| 1951 |
| Rosenbergs case(ローゼンバーグ事件) |
有名な原子力スパイ事件。 原爆に関する最高機密をソビエトのスパイに漏洩したとして、1950年、科学者ジュリアス・ローゼンバーグ(1918―53)と妻のエセル・ローゼンバーグ(1915―53)が逮捕される。 ソビエトが原爆を保有(1949年8月29日、カザフ共和国(現カザフスタン)のセミパラチンスクで初の原爆実験)するようになったのは、ローゼンバーグ夫妻による機密漏洩が原因とされる。 ローゼンバーグ夫妻は最後まで潔白を主張し、自白すれば減刑するとの誘いも断った。 1951年 4月ニューヨーク連邦裁判所は、夫妻にスパイの罪で死刑を宣告した。 事件は、前年1949年にソ連が原爆を保有し、アメリカの原爆独占が破られたことに対する政治反動としてつくられたものとして、世界各地で強い抗議運動がおこり、著名人(ローマ法王やバートランド・ラッセル,サルトルなど)の処刑中止の要請も相次いだ。 しかし、その願いも虚しく1953年6月19日の夜、死刑(電気椅子)は執行された。 ローゼンバーグ事件は、冤罪なのではないか、という意見が当初から囁かれていた疑惑の多い事件である。 その1 証拠のほとんどは状況証拠(事実の証言、文書、物件に基づかず、状況により推定した証拠 )であり、唯一の直接証拠はグリーングラス(この件の共犯者、証言することで、電気椅子を免れた。10年の刑を受け、1960年に釈放されている。)の自白くらいしかなかった。 その2 FBIが証拠を改竄した疑いがある。 その3 ローゼンバーグ夫妻はユダヤ系である。(米ではユダヤ人に敵意を抱く人が多い) その4 当時のアメリカはジョー・マッカシーによる赤狩り(共産主義者の弾圧)の真っ只中。ソ連のスパイによる原爆に関する秘密の漏洩、というとインパクトがあり、共産主義は怖いというイメージを国民に持たせるためには、格好の事件であった。 また、彼らが実際にソ連のスパイだったとしても、彼らが入手したとされる情報は、ソ連の原爆開発にとって無意味なもので、死刑に価するような情報ではなかった。(証拠とされたグリーングラスの自白と彼の描いた図面は、アインシュタイン、ハロルド・ユーリー博士らが無意味なものである、とアイゼンハウワー大統領に言明している。) 夫妻はソ連の重要なスパイから、当局の目をそらすために利用され、生贄にされたという説もある。夫妻のおかげで助かった大物スパイには、イギリス人外交家のドナルド・マクリーン(1951年モスクワに逃亡)、パーシーという科学者などが挙げられている。 いずれにしても、この事件は極めて後味の悪い事件だということはいえよう。 アメリカ政府にとって、この事件により国民の関心が、国家機密や、政府と多国籍企業の共謀による悪事ではなく、共産主義者たちの陰謀に向けられることは、極めて好都合なことであった。(軍拡のもっともらしい理由づけ) また、FBI、CIAのような諜報組織の必要性を、国民にアピールすることもできた。まさに一石二鳥である。 「私たちが死んでも」 母 エセル・ローゼンバーグ あなたたちはわかるでしょう、ねえ坊やたち、きっとわかるでしょう どうして私たちが歌をうたい残し 本を読み終えず、仕事もなしとげずに 土くれの下に眠るのか なげかないでおくれ、ねえ坊やたち、もう嘆かないでおくれ どうして嘘やそしりが作りあげられ どうして私たちが涙を流し、苦しみをうけたのか みんなわかってくれるでしょう 太陽はほほえむでしょう、ねえ坊やたち、きっとほほえむでしょう 私たちのお墓の上に緑の草が生え 殺し合いはなくなり、世界は仲良く平和にみちて 喜びの声をあげるでしょう 働いて建てておくれ、ねえ坊やたち、きっと建てておくれ 愛と喜びと、人間の尊さと あなたたちのために、ねえ坊やたち、あなたたちのために 守り抜いた信念の記念碑を エセル・ローゼンバーグが、彼女の子どもたちに宛てて書いた手紙より。 |
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| The Catcher in the Rye(ライ麦畑でつかまえて) |
1951年、J.D サリンジャーの同名小説が発表される。これに関しては私が書いた書評(読書感想文)を加筆訂正し掲載させて頂く。 学生時代、周囲との軋轢に悩んでいたことがあった。そんな時に友人が薦めてくれたのがこの一冊。若き反逆者たちのバイブル的な扱いを受けていたといわれる本書だが、私もこの中に救いをみた。 ところが、この本の中に救いをみつけるどころか、「何もみつからなかった」と、いう女の子もいた。「私にはこの本は難しすぎる」と、その子は言う。 この女の子は私のようなボンクラとは違い、頭脳明晰で、日、韓、英の3カ国語を操り、何でもテキパキとこなしてゆく女傑(という言葉は差別用語?)である。なのにこの本が難しい? 思うに、彼女は能力的な問題で本書を理解できなかったわけではない。彼女は、本書の主人公ホールデンや、私と同じような気持ちを味わったことがないというだけのことなのだ。 この本はいくら他人の解釈を聞いたところで、理解することは困難である。例えるならば、女性に射精の時の快感を説明できないようなもので、(私には難しすぎるとは言わないだろうけど)大人、もしくは隣人の持つある種のキナ臭さ、インチキ臭さを嫌悪した経験のない人にはさっぱり分からない小説なのである。 本書のストーリー展開は極めて単調である。主人公のホールデン少年が家出をして、あちこちをさまよって、家に帰って来る。 家出中にホールデン少年は、銀行強盗をやっつけたり、突然、売れっ子のロック歌手になったり、金持ちの養子になったりはしない。同じ少年でも、行く先々で猟奇殺人事件が起こるどこかの金田一少年とはえらい違いだ。 ホールデン少年は淡々と家出中に起きた些細な出来事を語り、その感想を述べてゆく。 その彼のナレーターぶりなのだが、その語り口調が好きな人はいいのだが、私はどうも彼の話しっぷりは虫が好かなかった。 ストーリーは単調、主人公の語り口調は嫌い、さらにページ数は300ページ以上。難しくはないが、私にとっては疲れる小説であった。 この本を読んでいた場所も良くなかった。すぐ近くに母がいて、TVを観ていた。息子が悩み、救いを求めて読書をしている時に、彼女はうまそうに茶をすすっている。かりんとう(母の大好物)を食っている。最悪のセッティングだった。 しかし、私は本書を1日で読破した。3時間近くぶっ通しで読みつづけていた。 ひとえに自分と同じ悩みを持つホールデンが、一体どんな結論を出すのだろうか?彼は一体どこへ行ってしまうのだろうか?ただそれだけが気になって。ホールデンはある意味、鏡に写った自分なのだから、結論が気にならない筈はない。 読後、私は自分自身わかり切っていたことなのに、気付かない振りをしていたあること、を再確認することができた。そして、学校に向かって歩き始めた。 参考文献 「世界百科事典」日立デジタル平凡社 「100人の20世紀」朝日新聞社 「ライ麦畑でつかまえて」 |