2000.12.17より
<掛川城の攻略>
徳川家康は、三河から遠江への侵入をたびたび繰り返していました。
永禄十一年(1568)二月、徳川家康は武田信玄と、今川領である駿河・遠江を、大井川を境に領地を分け合うという密約を結びます。
そして、武田信玄は、今川・北条と結んでいた三国同盟を破棄し、今川氏の駿河に侵入します。
今川勢はなすすべもなく、今川氏真は掛川城に逃げ込みました。
家康は、これに呼応して、氏真の入った掛川城を包囲しました。
しかし、氏真は北条氏康に武田軍の牽制を依頼します。背後を北条軍にまかせた氏真は、もっぱら家康軍に対したため、家康も掛川城を落とすことはできませんでした。
包囲が長期に及んで、翌永禄十二年(1568)五月、家康は、駿河を信玄から回復することを条件に、掛川城を開城することすることを内容とする和議を申し入れます。
氏真は、これを受け駿河蒲原に移りました。





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