
2000.12.17より
壬申の乱
天智天皇崩御後,天武1 (672) 年 (壬申の年)
6月に皇位継承をめぐって皇族,豪族がそれぞれ2派に分れて争った内乱。大化改新
(645) を成功させた中大兄皇子は天智7 (668)
年即位して天智天皇となり,天皇による人民の直接支配を推し進めたが,天皇の実弟皇太子大海人皇子が兄を補佐した。ところが天皇は子大友皇子が長じるにしたがって,聡明な大友皇子を自分の後継者に望むようになったため,大海人皇子との間に不和を生じた。同
10年正月天皇は大友皇子を太政大臣に任命し,蘇我赤兄
(あかえ) と中臣金 (こがね) を左右大臣に任じ,政治の表面から大海人皇子を締出した。同年
10月大海人皇子は病床の天皇に招かれ,後事を託されたが拒否して東宮を辞し,出家剃髪してただちに兵器を納め吉野へ退いた。これは皇位への執着の疑いを受けないためであった。同
12月天智天皇は崩御し,大友皇子 (弘文天皇
) が近江朝の主となると,大海人皇子は翌年6月
24日挙兵して吉野を発し東国に向った。立ち遅れた近江朝側は苦戦を続け,同7月
22日最後の一線であった瀬田川の戦いに敗れ,大津宮は陥落した。大友皇子は自害し,右大臣中臣金は斬られ,左大臣蘇我赤兄は流罪となった。勝った大海人皇子は,天武2年即位し天武天皇となり,古代天皇制は一層強化された。

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