書斎日記2009






春の2セミナー終了/2009.03.29(日)

28日(土)が中学校・国語科授業づくりセミナー。29日(日)が中学校・学級経営セミナー。ともに会場は「ちえりあ」中研修室1である。28日が二十名強、29日が三十名強。中学校教師だけを集めた学習会としては、よく集まったなという感じ。

「研究集団ことのは」としては、初めての二日連続開催。しかも別コンテンツ。それをさらりとやってのけるのだから、「ことのは」メンバーもたいしたものである。思えばぼくらも、18年もの間、走り続けてきた。いつのまにか、このくらいの提案はできるようになっていたらしい。

28日(土)/中学校・国語科授業づくりセミナー

テーマは「『活用力』を高める言語活動の具体化」。新学習指導要領・国語科の理念と構造をおさえながら、札幌市で採択されている教育出版教科書の「読むこと」教材を用いながら、その授業像を提案していこうというもの。

第一講座はぼく。「新学習指導要領国語科の理念をどう実践化するか」と題された基調講座である。時間は60分。前半は戦後の学習指導要領の変遷を追い、今回の指導要領がどういう位置づけにあるのかを提示。後半は新指導要領に大きく影響を与えたOECDの「PISA型読解力」の理念を解説しながら、「情報の加工」「非連続型テキスト」「指摘・解釈・評価」の授業像をごくごく簡単に提案。これまで、60〜90分で語ってきた講座4本分のエッセンスだけでつくった講座である。具体例はその後の6人にまかせて、ぼくは理念と構造を中心に語った。参加者には少し難しかったかもしれない。

第二講座は友利くん。聞くと、「ことのは」イベント初登壇らしい。しかし、講座を聞いてみると、そうとは思えぬ堂々とした話しっぷり。彼は顔で得をしている(笑)。緊張していても緊張しているように見えない。これは笑い話のようだが、教職に就いた者にとっては大きな武器になる。こういう容貌をもっているだけで、新卒からスタートラインが違う。さて、内容は主に「少年の日の思い出」を用いて、エーミールの呼称の変化を追っていく提案。「夏の葬列」や「ウミガメと少年」「故郷」にも発展していける、スタンダードでありながらもかなり大きな提案となった。

第三講座は小木さん。菊池寛の「形」の最後の二文の絵コンテを書かせ、それを交流させることによって最後の二文の意味・意義について考えさせようという実践。習得から活用へという理念を見事に具現化した講座だった。よく、「河童と蛙」や「走れメロス」でイメージ画を描かせる実践があるが、文章を検討させるのに絵コンテを使うという実践は、その根本的発想が異なる。イメージ画は読解の結果として描かれるものであり、絵コンテは読解の導入として用いられる手法である。参加者ともこの点が議論となった。

昼休みをはさんで、第四講座は幹也くん。「ウミガメと少年」の語り手をクローズアップしようという講座。ストーリーとプロットの違いが参加者に落ちたか。そこがポイントとなるタイプの講座である。幹也くんは語り口がソフトでなめらかだからなんとか形になったが、講座担当者と参加者との間の知識のギャップを埋めるのに苦労した講座だった。一度、少人数でいいから、文学教材の「語り」に内容を絞った研究会もやってみたいものである。

第五講座は對馬くん。事前検討をしていなかったので、ちょっと心配な講座だったのだが、「動物の睡眠と暮らし」「ものづくりの知恵」を用いて、細かな言語技術をしっかり習得させようというタイプの講座。その中で要所要所に〈習得的活用〉、つまり、新たなことを習得させるために既習事項を活用させるというタイプの「活用」を配していた。特に、字数指定を変えての要約指導などは、もっと評価され、実践されていい手法だ。

第六講座は森くん。キーワード・ネーミング・小見出しなどなど、内容を象徴したり代表したりするラベルをどう取り出したり創造したりするか、それを「ガイアの知性」「知ることの魅力」という二つの文章に即して解説していく、そういう講座構成である。いつもの森節で参加者を惹きつけてはいたが、「これが活用か」という点になると、ぼくの考えとは異なる。これはばりばりの習得授業だとぼくは思う。ただ、いろいろな考え方を提示し合い、絶対軸をつくらないのが「ことのは流」である。その意味では、こうした提案は全然ありである。そこが「ことのは」が評価される一番の理由である。

第七講座は山下くん。池田晶子の「言葉の力」に挑戦。自殺願望をもつ若者の新聞投書、それに対する反論投書6編を教材化して、まずは道具言語の限界性を顕わにする。その後、実際に参加者にも反論・説得を試みてもらい、更に道具言語の限界性を実感してもらう。こうして初めて、「言葉の力」を読む。こういう構成である。割と文章内容もすっきりと整理して提示し、道具言語と言霊言語という対立を顕在化させることができた。ただ、「活用」を考える場合、「道具言語と言霊言語の二項対立」ということをしった瞬間、その認識がすぐに道具言語化してしまうという論理矛盾を内包している。これを発展的ベクトルとして、「心の構え」としてもたせることができれば、「活用」になり、しかも「国語教育」の完成形にさえなっていくはずである。山下くんにはその夢を追って欲しい。

このセミナーのあと、いつものように「とことん」で小宴。堀・森・山下・幹也・友利の5人のメンバーの他、大谷さんや名古屋の石田くん、今回仙台から参加の早坂さんが加わって8人で和気藹々。更に堀・幹也・友利・石田で円山のバーへ。楽しいひととき。

29日(日)/中学校・学級経営セミナー

「学級開きのポイント/生徒指導のイロハのイ」と題された、中学校の学級経営にしぼった定員30人のセミナー。今年度の活動の半分くらいを占めそうな企画の第1回目である。こうしたセミナーを開くのは、実は参加者のためというよりも自分たちのためである。ふだん何気なく、或いは無意識にやっていることを、講座として成立させようとすると考えなければならなくなる。それがコンテンツとして確立していき、次第に整理されていく。そして整理されると、次の課題が見えてくる。「研究集団ことのは」がこうしたセミナーを開くのは、こういう研究スタイルを確立しているからだ。つまり、今年は学級経営の手法を整理していく1年になる、ということだ。

第一講座はぼく。「学級開きのポイント」と題した90分講座である。「3・7・30・90の法則」について60分ほど、今年度の1年1組の学級システムを紹介。@生徒たちに意識化させること、A生徒たちには意識化させずに教師が感化して感覚的に身につけさせること、それぞれの指導事項がどちらに位置づけるのが効果的なのかということを話す。その他、「学級経営の相対評価」「学年団のチームワークの形成」について提案し、ここで時間切れ。一つ一つをかなり丁寧に、ゆっくりと話したので、今回はぼくの言ったことが伝わったのではないかと思う。

第二講座は山下くんと幹也くんの「学級組織づくりの勘所」。山下くんが職員組織から学級組織まで、その構造をプレゼン。学校運営・学年運営・学級運営のすべてが密接につながっていることを提示した。その後、学級組織をつくっていくための細かな手法について幹也くんが自身の実践を紹介。

第三講座は森くんと幹也くんの「担任と生徒の時間を豊かに過ごすアイディア」。幹也くんがビデオやスライドをもってきて、朝学活や帰り学活、生徒とのコミュニケーションの実際を提示。その後、森くんが学級担任として、見通しを持って時間を使うことの意味・意義を整理して提示。

第四講座は生徒指導ワークショップ。司会の幹也くんが問いを出して参加者に考えさせる。更に参加者同士の交流。そして堀・森・山下が意見を言う。こうした構成。この中で、第一講座で話せなかった「現代的生徒の特徴」について15分ほど話す。幹也くんの問いは3問。「生徒指導に自身はありますか。それはなぜですか。」「子どもウォッチング、意識してウォッチしていることを教えてください。」「最近うまくいった指導事例を一つ紹介してください。」

今回の学級経営セミナーもまずまず。昨年度、この企画の練習を3回していて、これまでにも参加していただいていた参加者には内容的に重なる部分があって申し訳なかったが、今後はほとんど重なりがなくなっていくだろう。このセミナーもまずまず軌道にのったようで、何よりである。




さらば上篠路/2009.03.26(木)

転勤である。勤続4年。転勤としては早い。

なぜ、出るのか。いろいろな人に訊かれたが、言い訳はしない。強いて言えば、着任時に期待されていた役割を終えたから、という感じである。

ぼくが上篠路を出たのは、だれのせいでもない。校長も教頭も「残れ」「残ってくれ」とおっしゃってくださいました。ぼくが上篠路を出るのは、すべてぼくの意志である。ぼく自身の意志である。もちろん、すべての責任はぼくにある。

さらば、上篠路。



場数を踏ませること/成功体験を味わわせること/2009.03.23(月)

今日、4時間目に学年集会があった。生活の話、学習の話、宿泊学習に向けて、一年間のまとめのお話と、いわゆる「先生のお話」の四連発である。

ぼくの学年は、学年主任で1組担任のぼくが42歳、副主任で4組担任の女性教諭が39歳、2組担任の男性教諭が26歳、3組担任の男性教諭が27歳という構成である。今日の集会は生活の話が27歳の男性教諭、学習の話が39歳の副主任、宿泊学習に向けてが26歳の男性教諭、一年間のまとめがぼく、という順で話をした。

42歳や39歳はまあいいとして、今回、ここで考えてみたいのは26歳と27歳である。

ぼくが新卒で赴任した学校は、3学年あわせて29学級という大規模校だった。各学年が9〜10クラスである。10クラスあるということは、もちろん学年に学級担任が10人いるということだ。しかも、その他に学年所属の副担任が5〜6人いることになる。常に15,6人の教師で学年団を組むわけである。

学年教師もこのくらいの人数がいると、学年集会の話なんてものも、当時のぼくのような二十代にはまったくまわって来ない。ぼくがいまでも覚えているのは、当時32歳だった数学教師が学年集会で学習について話をしたあと、その経験が初めてであったらしく、職員室で、50歳の学年主任や学年所属の55歳の教務主任に、話の仕方で直すべきところ、良かったところなどについて助言されていた光景である。その数学教師はぼくの目から見てもガチガチに緊張していて、不遜なぼくは「なんでこんなに緊張するのかなあ…」などと陰で嗤っていたものである。これが確か、新卒一年目の夏休み前、7月だったはずなので、たぶん平成3年の夏のことである。

この学校にぼくは平成10年の3月まで勤めた。7年間在籍したわけである。いまから考えると信じられないことだが、ぼくはこの7年間、ただの一度も学年集会に登壇したことがなかった。

なんとなく、学年集会の話は学年主任と副主任がするものという慣習があり、この二人は各集会での登壇からはずれることはない。そうすると、先生の話で構成される学年集会なんてものは年に3回くらいしかないから、しかも主任・副主任以外の話の枠なんてものは各集会で残り一枠くらいしかないから、主任・副主任以外で登壇するのは年間で3人程度だったのである。となると、当時二十代のぼくなどは鼻にもかけられない。こんなわけで、当時のぼくは7年間、ただの一度も学年集会に登壇しなかったわけである。

二校目の赴任先は21学級。各学年7クラスだった。学年の先生は担副あわせて11人。

ここがまた、管理的というか官僚的な学校で、学年集会で話をするのは学年主任と副主任、そして学年の生活担当とがちがちに決まっている。当時三十代前半で、研究や教務ばかりやっていたぼくは、これまた登壇機会がない。結局、ぼくが初めて学年集会に登壇したのは、現行指導要領が移行期間に入った2000年4月、「総合的な学習の時間」係として総合のガイダンスの時間でしゃべったときだった。しかも、1時間いっぱい、学年240人に授業をするという形である。ぼくは34歳になっていた。いまからたった8年前のことである。

当時のぼくは、既に様々な研究会で模擬授業や講座、講演を年に何十本もこなしていて、まったく面識のない人を巻き込みながら話を進めていくことにも慣れていた頃である。240人の生徒相手に授業をすることくらいには「緊張のキの字」もない、そんな状態になっていた。しかも、適当に生徒に意見を言わせながら、更には適当に生徒をいじりながら、うまく話を意図する方向にもっていくこともできるようになっていた。その手法は学年教師たちからも認められたようで、以後、その学校でも、学年集会のたびにぼくは登壇機会を与えられるようになった。この学校にも7年間在籍した。

4年前、ぼくは現在の勤務校に転勤になった。平成17年の4月である。ぼくは小さな学校の学年主任になった。一年目こそ担任3人が40歳前後の者ばかりだったが、二年目には2組の担任が25歳の若者になった。実はこの若者が、現在、ぼくの学年で3組の担任をしている男性教諭である。

このとき、ぼくが第一に考えたことは、この若者から「教員になったことに伴う恐怖感」を払拭してやろう、ということだった。彼の学級の生徒指導には必ずぼくもいっしょに入り、学年集会にも何度も何度も登壇させた。保護者集会にも登壇させた。こまかな学級指導も事前に念入りに打ち合わせをして、絶対に失敗しないようにさせた。

とにかく、

場数を踏ませること

成功体験を味わわせること

この二つが、ぼくにとってこの若者を育てるためのキーワードだった。

いま、昨年の担任3人に、更に26歳の若者が一人加わって、4人で学年の担任陣を構成している。

ぼくは今年度、自分が学年集会に登壇する機会を極力減らしている。副主任の登壇機会も極力減らしている。常に27歳に生活の話をさせ、26歳に学習の話をさせる、という構成である。ぼくと副主任は要所要所に出ていくだけだ。それで充分にまわる。しかも、若者たちはそれを当然と思っている。更には、生徒の前で話すことに自信をもち始めている。ぼくの仕事は、彼らが天狗になりかけていたり、ちょっと話の構成が雑になっているなと感じたりしたとき、予定外に5分くらい話をしたり、30分生徒をしーんとさせ、惹きつけたまま話し続けたりして、格の違いを見せつけてやることだけだ。

実は、保護者集会も同様である。ぼくの出番は集会冒頭の挨拶だけである。副主任の出番も予算案の提示と決算報告だけである。保護者相手だというのに、常に生活の話は27歳、学習の話は26歳なのである。保護者によっては、自分たちよりも10も若い彼らばかりが保護者集会に登壇するのを、もしかしたら「なめているのか」と思う方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、ぼくの意図はそうではない。この学年の教師団が、この学年の生徒たちにプラスの教育を施していくためには、この二人を急成長させることが最も効果的なのである。実はこれは間違いなく、長期的に見れば保護者の願いとも同一ベクトルにあるのである。

彼らが若いからといって、保護者を怖れているようでは話にならない。さっさと場数を踏ませて、「緊張のキの字」もない状態で保護者の前に立てるようにならなければならない。

理由がもう一つある。それは学年教師の成長が自分たちの目にも明らかなくらいに見られるとき、実は生徒たちにもとても大きな影響を与えることができるのだ。成長する教師のもとでこそ、生徒たちの成長も大きい。理屈ではない。そういうものなのだ。

その上でも、

場数を踏ませること

成功体験を味わわせること

この二つが大切なのである。

彼ら二人は、これからも学年集会にも、保護者集会にも立ち続けるだろう。そして二年後、「生徒にも保護者にもちゃんとかかわった」、そういう3年間に思いを馳せながら、ちゃんと自分の学級であり、自分の学年であり、自分の生徒たちであり、自分の保護者たちであるという、ちゃんとした実感、腹のそこからの実感を抱いて、卒業式に臨むはずである。

こういうことを考えるのが、学年主任の仕事である。



夏が来る/2009.03.21(土)

最近、自分史ということをよく考える。別に自分史を書こうなどと年寄りくさいことを考えているわけではないので、誤解のないように。

ただ、自分がいま依って立っている教育論、文学論、教育実践手法、そして言語観、人生観、人間観、社会観、世界観に至るまで、どうも自分の「世代」ということからまったく解放されていないのだということを、腹の底から納得させられる論述にちょくちょく出逢うようになったのだ。これはつまり、自分の世代の書き手が世に出回り始めていることを意味する。そういう年になったのだ、ということでもある。

今日、平松愛理の「Erhythm」と大黒摩季の「BACK BEATs ♯1」を続けて聴いた。この二枚のアルバムを聴いていて思うことは、ここに描かれているのが、かつて自分が青春期に理想とした女性像である、ということである。ほぼ同世代の女性ソングライター二人が、本質的に共通する女性像を描いていることに、しばし思いを馳せた。

まずは、「Erhythm」から「もう笑うしかない」の、「BACK BEATs ♯1」から「夏が来る」の歌詞を引いておこう。

この二曲に共通して描かれているのは、能力の高い女性がその内面にもつ「純愛志向」である。おそらく、女性が男性と対等に仕事をすることが国是とされ時代是とされるとともに、70年代以降の「なかよし」「マーガレット」に代表される純愛路線少女漫画的「乙女ちっく」が精神の奥底にまで浸透した世代の、どうしようもない二面性が描き出された世界観であろう。

90年代初頭、平松愛理と大黒摩季は、こうした世代、つまりは当時の二十代女性に圧倒的に支持された。そして、当時の二十代男性、特にキャリア志向をもち、生活レベル向上志向をもつ当時の二十代男性たちの理想の女性像と、平松愛理や大黒摩季の描く女性像とは重なり合っていたように思えるのである。

さしずめ、現在なら、オタクの理想のひとつとして数えられる「ツンデレ」になろうか。

しかし、ぼくの印象では、平松愛理・大黒摩季の描いた女性像と、いわゆる「ツンデレ」とでは、その本質が大きく異なる。

ちなみに、「ツンデレ」は「ツンツンデレデレ」の略語で、ウィキペディアによれば次のような定義があるようだ。

1.日常ではツンとしているものの、思いを寄せた人と二人きりになると、デレっとすること(『イミダス2006』2005年11月発売、集英社)

2.普段はツンツン、二人っきりの時は急にしおらしくなってデレデレといちゃついてくるようなタイプのヒロイン、あるいは、そのさまを指した言葉(『現代用語の基礎知識2007』2006年11月発売、自由国民社)

3.オタク用語から一般に浸透しつつある言葉で、普段はツンツンとしているが、ある条件下になるとデレデレといちゃつく状態や人物を指す(『知恵蔵2007』2006年11月発売、朝日新聞社)

4.もともと好きな異性の前でデレッとしてしまいがちな女性がそうならないように自分を律してツンツンしているというように、一つの性格の中で移行するのが、ツンデレ(『ダ・ヴィンチ』2007年2月号、2007年1月発売、メディアファクトリー)

この四つの定義に見られるように、「ツンデレ」が想定しているのはあくまで「日常ではツンツン」「異性の前ではデレデレ」という二面性的態度に特化されている。わかりやすく言えば、甘えん坊の本質を自分だけにしか見せないということにこそ重要性がある。オタクたちにとって、自分とのつながりこそが重要度が高いということであろう。

しかし、ぼくらが80年代から90年代初等にかけて理想像とした女性には、キャリア、或いは仕事上の能力が高いということが、二人きりで女性らしさが見えるということと同等に大切なのであった。家柄のいい高嶺の花とか、可愛いだけのお嬢様とか、そういう身分や容貌といった決定論的な属性ではなく、志をもち努力をともなった成長願望をもって社会と対峙し、時にその社会に疲れを見せてその癒しを自分に求めてくる、そういう女性像なのである。その意味で、キャリアやスキルアップの要素をもたない、現代の「ツンデレ」幻想は、女性像を現象的なもののみに矮小化したものに過ぎないようにぼくには感じられる。

こうした要素は、女性同僚や学生時代の女友達の話を聞いているとよくわかる。

例えば、現在、35歳〜45歳くらいの女性同僚を見ていると、かなり仕事に対してプライドをもって当たっているのを見て取ることができる。自分が「違う」と思えば上司にもモノを言い、自分の主張をはっきりと示す。すぐに根を上げず、ヘルプをなかなか出さない。自分の領域はあくまでも自分の力でやろうとする。そういう意気が感じられる。つまり彼女たちは仕事において、ほとんど「女」を武器にしない。

ところが、30歳以下あたりから、多くの女性同僚に、自分は「教えられる権利がある」「スキルアップというものは周りに支えられながら図るものである」という意識がはっきりと見て取れる。自分は若いのだからちゃんどできなくて当たり前、上司の皆さん、わたしが困ったときには助けてください、という態度である。そして、一つ一つ、教えられたことに関してはちゃんとやらなければならない、もう手助けは求められない、と思うようになる、こうした態度である。大きな分岐点が32、3歳にあるようにぼくには感じられる。

誤解しないで欲しいのだが、ぼくは後者を批判しているのではない。ぼくから見れば、ヘルプを出してくれず、手遅れになってから後始末に奔走しなければならない同僚よりも、さっさとヘルプを出してくれて致命的になる前に対処できるほうがいい、という側面があるからだ。

しかし、その精神性においては、ぼくは後者よりも前者のほうが圧倒的に尊いと思う。そして、ぼくには後者よりも前者のほうが圧倒的に好ましく映る。そして前者は、80年代から90年代初頭に青春期を過ごした世代なのであり、平松愛理や大黒摩季が「もう笑うしかない」や「夏が来る」で描いた精神性を確かにもっている世代にぼくには映るのである。

こんな女性像は、ぼくらよりも上の世代から見れば、お笑いかもしれない。ぼくにはまだ分析ができていないが、ひと世代上とぼくらの世代の間にも、大きな感覚の違いがあるようだ。

例えば、「純愛志向「純愛信仰」を象徴する季節は、ぼくらより上の世代にとっては、間違いなく「春」である。いや、ぼくらの世代にとっても、一般的には「春」であろう。ちょっと思いつくだけでも、松任谷由実は「春よ、来い」と歌い、中島みゆきは「春なのに」、岩崎宏美は「春おぼろ」と歌った。

しかし、大黒摩季は「夏が来る」と歌ったのだった。「わたしの夏はきっと来る!」とシャウトしたのだった。この「純愛志向」に対する熱さ、激しさをぼくらの世代は理解することができる。身体感覚として、この「夏」で象徴される「純愛志向」を受け止めることができる。



取り得る手立て/2009.03.12(木)

札幌市営の地下鉄で中学2年生の少女が自殺した。南区の中学校だと言う。どこの学校なのか、どんな事情があったのか、ぼくは何も知らない。報道によれば、一年ほど前に転入してきた生徒だと言う。

痛ましい事件だ。あまりにも痛ましい事件だ。札幌市の中学校教育に携わる者の一人として、こんな事件が自分の学校であったら、もう自分は教員を続けていけないだろうな、と思う。おそらく当該担任も、学年主任も、教頭も、校長も、同様の思いを抱いているに違いない。「なぜ、こんなことになってしまったのか」と。この一年間の、この女子生徒と自分とのかかわりを振り返りながら、何がいけなかったのか、どのようにすればこんなことにならなかったのか、それを一秒の間もあけることなく考え続けているに違いない。

親御さんも切ないだろう。哀しみのぶつけどころがない。そのぶつけどころのなさに次第に怒りがわき、学校や市教委にその怒りをぶつけるしかない。しかし、ぶつけてみたところで、何も変わらない。切なさと、虚しさとが増幅していくだけ。いくら説明を聞いたところで、娘を失った哀しみに「納得」などあり得ない。細かな情報が入ってくればくるほど、「なぜ」という問いは細分化され、増殖し、様々な可能性に分化され、それらの可能性ごとに新たなぶつけどころのない怒りがわきあがる。

その学校の生徒たちも、特に級友たちは、もうどうしていいかわからなくなっているはずだ。一年間、その女子生徒とどんなかかわりがあっか、まさか自分のせいだろうか、自分にまったく責任がないなんていうことがあるだろうか、そんな思いの中で、みんなで肩を落とすしかない。冗談を言うのは罪、家でテレビを見て笑うのも罪、そんな贖罪意識をもちながら、「死」というものと向き合っているに違いない。「死」とは何なのか、と。しかし、いくら考えても答えの出ようはずもない。

ただ一つだけ確かなことは、教職員も、保護者の方も、そして級友たちも、これまでの人生で経験したことのない「精神の危機」に直面しているだろう、ということである。しかも、これからの人生をも規定してしまう、忘れることのない危機に。

実はまだまだいる。地下鉄の運転手さんは? その地下鉄に乗っていた乗客たちは? いったいこの事件をどう思うだろうか。そして、どのように自分の中で整理をつけるのだろうか。彼女が一年前まで在籍していた学校の生徒たちは? その学校の教師たちは? もう数え上げたらきりがない。

人生にはいろいろな危機が訪れるものだが、その多くは時がたてば「笑い話」と化していく。そんな経験を幾度となく経験しながら、人は一つ一つ、世界観を広げていく。一歩一歩、成長していく。しかし、今回の経験だけは、どれだけ時がたっても、決して「笑い話」にはならない。懐かしく想い出すこともない。自分の中で整理がつけられることもない。しかも決して消えない。ただただ、一つの、強烈な痛みとして残っていくはずの経験である。

おそらく、この事件には、再発防止策などない。

どのように教育すればいいのか。

子どもたちに何を教えればいいのか。

「命を大切にする」教育を……? わかる。そう言いたいのはよくわかる。ぼくももちろん、「命の教育」をする。自分がかかわっている生徒たちに訴える。しかし、この少女の親だって、「自分の命を大切にしろ」とか「私より先に死んだら承知しないよ」とか、きっと言っていたはずである。担任教師だって、小さなトラブルがあるたびにその指導を施してきたはずである。教頭だって校長だって、全校集会で、始業式・終業式で、常に「命を大切にする」ことについては触れてきたはずである。ぼくだって、夏休みや冬休み前の集会のたびに、「死ぬな。命のほど大切なものはない。君が死ねば何人の人が悲しむか、考えてみろ。」という話をする。

どのように教育すればいいのか。

子どもたちに何を教えればいいのか。

おそらくそういうレベルの話ではないのだ。

そんなことを考えても、あまり効果はない。そんなことを語っても、きっと言葉が浮遊するだけだ。「どのように」教えるかとか「何を」教えるかとかのレベルではないのだ。そんなレベルの話で済むなら、この死に方は選択されない。今回の「死」には、ぼくらの想像を絶する、深い、あまりに深い絶望がある。彼女には、何か存在論的な問いがあって、その問いに絶望したのだ。まだ中学生とか、未熟であるとか、そういう問題ではない。どんな発達段階であろうと、いかに思考力が未熟であろうと、存在論的な問いは存在論的な問いであり、その密度に変わりはない。その濃度に変わりはない。ぼくにはそう思えてならない。

ためしに考えてみるといい。この少女が死を選ぶ一時間前に、自分がこの少女と対面しているとしたら、いったいなんと語りかけてあげられるだろうか……と。ぼくらは言葉をもたないのだ。まさに絶句するしかない。道具としての言葉は、この場において須くその機能を失ってしまう。そういうものなのだ。

なぜ死んだのか。

なぜこの事件は起こったのか。

なぜこの死に方が選ばれたのか。

必要なのはこういう問いである。しかし、こう問うたところで、それは深淵に迷い込むだけである。無理に一応の答えを出してみても、その所以は複雑きわまりないものになるはずである。そして、その一応の答えが出たところで、それにあった教育改革・学校改革を施し、その成果が出るまでには30年かかるだろう。

去年の保護者による監禁事件のような、対症療法(と言っては申し訳ないが)のような対策では埒があかない。システムを変えればなんとかなるというタイプの事例ではなく、教育観を転換するほどの大改革を求めるような事例であるからだ。

千歳の中学校の飛び降り自殺未遂といい、北区の保護者による監禁事件といい、そして今回の自殺事件といい、北海道の学校教育が、少なくとも石狩地方の都市型教育(都市型にあわせたつもりの教育)がそろそろシステム疲労を露呈し始めているようにも思える。

しかし、と同時に、それは、我々学校教育に携わる者の思考の限界、想像力の限界を露呈しているようにも思えるのだ。ぼくはこの少女が自分の学級にいたとして、正直に言って、取り得る手立てが思いつかない。この少女に対して、誠実な教師であろうとすればするほど、袋小路に陥ってしまう。それが多くの教師の心象であるように思えてならない。

このたびの少女のご冥福を、ただひたすらに祈りたい。



ポジリスト/ネガリスト/2009.03.02(月)

1.心の教育 … 規範意識・道徳意識の醸成/道徳教育の充実

2.学力の向上 … 授業時間の増加/全国学習状況調査の継続/土曜日授業の可能性/国語教育の充実/英語教育の充実/理数教育の充実/読書指導の充実/国による到達目標の明示/客観的な絶対評価/IT機器の積極的導入

3.時代に合致したカリキュラム … 主権者教育/法教育/消費者教育/食育

4.指導力不足教員の排除 … 免許更新制/教員評価制度/学校評価の充実/学校選択制の積極的導入

すべて中教審・教育再生会議・新学習指導要領という経緯の中で、「学校教育の充実」の旗印のもとに政策として策定されたものである。主なものを挙げただけで、細かく見ていけばまだまだあるはずだ。すべてここ数年で制度化されたものか、新学習指導要領の施行とともに制度化されるものばかりである。

ぼくはこれらを考えるたびに溜息が出る。こんなものを、だれが同時にできるのか、と。これらすべてを真に受けて具体化し具現化できる学校が、果たしてあるのだろうか、と。

しかし、愚痴っても仕方がない。制度化される以上、学校に選択権はない。やらなければならないのだ。少なくとも形だけは整えなければならない。それが真に機能するかどうか別問題として、機能するように努力することだけは怠ることを許されない。それが政策というものである。

ただ、なぜ、こんなにも膨大な政策が次々に学校教育を覆い尽くすのかを考えるのは有益なことだ。

「主権者教育」は政治に無関心な国民が増えたために、長い目で見て教育の力によって国民の主権者意識を醸成することが必要と考えて掲げられたものだろう。「法教育」は裁判員制度の開始を控え、司法に参画することを国民の義務として定めた以上、教育の力によって国民の法意識を醸成しようと考えたものに違いない。「消費者教育」は消費社会がもたらした国民の自意識過剰と経済観念の崩壊に業を煮やした一部政治家・一部経済学者の提案であろうし、「食育」は日本の食文化の崩壊に危機感を持つ農水族の提案に違いない。「早寝・早起き・朝ご飯」運動はこの動きに小さくない理論的根拠を与えたはずである。

どれもこれも見事に、反論する余地のない「あったほうが良いもの」ばかりである。これらがあってもだれも困らない。むしろ「あること」を歓迎する。そういうものばかりである。これを歓迎しないのは、自らがただただ徒労的忙殺に浴さざるを得ない、全国100万の教員のみだろう。

しかし、「あったほうが良いもの」、もっと本音で言えば「なくても困らないけれど、あればなお良いと考えられるもの」が、堂々と学校教育の政策として、制度として掲げられるようになったのはいつの頃からだったろうか。

そんなに昔のことではないような気がする。少なくとも、90年代半ばまではこんなにも「あれもこれも」「次から次へ」という感触は、我々教師は抱いていなかった。どんな政策が策定されても、「うん、頑張ればできそうだ」と思うことができた。それがいまは……。

思えば、つい十年ほど前まで、「学校教育」はネガティヴ・リストで規定されていた。「偏向した思想教育はいけない」とか「特定の宗教教育はいけない」とか「体罰はいけない」とか「偏差値教育はいけない」とか「管理教育をし過ぎてはいけない」とか「教師が必要以上の権力をふりかざしてはいけない」とか、ちょうど憲法が国家権力の暴走に歯止めをかけるように、「○○してはいけない」という言葉で規定されていた。

それがいまは、完全にポジティヴ・リストで規定されている。「○○すべきだ」「○○が必要だ」「教師は○○しなければならない」「○○くらいできなければ教師とはいえない」といった、「あれもこれも主義」「次から次へ主義」による規定である。

なのに予算的な裏付けは一切なし。当然、人的な保障もなし。多くの地方行政は学校五日制さえ維持せよ、と言う。せめて教員の増員くらいしてくれればいいのだが……、いや、文科省がそれに動こうとした時期もあったのだが、それも大分の教員採用や管理職昇進に伴う汚職事件で立ち消えになった。

結局、ソフト面は増大!増大!増大! ハードの改革は一切なし。教員はただただ締め付けられ、なお一層の努力が求められる。そういう構造である。特別な能力のない、普通のおじさん・おばさん先生は肩身の狭い思いをし、能力のある教員たちは他人の何倍もの仕事を有無を言わせずに押しつけられてパンク寸前になっている。いや、既にパンクしている教員が何人もいる。そういう現実がある。

教員集団なんて、もともとそれほど能力のある者が集まっているわけではない。あの、偏差値教育時代に、どうにか努力してせいぜい偏差値55〜60くらいを取り、地元大学の教育学部や教員養成カレッジにすべり込んだ人間たちの集団に過ぎない。スキルアップにも限界があると思うのだが……。

世論の動向とマスコミの報道を見ていると、「ポジティヴ・リスト的教育改革」が、再び「ネガティヴ・リスト的教育改革」へと移行する空気は、かけらも見られない。



唯一のコツ/2009.03.01(日)

ひと月ほど前、「書斎日記」に「仲良く、楽しそうにしている大人が身近にいること」という駄文を書いた。この文章がなぜか評判が良くて、プログにコメントがいっぱいつくし、メールで感想がいくつも送られてくるし、ココログでも紹介されるし、様々なブログで取り上げられるしで、書いた本人としてはとても意外な思いを抱いた。

おそらく、多くの教師が「仲良く、楽しそうに」子どもたちの前に立てない現実があり、教師ではない、一般の人たちから見ても教師は「仲良く、楽しそうに」は見えないのだろう。ぼくの駄文が小さな反響を呼んだのはたぶんそのせいなのだと思う。

では、なぜ、多くの教師たちは「仲良く、楽しそうに」していられないのだろうか。

自分一人で常に楽しそうにしていられるほど、人間は個人的な存在ではない。人間は須く関係存在である。「楽しそうにしてい」られるのも、周りの人たちとのかかわりの中で、楽しい会話がなされ、楽しいひとときがあればこそ、いつも「楽しそうにしてい」られるのである。つまり、事の本質は「楽しそう」にあるのではない。「仲良く」の方にあるのだ。

昨年の秋から、仲間たちと数人で「中学校・学級経営セミナー」を開講している。学級経営のシステム、学校祭・合唱コンといった行事の指導、生徒指導のイロハ、学級リーダーの育て方といった、若手担任が問題意識をもつであろう事柄について、ちょっとだけ先輩の我々がきれい事を廃し、本音で、具体的に語る、というコンセプトである。

当初は10人も集まればいいと思っていたのだが、参加者は常に30人前後。毎回、新規の参加者とリピーターとが半々という感じで、これまでの3回で60人程度が参加していることになる。

また、当初は、参加者に若手教師を想定していたのだが、割と年配…というか30代後半から40代の教師もたくさんしていて、こんな海のものとも山のものともわからないセミナーに参加しようとするほどに、学級担任が困難な時代になっているのだなあ、と改めて実感した次第である。

さて、このセミナーには、必ず最後に「Q&A」のコーナーがある。参加者に質問事項を書いてもらって、それを全体の場に出してもらい、ぼくを含めた数人の仲間たちがそれに応えるという形をとっているわけだが、この質問事項の中に殊の外「同僚問題」が多い。つまり、職場の同僚との関係をどうすれば改善できるかというものである。特に、学年団の仲が悪くて学年団が機能しないのだがどうしたらいいかとか、学年団の中に独り善がりの教師がいて学年団の和を乱すのだがどうすればいいかとかいった質問が約半分を占めているのである。これまた、いつの時代も悩みの種の筆頭は人間関係なのだなあ、と改めて実感した次第である。だって、学級経営セミナーと銘打っているのに、出てくる質問が生徒や保護者に関してではなく、同僚に対する悩みだというのだから。

これを聞いてぼくは訊きたくなる。

「あなたの学年の仕事は充実していますか?」と。

仲がいいから仕事が充実するのではない。仕事が充実しているから仲が良くなるのである。職場の同僚が仲の良い者同士が集まった友達集団でない限り、仕事の充実があってこそ人間関係の改善があるのだ。この逆はない。職員室は大学のサークルや井戸端会議集団ではないのである。

ぼくがそういう質問に対してよく言う言葉がある。

「あなたがこの場でそんな質問をしているということは、日常的にそんなふうに思っているということにほかなりません。日常的に思っているということは、職場でもそれが表情や仕草に必ず出ているはずです。とすれば、その独り善がりの先生のせいばかりでなく、あなたも学年によくない雰囲気をつくっている張本人なのですよ。他人を変えることばかり考えていないで、自分も変わることを考えてみてはどうでしょうか。」と。

しかし、これではきれい事である。他人がなかなか変えられないように、自分もまたなかなか変えられないものだ。そこで更に言う。

「まずは、あの人のせいで生徒指導がうまくいかないとか、学年の仲が悪いから物事が前に進まないとか、そんな愚痴をやめることです。そして少しでも具体的な仕事を前に進める努力をしてみることです。できれば、周りの人を一人でも二人でも巻き込んで。だれも仕事がうまくいかないことを喜んでいるわけではありません。成果が出ないから、やっても無駄だと思うから、自分の仕事が徒労に終わると予測されるから、人は我が儘になり怠惰になるのです。まずは時間がかかっても、その負のスパイラルを壊さないことには、学年団は永久に仲良くなれないし、組織として機能することもあり得ません。成果が見えるから、人は努力できるのです。」

ぼくが4年前、学年主任になったときに一番考えたことは、どうやって学年教師に自分たちの仕事が成果を上げていることを実感させるか、ということだった。成果が出ているという実感があるとき、なんだかんだ言っても良い方向に進んでいるという実感があるとき、細かなネガティヴ事象は乗り越えられるものである。人間の心とというものは、そういうふうにできているのである。

繰り返しになるが、仲がいいから仕事が充実するのではない。仕事が充実しているから仲が良くなるのである。決して、その逆はない。

それだけが、ぼくら教師が「仲良く、楽しそうにしてい」られる、唯一のコツである。



贖罪の感傷/2009.02.25(水)

ぴーちくぱーちくと管理職が喧しい。管理職人事の内示が出たためである。おめでたい人、残念だった人、いろいろいるのは世の常である。それ自体はどうでもいいことである。自分たちの世界の中で嬉しがったり悔しがったりすればいい。

しかし、どうでもいいこととして放っておけないことがある。それはかつて、管理職を目指しながら努力をした時期をもち、結局は昇進することができずに「使い捨てにされた」とふてくされているタイプの教師が決して少なくないことである。

彼らは職員室で要職に就かないことを当然の権利ででもあるかのように主張する。もちろん表だって主張する者などいない。彼らはこの手の主張を学校長との校内人事面談で行う。つまり、陰で主張するのである。

おそらくそこでは、自分は成功した者として、或いはぎりぎりでなんとか引っかかった者としての現在をもつ校長達が、若干の贖罪意識と若干の心の痛みを抱いて、そのエゴイスティックな主張を認めざるを得ない。そして、40代の有望株になんでもかんでも役職を当てようとする。しかも、「君に期待している」「管理職試験を受けてみては」と、ニンジンをぶらさげてである。

まあ、ここまでは世の常であるから仕方ない。

問題は、そうして仕事を抱えた40代があまりの忙しさにつぶれてしまうことがあることだ。例えば、担任をもちながら学年主任を務め、学年の生徒指導に走り回りながらも、校務分掌上は教務あたりの中核を任され、教育課程の編制も実質的に司る、もちろん部活ももつ、こんな40代が各学校に二人程度いるのではないか。副担任はふてくされて仕事をしない50代と、楽な仕事しか与えられない期限付き採用ばかり。その結果、40代に30代をフォローする余力がなくなり、30代にも20代をフォローする余力がなくなる。いま、そんな現実があるように思う。

こうした現状を黙って見過ごしていては、おそらく早晩、学校は壊れてしまうだろう。

いま、18歳人口の教員志望者は3.6%。1988年に5.4%だったことと比較すると、教員志望者は確実に減り続けている現状にある。なのに団塊世代の大量退職が進んでいる現在、新卒者の採用間口は大きくなる。つまり、今後、質のいい若者が学校教育の世界に入ってくる傾向にはないわけだ。

では、どうするか。質のいい若者が入ってくるようなナイスアイディアがあるか。

あるはずもない。

では、どうするか。

どう考えても、「育てる」しかない。しかも、OJT(オン・ザ゜・ジョブ・トレーニング/現場での実践研修)でである。

そう。いまこそ、実は、中堅・ベテランに余力をもたせなければならないのだ。

世の中には優秀な、いい管理職がたくさんいる。しかし、その一方で、こんな簡単な道理も理解せずに、連絡調整に徹して毎日をやっとしのいでいるだけの、能力のない管理職もいっぱいいる。

ふてくされてる連中を、職務命令を出してでも働かせよ。

結局は、ここに行き着く。贖罪の感傷なんぞに浸っていては、学校がこわれるぞぉ……(笑)。まあ、終戦時の日本のように、一度壊してみるのもいいかもしれないけどね。生きよ墜ちよ、って時代もあったことだし。



現実的…/2009.02.16(月)

「現実」の対義語が三つある。一つは「理想」。一つは「夢」。一つは「虚構」である。「理想と現実」「夢と現実」「虚構と現実」、どれも世の中では対立概念として把握されている。一方、「夢」という言葉は、「理想」の意味で使われる場合と、「虚構」の意味で使われる場合とがある。「あなたの夢は何ですか」というときの「夢」は「理想」の意味に近く、「これは夢か幻か」というときの「夢」は「虚構」の意味に近い。

教育の世界でも、教育を理想で語るのでなく、現実で語ることを是とする風潮が、80年代から流布し始めた。これが現実を動かす。これが現実を変える。そういう現実的対応策こそに価値がある。そういう風潮が教育界を席巻した。それから20年が過ぎ、こうした風潮が当然の世の中になった。その結果、小さな現実を変えられることが教師個人の価値を高め、小さな現実を変えられないことが教師個人の価値を貶める世の中が来た。「小さな現実」に対抗する「大きな理想」も、「大きな夢」も、そして「大きな虚構」さえ教師が持ち得ない、そんな世の中になってしまった。

大澤真幸によれば、見田宗介が戦後を三つに区分し、1945〜1960年を「理想の時代」、1960〜1975年を「夢の時代」、1975〜1990年を「虚構の時代」と規定したそうである(『不可能性の時代』大澤真幸・岩波新書・2008年4月)。確かに、多くの左翼思想家たちがそれぞれの思想に基づいて「理想の社会」を追究した時代から、高度経済成長を経て個々人が将来の「夢」を追究した時代に移行し、おたくの登場とバブルを謳歌する世代の登場は「虚構」を自らの拠り所として生き方を追究する時代への到達を思わせたものである。

しかし、その後、時代は「引きこもり」の90年代、「データベース」の2000年代を経て、或いは「心理学的社会」追究の90年代、「社会学的社会」追究の2000年代を経て、いま、「独善的正義」追究の2010年へと向かおうとしている。「バトル・ロワイヤル」「リアル鬼ごっこ」「デス・ノート」といった、不条理世界に引きこもるのでもなく、社会学的に構造を捉えて打開策を講じるのでもなく、身の周りのただ小さな世界にのみ生き、そこで生き残ることを目指し、己の正義のみを拠り所として闘い続ける、そんな世界観が若者たちの間で大流行してきた。こうした世界観が若者たちに違和感なく受け入れられるのは、おそらくは土井隆義や森真一らが分析するような、「友だち地獄」や「本当はこわいやさしさ社会」に生きてきた若者たちの実感と合致したからである。

こうした時代状況の中で、学校教育が「現実的な対応」を迫られるとき、我々にはいったいどのような手立てがあるのだろうか。そもそも「現実」とは、「理想」や「夢」や「虚構」が「現実」に対置するものとしてリアリティをもって立ち上がっているときに、それに抗う相対的価値として立ち上がってくるものに過ぎないのではないか。「現実」が「現実」だけで「現実的」にある、そんなことはあり得ないのではないか。学校教育が、いや、学校教育を含み、「現実」を動かす代表とも目される政治が右往左往しているのも、「理想」や「夢」や「虚構」と対置されない、つかみどころのない「現実」だけを相手に闘おうとしているからではないのか。そしてそれこそ、「現実的でない」のではないか。

いま、「現実」と「現実」とが対置し始め、どの「現実」も「小さな現実」としての正当性を持ち始めている。そうなると、すべての「小さな現実」を包み込んだ最大公約数しか打つ手はなくなる。しかし、その最大公約数から漏れた「現実」も自らも「現実」であると正面から主張し始めたとき、最大公約数もまた、最大公約数であるにもかかわらず崩壊せざるを得ない。結果、すべての責任は個に帰すこととなり、「独善的な正義」を楯にして闘い、勝利し続けるしか道がなくなる。クレイマーもモンスターペアレンツも、給食費未払いも、みんなそうした状況の先駆者の意味合いをもっている。

小さな小さな世界の中で自らを基準に成立させた正義と、テレビから垂れ流される身近に成り下がった政治的正義と正義とを整合させようと、1億2千万人が躍起になっている。すべての人たちが「我こそは現実的だ」と信じて。



第22回累積国研in札幌/2009.02.15(日)

コメンテーターとして参加。準備のいらない研究会なので、前日からお気楽。ただし、当日、授業を見るうえでは集中力が必要。そういう一日。

テーマは〈道内実践家模擬授業12連発!新指導要領キーワード「PISA型読解力」「言語活動例」「特別支援」/「活用力」を高める国語科授業モデル〉というもの。累積国研の模擬授業12連発企画の6回目である。そのうえで、新指導要領のもととなる「PISA型読解力」や「言語活動例の具体化」、更には今後の学級経営・生徒指導のキーワードともなっていくであろう「特別支援教育」の視点をも盛り込んだ、盛りだくさんの内容となった。

まずは、「活用力を高める〈話し合いを重視した〉授業モデル」という3本。高橋正一先生、加藤恭子先生、山下幸先生の3人の模擬授業を25分ずつ、それに南山潤司先生、大野睦仁先生、私の3人が解説を加えるというもの。

@高橋正一先生の授業は物語文を用いて行う後の話し合いに向かって、話し合いのテーマに関連する必要最低限の視点を発問の形で簡単に確認していき、後の話し合いの糧にしようとするもの。現行指導要領の「詳細な読解」批判の延長上にある、ゆるやかな読解+話し合いの授業だった。参加者の一部にはこのことが見えなかったようで、何をやっているのかわからないとの声も聞かれたが、私には「授業モデル」としてはよくできているように思えた。こういう単発1時間のゆるやかな授業が繰り返されることによって、子どもたちには間違いなく力がついていく。

A二つ目の授業は加藤恭子先生。彼女のプログを読むと、ずいぶんと緊張したようなことが書かれているが、そうした素振りは参加者には見えず、堂々としたものだった。授業もうまい。しかも教材づくりも授業を進める語りも実に丁寧で、子ども達にとっても、わかりやすい授業になっているである。授業段階としては、話し合いの条件(=指導事項)を精選してしっかりと確認し、4人グループによるスピーチ・質問・感想を言い合う場を設定して実際に活用させよう、という授業。専門的には「活用の授業」というよりは「習得の授業」に近い印象を受けたが、指導事項と学習活動がしっかりと合致しており、活動中の指導言にも説得力があって、たいへん好感のもてる授業だった。小学校2年生を想定しているにしては、やや指導事項が多かったか。しかし、それはこの1時間で定着させるものではなく、全体像を示したのであろう。教材に目玉親父が出てきたり、パックマンが出てきたりというところに、彼女の世代を感じさせる(笑)。

B山下幸先生の授業は、参加者に総理大臣の資質を考えさせ、それをまとめさせた後、島田紳助・北野武・太田光・東国原英夫の4人を提示して総理にふさわしい人物順に順位付けをさせ、4人で話し合うという授業。だれが一番ふさわしいかということを楽しく話し合いながらも、総理の資質について始めに自分で考えていたことが深まっていく、それを参加者が自覚していく、そういう構成をねらった授業である。ただ、総理の資質について話し合いで深まっていく過程を自己評価させる手法が少々甘く、ねらいが伝わらなかった面がある。そこが反省点である。

次に、「活用力を高める〈自主教材を導入し生活と結びつけた〉授業モデル」という3本。山口淳一先生、齋藤佳太先生、小木恵子先生の3人の模擬授業、解説は高橋裕章先生、田中幹也先生、石川晋先生の3人である。

@山口淳一先生の授業は紙飛行機の作り方の解説書において、写真の説明を簡単な一文でつくらせるというもの。アンケートの結果を読むと、参加者の評価は真っ二つ。しかし、実生活と結びつけるという要求にはよく応えた授業だったと感心した。特に、作文指導というと長々と説明させる、データを用いて説明させる、できるだけ具体的に説明させる、といった方向に行きがちだが、敢えて短く、わかりやすく、解説書の表現と読み手側とのコンテクストに意識を向かわせ、どう表現すれば短い言葉で間違わせずに伝えることができるかという、現実的な視点に注目したのは見事である。こういう視点は現代社会にとって、きわめて重要な視点だと思われる。

A齋藤佳太先生の授業はたいへんよく練られた、よくできた授業だと思われた。環境に配慮しつつも、自動車の良さを失わない、そんな新型自動車を開発しようという授業だったが、車に乗ったことがないという架空人物を想定した導入、その教材文の創作、現実の環境破壊や自動車の危険性を示したデータ、等々、最大限の配慮がなされていた。ただし、最後の作文のフォーマットが具体的に示されなかった点、配慮が豊富すぎてそれぞれが学習者の中でぶつかり合ってしまった向きがある点など、授業構成には改善の余地がある。しかし、6〜7年の経験でここまでの配慮ができれば、今後、ぐんぐん伸びていくことは間違いない。他人の意見に惑わされず、自分で納得のいく授業をつくり続けて欲しいと思った次第である。

B小木恵子先生の授業は、フライドポテトの農薬や遺伝子操作の危険性を指摘する文章を三種類読ませ、そこから想定される社会の動向、変化について考えさせようとする授業。商品を批判するときに何に配慮しなければならないかということを考えることによって、かえって批判読みの仕方について体感させようという授業だった。教材がおもしろいだけに、もう少し批判読みの指導事項を整理して臨むと良かったかもしれない。ただ、私にも経験があるが、重箱の隅に目を向けさせるのではない、真正面から批判読みをさせるという授業はなかなか難しいものである。小木先生の更なる教材開発を糧に、批判読みのモデルを「ことのは」でつくっていきたい。

昼休みをまたいで、午後は「活用力を高める〈特別支援教育を意識した〉授業モデル」という3本。三浦将大先生、北嶋公博先生、平山雅一先生の3人の提案、大野睦仁先生、石川晋先生の解説というコマである。

@三浦先生の授業は、普通学級で特別支援を意識しなければならない現状にある教師にとっては、かなり参考になった授業ではなかったか。細かな授業技術が必要だとはよく言われるが、あそこまで徹底して丁寧に行う意識をもった授業はなかなか見ることができない。しかも、三浦先生のすごいところは指導事項のレベルを一切落としていないこと、である。これにはもちろん、賛否両論があると思うが、現実的な対応を考えたとき、あの授業はかなり提案性があると見た。もちろん、国語的には解答の抜き出し方に難があったり、論拠の抽出が甘かったりといった問題点はあった。しかし、それらはすべて、最後まで授業を受けてみると、そういう細かなところにこだわるよりも先に進めることを選んだ授業者の意図が伝わってくるものだった。こういう優先順位の感覚をもっと前面に出すと説得力を増したかもしれない。

A北嶋先生の講座は、参加者にかなり衝撃を与えたようである。一人一人に対応するとか、現実的な教師の立ち位置とか、それでいて核心的な特別支援の思想をはずさない構えが必要であることとか、北嶋先生の言わんとしていることはすべて参加者に伝わったことと思う。それにしても、やはり特別支援を専門にしている方が持ってくる具体例には圧倒される。今回は8例を挙げてのプレゼンだったのだが、その8例がともに普通学級にも置き換えられる子がいて、おそらくはそれを見越しての提案内容であり提案準備だったのだろうと思うとき、改めて北嶋さんの眼力に恐れ入る。今後、彼は北海道の宝の一人になっていくだろう。前線で実践していく人間も大いに必要だが、そうした一つ一つに価値づけ、広めていく人間はものすごく希少価値である。

B平山先生の授業は「弁護士になろう」ということで、喧嘩の一場面から事実を抽出、被告側の弁護を通じて、認識力と表現力に培おうという授業。全体の見通しを最初にもたせたり、ビデオを通じて視覚に訴えることで興味関心を喚起したりと、様々な工夫を凝らしてはいたが、「特別支援教育」の提案と言えば小学校教師のそればかりを見てきた自分には、明確な意図が読み取れなかったというのが正直なところ。僕が「特別支援」を意識しながら授業をするときには、発問・指示の的確性と一時一事の細分化ばかりを意識しているので、三浦先生の授業に比べて荒いという印象を受けた。どういった意図があってあのような授業になるのか、次回、尋いてみようと思う。

最後は、「活用力を高める〈非連続型テキスト(図表など)を効果的に扱った〉授業モデル」の3本。大野睦仁先生、太田充紀先生、森寛先生の模擬授業3本に、南山潤司先生、高橋裕章先生、田中幹也先生の解説。

@大野先生の授業は、ハワイの旅行パンフから情報を読み取り、参加者をうまくノセながら非連続型テキストの構成の仕方を学んでいくもの。楽しく授業を進めていったが、その楽しさがかえってハンフを読み取る〈目的意識〉の曖昧さを生じさせてしまった感がある。個人的には、学習者をノセていく授業こそ、実はフレームをかなりきつくしなければ思考が散逸してしまうのだなあということを学ばせてもらった授業だった。ただし、それはこういう場で提案するときの話で、実際の子ども相手の授業だったら、適宜、修正的指導言を施しながら進めていくことにして、最初は自由にというほうが機能する場合も多い。いずれにしても、大野先生の力量を感じさせる授業だった。

A太田先生の授業は、小学1年生の「はたらくじどう車」。バスの説明からフォーマットだけを取り出して、ショベルカーの説明を自分で実際に書いてみようという流れ。バスの説明から情報を取り出すとき、ショベルカーの要素と機能を把握させるうえで、写真資料が効果的に用いられていた。再度、本文に戻って、検討することができたらなお良かったが、それは25分の模擬授業では無理だろう。話術も巧みで、条件の中では最高のものを提示した。それにしても、太田先生のこの2年くらいの成長ぶりには驚かされる。教材研究や授業づくりの力が伸びたことはもちろんだが、プレゼンに安定感が出てきた。子どもができて、彼の中で、もしかしたら無意識のうちに、何か世界観の変容のようなものが起こっているのではないか。旦那の安定感を奥さんにも早く見せてあげたい。

B森先生の授業は、新聞記事を題材に本文読解とグラフの読解とを関連させながら、連続型テキストと非連続型テキストの読解力の伸張をともにねらったもの。授業に安定感はあったものの、あの授業は突き詰めていけば連続型テキストと非連続型テキストの相互作用にこそ本質があるはずで、そこまでの意識が残念ながら見られなかった。非連続型テキストの読解は、〈PISA調査〉が話題になって以来、重要案件の一つになっているのは事実だが、非連続型テキストの読み方を独立的に習得させることは、初期段階の指導である。あくまでも連続・非連続の関連性をこそ授業する、そういう授業の在り方を追究していく必要性を感じた。これは森授業批判としてではなく、自分の課題として、である。

以上、長々と述べてきたが、累積国研も20回を超えて、中身の濃さと楽しさとが両立するようになってきた。そろそろ、次の段階をどうしようかと意識しなければならないということを、自覚した一日となった。終了後は、森くん、山下くん、佳太くんといっしょに、次の回の企画を立てた。模擬授業12連発とは異なった形で、しかも今日的なテーマを広く深く扱える、そんな企画を構想したい。ただし、模擬授業12連発という企画も捨てられない。この企画は年に一回はやりたい、そんな企画の形である。



謹んで、ピグマリオンさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。この世界は、まさにあなたが切り開いた世界です。ありがとうございました。安らかにお眠りください。
平成21年2月12日 堀 裕嗣




仲良く、楽しそうにしている大人が身近にいること/2009.01.30(金)

野中さんが今日のブログで次のように述べている。

「教師としての力量をつけるとは、授業の力量も学級経営の力量も必要だが、最も必要なのは、このような小さなことに眼を向けることができる視線だ、と思ってしまうのである。/神は、いつも細部に宿り給う。」

これは野中さんが小学校1年生の学級を訪問した折、先生の指示を待たずに子ども達が体操着に着替えていたというのに、担任がそれを褒めなかった、小さな、細かなことを見つけて褒めてあげれば1年生は集団として育つのに……、教師には小さな、細かなことを見つける眼が何よりも必要だ、概ねこうした論理によって導き出された結論である。

なるほどその通りである。

ただ同じ文章の中に、次のようにあったことがぼくの中で引っかかった。

「今、集団としてきちんと成立してくるのは、実は、高学年ではなく、3年生までの低、中学年であると思っている。」

言いたいことはわかる。しかし、中学校教員であるぼくは、これを認めるわけにはいかない(笑)。「今、集団としてきちんと成立してくるの」が3年生までだということは、高学年はなかなか「集団としてきちんと成立して」こないということである。そこからもっと広げれていけば、中学生は絶望的ということになってしまうではないか(笑)。

中学校の側から野中さんの意見に補足するなら、こういうことになる。中学校の教師にとっても「最も必要な」ものは「授業の力量」でも「学級経営の力量」でもない。それは小学校教師と同じである。しかし、中学校教師にとって「最も必要な」ものは、実は「小さなことに眼を向けることができる視線」でもないのである。

中学校では、授業が特別にうまいわけでもなく、学級経営について特に勉強しているわけでもない、そんな教師がなぜか「いい集団」をつくっている場合がある。例えば、部活動を全国大会に連れて行くような教師は、学級経営で特別何かをしなくても、いや、むしろほったらかしにしているのに、なぜかいい学級をつくり、いい集団をつくっていることが多い。

では、この教師は部活を強くしたという実績が生徒達に認められているから、いい学級がつくれるのだろうか。

決してそうではない。こうした教師は「自信にあふれた態度」で生徒達の前に立つ。朝も昼も夕方も、自信に満ちあふれた表情で生徒の前に立つ。それも、毎日毎日、その表情を崩すことなく生徒の前に立ち続ける。背筋を伸ばし、胸を張り、生徒にその姿を示し続ける。これが思春期の子ども達に無意識的に「モデル」として機能する。「誇り」の何たるかを子ども達に無意識裡に学ばせる。自信にあふれ、人生を楽しみ、他人に影響されない、簡単に言えば「ぶれない」、そういう姿勢である。

いま部活教師の例を挙げたが、そんな豪快なタイプの教師でなくてかまわない。「ぶれない自信を糧に自らの人生を楽しむ」、その姿さえもっていれば、老若男女、そういう教師が「いい学級」をつくり、「いい集団」をつくる。叱ったり、怒鳴ったり、そんなことさえほとんどいらない。それが中学校である。

この傾向は中1も中3も変わらない。中学生は「あの子が褒められている。じゃあ、私も…」となるほど単純ではない。そんな精神的調教のようなものには乗ってこない。おそらく、小学校高学年においても事情は似ていて、野中さんの言うような「神は細部に宿り給う」をストレートに展開した学級経営では「集団としてきちんと成立して」こないのである。

野中さんの言う低学年的手立てと、私のいう中学校的手立ての分岐点といおうか、結節点といおうか、そういう重層的な時期が高学年のどこかにあるのではないか。おそらくそういうことなのだ。

私の印象を言おう。小学校高学年の担任教師達は、@きれい事を並べ、A精神的に余裕がなく、B細かいことにまでいちいち口を出し、C時にヒステリックに説教し、D遊び心をもたない、こうした要素を二つから三つ程度具えている、そういう人が多い。子ども達の毒舌的ジョークに眉をひそめ、きれい事をいわない子どもを嫌い、自分のいうことを聞く子どもを「リーダー性がある」と勘違いする、そういう人が集団に隙間風を吹かせる。私が勝手に言っているのではない。すべて子ども達が言っていることである。もちろん子ども達のいうことだから、誇張もあるだろう。しかし、こういうふうに捉えている子がいるということは意識した方がいい。

「ぶれない自信を糧に自らの人生を楽しむ」

この姿勢をもたない教師が、いくら子どもを褒めてみても、それは空中を浮遊するだけなのだ。反対にこの姿勢をもっている教師のちょっとした褒め言葉は、本人が何も期待していないときでさえ、言葉が勝手に機能していく。細かな配慮さえ「自信に満ちた、楽しむ教師」にしか機能させ得ない、そうでない教師の配慮は「偽善」と解される、それが中学校なのである。

私は20年近い中学校教師生活において、担任の仕事は「ぶれない自信を糧に自らの人生を楽しむこと」、学年主任の仕事は「学年教師がいつも笑い合っている姿を生徒達に見せ続けること」、学校長の仕事は「学校の全職員がいつも笑い合っている姿を生徒達に見せ続けること」、こう考えるに至った。私がここ数年、「チーム力」を力説するのもこの意味においてである。決して細かく役割分担を決めて機能させようなどということを言いたいわけではない。

「仲良く、楽しそうにしている大人が身近にいること」

これにまさる高い教育効果はない。

これを親が示し続けられたら最もいいわけだが、このご時世では少々難しいようだ。離婚が増えているとか、母子・父子家庭が多いといったような話ではない。現代社会の構図に家庭で疲れを見せずに楽しげな表情で過ごすことが難しくなってきている、という意味である。



醜女信仰と純粋信仰/2009.01.17(土)

井上章一『美人論』(朝日文芸文庫/1995.12)によれば、修身教育は醜女賞賛・美人排斥の論理を抱いていたという。例えば、「中等教科・明治女大学」(1906)には「美人は往往、気驕り心緩みて、却って、人間高尚の徳を失ふに至るものなきにあらず……之に反して、醜女には、従順・謙遜・勤勉等、種種の才徳生じ易き傾あり。」とあり、「新定教科・女子修身書」(1911)には「容貌の美なるは幸なり。されど、其の美は、往々にして虚栄心を挑発し、彼の牛乳の樋を頭上より取落したる、イソップ童話中の少女に類する者なきを保し難し。容貌の醜なるも生来なり。されどそれは償ひ得て余あるべきものなり。」とあったという(以上10頁)。

井上はこれを受けて、「美人はダメだ。だけど、不美人には脈がある。こんな話を、教師が道徳と称して、生徒たちにおしえるわけがない」と、現代の学校ならあり得ない話と驚いてみせるが、実はこれに類する話なら現在の学校にもいくらでもある。さすがに美人・不美人、美男・醜男によって分け隔てるということはないかもしれないが、例えば、「いい大学を出たやつは勉強ばかりして青春期を過ごしたので、性格がひん曲がっている」などという悪口はその代表格である。いまだって、政治家や官僚に対する批判の根にはこの発想があるはずだし、つい最近まで「勉強ばかりできたって仕方ない。勉強ばかりしていると性格が悪くなるぞ。」と言葉にしていた教師がわんさといたではないか。いや、現実を言えば、いまだってかなりの率でいる。

美人は性格が悪く、醜女の性格には脈がある。成績のいい者は性格が悪く、成績の悪い者の性格には脈がある。言うまでもなく、この二つは同じ論理だ。当時の美人にしても、現在の秀才にしても、それを「もたぬ者」からのねたみ、そねみから社会にそのような空気が形成されたのである。当時は教科書に載り、現在は教科書に載らないのは、メディアのマス度の違いである。現在は、おそらくは当時の修身教科書よりも大きな影響力をもつであろうテレビが、毎日のようにこの発想でものを言い続けているではないか。こういうのをぼくは「ルサンチマン・ネットワーク」と呼んでいる。

さて、ぼくは1966年生まれであるが、「頭のいいやつは性格が悪い」という言説はまったく信じていない。しかし、美人・不美人の修身の言説には少々思うところがある。ぼくが子どもの頃、子どもの頃といっても高校時代くらいだったと思うが、妹の少女漫画をよく読んでいた。ぼくは子どもの頃からあまり漫画を買わない質だったので、せいぜい自分で買った漫画は江口寿史くらい。ぼくの読む漫画の9割は「なかよしコミックス」とか「マーガレットコミックス」とかで、そこに描かれているのはみな、クラスいちモテる男の子や学校いちモテる先輩に憧れる、平凡で目立たぬ女の子のシンデレラストーリーだった。そこには美人だが性格の悪いライバルの女の子が描かれ、必ず最後は憧れの王子様が人知れず主人公の平凡で目立たぬ女の子に想いを寄せていたことがわかり、主人公の女の子が涙を流しながらハッピー・エンド。そんなストーリーばかりだった。おそらく修身教育の美人排斥・醜女賞賛の空気は、80年代の半ば頃までは生きていたのではなかったか。

いまでもぼくの中には、醜女の純粋さを信ずる心持ちがどこかにある。そしてこの心持ちは、1980年頃までの日本人の共通感覚であったように思うのだ。

例えば、ぼくは子どもの頃から研ナオコが好きだった。しかし、この研ナオコという歌手、かなり特殊な芸能人である。顔がETだとかなんだとかよく言われるが、悪いのは顔だけではない。ボーカリストとしても、研ナオコは最低である。まず、音域が著しく狭い。ちょっと高音を伸ばそうとするとすぐに苦しい声になる。ファルセットもない。「夏をあきらめて」の苦しさを想い出せばすぐに理解できるはずだ。つまり、和田アキコがものすごい音域とパンチのあるボーカルで聴衆を納得させるのとは大違い。歌手としてもダメなのである。そんな研ナオコがなぜ売れたのか。おそらくそれが、美人排斥・醜女賞賛の空気ではなかったかと思うのだ。

   

研ナオコといえば、まず一番に思い浮かぶのが「LA-LA-LA」である。「遠い昔はこんなあたしでもあいつの話は信じ込んだ。そのお返しにあいつは愛を信じるなと教え込んだ。」というフレーズ。例えば「あばよ」。「何もあの人だけが世界中でいちばんやさしい人だとかぎるわけじゃあるまいし、たとえば隣の町ならば隣なりにやさしい男はいくらでもいるもんさ。」とか「明日も今日も留守なんて見えすく手口使われるほど嫌われたならしょうがない。笑ってあばよと気取ってみるさ。泣かないで泣かないで私の恋心。あの人はあの人はお前に似合わない」とかいうフレーズ。更には「かもめはかもめ」の「かもめはかもめ 孔雀や鳩や ましてや女にはなれない あなたの望む素直な女にははじめからなれない」とか「かもめはかもめ ひとりで空をゆくのがお似合い」とかいったフレーズ。「窓ガラス」の「あの人の友達がすまなそうに話す。あいつから見せられた彼女というのがつまらない女でとつらそうに話す。知ってるよとあたしは笑ってみせる。それよりも雨雲が気にかかるふりで、あたしは窓のガラスで涙とめる。ふられてもふられても仕方ないけれど、そんなに嫌わなくていいじゃないの。」というフレーズ。すべて醜女と純粋とをマッチングさせたフレーズである。

言うまでもなく、これらの曲はすべて中島みゆきの曲である。研ナオコのルックスと中島みゆきの感性のコラボレイトが当時の時代の空気に合致していたのだと思われてならない。研ナオコはいまなら、きっと売れない。



国語を語る。人とかかわる。/2009.01.13(火)

日文協のN先生からお手紙をいただいた。私が「日本文学」(2008年8月号)に書いたN先生への批判に対する反批判である。お手紙によれば、「日本文学」(いつ掲載されるのかを私は知らない)への投稿という形をとるらしい。

一読、「やはり…」と思った。

私は文章による〈生産的な論争〉というものを見たことがない。国語教育界に絞ってみても、「言語教育・文学教育論争」「主観・客観論争」「冬景色論争」「出口論争」「西郷・大森論争」などなど、私が参考にしてきた論争は多々あるけれど、それを追って読んでいくと、結局はお互いに罵詈雑言の嵐・雨霰となって雲散霧消していく。読後は後味の悪さだけが残る。そういうものばかりだった。結果、「論争とは不毛の代名詞である」とさえ考えるに至っている。

これが面と向かって、研究会でやりとりされるのならば少々違ってくる。それも「ことのは」が好んで行うような一日中とか二泊三日でというような研究会の場ならばである。このくらい時間があれば、双方のやりとりも何度も往復させることができ、しかも相手の顔を見ながら気を遣いながら語ることができ、更にはコンテクストを共有しながら語り合うことができる。こういう場ならば、ある程度、生産性のあるものになる可能性がある。事実、昨日までの「研究集団ことのは」合宿において私はずいぶんと田中実先生とやり合ったけれども、たいへん気持ちよく自らの課題を自覚することができ、ゆずれるところとゆずれないところを明確に分けて考えることができた。

ところが、文章での論争ということになるとそうはいかない。よく論争において「人間を批判してはいけない。論を批判せよ。」と言われる。しかしこれは、私には論理矛盾に聞こえる。論争というものは、批判対象のよって立つところ、つまりは論争相手の立つステージを覆さないことには成立し得ない。論文に書かれたことだけを対象に批判しても、それは言葉の細部の揚げ足取りに陥りやすい。そしてそれが相手に腹を立たせ、罵詈雑言の嵐へと向かっていくことになる。しかもものすごい時間と労力をかけてそういうことが行われるようになっていく。しまいにはその生産性のなさに反批判を書くことが面倒になって雲散霧消していく。そういう構造である。

N先生の私への反批判を読んでも同じことを感じた。前半は、私の批判したご自身の実践を擁護するために森有正の言説を持ち出して言い訳をする。後半は、私が論文にもしていない一発表資料に対して「検証」という用語を用いて批判を始める。既に噛み合っていない。

例えば、「しかし、こうした理念を学校教育において、しかも国語科の授業において実現させるとなると、それは至難の業であると言わねばならない。大まかに類推して、最低でも次の10段階が必要である。」という私の言を引用して、「堀は、近代小説の〈読み〉で生徒に『自己倒壊』をおこすために『10段階の技術』を最低習得させねばならないと提案している。」と書く始末である。そして「ここに堀の『〈読み〉のメカニズム』を読み取ることができる」と断罪する。私はN先生に「正気か」と問いたい。私の文章のどこに「技術」と書いてあるのか。私がこの10段階を「技術」であるといつどこで言ったのか。

ちなみに10段階とは以下である。

1)文学作品における「語り手」の存在を認識すること
2)文学作品における登場人物の行動・心象を含めたすべての物語を「語り手」が統括し自己表出している主体であるという認識をもつこと
3)文学作品における「語り手」が具体的登場人物ではなく,物語を統括している機能概念であるという感覚に慣れるとともに体感すること
4)文学作品における「語り手」の機能性において,「語り手」が〈わたしのなかの他者〉と「了解不能の《他者》」とを識別している作品にこそ価値を認めるという感覚に慣れるとともに体感すること
5)文学作品における「語り手」の機能性について,自己の環境に対する適応性に還元して思考することに慣れるとともに体感すること
6)文学作品における「語り手」の機能性を自己に還元して思考し,その体験を触媒として自己倒壊すること
7)文学作品における「語り手」の機能性を触媒として自己倒壊する体験を複数回経ることによって,文学作品の機能性を実感し体感すること
8)文学作品の機能性を実感し体感することによって,自らの「共同性」を倒壊させ「公共性」を目指す人生観を形成すること
9)文学作品の機能性を他者と交流し,「夢の読者共同体」を形成すること
10)「夢の読者共同体」の形成によって,「公共性」を目指す一人格として自らをメタ認知する主体として行動すること

読者諸氏に問いたい。この10段階は「技術」だろうか。すべて「認識」と「機能」ではないだろうか。しかも私は論文ではなく発表資料に「大まかに類推して、最低でも次の10段階が必要である。」と書いたのである。こんな田中理論の具現化の難しさを強調するために10分程度でいい加減につくったものを批判されても困る。私はいいかげんにつくったものであるからこそ、今後更なる検討を必要とするからこそ、論文としてまとめていないのである。更にN先生は私がこの発表の題材とした「オツベルと象」について自分の読みを披瀝され、その発表資料の私の「オツベルと象」授業の批判へと進む。そして最後に、「堀との論点は何か」と題して、N先生なりに整理したつもりになっている。こういう構成である。

この反批判は11頁からなるが、ここには私のフルネームが注も含めておそらく9回(馬鹿馬鹿しくてちゃんと数えていないので自信がない)出てくるが、このすべてが「堀祐嗣」と書かれている。私と直接的な付き合いのある読者はよくご存知のように、私は自他共に認める「小人」である。それくらいは自覚している。しかし、いくら相手が小人でも、批判しようという相手の氏名くらいは正しく表記すべきではないか。私は「堀裕嗣」であって「堀祐嗣」ではない。堀禎祐と堀栄美子の長男として生まれ、両親の愛情を一身に受けて育った「堀裕嗣」である。親父が何日も考え、心身ともにゆたか(裕)なあとつぎ(嗣)になって欲しいと願いを込めた、「堀裕嗣」である。

N先生。あなたには国語を語る資格も、人とかかわる資格もない。

おそらくこの文章を読んで気をお遣いになった日文協の先生のうちのどなたかがN先生にこの文章を見せることでありましよう。しかし、N先生。あなたには私への謝罪の手紙を送ろうなどとはお考えにならないようお願い申し上げます。はっきり言って、お互いに時間の浪費。私に腹を立てさせ、私にストレスを与えるだけです。縁がなかったとお思いください。



「研究集団ことのは」合宿2009in長沼温泉/2009.01.12(月)

今年で4回目を迎えた「研究集団ことのは」の合宿。今日、長沼温泉から帰宅した。

講師は須貝千里先生と田中実先生。お二方とも基本的には日文協国語教育部会の先生だが、須貝先生は教育出版中学国語教科書の中心的な編集委員、田中先生は文学作品における「語り論」の第一人者である。「研究集団ことのは」にとっては、数年後から十数年後に文学と教育の結節点をまとめ、できれば外部に提案していくための、模索の試みといえる。こんな小さな研究サークルがこのお二方を二泊三日も拘束して、合宿をもつことができる。なんとぜいたくな時間であることか。全国広しといえども、そうそうあることではない。

まずは10日。土曜日。須貝先生と人見さんが8:15に千歳空港着との連絡を受け、7:30に家を出て迎えに行く。飛行機の到着が6分ほど遅れたが、大きな遅れではない。雪の予報に心配していたのだが、今年も運が良かったようである。冬の北海道に本州から講師を呼ぼうとする場合、なんと言っても一番の懸案事項は飛行機が飛んでくれるか否かである。須貝先生と人見さんを車に乗せて、一路長沼温泉へ。

10:00開始。まずは先日、「授業づくりネットワークin函館」で提案した「HOWからWHYへ」を「ことのは」に対して再度提案。更に時間が余ったので、「いじめ」の講座も短時間で。昼休みに昼食をとっているところに田中先生が到着。新年の挨拶を交わし、今年もよろしくとお願いして、午後の濃〜い研修に突入。

「『オツベルと象』の構造・徹底解明!」と題して、まずは田中幹也くんが提案。次にぼく。そして須貝先生。これで16時近く。ここから、15人で徹底してディスカッション。18時から19時の夕食のための1時間を除いて、22時までディスカッション。こういうところが、「研究集団ことのは」が俗に「虎の穴」と言われる所以。1時間半とか3時間なんていう、半端な時間では区切らない。とにかく徹底的にやる。多くの人は理解していないが、これくらいやるとやっと見えてくるものがある。そして、こんなにやってもやっぱり見えないものもある。こういう時間を重ねていくことによってのみ、〈生産性〉が生まれてくる。〈提案性〉が生まれてくる。研究とはそういうものである。22時過ぎからブレスト。今年も恒例の「からみの晋」。まあ、本人の名誉のために詳しくは語らない(笑)。去年は初参加だった友利くんが、今年は初参加の和寛くんが、「いつ堀さんと晋さんの喧嘩が始まるかとびくびくしてました」とのたまっていた。しかし、他のメンバーは慣れたもの。ただただ笑っていただけ。ちなみに誤解されると困るので書いておくが、ぼくも最初から最後まで余裕を持って笑っていたことだけは付け加えておきたい。

11日。日曜日。朝から石川晋の「国語科ワークショップ型授業」の提案。その後、高橋・對馬・友利・人見・森・本間・小木・太布・藤原が新学習指導要領の理念に基づいた国語科授業の在り方を提案。特に言語活動例の具体化を念頭に置いて。どの提案もこれまでに比べて提案性のある内容で、それぞれがそれぞれに成長していることを示していた。19時からは宴会。ぼくはこの後にダウン。若者が買い出しに行っている間に「行列の出来る…」を見ていたらそのまま朝まで寝てしまった。他の人たちは夜中の1時半頃まで盛り上がっていたそうである。そうそう。野中先生から送っていただいたお酒もお披露目。空いた。野中先生、いつもいつもありがとうございます。

12日。月曜日。成人の日。沖縄の新成人に逮捕者が出ようが、麻生内閣の支持率が更に下がろうが、ぼくらは研修。8時半から浅野・山下・森の提案とディスカッション。最後に須貝先生の新学習指導要領の問題点と展望に関する講演、そしてディスカッション。昼過ぎに終了。その後、森くん、對馬くんと札幌市内のロイホで来年の合宿の計画をたて帰宅。昨日よく寝たので、例年と違ってまったく眠くない。これもまたよい。

読者のみなさまには申し訳ないのですが、この合宿の内容は今後の「ことのは」の提案の核となっていくものなので、わざとその内容がわからないように書いています。だからこんなタイムテーブルだけの書き方になってしまうわけですね。申し訳ありません。では。



授業づくりネットワーク2009in函館/2009.01.09(金)

みなさま、あけましておめでとうございます。

と言っても、正月も既に9日。1/3が過ぎようとしています。冬休みは年末が「授業づくりネットワーク2009in函館」で依頼されていた「いじめ指導」「教師に必要な授業力」という2本の講座の準備、年明けからは今年4回目を迎える「研究集団ことのは」冬合宿のための「オツベルと象」(宮澤賢治)の教材研究に明け暮れました。どちらもまずまずの出来映えで、それなりの満足感を感じている……といったところ。

今日は、「オツベルと象」の教材研究がまとまり、やっと更新の時間がとれました。

さて、私にとって冬休み恒例の行事となっている「授業づくりネットワーク」の冬の北海道大会。今年も2本の講座と1本のシンポジウムに参加するため、函館まで行ってきました。八巻さん、あべたかさん、赤坂さんなどなど、全国に名だたる実践家とともに、5日から7日まで二泊三日の日程。今年はもう十年近い付き合いになる山寺・藤原という函館の若手が事務局を担うということで、ぼくもいつもより気合いを入れて準備をしていきました。

ここで、ちょっと振り返ってみようと思います。

まず年末の準備から。今年から、すべての研究会提案をパワーポイントでつくることにしました。プリントをつくるよりも時間がかかりますが、配付資料を3〜5枚程度印刷するだけなので、印刷の手間がずいぶんと軽減されます。また、研究会に参加していただく方々には申し訳ないけれど、使い回しができるという利点もあります。似たようなテーマで講座依頼をいただくことが多いですから。今回は「スクール・カースト」と「HOWからWHYへの転換」という、ここ2年ほど様々な場で語り続けてきたことを、それぞれプレゼンとしてまとめることができました。まずまず参加者にも伝えられたのではないかと自負しています。まあ、読者の皆さんにも、近いうちにお伝えする機会があるだろうと思います。なんせ函館ネットワークには札幌からの一般参加者が二人。客層はほとんど重なりませんから。ちょっとにんまりです。

5日。月曜日。函館への移動日。まず、11時に地下鉄白石駅で森くんを拾い、南郷通を通って道央道へ。高速に乗ると同時に、12月20日(土)の「第2回中学校・学級経営セミナー」のアンケート分析を始める。一講座ずつ、一人ずつ、森くんがアンケート内容を音読。それを回答者の勤続年数や教科なんかを参考にしながら、どういう意味なのか、どの提案をどのように受け止めた結果としてこの感想が出てきたのか、なんてことを議論していく。アンケートが22枚あったので、だいたい1講座につき45分程度かかる。すべてのアンケート分析が終わったのは、ちょうど函館に着いた頃。道中二人ともまったく退屈しなかった。

ホテルにチェックインして一眠り。実は昨夜は徹夜だったので、仮眠が必要だった。18時半に山寺くんに起こされて懇親会へ。刺身やホタテ焼き、寄せ鍋などつつきながら、日本一のいじられキャラ教師赤坂真二をいじり続ける。それとともに、「授業づくりネットワーク」という団体自体を赤坂氏といっしょにいじり続け、「法則化」をいじり「教育界全般」をいじって、最後には教育の本質論へ、という流れ。詳しく書くと何のことかわかってしまって顰蹙を買うので書かないが、なかなかいい時間を過ごせた。21時半にホテルに戻り、森くんにプレゼンを見せながら講座の最終確認。24時には床に就いた。

6日。火曜日。5時起床。風呂。麻雀ゲーム。朝食。大会一日目。最初は「いま必要な教師の力」というシンポジウムに登壇。八巻・赤坂・阿部・森・北嶋・石川、そしてぼく。司会は山寺くん。「いま必要な教師の力」を3つのポイントにしぼって4分間で提案せよ、とのこと。ぼくは「さぼる力」「ながされる力」「いじりいじられる力」と提案。「さぼる力」とは自分の時間を大切にしてこそ仕事の効率化が図られていくという趣旨。「ながされる力」とはソフトランディングのすすめ。どんな職場にも、歴史がある。悪いところも含めて、様々な力学がからみあっていまがある。それを急激に変革しようとすると、至る所にひずみが起こる。常に改革はソフトランディングを旨とするべし。こんな趣旨。「いじりいじられる力」とはチーム力の発揮のすすめ。仕事を機能させていこうとすれば、笑いのある職員室であることが何より尊い、という趣旨。

1時間ほどの空き時間があったので、講座のPCを準備。プロジェクタを用意したり、スピーカーをつなげたり、ついでに学校祭や合唱コンクールのビデオを見たり。午後の講座は「いじめを生まない学年経営・学級経営」。基本的に「いじめを生まない学年経営・学級経営」などありえない、という趣旨。できることは、どれだけ日常の生徒指導の中に抑止力を張り巡らせられるかということである。「いじめ」のメカニズムを説明したあと、「事実重視の生徒指導」「FMCチームワーク指導の徹底」「学校行事による空気の更新」という3点を対策として話した。

その後は、とりあえずこの日は無罪放免。森くんの講座をのぞいたり、赤坂氏の講座をのぞいたり。どれも楽しそうに進めていた。まずかったのは最後のシンポジウム。A級戦犯は石川晋。A級戦犯といってもB級もC級も存在しない。要するに石川晋の独り相撲である。学級共同体の構築に話が及んだ折、「共同体」概念のディテールにこだわり続け、会場を「いや〜な感じ」にしてしまった。まあ、イベントではよくあることではあるが、あそこまでこだわる必要性がだれにもわからなかった。おそらく本人にも明確ではないはずだ。ただ、石川晋の言っていたことは間違っていたわけではない。「共同体意識」というのは、ぼくに言わせれば、けんかをしても仲違いをしても論争をしても、結局は「話せばわかる」という意識を前提として営まれていた、かつての共同幻想である。それを現在の子どもたちに学級経営で身につけさせようというのは無理がある。断絶を前提に話し合いで調整していく、思想としてもスキルとしても、いまそれが求められている。しかし、あの場では、そこまで厳密な意味で「共同体」という言葉が用いられていたのではなかった。こだわることはシンポジストにとっても参加者にとっても生産的でなかった。

19時から懇親会。森くん、佳太くん、岡山さん、太田くん、八巻さん、加藤恭子と談笑。各人のスピーチがたいへんおもしろかった。さすがに長い付き合いなので、ほとんど気を遣う必要がない。しかも、だれに何がウケるのかというツボを心得てのスピーチが続く。こんな飲み会なら毎日でもいい。二次会にいこうかどうか迷ったが、体調がおもわしくないので、ホテルに戻ることにした。そうそう。行き帰りのバスでは、ミナちゃんに手相を見てもらう。しばらく調子が良さそうとのこと。それはそれは、よかったよかった。ホテルで1時間ほどお笑い番組を見て、23時に床に就く。

7日。水曜日。7時起床。シャワー。朝食。チェックアウト。大会二日目。朝イチから「教師に必要な授業力」という講座。100人以上の参加者に語りかける全体講座である。戦後教育のおおまかな歴史(とは言っても、現在の教育状況に直接的に影響を与えているものだけに徹底的にしぼった)を振り返りながら、現在の教育状況、教師の傾向に足りないものについて、「HOWからWHYへの転換」をキーワードに話す。どの程度伝わったのかは心許ないのだが、まあ、ああいう形の講座ではあれが精一杯である。その後、石川晋と30分の対話型セッション。お互いによく知っている仲なので、話ははずむ。参加者もそれなりに楽しんでいるようには見えた。しかし、企画として、同じ時間をQ&Aとして使った場合と比べてその機能度はどうだっただろうか。特に、この対話ではある程度具体的な話が出たので、その方法論をもう少し突っ込んで聴いてみたいという参加者はいたのではないか。そんな気がする。

1時間ほど、森くんと太田くんが講座をやっている部屋の廊下で、石川晋や加藤恭子とおしゃべり。今後のネットワークの展開などについて。森くんの講座が終わったところで、事務局に挨拶をして帰路に就く。帰りの話題は児童・生徒の変容について。学力や特別活動への取り組み、親子関係の変容、暴力や性の問題に至るまで、とてもここには書けないような内容について話し合う。19時帰宅。

さて、今回のネットワークは、いろいろ思うところがあった。一つは、自分の講演・講座にパワーポイントがどの程度有効に機能するかを試す意味。一つは、「スクール・カースト」や「理論と実践の関係」といった理念的なことが、自分の講座でどの程度伝えられるかを試す意味。一つは、40歳も過ぎたので、研究会参加のときにも睡眠をじっくりとってみて、帰宅後どの程度の疲れが残るのかを試す意味。一つは、これまでかかわってきた若手たちがどの程度の運営ができるのかを見極める意味。以上の4点を意識して臨んだ大会だった。どれもまずまず及第点といったところである。

一つだけ言いたいことは、山寺・藤原は自立したので、もう手を貸す必要はなくなったな、と実感したことである。自分のかかわってきた若手の中で、ここまで具体的な動きを組織した者が出たのは初めてである。しかもまずまずの大会運営で、特に文句らしい文句もない。それは「自立」と言っていい。しかし、その「自立」の意味を彼らはわかっているだろうか。彼らも読んでいるだろうから、ここに書くことにするが、それは彼らのイベントに私が力を貸さなくなるということを意味する。山寺・藤原へ。今回が最初で最後だったのだよ。だって、「自立」したんだもの……。これで来年からは冬休みの前半があく。