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「ヤモリを考えてもらえばいい」
by 白鳥由栄(昭和の脱獄王)
脱獄の天才と言われた白鳥由栄は2回目の脱獄の際に高さ3メートルの天井の天窓から逃げた。どうやって上ったのかを訊かれた際に彼は上記を呟いたという。この人間離れした能力をもつ脱獄王は、吉村昭の小説『破獄』のモデルになっている。
「自分が先手なら引き分けだ」
by ボビー・フィッシャー(チェスの世界チャンピオン)
神様とあなたがチェスをしたらどうなるか?、と、訊かれて上記を。
つとよりて口を吸ひ 思いきりて駆け出せば 庄蔵は叶わぬ足にて 立ちあがり こけまろび 大声をあげ 小児の如くなきさけび 悶えこがれける 道のほど 暫しのうちはその声 耳にのこりて 腸(はらわた)を断つばかりにおぼえける
by 大黒屋光太夫(商人)
江戸時代中後期(天明時代)駿河沖で発生した嵐は20隻以上の船を海の藻屑と消し去った。その嵐の中、ただの1隻、大黒屋光太夫(当時32歳)を船頭とする神昌丸だけは生き残るのだが、嵐で舵も帆柱も失った神昌丸は、あてどなくさまよい、光太夫と乗組員17名はとんでもない所(アムチトカ島)に漂着してしまう。 そこで出会ったロシア人たちとともに光太夫らはロシアに行き、なんとか日本に帰国できるようにと努力するのだが、広大なロシアをあっちに行かされ、こっちに行かされと振り回される。この過程で水手の庄蔵は凍傷のため、片足を失う。 足を失い、ロシアに来てから数年の年月が流れているにもかかわらず、帰国の目処も立たず、庄蔵は悲痛な日々に耐えきれず、ついに仲間の目を盗んでロシア正教の教会に救いを求め始める。この行動が悲しい結末を引き起こす。 ロシアに来てから10年の月日が流れ、ついに光太夫たちは日本に帰国できることになった。(漂流時には17名いた仲間もこのときには5人に減っていた) しかし、当時の日本は鎖国中である。そして、キリシタンは弾圧されていた。当然、洗礼を受けてしまっている庄蔵は日本に帰国することができない。上記はこの庄蔵と光太夫の悲しい別れの場面である。 (桂川甫周編 北槎聞略より みなもと太郎著 風雲児たちを参照)
注 つとよりて口を吸ひ、、男同士で?実はロシアには男同士でも別れの際などにキスをする習慣があった(現在は?)らしい。
「考える人たちは美について、くだらないことを書いている。美は論議できない。批評することもできない。私は美を感じている。私は美を愛す」
by ヴァーツラフ ニジンスキー(舞踏家)
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