2000.12.17より

戊辰戦争

明治維新期,倒幕派と幕府派との間の一連の戦い。慶応4 (1868) 年 (戊辰の年) 1月3日大坂から京都へ進撃した会津,桑名両藩兵は,鳥羽,伏見で薩長両軍と戦って敗れた。新政府は有栖川宮熾仁 (たるひと) 親王を東征大総督に任じ,大坂から江戸へ退去した旧幕府勢力を追って,徳川追討の軍を起した。同年2月薩長両藩兵を主力とする 20藩以上の諸兵が東海道,東山道,北陸道の三方に分れて進発した。徳川慶喜は恭順の態度をとって謹慎し,駿河に迫った東征軍に対して勝海舟を通じて交渉し,助命と引替えに江戸城の自発的開城を約束させた。こうした情勢のなかで徳川氏は静岡に移封されたが,抗戦を叫ぶ旧幕臣たちは上野にこもって輪王寺宮を戴いて彰義隊を結成,東征軍に抗戦したが敗れ,宮は奥羽に逃れた (彰義隊の戦い) 。ところで鳥羽・伏見の戦いで賊名を負わされた会津,桑名両藩にも追討令が出された。奥羽諸藩は会津藩の赦免を東征軍に斡旋したがいれられず,ついに5月北越諸藩をも加えた列藩大同盟を結成するにいたり,輪王寺宮を擁して官軍と対決した。しかし奥羽・北越戦争で優秀な装備をもつ薩長を中心とする官軍は,まず北越を平定し,次いで8月会津藩を降伏させた (→会津戦争 ) 。これに先立ち,旧幕府海軍副総裁榎本武揚らは,軍艦8隻に搭乗して江戸を脱出,箱館を占拠し,武器,軍艦の引渡しを拒んだ。官軍は,翌明治2 (69) 年5月箱館に進撃し,箱館戦争が開かれたが,その 18日五稜郭は開城され,榎本らは降伏して,戊辰戦争は終結した。この国内戦の結果,旧幕府体制は根底から崩壊し,明治絶対主義国家確立の道が開かれた。



topへ戻る


就転職に強い、資格取得スキルアップ専門校ヒューマン・アカデミー   【UBOOK】激安古本・CD・DVD・ゲームソフト販売買取
ログ解析