
2000.12.17より
グラックス兄弟 Gracchus
(兄) チベリウス・センプロニウス Tiberius
Sempronius 前 162〜前 132.7. ローマ
(弟) ガイウス・センプロニウス Gaius Sempronius
前 154〜前 121. ローマ
古代ローマの政治家。母はスキピオ・アフリカヌス
(大スキピオ) の娘コルネリア。スキピオ・アエミリアヌス
(小スキピオ) の従弟であり義弟。兄のチベリウスは前
137年に財務官 (クアエストル) としてヒスパニアにおもむき,その途中イタリア農民の没落と土地の荒廃を見て社会改革の必要を感じたといわれる。前
133年護民官 (トリブヌス・プレビス) になり,農地法を制定,国有地占有を1人
500ユゲラ以下,子1人につき 250ユゲラ,全占有地は
1000ユゲラ以下に制限。義父アッピウス・クラウディウス,弟ガイウスとともに土地分配常任委員会を構成,実施した。翌前
132年度の護民官再選を目指し立候補して元老院を刺激し,スキピオ・ナシカらに襲われカピトリヌス丘で撲殺された。チベリウスの弟ガイウスは前
134/3年小スキピオに従いヌマンチア戦争に参加。兄とともに改革を進め,兄の死後はチカルボ,M.Fフラックスらと土地配分を実施したが,難航した。前
123年護民官になり,委員会の司法権を回復,カプア,タレンツムに植民市
(コロニア) を建設,兵士武装費国庫負担などの政策を行い,さらに貧民に穀物を廉価で販売し,騎士身分
(エクイテス) に,ペルガモン領の徴税請負権,不当取得法廷での陪審裁判権を与えるなど支持層の拡大に努めた。しかしこれらの政策は保守派元老院議員の憎しみをつのらせた。前
122年護民官に再任され,カルタゴ植民案を通過させアフリカに渡る。さらにローマ市民権をラテン市民に,ラテン市民権をイタリア人に与える法案を提出したが失敗。前
121年の護民官選挙では落選した。巻返しに出た執政官
L.オピミウスら元老院派がガイウス一派を公敵と宣言,内戦状態のなかでガイウスとその支持者は殺害された。

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