2000.12.17より

四国艦隊下関砲撃事件

馬関戦争,馬関砲撃とも,単に下関事件ともいう。元治1 (1864) 年8月,イギリス,アメリカ,フランス,オランダの連合艦隊が長州藩に攻撃を加えた事件。文久3 (63) 年長州藩は攘夷親征の朝旨を実現するため,攘夷実行開始期日の5月 10日になると,ただちに下関海峡を通過するアメリカ商船に砲撃を加え,さらに列国軍艦にも攻撃を加えた。当時列国は親外政権である江戸幕府を援護して日本の政局を安定させようとしていたが,幕府の統治力では攘夷主義勢力を抑止できないことを知った。そこでアメリカ,フランス軍艦は報復のための実力行使に訴え,まず長州藩砲台および同藩軍艦に攻撃を加えて損害を与え,それとともに幕府に長州藩に対する処罰,賠償を要求した。しかし幕府が依然として処罰を実行できないのをみたイギリス公使 R.オールコックは,攘夷の拠点である長州に総攻撃を加えて,事態の打開をはかろうと決意し,他の3国代表の賛成を得て 17隻に上る4国の連合艦隊を編成して下関に向わせた。ロンドンから急いで帰藩した伊藤俊輔,井上馨らの制止にもかかわらず,長州藩は列国側の要求に応ぜず,ついに砲火が交えられた。長州藩砲台は,圧倒的な列国の火力の前に壊滅し,長州藩は降伏して列国の要求を受諾した。この砲撃事件以後,長州藩内の攘夷主義的指導者は,列国に接近しつつ討幕運動に力を傾けるにいたった。



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