理論・実践の糧とした著作             BACK
     ―明治図書出版物の中から―

 久し振りに,「書きたい!」と思う原稿依頼が送られてきた。「特集解説」を一読しただけで「書
きたい!」と感じたのは,本当に久し振りのことだ。
 とは言え,この手の原稿を,私はここ4年で3回書いている。私は普通より本を読む方ではあろう
が,「何度も読み返す」本など,4年や5年でそうそう増えるはずもない。そこで,今回は,江部満
編集長に敬意を表して,明治図書にしぼって,しかも国語教育関係の書籍にしぼって,私の学びや学
び方を述べてみたいと思う。

 私が明治図書の国語教育関係書籍の中で,何度も読み返す5冊を選ぶと,次の5冊になる。
 1)『国語科教材分析の観点と方法』
      大内善一著(「授業への挑戦」58/1990年2月)
 2)『説明文の読み方・書き方』市毛勝雄著(「教育選書」1/1985年8月)
 3)『国語教育と読者論』関口安義著(1986年2月)
 4)『読者としての子どもと読みの形成』井上一郎著(1993年2月)
 5)『感動中心の文学教育批判―文法論的文章論の役割』
      永野賢著(「国語科授業改革双書」26/1998年7月)

 この5冊はどれも名著だ。この5冊はすべて,書斎の机からすぐに手の届くところに並べて置いて
ある。椅子のすぐ後ろ,つまり「椅子ごと回ればすぐそこにある」という位置に,である。どの本も
もう汚れてしまっている。赤線と付箋にまみれてしまった。
 私は本質的に古いタイプの国語教師である。上の5冊にもどうしても「読み」の本ばかり挙げてし
まった。だがこれからの国語教育において,本格的に取り組まねばならないとされる「話すこと・聞
くこと」「書くこと」に関する本を5冊挙げるとすれば,次の5冊になろうか。
  1)『聴く力を鍛える授業』
   高橋俊三・声とことばの会著(「国語科授業改革双書」28/1998年9月)       
  2)『反論の技術―その意義と訓練方法 』
      香西秀信著(「オピニオン叢書」20/1995年8月)                     
  3)『音声言語授業の年間計画と展開〜小学校編・中学校編』                                          
          巳野欣一監修・奈良県国語教育研究協議会編
              (「国語科授業改革双書」12・13/1997年5月)     
  4)『いま求められるコミュニケーション能力』
         村松賢一著(「オピニオン叢書」45/1998年7月)         
  5)『レトリックを作文指導に活かす』
         井上尚美著(「国語教育ブックレット」11/1993年9月)           
 これらも名著だ。もし私が「音声言語の本で一番のおすすめは何ですか」と訊かれたら,3)を推す。
一般にこういった共同研究の著作は売れないようである。「ことのは」の面々もこの本には,書店で
目にしても手を延ばさなかったようだ。だが,この本に掲載されている指導事項一覧及び年間計画は
見事である。読者の皆さんにも,ぜひ一読をお勧めする。こういった共同研究も,「価値あり」と見
做せば出版する。江部氏の炯眼には恐れ入る。 さて,「何度も読み返す」という実態には,通して
読むのではないが,辞書のように「調べるために何度も開
く」というタイプのものもある。この類いの本として5冊挙げると次になる(ただし『国語教育研究
大辞典』をはじめとする辞典類・事典類は当たり前なので除くこととする)。
  1)『言語技術教育としての文学教材の指導』
           鶴田清司著(「国語科授業改革双書」1/1996年7月)
  2)『「詩の技法」をどう教えるか』                                                                 
      小海永二監修・言語技術教育学会長岡支部著
                (「国語科授業改革双書」19/1997年10月)         
  3)『西郷文芸学入門ハンドブック1〜5』
   〈文芸学・教材論・虚構論・人物論・表現論〉西郷竹彦著(1995年8月)      
  4)『野口芳宏著作集 鍛える国語教室A―向上的変容を促す授業の技術』
                        野口芳宏著(1990年8月)
  5)『文学教育基本論文集 (1)〜(4)』
           西郷竹彦・浜本純逸・足立悦男編(1988年3月〜9月)
 すべて授業づくり,原稿執筆の度にひもとく著作ばかりだ。
 私は国語教師としての専門意識が強い。明治図書には,私を含めて,専門意識の強い国語教師には
耳の痛い著作も多い。しかし,これらの著作を無視する教師は,教師としての資質・力量もそこまで
だ。それらを無視した時,国語教師としての成長もストップしてしまう。専門意識が強ければ強いほ
ど,それらの著作を読み返し,その発想を学び,反論されるような要素を一つ一つ是正していかねば
ならない。そういった国語教室を作らねばならない。そしていつの日か,堂々と正面切って反論しよ
うではないか。
 その意味で,常に手の届くところに置き,何度も読み返すのが次の5冊だ。
 1)『国語の授業が楽しくなる』向山洋一著(「教師修業」9/1986年2月)                             
 2)『国語科授業批判』宇佐美寛著(「教育選書」5/1986年8月)                                     
  3)『カルテ・座席表で子どもが見えてくる』
            星野恵美子著(「授業への挑戦」129 /1995年6月)         
  4)『「討論」で授業を変える』石黒修著(「授業への挑戦」26/1988年2月)                            
  5)『「分析批評」の授業づくり1 理論編』
              浜上薫著(「授業への挑戦」61/1990年2月)                         
 向山氏と宇佐美氏の著作には,いつも触発される。このお二方の主張には,特に反対なわけではな
い。戦後の国語教育の駄目な部分,足りない部分を言い得ている。両氏のストレートな物言いが,随
分と物議をかもしたが,国語教師のお偉方は両氏の主張に真摯に耳を傾けるべきだろう。
 星野氏の主張には,私は明確に反対する。こんなことはできるわけがない。だが,教師たるもの,
この発想に否定的な者はいないだろう。教師の本務の一つの理想型がここにある。学ぶべきことは多
い。
 石黒氏の「討論」の授業には,私は否定的である。この著作は,追試が主であり,しかも随分前の
著作でもあるので,現在は,石黒氏自身がこの頃とは主張を異にする部分も多いだろうと推測する。
しかし,文章の検討の仕方,意見の述べ方などについて,「自分は石黒氏の手法に何が足りないと感
じているのか」を考えることによって,随分と思考を活性化された。その意味で,私は面識もない石
黒氏に大きく感謝している。
 浜上氏の「分析批評」は,理論に引っ張られ過ぎている感がある。体系に引っ張られ過ぎているの
である。浜上分析批評のうち,何が必要で何が必要ではないかを私は随分と考えた。現在私が行って
いる文学の授業は,その多くが鶴田清司氏と大西忠治氏の影響下にあるが,浜上氏の著作を通しての
思考の成果にも随分と依拠している。本というものは,こういう読み方をも大切にしたい,と考えて
いる。
 私がこれまでに読んだ国語教育の著作の7割は明治図書だ。江部氏に改めて感謝申し上げたい。