこともあって、また、上映当時、ずいぶんと六角精児がテレビ出演して宣伝していたので、割と楽しみにしていたのだが、ちょっとがっかり。「相棒」劇場版のときにも感じたのだが、映画にする必要を感じない。まあ、テレビドラマとしてなら、割と満足度の高い内容だったかも知れない。


これまでのmovie