2000.12.17より

日本海海戦

1905年5月 27日,日本海軍がロシア艦隊を破った日露戦争中最大の海戦。 Z.ロジェストベンスキー中将の率いるロシアのバルチック艦隊 (戦艦8隻,装甲巡洋艦3隻,巡洋艦6隻,装甲海防艦3隻を基幹とする第2,3太平洋艦隊) が対馬海峡に向うのを,午前4時 45分仮装巡洋艦『信濃丸』が発見。ロシア艦隊は2列縦陣で進み,午後1時 55分,北西へ進んでいた東郷平八郎大将指揮下の日本連合艦隊 (戦艦4隻,装甲巡洋艦8隻,巡洋艦 12隻,装甲海防艦2隻を基幹とする) と接触した。日本艦隊は午後2時5分,針路南西から北東に逐次反転し,2時8分,6000〜8000mの距離で砲戦が始った。日本艦隊は速力 15knで,9〜11knのロシア艦隊に対して終始有利に戦い,夜に入るまでに旗艦『スワロフ』を含む戦艦3隻を沈めた。翌朝までに,ロシア艦隊はウラジオストクに逃れた巡洋艦1隻,駆逐艦2隻と,マニラに遁入して抑留された駆逐艦3隻のほかは,すべて撃沈され,または降伏した。ロシア側の戦死傷者は1万人,日本側は水雷艇3隻を失ったほか,戦死傷者は 1000人以下であった。この海戦の結果,ロシアは実質的に全海軍力を失い,日本の勝利は確定し,戦争終結への大きな要因となった。この海戦は,海戦史上稀有の完全勝利であり,海戦術上,造船上大きな影響を及ぼし,いわゆるド級艦時代として大艦巨砲の幕あけとなった。



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