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【2009年7月】 1(水) 1時間目は3年7組で活用のある自立語の復習。2時間目は空き時間で学校祭分担の準備。3時間目は1年2組で第二日曜。4時間目は3年2組で活用のある自立語の復習。5時間目は1年3組で第二日曜。6時間目は事務仕事。放課後は全校協議会。学校祭学級分担のくじ引き、学校祭シンボルマークの決定など。帰宅後はたまっていた2時間ドラマの録画を3本見る。しょーもない一日。 【2009年6月】 1日(月) 1時間目は3年7組で「『新しい博物学』の時代」の全体構成の確認・要約。2時間目は1年2組で「オツベルと象」の音読練習、登場人物。3時間目は空き時間で学年集会の準備、こまごまとした事務仕事。4時間目は「結団集会」を兼ねた第3回学年集会。昼清掃の後、学活、炊事の買い物へ。巡視。帰宅後は明日の準備。特にビデオカメラの充電、ハードディスクに入っている既にいらなくなった映像の削除に時間がかかる。「1Q84」の最後の20頁を読む。ラストはまずまず。第1・2章に再び目を通す。伏線描写・叙述にうなる。 2日(火) 野外学習。滝野で炊事。学年集会・点呼・移動指示・ビデオ撮影がぼくの仕事。無難にこなす。学年協も頑張っていた。No原稿。ミスなし。校歌斉唱もまずまず。帰宅後、5日(金)の解団集会のためにビデオ編集。 3日(水) 1年2・3組で読書指導。3年8組で「『新しい博物学』の時代」の全体構成の確認・要約。午後から帰宅してビデオ編集。夜は「臨場」。さぼっていたので、原稿が溜まってきている。 4日(木) 3年7組で「「『新しい博物学』の時代」の要約。2時間目は空き時間で明日の学年集会ビデオの確認作業。3・4時間目は1年2・3組で「オツベルと象」の登場人物の確認。担任が休んでいたので、2組にはいって学活。期末テスト計画を立てさせる。放課後は野外学習実行委員会。明日の解団集会のリハーサル、そして学年生徒全員の反省アンケートの集計、学年協議会便りの作成。帰宅後は買い物へ。しゃぶしゃぶにビール3本。暴飲暴食。 5日(金) 1時間目は空き時間。教員評価の校長面接。2時間目は3年8組で「「『新しい博物学』の時代」の要約。3時間目は空き時間で学年集会の準備。4時間目は解団集会。実行委員長のスピーチ、ビデオ上映、各委員長の反省スピーチ、学年主任の話というお決まりのプログラムだが、かなり充実した内容だった。5時間目は空き時間。ワーク解答の印刷など。放課後は学年旗の廊下掲示。野外学習関連のぼくの仕事が完全に終わった。 6日(土) 私用。 7日(日) 私用。 8日(月) 3年生が修学旅行でいないので、授業がなく年休をいただく。私用。夕方から13日(土)のセミナーの準備。4本の模擬授業のうち3本の資料が完成。 9日(火) 3年生が修学旅行に行っているので、授業は1時間。しかも書写。教科書の詩を視写させる。空き時間は期末テストの作成、自習監督など。放課後は学年会。帰宅後、明日の球技大会のビデオ撮影の準備。その後ゆっくり過ごす。 10日(水) 第1学年球技大会。一日中ビデオ撮影。帰宅後はビデオの編集。 11日(木) 1年2・3組で「オツベルと象」の第一日曜。空き時間は自習監督が1本。学校祭関係の提案文書の作成。放課後は早めに帰宅してビデオ編集。 12日(金) 1・2時間目は空き時間。期末テスト問題を完成させる。1年2・3組で「オツベルと象」の第一日曜。オツベルの人物描写の意味を確認。放課後は漢字検定。帰宅後は明日の「授業づくりセミナー」の準備。 13日(土) 朝、對馬くんに起こされる。第7回国語科授業づくりセミナーin札幌。模擬授業を4本。参加者の少ないセミナーだったが、堀・森・山下の3人がこれまでの提案を整理できたのが大きかった。山下くんを自宅まで送り、帰宅。夜はゆっくりと過ごす。 14日(日) 雑誌原稿を1本。その後、20日(土)の学級経営セミナーの準備。「合唱コン・選曲のポイント」「リーダー育成」のパワポが完成。 15日(月) 今日から3年生が登校。1時間目に3年7組で試験対策、4時間目に1年7組で「オツベルと象」第一日曜のまとめ。5時間目に3年8組で試験対策。空き時間は生徒会関係の仕事や期末テストの解答用紙作成など。放課後は校務部会。その後、学校祭係代表者会議の資料づくり。帰宅後は20日(土)のセミナー準備。「通知表所見の書き方」に着手。 16日(火) 1時間目は1年9組で書写、「出発」の1時間目。2時間目は3年8組で試験対策。3時間目は1年3組で試験対策。午後から年休。「通知表所見の書き方」講座の資料が完成。20日のセミナーのビデオも完成。夜はゆっくりと風呂にはいり、録画しておいたドラマを見ながら酒を飲む。 17日(水) 1時間目は自習監督。2時間目は空き時間。様々なプリント印刷など。3時間目は1年2組で試験対策。4時間目は自習監督。5時間目は3年2組で試験対策。6時間目は空き時間で期末テスト関係の仕事。放課後は陸上競技大会の係会。帰宅後は雑誌原稿を1本。 18日(木) 期末テスト。1時間目が国語。2時間目は空き時間で採点。3・4時間目は試験監督。14時まで採点。その後、勤務が解かれたので、帰宅して、来週月曜日の学活で1年生に見せる学校祭紹介のビデオを編集する。 19日(金) 期末テスト2日目。試験監督4連発で空き時間なし。午後は全校協議会、生徒会役員と談笑したあと、採点。16時に年休をとり、上篠路中学校へ。山下くんといっしょに発送作業。19時過ぎからに2年前の卒業生の保護者たちと宴会。1年半振りに会った方も多いのだが、すぐにあの頃の雰囲気に。「ああ、あの三年間、何度もこういう時間があったなあ」とデジャヴ感覚。いいものである。帰宅は2時半。メールを確認し、明日のセミナーの準備をして、3時就寝。 20日(土) 第6回中学校・学級経営セミナー。「通知表所見をいつ、どのように書くか」という90分講座、「合唱コンクール・選曲のポイント」という30分講座、「学年リーダーの育て方」という45分講座の3本がぼくの担当。どれも滞りなく終わる。今日は二日酔いと寝不足のせいで、まったく肩に力が入っていない。これがまた、ほどよくいいかげんで良かった。終わってから、森くん、山下くんと小宴。 21日(日) 昼頃起きてだらだら。犬の病院でワクチン。雑誌原稿を1本書いた後、1年生に学校祭のイメージをつかませるために、学校祭紹介ビデオを編集。1時間ほどで完成。割とすぐにできる。 22日(月) 朝1時間の年休。白石区民センターに会場をおさえにいく。その後、1年9組で書写「出発」、3年7・8・2組の順で期末テスト返却。6時間目は空き時間で採点。放課後も採点。帰宅後はこまごまとした事務仕事。テレビ。 23日(火) 3年8組でプリントに取り組ませながらノート・ワーク点検。空き時間二つはこまごまとした事務仕事。1年3組でテスト返却。5時間目は自習監督。放課後は職員会議。帰宅後、雑誌原稿に著作権関係の直しがきて訂正。その後、ゆっくり過ごす。 24日(水) 3年7組でプリントに取り組ませながらノート・ワーク点検。3年8組で文法。1年3組は「オツベルと象」マップをつくらせながらノート・ワーク点検。1年2組はテスト返却。空き時間二つはは評定作業。帰宅後はすぐにビールを飲みながらテレビ。「臨場」が最終回。大杉漣がよかった。役者やなあ…と感じた。 25日(木) 3年7組で文法。空き時間はプリントの印刷、評定作業。1年2組でノート・ワーク点検。3年2組でもノート・ワーク点検。昼休みは教科代表者会。5時間目は1年3組で聞き取りテスト。放課後は学年協議会。帰宅後、新しい企画を立てる。今年は暇なので、5年振りに、本を集中して書く年にしようと思っている。 26日(金) 1年2組で聞き取りテスト。3年2組で文法。空き時間・放課後はこまごまとした事務仕事。18時近くまでかかる。帰宅後はゆっくり過ごす。 27日(土) 本を読み、原稿を書き。久し振りに、本当に久し振りにこういう一日を過ごした。ぼくの四十代の仕事がやっと始まるようだ。等身大の自分が見えてきて、等身大の仕事が始められるようになった。そんな感じである。上篠路の4年間で得たものがぼくの中で結節点を描き出そうとしている。実践をまとめる夏が始まる。晋ちゃんの妹さんが逝かれた。夭逝といっていい年齢である。御冥福をお祈りしたい。 28日(日) 昼過ぎに起きて、一日中原稿執筆。妻は朝から中体連の体操の引率とやらで不在。これ幸いと書斎に閉じこもる。原稿が10頁、20頁とどんどん進んでいく。日曜日があと3日続けばできてしまいそうな勢いだ。帰宅した妻から中体連体操の結果を見せてもらうと、3月まで受け持っていた上篠路の女子生徒が体操一部で断トツの1位。遠くで彼女の優勝に祝杯を挙げる。こういうのもなんとなくいいものだ。明日も授業がいっぱい。しゃーないからまたぼちぼち頑張るか…。それにしても千春の新譜はいい。 29日(月) 1年9組の書写のあと、3年生3クラスで品詞分類表の小テストと動詞の活用の復習。空き時間はこまごまとした事務仕事。放課後は周年行事検討委員会。4回目の周年行事になるが、今回の提案がこれまで見た中でもっともひどかった。具体的なイメージを持たずに提案しているから、現実的に機能しないことばかりが提案されている。申し訳ないが、もう少し考えて提案すべきだと感じた。まあ、まだたっぷりと時間はあることだし、何より提案者の教頭さんが悪い人じゃないので、基本的には許せるけどね。 30日(火) 3年8組で文法。自習監督。野外学習写真展示の監視。1年3組で「オツベルと象」の第二日曜。5時間目に一息ついて、放課後は生徒会役員の生徒といっしょに学校祭企画のブレイン・ストーミング。いよいよ今年も学校祭が始まった。今年も半分が終わった。 |
【BLOG「裕弁は銀・沈黙は金~堀裕嗣.com」~今日のひとこと】 フォーメーション/2009.05.12(火) 「上司につける薬!マネジメント入門」(高城幸司/講談社現代新書/2006.09)を読んだ。これといって特徴のない本だが、ぼくらが学校現場を生きていく上で、大切と思われる一節があった。 マネジメントをする際には、プレイヤー時代の自分がそれをできたかではできなかったかは、「棚に上げ」ねばならない。そして、その人がミスを修正するためにどうすべきか、を自分の立場から毅然と導くこと。「ボクができなかったのに、無理言っちゃってごめんね」といった態度は、誰にも益をもたらさない。自分の心苦しさを回避しているだけだ。 当然と言えば当然のことなのだが、人はこの原理を忘れがちである。プレイヤーとしての成功者がマネージャーとしての成功者になれるわけではないことは、長嶋監督が、王監督が、そして釜本監督が、監督として第二の人生を歩み出した途端に伏し目がちの姿ばかりをぼくらに見せ続けたことでもわかる。それに比して、広岡監督や仰木監督の堂々たる采配をぼくらはいまだに瞼に浮かべることができる。名選手、必ずしも名監督ならず。耳にたこができるくらいに聞いたフレーズである。 しかし、ぼくらが校長を見るとき、或いは指導主事を見るとき、彼らがかつてどんなプレイヤーであったかが必ずといってよいほどに話題となる。しかも、どのような授業プレイヤーであったかはほとんど問題とされることなく、どのような生徒指導プレイヤーであったかばかりが問題とされる。あるいは学級経営プレイヤーと言い換えてもいい。結果、かつて生徒指導ができなかったとの評判のある校長や指導主事は軽視され、蔑視され、疎んじられる。 ぼくらの誰もがこのメンタリティを少なからず抱いている。どんなに理知的な判断をする者もこのメンタリティから自由ではない。そしておそらく、生涯、解放されることはない。教員世界とはそういうものである。 しかし実は、生徒指導が得意、学級経営が得意という人ばかりがいても、学校は成り立たない。 学習指導要領とにらめっこしながら教育課程をつくる人。 緻密な事務仕事を得意として一つもミスをせずに進路事務ができる人。 お金のやりくりをしながら効率的に会計を司る人。 写真を撮ったりビデオを編集したりすることを趣味としている人。 卒業アルバムや生徒会誌をバランスを考えながら編集できる人。 こんな人たちが必ず学校には必要なのである。 しかし、こういう人たちは職員室での評価が低い。それも、著しく低い。ぼくはこの慣習をなんとか打破しなければならないと思っている。 この構図を打破する手立ては実は二つしかない。 一つは、こうした人たちが、生徒指導や学級経営ができなければ認められないのだ、教職とはそういう世界なのだと一念発起して、生徒指導や学級経営のスキルアップを図ること。これができたら一番いい。 小沢一郎が民主党代表を辞職したが、彼が辞職せざるを得なかったのも、「政治家とは○○である」という政治家テーゼに触れたからにほかならない。政治家テーゼとは「国民に何か陰で悪いことをしているのではないかと疑われないこと」である。実際に悪いことをしたかどうかで責任を問われるのではない。疑いをもたれたか否かで責任を問われるのである。 教師も「生徒指導ができないと判断された時点で失格なのだ」という教員テーゼに従って、みんながスキルアップを図れば、これほど良いこともなかろう。 しかし、だれがどう考えてもこれは現実的ではない。政治家テーゼなら意識して、気をつけて生活することができる。陰でいかなる悪事を行っていようと隠すこともできる。だが教員はそういうわけにはいかない。生徒指導も学級経営も相手がいる。生徒指導も学級経営も常に、少なくとも子どもと保護者には公開されている。いくら意識して気をつけても、いくら隠そうとしても、力量のない教師が責任を問われずに済むことはほとんどあり得ない。隠せるのはせいぜい、政治家と同じように、私生活のいいかげんさくらいだろう。 とすれば、別の道を探すしかない。どんな道か。それが二つめである。それは、こうした生徒指導や学級経営を不得手とする教師たちを、生徒指導や学級経営を得手とする教師たちがフォローすることである。そしてフォローと同時に、自分たちが、実は、彼らの得意とするような研究や、緻密な事務仕事や、緻密な会計や、おたく的なこだわり仕事を不得手としていることを自覚することである。 これを自覚すれば、彼らの存在を、価値を認められるようになっていく。職員室が役割分担によって機能していることを理解できるようになる。学校の職員室には、この「役割分担」という意識が皆無と言っていいほどにない。それが現状である。 生徒指導力や学級経営力を相対化すべきである。 生徒指導屋には生徒指導屋の役割があり、担任屋には担任屋の役割がある。研究屋には研究屋の、教務屋には教務屋の、そして行事屋には行事屋の役割がある。もちろん、管理職にも管理職の役割がある。 これらを有機的に結びつけること。教員再生の道も学校再生の道も、このこと以外にはない。ぼくにはそう思える。そしておそらく、この結びつける力のことを、一般に「マネジメント」と呼ぶのだ。 生徒指導や学級経営ばかりでなく、研究も教務も会計も行事も編集も、そして管理職でさえ、みな役割分担に従ったプレイヤーとしてプレイしているのである。それらを有機的につなげていくフォーメーションを考えようではないか。 できれば、PTAも巻き込んで……。 これがぼくの理想の職員室だなあ。 意気/2009.05.07(木) お兄さんも昔はペテン師みたいで とってもシゲキ的だった だけど今ではすっかり丸くなって いつでも笑うだけ(「お兄さんの歌」忌野清志郎&2・3’s) 昔から割と好きなフレーズだった。清志郎が40を過ぎてつくった歌である。先日、清志郎を聴いていて、改めて感じ入るものがあった。月並みだけど、本質だ。 ぼくもご多分に漏れず、40歳を過ぎて丸くなったとよく言われる。自分でも可笑しいくらいに、ちょっとやそっとのことでは腹を立てることがなくなった。意識的に腹を立てないようにと注意しているわけではない。腹が立たなくなったのだ。 そんなぼくがいまでもどうしても腹を立てることがある。「ことがある」というよりも、「腹を立てる領域がある」といった方がいいかもしれない。 今日、職員室で、ある若手教師との間で、こんなやりとりがあった。 若手:堀先生、お忙しいところ、すいません。ちょっとお願いがあるのですが……。 堀:な~に? 若手:実は先日の野外学習の下見で撮ってきたビデオで、「かまどづくり」のビデオをつくろうと思うんですが、ビデオ編集の仕方を教えてくれないでしょうか。 堀:いいけど。8000円かかるよ。ビデオ編集ソフトを買わなくちゃならないから。 若手:ええっ!8000円ですかぁ……。 堀:その程度の投資ができないんならやめた方がいい。どうせモノにならないから。 この若手教師はそそくさと自分の席に戻って行った。 かわいそうだと思いながらも、今後の自分とこの若手教師との関係を考えたとき、ぼくはこういう対応をせざるを得なかった。この若者に彼の意図通りにぼくのソフトをインストールさせ、使い方を丁寧に教えたとしたら、彼から今後ずーっと頼られることになる。彼の中に「堀さんに頼めば教えてもらえる」という甘えが形成されてしまう。それが今後、ぼくの時間をどれだけ奪うことになるか。咄嗟にそういう論理が頭の中に展開した。 「申し訳ないが、8000円をかけられない者に費やす時間はない」と。 おそらく彼に編集の仕方を教えるのに、少なく見積もって5時間はかかるだろう。まず基礎的な使い方を教えるのに2~3時間程度。一度彼がつくってみたものをぼくが見て、手直しすべきところを指摘するのに1時間程度。そこからは彼に付きっきりで2時間程度はかかるはずだ。たぶん足かけ3日の作業になる。共通の空き時間なんてそうそうないから、すべてが放課後、しかも生徒会や学年協、部活の生徒が帰ったあと、19時頃からの作業になるだろう。 この若者は、自分の言っていることが、ぼくの私的な時間を5時間以上奪うだろうことを意識しているだろうか。 答えは明らか。していない。 彼がもし、「そうですか。それじゃあ、今日買ってきます。ぜひビデオ編集を覚えたいんで……。」と言えば、ぼくは喜んで自分の時間を5時間でも10時間でも割いただろう。しかし彼はそう言わなかった。それでぼくの気持ちも一気にしぼんだ。 上のやりとりはそういうことだ。 最近、ぼくに「意気」に感じさせてくれる若者が姿を消してきたような気がする。妙に金を惜しむ。それでいて他人の時間を奪うことには無頓着である。そのくせ「お忙しいところ、すいません」といった心のこもっていない社交辞令は使う。 たった8000円出せば、そしてこの人の技術の基本を学ぶことができれば、今後、少なくとも10年は自分の仕事に潤いを加えることができる……そういう頭の使い方をしない。 もっと意地悪くいえば、ぼくが現在の編集技術を身につけるのに、どれだけの金と時間と労力を費やしたかなんていうことは思いも寄らない。だから、簡単に頼める。 もう一つ思うところがある。 上篠路時代、ぼくが可愛がっている若者が二人いた。彼らの心象も、実は今日の若者とそれほど変わりはしない。仕事のツールには金を惜しむ。それでいて遊ぶことに金をかけるのはいとわない。まあ、そういう感じだ。それでも、ぼくは彼らには教えた。なぜか。それはぼくが彼らを育てる責任をもつ立場にあったからだ。学校長がぼくにそれを期待して、彼らをぼくの下につけたからだ。だから、ぼくは、さきほどとは少々違った意味で、その人事を「意気」に感じていた。 しかし、いま、ぼくは今日の若者を育てる責任をもつ立場にはない。正直に言えば、だから断れるのである。 つくづく、人間とは現金なものだと思う(笑)。 これまで、若者に教えるか否かということのみで語ってきたが、実はこの「意気」の構造は、若者を育てる場合のみならず、仕事全般に対して言えることである。最近、「意気」に感じる仕事が減ってきた。給与格差や免許更新や昇進だけが、経済効率的に仕事の代償として語られる世の中になってきた。それが教師の世界まで浸食してきた。 おそらく今日の若者が8000円をしぶるのにも、無意識的にこの経済効率が働いている。彼にとって、今回自分の仕事として与えられているビデオをつくる仕事も、ぼくに教えてもらおうとした編集の仕方も、彼の中では8000円の値がないのである。 そしてそれを瞬時に感じたからこそ、ぼくはネガティヴな反応をするのである。 おそらくぼくが「意気」に感じるのは、「値踏みできない価値を堀さんに教えてもらうことに見出していますよ」という姿勢が見えたときなのである。それが見られない場合には、ぼくの時間はぼくのものだというエゴイスティックの中に閉じこもるのである。 おそらく古くから、こうした「あなたにお願いしたいのです」という姿勢を示すことが、実は「世渡り」の中核だった。 ぼくらが開催する研究会なんかは、それだけで動いている。ぼくらは「あなたが一番ふさわしい」とか「あくまであなたの提案を聞きたい」とか「この危機を救えるのはあなたしかいない」とか「あなただからこれを頼めるのだ」とか、こういった論理だけで登壇者が決まっていく。だから、二度連続で断られると、もう二度と頼まなくなる。 結局、どんな組織も、おそらくは最先端に洗練された組織でさえ、日本人が仕切る組織はいまだに浪花節で動いているに違いない。最近、いろいろなところで摩擦が起きるのを見ていると、Aさんの浪花節とBさんの浪花節がズレているということに起因しているのを感じる。 ぼくもここ数年、昇進を前提とした浪花節世界観をもっている管理職と、専門職を前提とした浪花節世界観をもっている自分との間に、大きな齟齬を感じている。 ある管理職は、ぼくとの初対面でこう言い放った。 「私に仕えると昇進が早いよ。」 ぼくはこのひと言で、この人のための仕事はするまいと決意したのだった。彼もまた、そんなふうに思う人間がいることを想像できないのである。おもしろいものだ。 ついでに言えば、この校長はその数週間後、「来年は堀さんにふさわしいポストを用意するからね。ふさわしいポストを。」とおっしゃってくださった。あまりにありがたくて涙が出そうになった(笑)。 ぼくにとっては、校長も若者も同じなのに……。 とにかく、「意気」に感じるような仕事をしたいものである。 不毛な構造/2009.05.06(水) ある教育メルマガが届いた。 ふだんなら開くこともなく削除…なのだが、気が向いて開いてみた。山口の附属小学校の先生が「わらぐつの中の神様」の実践を報告している。 基本的に課題解決学習の実践である。初発の感想から子どもたちの疑問を抽出し、話し合いで「課題」をつくった、そう書いてあった。しかもそれを考えていく中で、題材の主題に迫るような課題が子どもたちの話し合いからできてきて、それを解決していく授業がなされた。簡単に言えば、こういう展開である。 「こういう実践報告を久し振りに読んだなあ。」 率直なところ、そう思った。 これは「課題解決学習」が、或いは「学習課題論」が隆盛の頃、実に多くの報告が世に出まわった、それらと同じタイプの実践報告である。1970年代から90年代半ば頃まで続いただろうか。そこから一歩も進んでいない報告だった。 はじめに言っておくが、ぼくはこの先生を批判したいのではない。 課題解決学習(この先生は「読みのめあて」という語を用いていた。このことばも懐かしい。)は授業を「システム」にすることができる。その意味で、授業をする側の教師としては、ある種の安心感を抱くことができる。ぼくもかつて、ずいぶんとやった。 しかし、課題解決学習の一番の根幹である「子どもたちの話し合いの中から新たな課題が止揚される」というところがどうしてもうまくいかない。教師の強引な手腕によって形にすることはできる。だが、それで納得できないと思うとき、課題解決学習は破綻する。 この先生も「教師が強引にまとめないように」ということを気をつけなければならない旨を書いていた。実践の結果、おそらくはこの先生もそこのところに違和感をもったのであろう。40年前の議論とも、30年前の議論とも、そして20年前の議論とも、まったく同じである。 結局、「授業をシステム化することの安心感」と、「子ども主体による課題の止揚という理想」とが、なかなか結節点を紡いでくれないのである。おそらく、後者を重視すれば、もっと大胆にワークショップ型の展開を導入せねばならないし、前者を重視するなら、もっと「行動主義的な授業形態」、言うなれば、「課題設定訓練のようなプログラム学習」的なもの事前準備としてかなりの量が必要となる。結局、課題解決学習は「二兎を追う者、一兎を得ず」の代表的な指導形態となっている感がある。 おそらく、このたびの実践を報告している先生は、その書きぶりから見ると若い先生なのだろうと思う。20代か30代前半か。 この実践を追い続ければ、これから反吐の出るような課題が山積している。教師が予定調和的に用意した課題ではなく、真に「子どもがつくった課題」と胸を張って言えるような授業にするには、子どもたちにどのような「レディネス」が必要なのか、教師が裏で用意してある理想的な課題にどの程度まで収斂して良いのか、初発の感想はどのようにとるべきか、理想の課題に近づけていくために教師はどの程度かかわって良いのか、そのための指導言はどのように展開されるべきか、子どもたちの話し合いが右往左往・試行錯誤したときに予定外の時間延長をどこまで認めて良いのか、子どもたちの話し合いが予想外の展開を示したときに教師はそれで良しと腹をくくるべきなのか否か、……こんなことを考えながら、思考は課題づくりのハタ゜ーンは何種類くらい想定されるのかとか、話し合いの仕方に「型」(=システム)があった方が便利ではないかとか、一次感想と二次感想の間に中間感想をとって子どもたち一人一人の変容を見るシステムを開発しなければとか、゛とんどんと蟻地獄に陥っていく。 そしてみな、若い頃の課題解決学習への思いを捨て、自分なりの授業システムへと移行していく。若い先生はそんな先人の経緯を知ることなく、また課題解決学習を追い始める。先人の試行錯誤は試行錯誤止まりであったために、記録としては残されていない。だから、また、1から始めようとする。 今回の先生の実践報告が40年前の報告や30年前の報告と代わり映えしないのは、決してこの先生のせいではなく、教育界にこのような「不毛な構造」があるからである。 完璧な個性/2009.05.04(月) 何度も書いているが、太田裕美ほど、ぼくに「完璧な個性」を感じさせた女性はいない。 ぼくはファンクラブに入るほど本当は岩崎裕美が大好きなのだが、太田裕美には岩崎裕美にない「個性的」な側面が多々ある。うまいと言えるのかどうかわからないあの歌もそうだし、ピアノの弾き語りがあれほど似合う女性もいなかったし、そして何より、太田裕美には岩崎裕美にはない、どこか知性を感じさせる趣があった。それが彼女が大瀧詠一にも伊勢正三にも愛され続けている所以だと思う。 かつて「LONG VACATION」を初めて聴いたとき、あの「散歩しない?」を聴いて、みんなすぐに太田裕美だとわかった。彼女にはそういう「完璧な個性」がある。 7月26日、太田裕美が岩見沢のフォークジャンボリーにやってくる。ぼくのいまの一番の楽しみである。 そんなこんなで、YOU TUBEのリストを作っておこうと思い立った。 1.雨だれ1974/雨だれ1992/雨だれ2005 2.たんぽぽ1975 3.夕焼け 4.木綿のハンカチーフ1976/木綿のハンカチーフ2000 5.赤いハイヒール1976/赤いハイヒール1976 6.最後の一葉1976/最後の一葉1976 7.しあわせ未満1977/しあわせ未満1977 8.恋愛遊戯1977/恋愛遊戯1977 9.九月の雨1977/九月の雨1977/九月の雨1998/九月の雨(ボサノヴァ) 10.恋人たちの100の偽り1977 11.失恋魔術師1978 12.ドール1978 13.振り向けばイエスタディ1978/振り向けばイエスタディ1979 14.青空の翳り1979/青空の翳り2008 15.シングルガール1979 16.ガラスの世代 17.南風-SOUTH WIND-1980/南風-SOUTH WIND-2008 18.黄昏海岸1980 最後に壮大な「さらばシベリア鉄道」をどうぞ。 清志郎/2009.05.03(日) 胸いっぱいに時代の風を吸い込む頃がある。 十代半ばから二十代前半といったところか。 夢みる頃を過ぎても、当時の風はべったりと全身を包み込み、決して逃れることができない。逃れようともがく季節を通って、人は、自らがその風を基礎に柱を組まねばならないことに気づきはじめる。 そんな、かつて同じ風を浴び、同じ風を吸い込んだ人たちを、ぼくらは「同世代」と呼ぶ。 忌野清志郎 ぼくらの世代にとって、彼は確かに「時代の風」だった。 それもちょっとやそっとの風ではない。台風なみの激風だった。刺激的なものを求め、おもしろく生きることを優先し、それでいて逆境には猛烈に弱い、そんな80年代的メンタリティに対して、清志郎は「そのままでいいんだよ」というメッセージを送り続けてくれた。 たぶん、清志郎を初めて見たのは「夜のヒットスタジオ」だったと思う。井上順と吉村真理の月曜10時の歌番組である。たしか「トランジスタ・ラジオ」だった。 なんだ、これは! ぼくと同じように、そのとき初めて清志郎を見た人たちは、みなそう思ったはずだ。こいつはふざけてるのか。こんなボーカルがあり得るのか。コミックバンドか。それにしてはギターがやけにうまい。ブルースしてる。そんな印象だった。 でも、それもそのはず。彼らは怒濤の70年代をちゃんとくぐり抜けてきたバンドだった。「ぼくの好きな先生」や「雨あがりの夜空に」や「キモちE」や「ブン・ブン・ブン」や、そして何より「スローバラード」を聴くと、中学生のぼくらにもなんとも言えない同時代性を感じさせてくれたものだ。 ぼくらが高校生になると、もう「ぼくの好きな先生」や「雨あがりの夜空に」や「スローバラード」を知らない人間はいないほどに、彼らは時代の寵児になっていた。「サマー・ツアー」や「つ・き・あ・い・た・い」や「ベイビー!逃げるんだ。」が象徴的な楽曲となり、「BLUE」が、「BEAT POPS」が、「OK」が、象徴的なアルバムとなった。坂本龍一との「い・け・な・い ルージュマジック」なんてのもあった。そういえば、名盤「COVERS」でレコード会社やスポンサーを大騒ぎさせたこともあったっけ。いずれにしても、「Baby a Go Go」まで、彼らは80年代をぼくらといっしょに駆け抜けた。 実は、ぼくにとって、忌野清志郎は類い希な才能をもつ「詩人」である。 それは清志郎がソロ活動を始めて、「RAZOR SHARP」を発表した頃から、ずーっと感じていたことだ。 「俺は河を渡った Oh 渡った 暗い夜の河を 渡った 河を渡った ドロ水を飲んで おぼれそうになって 助けられたりして そう 俺は河を渡った」(WATTATA) 「曲がり角のところで ふり向いただろ こっちを見てたんだよね ベイビー ベイビー あの曲がり角のところで バックミラーにとんでいった あの曲がり角のところで」(AROUND THE CORNER/曲がり角のところで) 「子供の顔したアイツより 信頼できるぜ大人の方が 子供はすぐに気が変わる 約束なんかは 破られた方だけが 覚えてるのさ」(CHILDREN'S FACE) 「興味があったから あの娘にもあったから 二人で追求してみたのさ それだけのことだった それだけのことなのに あの娘に『帰ってきて』と言われたよ」(あそび) 「ガムをかみながら 隙間から海を見てた 霧が晴れた……かと思った ヒリヒリ痛い胸に」(IDEA/アイディア) おそらくこの時期、清志郎自身に渡らなければならない「河」、ふと立ち止まる「曲がり角」、信頼できない「子供の顔」といったものがあったのだろうことは容易に予想されるが、鬱屈した社会的人間関係、性的な解放を謳いながらもどこか古風なところを手放せない男女関係、そして「免停」「キレル奴」「ブーブーブー」といった言葉にできないストレスのはけ口に至るまで、彼こそが疑いなく、ぼくらの世代の、あの時代の若者の代弁者に思えた。 相次いで発表されたチャボの「NAKAIDO REICHI BOOK」をも聴きながら、チャボが普通の言葉を独特の語りに載せて世界観を紡ぎ出すのに比べて、当時の清志郎は既に耳慣れたワンパターンのボーカルに幾重にも意味を象徴させた詩的言語を連鎖させることで、清志郎らしい世界観を紡いでいた。 チャボは朗読家、清志郎は詩人……。 二つのまれな個性がスパイラルに機能して、ぼくらをそのスパイラルに巻き込んでいく。それがぼくにとってのRCだった。 忌野清志郎に合掌。 きっと、高校時代にこれ以上ないというくらいへたくそに清志郎をカバーしていたNも、学生時代にぼくがバイトしていたカラオケスナックに必ず週末に来て「スローバラード」を歌っていたTさんも、「清志郎が私の恋人」と豪語してやまなかった保護者のKさんも、あの時代の風に思いを馳せながら泣いているに違いない。 発信の契機/2009.04.27(月) 北海道新聞朝刊(2009.04.16・木)の「読者の声」欄に以下の投稿があった。便宜上、段落番号を振って引用する。 ■引用開始 いじめ自殺根絶/心が通う学校に 無職・男性・苫小牧市・64歳 ①昨年6月に千歳市内の女子中学生、今年3月に滝川市内の男子中学生が飛び降り自殺を図った事件で、原因となるいじめの事実を学校側が把握できていなかったことが問題になっている。 ②滝川の場合では、男子生徒が部活動を休みがちになったという兆候があったにもかかわらず、教師全体の取り組みにつながらず、生徒を救えなかった。 ③私たちはいま、1994年に愛知県西尾市で起きた当時中学2年の大河内清輝君のいじめ自殺事件のことを思い出してみるべきだ。 ④事件はいじめグループに現金を脅し取られ暴行を受けたのが原因だった。当時の名倉庸一・市教育長は「教師の未熟さ、情熱がなかったということが、こういう事態につながった」と、学校側の手落ちを認めた。 ⑤学校を「教師」対「生徒」という構図でとらえては問題は解決しない。生徒と教師が普段の交流を通して一体となり心の通い合った集団とならなければ、いじめ自殺を根絶することはできないと思う。 ■引用終了 うーん……。言いたいことはわからないではない。しかし、この文章を読んで、私の中にはどうも言葉にならないむずがゆさが残る。この印象を抱くのは私だけなのだろうか。 実は私の中で、むずがゆさの原因ははっきりしている。 ①~④の展開に即して述べた結論にしては、⑤があまりにも飛躍しているのである。つまり、①~④と⑤との間に、少々距離が感じられるのだ。 おそらく⑤は、あとでとってつけた段落なのではないか。 つまりこういうことである。 この投稿者は、最近の道内の中学生の自殺事件に関心をもった。その結果、愛知県西尾市の教育長の対応について想い出した。かつて、学校側の「手落ち」(この言葉を投稿からの引用としてこのまま用いるけれど、道新はこの語を使っていいのだろうか……)を認める発言をしたことがあるではないか、と。 おそらく、投稿者の〈投稿意欲〉を支え、〈発信の契機〉となったのは、かつてのこの事件の記憶である。簡単に言えば、この投稿者はこの事実があったのだよ、と言いたいのである。いや、もっと穿った見方をすれば、「私(だけ)はちゃんとこの発言を覚えていますよ」ということを自慢し、宣伝したかったのではないか。 実は投稿者しては、④まで文を連ねればそれで事足れりなのである。 しかし、①~④までの文だけでは、文章として尻切れの感がある。そこで、とってつけたような、抽象的で紋切り型の第五文を付け加えねばならなかったのである。 もう一度、⑤の文を引こう。 ⑤学校を「教師」対「生徒」という構図でとらえては問題は解決しない。生徒と教師が普段の交流を通して一体となり心の通い合った集団とならなければ、いじめ自殺を根絶することはできないと思う。 さて、これはいったい、何を提案しているのだろうか。 「生徒と教師が普段の交流を通して一体となり心の通い合った集団とな」るとは、いったいどのような状態を指しているのか。 そもそもこの文は、だれに対して投げかけているのか。教師か。学校か。教育行政か。おそらく生徒に対してではないだろう。 教師にしても学校にしても教育行政にしても、いずれにしても学校関係者だとすれば、「生徒と教師が普段の交流を通して一体となり心の通い合った集団とな」るためには、いったい学校関係者に何をせよと言っているのか。 文脈に沿って④から類推すると、教師が「未熟さ」を克服し、「情熱」をもつということだろうか。どうもわからない。 第五文は「学校はかつての愛知県西尾市教育長のように、今回報道されている学校も自分たちの過失を認めよ」という結論で良かったのではないか。そう言えば、教育関係者も、あのいじめ自殺を代表する大事件でも、教育長が学校の過失を認めて謝罪していたのかと、少しは考えるような文章になったのではないか。 それを、とってつけたように「生徒と教師が普段の交流を通して一体となり心の通い合った集団とならなければ、いじめ自殺を根絶することはできないと思う。」などと書くから、登校のタイトルまで形だけの主張に引っ張られ、「いじめ自殺根絶/心が通う学校に」などと、自らの〈発信の契機〉からズレた紋切り型へと堕してしまうのである。 〈発信の契機〉はもっと大切にしなければならないものだと思う。 明日の教室/2009.04.19(日) 既にいろいろなブログで紹介されているが、私も執筆者の一人なので、宣伝を記しておこうと思う。「ぎょうせい」のHPからの転載である。 ■以下、引用開始
他者意識/2009.04.18(土) かつて勤務していた学校の栄養士が、年度末反省で、給食の早出しは年度当初の計画で出してくれと提案したことがあった。要するに、職員会議で来月の行事予定を確定するということの否定である。それでないと間に合わない、急に変更しろと言われても対応できない、というわけだ。 かつて勤務していた学校のテニス部顧問が、年度末反省で、昼休みに一般生徒がテニスコートを使ってテニスをすると、コートが荒れて困るので禁止しろと提案したことがあった。要するに、テニスコートは毎日テニス部が整備しているのだから、一般生徒なんぞに使われては困る、テニス部の活動が毎日コート整備から始まるのでは時間がとられてしまう、というわけだ。 ぼくはこの双方の提案に声を荒げて反対した。 この二つは、「学校とは何か」という根幹のところをはずしている。給食やテニス部という自分の領域のことだけを考えて、なぜ学校に給食があるのか、なぜ学校にテニスコートがあるのかということを考えることを放棄している。 申し訳ないが、こういった発想は看過できない。 この栄養士さんはおそらく、1ヶ月前の職員会議で急に給食の早出しをお願いされることで、予定していた計画が狂ってしまうことに腹を立てていたのだろう。それはわからないでもない。 その意味では、愚痴ったって構わないし、ご苦労をかけているとも思う。 しかし、年度末反省にこんなことを提案して、学校全体のシステムを給食にあわせて変更できないかと考えるのはおこがましさが過ぎる。給食の早出しを年度当初に決めるということは、1年間のすべての教育活動を年度当初に決めてしまえ、その後、不都合が生じても変更はままならぬ、と言っているのに等しい。 この栄養士さんに対して、ぼくは言った。 「ここは学校です。学校とは給食を中心にまわるところですか。」と。 そんなに計画通りに進めたいならば、或いは自らの能力が低くて変更に対応できないのならば、市役所の食堂にでも行けばいい。献立は固定、せいぜい日替わり定食のメニューが変わる程度、その時々に市役所がどんな仕事をしている時期かにかかわらず、予定通り、計画通りの献立を立てることができる。そういう職場に行けばいい。 ここは学校である。学校は子供たちに対する教育活動を中心にまわっている。その学校において、栄養士が楽をするために、子供たちの動きに不都合があっても変更がきかないというようなシステムを敷くわけにはいかない。 はっきり言って馬鹿げた提案である。 テニス部顧問の提案も同様である。 学校にテニスコートはなぜあるのか。テニス部が活動するためにあるのか。つまり、テニスコートはテニス部のための施設なのか。テニス部だけのものであり、テニス部の専用物なのか。こういうことである。 例えば、野球部の顧問が「野球部員はみな、毎日、内野にトンボをかけて帰ります。ついては、昼休みにグラウンドの内野部分で生徒が遊ぶのを禁止してください。」と提案したらどうだろうか。こんなことが許されるだろうか。 クラウンドなら許されないことが、テニスコートだと許されるのか。このテニス部顧問は、テニスコートがグラウンドに比べて相対的に閉鎖的な空間であり、昼休みにテニスをして遊ぶ生徒も少ないことにかこつけて、少々根幹のところを踏み外してしまったのではないか。 これまた、はっきり言って馬鹿げた提案なのである。 新しい勤務校の栄養士さんが、今月、3回の給食早出しに文句も言わず、たった8人の調理員さんとともに1000食をつくっているのを見て、また、宴会の席でテニス部の顧問がもっと生徒のテニス人口が増えてくれればいいのにと話しているのを聞いて、こんな昔話を想い出した。 しかしぼくは、かつて同僚だった栄養士さんやテニス部顧問の悪口を言いたくてこれを書いているわけではないつもりだ。この二人の構図は、この世の中の様々な場面で見られる、もはや普遍的とさえ言っていい構造のような気がしているのである。 栄養士さんも、テニス部顧問も、二人とも自らの仕事に一生懸命な人たちだった。ぼくは二人が決して嫌いではなかったし、その懸命さに敬服してもいた。しかし、先の年度末反省の二例だけは、当時、ぼくにいろいろなことを考えさせた事例として、忘れることができないでいるのである。 思えば、この二人は自分の領域に懸命になりすぎたゆえに、職員室の中に給食の苦労なんかよりも優先順位の高いものがある考える人たちや、学校の施設を一部の組織が特選するのはよくないと考える人たちがいること、つまり、職員室の中に「他者」がいることを忘れてしまっていた。それが彼らの中に、職員会議で猛反対に遭う可能性があることを想定させなかった。 もちろんこの程度のことなら、笑い話に過ぎない。言ってみれば、だからこそぼくも、ここに書けるのである。 しかし、一般に、職員室の中では、或いは教育行政の内部では、ここに書けないようないろいろなことが行われているはずだ。自殺した生徒について記者会見で「いじめは確認できていない」と突っぱねていた校長や教育長が、「他者」の圧力に屈するなり涙を流しながら土下座する。管理下の職員の不祥事に対して過度のストレスに起因するものという論陣を張り、校長会で全職員に対して日常的に心のケアを行うことを指示する。次に不祥事が起きたときには、職員の心のケアマニュアルを発行する。不祥事を起こした職員の処分をどんどん厳しくしていく。ただただモグラ叩きが際限なく続くだけとなる。「裏金」だって「預け」だって「空出張」だって、かつては学校にもあったに決まっているのである。どれもこれも職員室も教育行政も「他者」をもたなかったことに起因している。 おそらくは、いま、ぼくらが内部規範として何の疑問ももたずに当然のようにやっていることも、ある日突然、「他者」によって問題視され、とてつもなく大きな問題になっていくことがあるに違いない。「他者」をもたず、「内部」の眼だけをよりどころに動いていると、そういうことが何度も起こることになる。 霞ヶ関ばかりがこうした批判に晒されているけれど、この国は全国津々浦々、霞ヶ関的な発想で動いてきたのであり、いまなお動き続けているのである。 せめて、職員会議で大きな提案がなされたときには、特に自分たちにとって心地よい提案がなされたときには、この提案が外部の「他者」にはどう見えるだろうか、と考えるくらいの「他者意識」は持ちたいものである。 教育を〈消費〉してはならない/2009.04.15(水) 先生がえらくなってきている。 こう言うと大袈裟だろうか。しかし、学校教育の内部にいて、この数年、なんとなくこういう印象を受けるのだ。 たぶん90年代半ば頃から始まったことだと思うが、先生の地位が坂道を転げ落ちる以上のに早さで転げ落ちた。先生は吊し上げていい存在、先生はどんなに批判してもいい存在、先生は何を言ったって反論してこない存在、我が子がいやだと言えば親は先生をやっつけちゃえ、そんな風潮がどんどん大きくなっていった。 ぼくは91年に教員になった。ぼくの教員生活は毎年毎年、どんどん肩身の狭くなっていく教師という職業に、あらら…と思いながら風当たりを体感する教員生活だった。 しかし、どうも風向きが変わってきた。 少なくともそう簡単に叩いていい存在、吊し上げていい存在ではなくなってきている。 統計的なデータは何もないけれど、なんとなくそんな気がする。いや、実は決して「なんとなく」などではない。ここ数年、我々教師が感じる、プレッシャーの体感温度が明らかに下がってきているのである。年々下がってきている。しかも急激に。おそらくこう感じているのは私だけではないはずだ。 なぜだ。 いったいどこから風向きが変わったのだ。 教育ルネサンスか? 大手メディアによる一昨年の教育記事ブームか? それともモンスターペアレンツ問題か? いずれにしても、ここ数年でメディアの一方的な学校叩きの論調が沈静化したことだけは確かだろう。 実はこの現象を見ていて、私には感じるところがある。 かつて宮崎勤がセンセーショナルに報道されたとき、あの、所狭しとビデオと漫画雑誌の積まれた部屋の映像から、人々は身近な「おたく」達を危険視し始めた。 酒鬼薔薇聖斗事件のときには、「子供が変わった」「子供がわからない」と世間は喧噪に包まれた。中には、不登校生徒は危ないという意見まで現れた。中学生を見れば、この子にも何か心の闇があるのかもしれない、などと言う者さえいた。 黒磯の女教師刺殺事件に至っては、「普通の子」がキレる、もはや、どの子にも犯罪を犯す可能性がある、とさえ言われた。 佐賀のバスジャック事件や「人を殺してみたかった」と言った少年の事件では、世間は「17歳問題」としふて取り上げ、子供と大人の狭間にある17歳の少年たちを一括りに論じる論調がはびこった。 この間、オウム真理教事件や大阪教育大学附属池田小学校事件、佐世保の小六女児刺殺事件なども起こり、世論はこの国にはびこる心の闇を一般化するようになった。 その結果、昨年の秋葉原通り魔事件にいたっては、加藤智大被告に社会の犠牲者として、この国の労働システムに救う諸問題の犠牲者として、同情の声さえ集まるようになった。 まったく右に触れたり左に触れたり、この20年間、いずれにしても「世間の空気」がその事件の評価を大きく左右したのである。もしも秋葉原通り魔事件が1989年に起きていたら、果たして加藤智大は同情を集めたか。もしも宮崎勤の連続殺人が2008年に起きていたなら、彼が生まれながらに背負っていた手の障害がもう少し同情を集めたのではなかったか。 何を言いたいかというと、事件の評価は、おそらくその事件における〈起こった事実〉によるのではなく、あくまでもその事件が起こった年の〈世間の空気〉で決まるのではないか、私はそう言いたいのである。 話を冒頭の話題に戻そう。 おそらく、現象としての学校、事実としての学校は、数年前も現在もそれほど変わってはいない。教師の力量が急に上がったり、教師がクレームのつくようなことを一切やらなくなったり、教師の仕事がシステム化してクレームの対象となるような事案が減ったり、そんなことはおそらくはあり得ない。 変わったのは〈世間の空気〉のほうである。 この数年、メディアは、息子が学校の窓ガラスに石を投げて割ってしまった保護者が、「グラウンドに石があるのが悪い」と言ったとか言わないとか、「割れないような強化ガラスを使うべきだ」と言ったとか言わないとか、この議論に象徴されるような、大半の教師が経験することはもちろん、聞いたこともないような事例をセンセーショナルに取り上げ続けた。「モンスター・チルドレン」「モンスター・ペアレント」「モンスター・ペイシェント」と、日本人の品格が下がり、民度が落ちているかのような言説を垂れ流し続けた。ドラマ化までされる始末である。その結果、教師の言動に対してちょっとくらい疑問をもった程度では何も言えない、尋ねることさえはばかられる、そんな空気がこの国に形成されてしまったのではないか。 もちろん、明確に保護者がそのように意識するようになったということではない。しかし、この空気は保護者の、いや国民全体の無意識レベルの行動原理を規制するようになってしまったのではないか。 「この程度のことで電話をかけてはなあ。モンスター・ペアレントかと思われてしまうかも。」 こんなことを思ったことのある保護者は多いのではないか。いまそうした現象が矛者の中に起こっているのではないか。そう思えてならないのである。 「先生がえらくなってきている」と冒頭に書いた。もちろん、本当にえらくなったわけではない。昔、私が教職に就き、そのお盆に母親の実家を尋ねた折、遠い親戚のおばあちゃんに「あらあ、ヒロは先生様になったのかい!」と拝まれたことがあったが、本当に先生をえらいと感じているのはあの世代である。 いま、「先生がえらくなってきている」というのは、あくまでも表層的なことに過ぎない。現象的なことに過ぎない。相対的なことに過ぎない。この10年間で教師の中にやっと形成されてきた、「自分たちは税金で喰っている」とか「自分たちは一方的に管理し好き手はいけない」とか「子どもや保護者の話をちゃんと聞かなければならない」とか「子どもや保護者の願いは公共の福祉に反しない限り叶えてあげるのが筋である」とか、こういった風潮を雲散霧消させるべきではない。全国100万の教師がそういう勘違いに陥らないことを願うのみである。 思えば、宮崎勤も、酒鬼薔薇聖斗も、オウム真理教も、キレる少年も、危険な17歳も、宅間守も、御手洗怜実ちゃんでさえ、あたかも芸能人や政治家のスキャンダルのごとく世間に〈消費〉されたという側面がある。ある時期、教師が同じように〈消費〉され、いま、児童虐待やネグレクトの問題に伴って、保護者が〈消費〉されようとしているのである。 しかし、宮崎勤の親が自殺したり、淳くんの両親が苦しみ続けていたり、地下鉄サリンの被害者が後遺症に苦しみ続けていたり、というように、現実はまったく別の次元で動いているのである。 学校教育も同じである。 一つ一つの事案は、あくまで現実として当事者を悩ませ、苦しませ続ける。それらは、教師一般をスキャンダラスに〈消費〉したり、保護者一般をセンセーショナルに〈消費〉したりすることとは、まったく無縁に動いている。 教師も、保護者も、メディアも、そして政治も、このことを肝に銘ずるべきである。教育再生会議の議論が、現実から遊離して、勢いだけで走っていた現実を見るとき、メディアのみならず政治がセンセーショナリズムに陥っている危険を感じたのは、おそらく私だけではあるまい。 2000年以降、保護者の学校教育に対する満足度は、年々、少しずつではあるが上昇してきている。現在、「満足」「どちらかといえば満足」を合わせると、実に75%を数える。これが、一つ一つの具体的な学校の、一つ一つの具体的な努力が集まって得られた成果だということを、忘れてはなるまい。 教育を〈消費〉してはならない。 あたりまえのこと/2009.04.14(火) 世の中には、あたりまえのことがあたりまえのこととして認知されていない事例がたくさんある。ご多分に漏れず、教育界もそういうことだらけである。大学時代の刷り込みがいまだに影響を与え続けているなんていう例もあれば、あまりに思い入れが強すぎるために他の可能性に考えが及ばないなんていう例もある。いずれにしても、ちょっと考えればド素人でもわかるようなことに、なかなか気がつかない。いや、むしろド素人だからこそ気がつくということさえ、世の中には多いものだ。 授業の名人、教育の名人、最近は教育の鉄人などと自称している者もいるが、こうした著名な実践家が言っていることが意外に単純な、シンプルなことである、という場合も多い。「セミプロ」、もっといえば「えせプロ」が思い込みや思い入れ故に気がつかないことに、彼らは本質だけを見極めようとしているが故に気がつくことができるだろう。ド素人でも気づく「あたりまえのこと」に気がつくにも、ある才能が必要なのかもしれない。 今日、ある若手教師として話をしていて、こんな思いを強くした。 その若手教師が私の授業を参観したあとに言うには、「堀先生はどうしてあんな発問が思いつけるんですか?」とのこと。 おいおい。 私は今日の1時間で、ただ一つの発問も子どもたちに投げかけていない。ただの一つもである。それなのに、この若手教師(仮にAさんとしよう)は、私の発問に感銘を受けたというのである。Aさん、私は発問なんて一つもしてないよ。今日の私の授業は、「説明」と「指示」だけで構成されていたじゃないか……と言いかけて、合点がいった。 ははあ、Aさんの中では「発問」と「指示」と「説明」が未分化なのだ……。 言うまでもないことだが、教師の指導言には三種類ある。「発問」と「指示」と「説明」である。 戦後、授業研究は良質な発問をつくることに心血を注いできた。良質な発問が良質な授業をつくる、と。大学の教育専門科目の先生方は、みんなが口をそろえてそう言い続けてきた。その結果、「教師の指導言=発問」という暗黙の了解といおうか、暗黙の慣習と言おうか、教師百万人の共同幻想的勘違いとでも言おうか、そんな状況が生まれた。 しかし、この状況はよくない。まったくもって良くない。 教師の指導言には「発問」「指示」「説明」の三種類が厳として存在するのである。この三つは分けて捉えた方がいい。その方が教師の力量形成にとって、圧倒的に便利である。 教師の指導言には「発問」と「指示」と「説明」がある。この三つの中で最も重要なのはどれか。こう問えば、きっとAさんは「発問」と応えるに違いない。しかし、それは違う。全く違う。この世の中に「発問」のない授業はごまんとある。たとえば、今日の私の授業のように。 授業にとって絶対に必要なもの、必要不可欠なもの、それは「説明」である。 「発問」のない授業はごまんとある。「指示」のない授業も少なくない。しかし、「説明」のない授業はこの世の中にはあり得ない。だって、子どもたちに伝えようとする内容を説明することなく、授業することが可能だろうか。教えない教育と銘打って、子どもたちに話し合わせ、学び合わせる授業を展開したとしても、その話し合いの仕方、学び合いの仕方を説明しなくてはならない。子どもたちに伝えたい内容が「意味」であろうと「方法」であろうと、子どもたちに伝えようとする限りにおいて、そこに絶対的に必要なのは「説明」なのである。 では、残りの「発問」と「指示」とでは、どちらが重要か。 これはもう、圧倒的に指示である。「発問」を投げかけずに、「説明」して「指示」する授業はあり得る。しかし、一切の「指示」をせずに、「説明」して「発問」を投げかけるだけの授業はあり得ない。必ず、その発問に対して、どのように活動し、どのように思考し、どのように解決するかという「説明」と「指示」とが不可欠なのである。 ここまでをまとめてみよう。 ①「説明」だけの授業はあり得るが、「指示」だけの授業とか、「発問」だけの授業はあり得ない。 ②「説明」と「指示」だけの授業もあり得るが、「説明」と「発問」だけの授業はあり得ない。 ③「発問」を中核に構成する授業は、必ず「説明」と「指示」とを伴う。 何も授業のことなど考えなくてもよい。人間の日常的なコミュニケーションを考えてみれば、明らかなことである。1対多の相互コミュニケーションにおいて、「指示」だけとか「質問」だけとかでコミュニケーションが成立するだろうか。こんな単純でシンプルなことに、「セミプロ」や「えせプロ」はなかなか気がつかない。私が「ド素人の方がわかる」というのは、こういう例である。 ついでなので、中学校教師として力量形成を図りたいと思う、若い教師たちに伝えたい。 若手教師は、自分が国語なら先輩教師の国語の授業を参観しようとする。自分が数学なら数学の授業を参観しようとする。自分が美術なら美術の授業を参観しようとする。 もちろん、これは悪いことではない。自分の教科の授業は確かにたくさん見た方がいい。 しかし、「発問」「指示」「説明」を分けて考えてみると、見るべきものが変わってくるのだ。 まずは「説明」。「説明力」を見るなら、数学のベテラン教師と社会のベテラン教師の授業を参観することをお勧めする。数学は抽象的なことを抽象的なままに子どもたちに落とすということを学べる。図示したり、既習事項と同一の原理を導き出したり、こういったことをしながら数学の授業は進んでいく。具体例をいくつも挙げながら、それらの共通点を導き出して「ほ~ら、こういうことでしょう?」という説明をするのは社会科教師である。一つの社会事象、社会原理を説明する上で、彼らはいくつも具体例を挙げて説明する。それも、子どもたちにも理解できるような具体例を次々に出す。社会科とはそういう教科なのだ。何も、研究をしっかりとやっている、いわゆる「研究屋」の授業である必要などまったくない。何十年も数学教師や社会科教師をやっていれば、子どもたちを惹きつけながら授業を進めていく、血肉となった「授業の知恵」レベルのものを見るほうが勉強になる。彼らにとって「授業の知恵」は、もはや「生活の知恵」レベルにまで血肉化している。その呼吸をこそ見るのである。 「指示」の勉強なら、何を措いても音楽教師である。特に合唱指導だ。彼女たちは「○○を目的とする場合には□□といえばよい」ということを知っている。あの手この手、手を替え品を替えた「指示」の連続によって、音楽の授業は進んでいく。しかも彼女たちのすごいところは、言葉巧みに音楽室の空気を支配し、子どもたちをノセていく技術が身についていることだ。20年以上も音楽教師を続けているという者は、まず例外なくこの呼吸を身につけている。だってこれを会得しないことには、音楽の授業自体が成立しないのだから。更には、いつ、どこで、どんなふうに短時間の休憩をもって集中力を持続させるか、そんなタイミングまで心得ている。これを学ばない手はない。 「作業指示」なら技術・家庭や美術である。彼らは危険を回避し安全性を確保するということに最大限の配慮をしている。つまり、まずは安全確保、その上で型はめ、更に欲張れば創意工夫、彼らの「指示」にはこうした優先順位の思想がしっかりと根付いている。ただし、技術・家庭、美術の教師は、ベテランならだれでもいいというわけにはいかない。だれにも下手な「指示」を指摘されることなく、なんとなく創造力の高い生徒に助けられていつのまにかベテランと呼ばれる年齢になってしまった、そういう教師が少なからず存在する。子どもたちに人気があって、職員室でも信用がある、そういう教師を選ぶ必要があるのがこの2教科である。 理科の実験にも同じような「作業指示」があるが、理科教師は技術・家庭や美術に比べて「作業指示」の経験が少ない(つまり、実験の授業が少ない)ため、技術・家庭や美術の教師ほどにはこなれていない場合が多い。体育教師も同様である。「指示」が明確でなくても子どもたちが喜んで活動するため、ちゃんと考えて授業をしている教師と考えずに授業をしている教師とで、真っ二つに分かれるのが体育教師だ。国語も同様である。考えている者と考えていない者との差がものすごく大きいのが国語である。ただし、「発問」づくりを勉強しようと思えば、やはり一に国語、二に社会である。 英語にも「作業指示」や「活動指示」が多いが、現在、英語教育は文法中心の英語教育からコミュニケーション中心の英語教育へという過渡期にあるため、なかなか良質な「指示」を与える英語教師には出会えない、という現実がある。 教師の指導言には「発問」「指示」「説明」がある。この「あたりまえのこと」に気がつけば、職員室がこんなふうにさえ見えてくる。「ド素人でさえ気がつく」ような「あたりまえのこと」に、我々も意識して気づきたいものである。 ほんとうにさらば、上篠路/2009.03.31(火) 3月が終わる。今日まで札幌市立上篠路中学校教諭だった自分が、札幌市立上篠路中学校教諭ではなくなる。 思えば、充実した4年間だった。初めての学年主任として3年間の持ち上がり。その後、再び1年生の学年主任として一年間を過ごした。 この4年間で得たものは多い。 第一に、それまで自分の学級のことだけを考えていればよかったものが、自分の学級づくりさえ、常に他の学級とのバランスを考えて行わなければならない。その手法をいくつか開発することができた。 第二に、学年間のバランスに思いを馳せたこと。学年内で学級間のバランスが必要だとすれば、それは学年間にも敷衍して考えなければならないはずだ。ただ、これについては、4年間では理論化することができなかった。 第三に、「FMCチームワーク指導」というそれまで頭の中で考えていたことが、現実の学年体制として具現化できたこと。そしてそれが機能したこと。この経験がぼくに「教師力ピラミッド」をつくらせた。しかも、組織には力のない人がいることも、総体的に大きな力になる、ということをぼくに体感させてくれた。これは今後、ぼくにとって大きな財産になる。今後、いかついぼくが、優しくなっていくきっかけになると思う。 第四に、若手教師の育て方について、一つの上達論が自分の中に形成されたこと。これは上篠路に赴任してこの4年間のT村とS藤、そして1年きりではあったがK輔・S臺という4人の若者といっしょに過ごす機会に恵まれたことが大きい。彼らのスキルアップを観察することによって得られたもののいかに大きいことか。彼らと組んで最も得をしたのは、実はぼくである。それを彼らは知らない。 第五に、授業技術の力量アップをはかる方法を生み出したこと。学年所属の先生方の授業を見て、その良い点・悪い点について逐一メモをとり、その先生に渡す。一ヶ月後にもう一度参観してみると見違えるように変わっている。またメモをとって渡す。更に一ヶ月後には……というように、ぼくはこの4年間、ずいぶんと同僚の授業の立て直しをはかった。彼らはみるみる授業がうまくなっていった。 第六に、ちゃんと日常の指導とつながった校内研修の在り方を編み出したこと。もちろん完成形ではないが、その方向性、ベクトルについて、ぼくははっきりと手応えを得た。 第七に、「現代的生徒の特徴」についてがっちりと分析したこと。学級の生徒はもちろん、学年の生徒の動きをこれまで以上に把握することのできるシステムを開発し、問題行動と日常の指導の関連、リーダー性と日常の指導の関連について、かなり念入りに分析した4年間だった。 第八に、「事実重視の生徒指導」の理論を実践化することができたこと。しかもそれが大きく機能し、成果を挙げたこと。ぼくは自己認識としては、4年間、ほとんど、生徒に「おまえが悪いんだろう!」という決めつけをしないで済んだ。第三の「チーム力」と相俟って、これを学年団全員で機能させられたことは大きい。 第九に、「生徒との距離感覚」のつくり方を学んだこと。ぼくは上篠路に来るまで、ある程度年が若かったせいもあって、生徒たちとべったりの関係になるタイプの教師だった。それが上篠路に来て学年主任にされたせいで、べったり型を若手に委ね、自分は生徒たちと距離を置いて接するようになった。それも、4年間で年々その距離感覚を広げて行った。最後の一年などは、ほとんど生徒たちと私的な会話を交わさなくなった。そしてそのほうが学級は締まるのだということを学んだ。 第十に、学年PTAである。保護者との付き合いこそ、地でおこなったほうがいいということ。ぼくはこの4年間、結局、保護者問題ではただ一つの苦労もしなかった。完全にこちらの意図どおりに支えていただくことができた。一度も不愉快な思いを抱かずに済んだ。最近では、まれなくらいに保護者に恵まれた。ただし、自分はいま、保護者と同世代である。なんせ、育ってきた時代が同じなので、保護者と感覚が非常に近い。彼女たちは間違いなく、若かりし頃、前髪をフワリと立てて、肩パット入った、イエローとかグリーンとかピンクのスーツを着ていたはずだ。しかも膝上20センチくらいのミニスカートのスーツを。更にはいま見るとおかしいくらいに太い眉毛で。そしてぼくはそういう同世代の女の子を見てきた世代なのである。どう考えても、いまのぼくは、保護者と付き合う教師としては一番の旬である。これが教師の世代を超えていえるのかどうかはあやしいということも意識しなければならないだろう。 いずれにしても、この4年間はI川さん、M野さん、N村さん、Y若さん、I葉さん、K木さん、I元さんらに大きく支えていただいた。特に、上篠路最初の年、学級委員を引き受けていただいたI川さん、O畠さん、K柳さんのおかげで、ぼくは上篠路で軌道にのることができた。学年ではN村さんに二年連続で学年代表になっていただき、I葉さんには三年連続で学年を支えていただいた。また、K木さんやHさんには、4年間常にぼくの学年にお子さんがいたこともあり、ぼくが上篠路にいた間の4年間、学年PTAや学級PTAで中心的に活動していただいた。ここに改めて感謝申し上げます。保護者にもいろんな人生があり、いろんな思いがある。彼女たちと飲んでいると、時間を忘れた。ぼくは彼女たちを生涯忘れないだろう。 この他にもたくさんある。4年間、学年副主任としてぼくを支えてくれたM子先生、ぼくに山菜採りを教えてくれたK藤先生、いつもいっしょに煙草を吸っていた用務員のO山さん……。そして、堀学年の一員として3年間、或いは1年間を過ごした98名+115名の生徒たち。上篠路は、ぼくの人生にとって、いい想い出だけで構成されるただ一つの学校になるに違いない。 ほんとうにお世話になりました。 そして、ほんとうにさらば、上篠路。 |
【books】![]() 人を見抜く技術 桜井章一/講談社+α新書 ★ 「伝説の雀鬼」の書いた人間観察というので、期待したのだが、期待はずれ。床屋談義・居酒屋談義の域を出ない。文体もダメ。 ![]() ルパンの消息 横山秀夫/光文社文庫 ★★★★ ものすごい構想力をもった作家だなあ、という印象。とてもおもしろかった。 ![]() 上司につける薬! マネジメント入門 高城幸司/講談社現代新書 ★★ 言っていることは至極まとも。ただMBOを是としているところが、どうしてもぼくの感覚とはズレる。「ブルーなホワイトカラー」という比喩はなかなかうまいことを言うな、と感じた。 ![]() 臨場 横山秀夫/光文社文庫 ★★★★ ドラマによるところが大きいのだろうが、単純に楽しめた。横山秀夫を読むのは初めてだったが、語り手の使い方と心理描写が上手い書き手だ。いくつか読んでみようという気になった。 ![]() 小説作法ABC 島田雅彦/新潮選書 ★★★★ 近代文学を専門に学んだ人、或いはもと文学青年といったタイプの読者には「うーん」というところもあるだろうが、例えば「ことのは」の多くのような「文学がいまいちわからない…」という人には、たいへんわかりやすい本になっていると思う。読めば授業にも役立つと思う。お勧め。それにしても、島田雅彦のこうしたエッセイを久し振りに読んだ。たぶん10年振りくらいだと思う。 books2009 books2008 【music】 ![]() 偶然と必然 松山千春 ★★★★★
松山千春の3年振りのオリジナルアルバム。久し振りに名盤。素晴らしい。80年代、千春を愛したすべての人たちにお勧めします。あの頃、松山千春的生き方に憧れた人たちのその後がしっかりと描かれています。 ![]() THE BEST OF AIR SUPPLY ★★★★
昨年の秋に買ってから、なんとなく聴くことが多くなっている。確かに酸素を供給してくれるような、さわやかなメロディである。「あなたのいない朝」が昔から好きだ。 ![]() NIAGARA TRIANGLE VOL.2 ★★★★★
いまでも杉真理の「Love Her」を聴くと、なんとなくしんみりする。「A面で恋をして」や佐野元春のナンバー、「♡じかけのオレンジ」なんかを聴くと、気分が明るくなる。すべての曲が歌詞カードを見なくても次を紡げる。かつて、それだけ繰り返して聴いたことを意味している。 ![]() FOR YOU 山下達郎 ★★★★★
いまでも、「SPARKLE」の前奏が流れると、「うわあ~」と、躰の芯がビリビリするのを感じる。晴れた日にカーステレオが大音量で流れると、自分が山海に同化するのを感じる。まったくすごいアルバムだ。 ![]() A LONG VACATOION 大瀧詠一 ★★★★★
北海道も暖かくなってきた。暖かくなってくると、大瀧詠一とか山下達郎とかが聴きたくなってくる。かなり久し振りに聴いたが、高校時代に初めて聴いたときの感動がちゃんと甦ってくる。しかもあざやかに。不思議なものだ。 music2009邦楽 music2009洋楽 music2008 【movie】 ![]() 容疑者Xの献身 監督:西谷弘 出演:福山雅治・堤真一 ★★★★ 一にも二にも堤真一が良かった。原作とのイメージの違いもまったく気にならないほどに、堤真一が石神を引き寄せていた。そういう印象である。あまり好きな役者ではなかったが、いい役者なのだなあ、と感じた。心から感服した。 ![]() ルパンの消息 監督:水谷俊之 出演:上川隆也・佐藤めぐみ 長塚京三・岡田義徳 ★★ 原作読んでいなかったら面白いと思えたかも。ちょっと重要な展開を端折りすぎだなあ……。 ![]() RAMBO 4 最後の戦場 監督・主演:シルベスター・スタローン ★★ なぜあそこまで残酷なバラバラ死体を出さなければならないのかが理解できない。あれがスタローンのリアリティなのだろうか。ちょっと「RAMBO」の名が泣くな…という印象を受けた。 ![]() 長い長い殺人 監督:麻生学 出演:長塚京三・仲村トオル ★★★ 原作宮部みゆき。語り手は財布。各パートに分かれていた一つ一つ事件が少しずつ、しかし確実につながっていく…そんな構成をとる。よくできたドラマだった。 ![]() ブラックサイト 監督:グレゴリー・ホブリット 出演:ダイアン・レイン ★ ダイアン・レイン主演に惹かれて借りてきたけれど、「ダイアン・レイン、年とったなあ~」というのが率直な印象。年齢を重ねて新たな渋い魅力が出てきているのならいいのだが、そうではない。ストーリーもいまひとつ。 ![]() 相棒-劇場版- 監督:和泉聖治 出演:水谷豊/寺脇康文 西田敏行/柏原崇 ★★ まあ、2時間ドラマよりも金がかかっている分だけ壮大ですね。でも、いまひとつの感は否めない。退屈はしません。あれほどの話題になるような映画ではありませんね。 これまでのmovie |
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