非核の会・京都の代表=望田幸男が、二ヶ月毎に京都府内の非核宣言自治体を訪問します。

訪問年月日 自治体名 自治体応対者
H 2008/4/22 久御山町 中本総務部長、田村課長補佐、松本課長補佐
G 2008/2/28 城陽市 市長公室吉岡次長、岡井課長、森係員
F 2007/12/20 舞鶴市 企画調整課福田課長、川北課員
E 2007/10/19 大山崎町 真鍋町長、政策推進室矢野室長、中村担当
D 2007/8/14 福知山市 人権推進室竹下次長、大志万次長補佐、横田係員
C 2007/6/26 宇治田原町 総務課山下課長、植村広報担当
B 2007/2/9 京都市 政策調整課安河内課長、西山係長、香川係員
A 2006/8/29 八幡市 政策推進部福田参事、人権同和啓発課神村課長補佐
@ 2006/6/29 宇治市 総務部佐野次長、総務部高橋係長、上田主事
 

久御山町
 4月22日、本会から望田、吉田、長谷川の三名が久御山町を訪問し、総務部の中本悟、田村隆雄、松本正之の三氏からお話をうかがいました。

 久御山町は1954年に久世郡の御牧村と佐山村が合併して発足し、京都市・宇治市・八幡市などに隣接しています。かつては純然たる農村地帯でしたが、今はベットタウン化とともに、多くの工場や事業所が林立する地帯となり、人口も2万人ほどになっています。89年に「平和都市宣言」を発し、翌年、「平和都市宣言記念碑」が建立されています。

 昨年度の平和施策をうかがうと、まず8月15日には例年のように平和祈念集会がもたれ、百数十人が参加し、黙祷と市長による「平和宣言」朗読が行なわれたそうです。注目されたのは、小中学生の広島派遣事業です。むしろ小さいといってよいこの町で、50名ほどが派遣されているとのことです。「事業費としては100万円もいるのです」と町財政の負担の大きさが述べられました。「だが、なににして現地で学ぶことが大切ですからね」という中本総務部長の言葉は、重みを感じさせられました。この広島学習は感想文として残されているそうです。その他の施策としては2年に一度、学校図書の購入にあたって平和関係図書の重点的選択をすすめていることなどが挙げられました。

 こうした昨年度の施策のあれこれをうかがったのち、戦争と平和をめぐるいくつかの問題が話題となりました。まずは戦没者慰霊に関してです。この町には280余柱があるとのことでしたが、遺族会、軍人恩給会、傷痍軍人会などが慰霊の集いを行なっていますが、慰霊とともに、平和希求の祈りの集いという感が強くなってきているとのことです。これに関連して何年か以前に、戦争に関する遺品を持参してくれと要請したところ、父母からの手紙が多かったとそうです。ここにも過去志向的ではなく、未来志向の傾向が主流になってきていると感じられたそうです。

 本会の側から、目下取り組んでいる「北東アジアの非核化条約」構想について触れた際に、「そうしたレベルのことは、国として考えてもらうべきで、地方自治体としては、平和であることの大切さを住民に知らせていくことに努めたい」という応答がなされました。

 また戦争体験の風化の問題に関しても話題になりました。今日、「生活」のことに関心が集中し、平和のことは遠く感じている人びとは多い。それに、いまや自治体職員のすべてが「戦争を知らない世代」となっている現状で、どのように「風化」に歯止めをかけるのか、考えこまされました。広島に派遣された小学生の感想文を見ても、戦争に関してはおじいちゃんから聞いたと書かれており、父や母からの話はないとのことでした。「若者が・・・・」とよくいわれますが、社会の第一線で働いている世代の課題も、あらためて浮き彫りされた思いがしました。          (望田幸男記)
 

城陽市
 2月28日、本会から望田、吉田、長谷川の3名が城陽市を訪問し、市長公室の吉岡、岡井、森の三氏からお話をうかがいました。

城陽市は人口8万強、1986年に「平和都市宣言」をおこなっています。昨年度は市制30周年ということもあって、例年の倍額にもあたる3百万円を超える平和予算を計上しました。具体的に行なわれたことは(1)市民の手による折鶴5万羽の作成、(2)小中学生33名の広島派遣、その際に折鶴を持参、派遣生徒たちの報告集会の開催や感想文集の作成、(3)歴史民俗資料館で二ヶ月にわたる「15年戦争と城陽」を主題にした特別展の開催、(4)広島訪問感想文集や戦争体験記「永遠の希い」が、冊子として諸施設におかれています。(5)8月6、9、15日には黙祷とサイレンの吹鳴が行なわれました。

 懇談事項としては、まず他の自治体が設置している各種団体による「平和推進協議会」が、城陽市では設置されていないのですが・・・・・という質問に対して、市側の応答は以下のようでした。協議会があっても、往々にして市側の提案の追認の場であっては、市民の自発的参加という観点から考えても、設置する意味がどこにあるのだろうか、むしろ、平和施策として重要なことは、市職員のすべてが戦争を知らない世代になってきた今日、次の世代の子どもに、戦争・平和のことをどう伝えていくのか、そういう視点から問題を考えていきたい。ここには自治体職員の平和意識と市民全体の平和意識を押さえたうえで、今日の非核平和の施策をどう構築していくかを考えるか、そういう根本問題がひそんでいると感じられました。

 次に「最近は広島・長崎への修学旅行もなくなってきているようですが・・・・」という問いに対して、以下のような応答がありました。小中学生の集団の営み自体がいろいろ難しくなってきている現状がある。集団行動自体がとりにくくなっており、質問にあったようなもことは、高校生ぐらいで考えるべきではないだろうか、と。非核平和と深刻化する青少年問題という文脈のなかで、改めて検討を深める必要を感じました。

 最後に、自治体にとっては制約された予算(市税収入は歳入の約43%)の重圧をここでも感じさせられました。財政事情の悪化のなかでも、高齢者対策を重点視せざるをえず、老人福祉センターも4つ設置している現状が吐露されました。逆に平和施策については、冗談口調で「費用のかからない施策を考えてくれ」といわれる状況があるようです。

 今回の訪問でも、非核自治体における平和担当部局の職員たちと私たち非核平和団体とが、どのように協力し合っていくか考えこまされました。そうしたなかで、「非核自治体職員の研修・交流会」という提案に、提案内容によっては検討するのもやぶさかでない、という雰囲気を感じたのは、私の欲目でしょうか。         (望田幸男記)
 

舞鶴市
 12月20日、本会から長谷川、望田両名が、舞鶴市を訪問し、企画調整課の福田豊明・川北大智両氏からお話をうかがいました。
舞鶴市は一九九0年に非核平和宣言をおこなっていますが、戦後、シベリア、中国、朝鮮からの引き揚げの港であったことが、市の平和施策にも投影されています。昨年は、60周年ということでミュージカル「異国の丘」が上演されています。
 訪問後、「舞鶴引揚記念館」を見学しました。そこでは、ゆきとどいた資料展示に感心しつつも、自問自答もせざるをえませんでした。「語り部」の方が「ただただ歴史の事実を伝えています」という言葉に、誠実な人柄を感じつつも、なにを、どう語るかによって未来に異なった方向を指し示すことになる難しさを考えさせられました。舞鶴市が、戦前は海軍鎮守府が設置されていた軍港の街であり、今は海上自衛隊地方総監部がおかれているだけに、こうした戸惑いにも似た感慨を抱かされた一日でした。
                                 (望田幸男記)

 

大山崎町

 10月19日、大山崎町を訪問しました。本会からは吉田、長谷川、望田の3名が出席しました。今回は、担当部課との懇談に先立って、真鍋宗平町長とお会いできました。真鍋町長は大要、以下のように述べられました。

 今日、平和や非核に関しては抽象的に語ることによって中立的であろうとする傾向が強いようである。つまり具体的な語りを避けるという「しばり」が作用しており、それをどうはずすかが問題である。このように大いに語ることのむずかしさは、日本社会の未成熟に関連しているのではないかと思う。たしかに、私たちはアッピール力を高めるために、象徴的な表現を用いる。しかし、そこには問題を抽象化するという弊害をふくんでいないだろうか。私たちは、平和や非核の問題を、具体的・現実的に、そして目前の問題として、つまりは生活や仕事のなかでの問題として語らねばならない。今日、平和・非核について全体的に見えにくくなっているのは、具体的な言葉が足りないのではないだろうか。

 真鍋町長のこの語りを聞きながら、私は、今日の平和・非核の運動が、生活と仕事のなかに根をおらさず、抽象化され上滑りしているのではないか、という警世の言をつきつけられている思いがしました。さらに真鍋町長は次ぎのようにいわれました。

 大山崎町では戦争での戦没者は130数人(当時の人口2500人)であった。今日では人口は1万5000人になっている。これは戦後の急激な都市化の結果であるが、そのもとで新たに流入してきた住民は1万人に及び、それにともない保育所や学童保育などの問題に迫られてきた。これは、これとして解決されるべき課題だ。だが、このことと連動して広島・長崎も語られているが、そうしたことと、130数人の戦没者をどう追悼するかという問題は重なっていない。そこには二重構造がある。こうしたことを、新世代がどう考え、どうやっていくかという課題は、手おくれになっていないだろうか。

 私は、真鍋町長のこのつぶやきにも似た発言に聞き入りながら、こんな思いを抱きました。急激な都市化の波によって、かつての共同体のもとに生きていた意識や慣行が崩れていくなかで、さまざまな葛藤や矛盾が適切な解決をあたえられないままになっているのではないか、非核・平和の問題も例外ではないのではないか、と。

 町長が退席されたのち、町の平和施策に関して、政策推進室の矢野雅之、中村茂樹の両氏から伺いました。大山崎町は1995年に非核平和宣言を行なっています。7〜8月には町役場のギャラリーで行なわれる平和パネル展やビデオ上映、町歴史資料館における戦争・平和に関する小企画展などとともに、8月の広島平和記念式典に、公募による町民2〜3名と職員を派遣したり、町民から募った折鶴を「原爆の子の像」に捧げています。また8月6,9日の広島・長崎への原爆投下日には庁内放送による職員の一斉黙祷も行なわれ、また諸外国の核実験には抗議文をそれぞれの大使館に送付しています。

 本会が目下、模索している府下自治体の平和施策の経験交流会に関しては、自治体担当部局職員の研修会方式が望ましい、との意見もありました。また昨今の職員減のなかで施策の推進がたいへんである様子がうかがわれました。真鍋町長の味わい深いお話とともに、自治体の平和施策の推進の困難さをあらためて痛感させられました。                (望田幸男記)
 
福知山市  八月十四日、福知山市を訪問した。市側からは人権推進室の竹下さん(次長)、大志万さん(次長補佐)、横田さん、本会からは吉田(常任世話人)、長谷川(事務局次長)、私(代表)が出席した。06年4月、三和・夜久野・大江の3町が福知山市に吸収合併され(4市町とも非核自治体宣言を行なっていた)、旧福知山市の非核自治体宣言をもって、新福知山市のそれとされている。

 当市の非核平和に関する施策としては、若者世代の「人材育成事業」という呼び名のもとに、高校生4名の長崎への派遣(2泊3日)、中学生・小学生より募集による広島派遣(15名、2泊3日)、沖縄への高校生派遣(4名、2泊3日)などが行なわれ、いずれも現地研修とともに、帰郷後、広報による市民への報告メッセージや自校での発表・展示などが行なわれている。また各学校独自の企画として高校・中学における沖縄修学旅行も行われている。こうした青少年を対象とした施策とは別途に、議会とタイアップして、議員数名の長崎現地学習も行なわれている。

 こうした事業とともに、当市は日本非核宣言自治体全国協議会に参加している関係から長崎市と、また世界連邦宣言自治体全国協議会に加盟していることから近隣の綾部市と、それぞれ連携を重ねている点に特徴が見られる。
 最後に自治体の非核平和推進部局と本会のようなNGO的組織との相互協力や連携について話題となった。市側担当者から最初に出た要望は、「各非核自治体間の情報交換がない。こういう点での仲立ち的役割を果たすことできないか」ということであった。たとえば当市と宇治市という南北の交流などはどうかということだ。こうした発言を聞きながら、私の胸中にふっと浮かんだのはこういうことだ。第一は、「非核の会」には非核平和の理論や運動に関するイニシャチブや提言をしていく課題とともに、各自治体の平和施策に取り組んでいる担当部局の職員たちの努力と思考を横に交流できるネットワークを構築することが求められていること。第二に、ほとんどの自治体が、各地域の住民たちの自主的な「平和力」を培っていく方途を発見できていないのではないか。とすれば、「地域住民の自主的平和力をどう育んでいくか」というテーマで、各自治体の経験交流集会を試みたらどうだろう、ということであった。こんな思いを抱きつつ、当市の訪問を終えた。(望田幸男記)
   
 
宇治田原町  六月二六日、宇治田原町を訪問した。町側からは山下さん(総務課長)と植村さん(広報担当)、本会からは吉田(常任世話人)、長谷川(事務局次長)、私(代表)が出席した。宇治田原町は、宇治市に隣接するとはいえ、車でも宇治橋から宇治川沿いに人家のない道をしばし走らねばならず、人口一万(世帯数約三000)の小自治体である。だが、それだけに大きな都市にくらべると、町行政と住民との距離が近いな、と実感させられ、昨今、強行された自治体合併の弊害が逆に立証されている思いがした。

 昨年の試みを中心にして、同町の非核・平和行政を紹介しよう。昨年は同町の町制施行五十周年を記念して、「平和・感謝・希望」を具現化するものとして、「平和の鐘」とモニュメント「穹」(きゅう、未来へ羽ばたく鳥と町の発展のイメージを重ねた作品)が建設された。

 例年の事業やイベントとしては、まず六月には非核・平和宣言の前文が刷り込まれた「千羽鶴作成用の折り紙」とともに、タンポポやヒマワリの種子のはいったカラフルな小袋が全戸に配布された。ちなみに都会と違って、ここは種子をまき育てる空地はいくらでもあるという。この取り組みは、行政というよりも、地域住民による平和活動になるように心がけているという。七月には、小・中学生一五名が平和体験学習に広島に派遣された。帰郷してから、八月の「平和のつどい」では、この体験学習の発表が行なわれ、あわせて「町にも戦争があった」というタイトルの語りや長編アニメ『ヒロシマに一番電車が走った』が上映された。他方、長崎には「平和友好特使」として中学生四名が派遣され、「青少年平和ピースフォーラム」に参加した。

 総じて同町における非核平和の事業は、行政主導というよりも、行政とか住民とかの垣根を越え一緒になって行なわれている感が深い。ちなみに総務課長の山下さんも、この町で生まれ育った人であるという。このことは次のことなかにも伺える。これまでに紹介した事業や行事は、他の自治体とも同じように、住民諸団体と町当局とによって構成されている「非核平和都市推進協議会」の議をへて実施されているが、本町では、旧村単位自治会の区長・自治会長が町と住民とのパイプ役として、プラスに機能しているように思われた。加えて本町は、核家族化の程度が低く、世帯同居者が多いという地域的特長も、戦争体験が語り伝えられていく風土をつちかっていると感じられた。

 最後に同町の非核・平和宣言について付言しておきたい。それは、一九八九年のことであるが、その前文に続いて次のような具体的項目が列記されている。今日的状況のもとで、それらはますます輝かしいものとなっている。

一、宇治田原町は、非核三原則(作らず、持たず、持ちこませず)の完全な遵守を求める。
一、宇治田原町は、あらゆる国の核兵器の廃絶と軍縮を求める。
一、宇治田原町は、核兵器及び核兵器積載の疑いのあるものの宇治田原町域への通過、搬入、飛来、貯蔵、滞留を拒否する。                     
一、宇治田原町は、核兵器を生産、配備させない。
一、宇治田原町は、戦争に協力する事務は行なわない。 

平成一年六月二八日                 宇治田原町議会

この宣言の精神が、今後とも町行政の背骨となっていくことを願ってやまない。

                                (望田幸男記)
 
京都市  二月九日午後、望田代表、田中事務局長、吉田常任世話人、長谷川事務局次長が、京都市政策調整課の安河内、西山、香川の三氏を訪ね、平和に関する取り組みについて語っていただきました(写真下)。こうした取り組みにおける京都市の特徴は、一言でいえば規模の大きい国際交流の会議やイベントの開催で際立っている点でした。
 とりわけ京都市が会長職にある「世界歴史都市連盟」は、四九か国・六八都市を擁し、一九八七年以来、「世界歴史都市会議」が毎年行われ、平和行動宣言や歴史都市としての情報交換が重ねられています。昨秋はイベント「芸術がデザインする平和のかたち」が行われ、シンポジウムやワークショップなどで、平和と芸術のかかわりが探究されました。その他、国際交流会館や留学生センターなどを利用した在日外国人との国際交流も続けられています。

 非核・平和予算としての積算は行っていないので、総額は確認はできませんが、こうした国際的な取り組みは、相当な予算措置を必要としていることは明白であり、注目されるところです。

 京都市の非核平和宣言は、「戦争に協力する事務は行わない」など重要な内容を含んでいますが、こうした点が平和行政のうえで自覚化されているとは言い難い現状にあるようです。「非核の会」としても、こうした面とともに、相当な予算を使って行われている国際交流事業などが、非核・平和の意識をもっと前面に押し出すような取り組みになるように、積極的な提言をしていく必要を痛感しました。

                                (望田幸男記)
 
八幡市  8月29日午前、望田代表、吉田常任世話人、長谷川事務局次長が、八幡市を訪ね、人権同和啓発課の福田好男、神村僚二の両氏からお話をうかがいました。一時間あまりのお話でしたが、平和啓発活動における行政としての工夫や悩みなど率直に語っていただき、本会としても、こうした行政関係者たちの努力に応えうるような活動の必要を痛感させられました。

 八幡市は一九八二年、京都府において最も早くに「非核平和都市宣言」を発した自治体です。また八八年の本会主催の「京都府南部非核自治体シンポジウム」にも尽力をいただき、当時の市長西村正男氏から感銘深いご挨拶をいただきました。それ以来、八幡市は府下の平和自治体行政を牽引する役割を果たしてきています。今回の訪問でも、神村氏から「戦争は最大の人権侵害であるという考えから、平和啓発事業が人権同和啓発課に統合されているのです」とか「(八幡市が)緑と福祉の都市であるためには、核廃絶と平和が前提であるという精神で取り組んでいます」などの発言がありましたが、この言葉には深い真実味が感じられました。以下、二00六年度における取り組みの概要を紹介しましょう。


 「アンネのバラ」の広がり ナチスの犠牲者アンネ・フランクにちなんだバラが、九三年から市役所内に枝分かれされたのを機会に、いまでは全小中学校など二0施設近くにに広がっています。いま、その由来を伝える陶板を木のそばに立てようと、陶芸経験者に製作協力が呼びかけられています。このことが新聞に報道されると、「バラの苗をわけてもらえる」という誤解も生じて、市関係部課に「苗をわけて下さい」という電話が殺到し、「うれしい悲鳴をあげさせられた」そうです。


 「平和の折り鶴」と平和大使 毎年、七月一日から三一日まで、「平和の折り鶴」が募集されます。市内一四か所には、「届け!私たちの平和の願い」などの文字が刷り込まれた色紙が備え付けられ、そして各所に回収かごが設けられています。集まった折り鶴の数は今年は七万羽を超え、その数は市人口総数に匹敵するものです。そして、この折り鶴を、中高校生などからなる「平和大使」十名がたずさえ、八月六日に広島の「原爆の子の像」に捧げることにされています。今年からは長崎原爆資料館にも一万羽が郵送されるとのこと。いまや、この折り鶴運動は、年間を通じた市民の運動となっており、行政と市民の自発性とが適切に結び合わされた成功例といえましょう。


 さらに、この平和大使の報告会には、劇団ひいふうみい木村千鶴さんのひとり語り「ほたるの墓」も催されることになっています。また平和大使たちが撮影してきた写真のパネル展なども計画され、このパネルは市内小中学校における平和への取り組みに貸し出されています。


 非核平和都市推進協議会(団体と個人) 以上に概要を紹介した平和啓発活動は、市の補助団体である「非核平和都市推進協議会」(略称:ピース八幡)という主要市民団体を網羅した協議会の協力のもとに行われています。このような協議会の存在は他の自治体にも見られるところですが(「本会ニュース」先号の「宇治市訪問記」参照)、ここでは個人会員の制度も認めている点にユニークさがあり、現在は二四名であるといっていました。団体代表の組織の力とともに、個人のイニシャチブを生かそうという工夫であると推察されました。


 八幡市を訪ねて――本会の課題 神村氏は述懐していました。「ある事業をやってみて、反省し、そして次へとつなげたい、そんな思いでやっています。だが四回目の広島訪問をしたとき、ある被爆孤児となられた方が、長い間、自分の体験を隠し続けてきた、とうかがいました。その重さに比して、自分の軽さを感じました」と。非核平和を語ること、それは、たんに人間の諸活動の一分野ではなく、全人間存在を賭けた営みでなければならい、そんな戒めを聞くような言葉でした。


 八幡市の平和関係予算は八0万円だと聞かされました。「少ない!」というのが率直な気持ちでした。と同時に一時間あまりのインタビューで披露された内容の豊かさ、そして担当者たちの工夫と努力のなかで実っている成果、これらを思い起こすと、平和への活動は予算もさることながら、むしろ思いの強さと努力と工夫だ、とつくづく感じました。あわせて、各自治体における住民と直結した場所で、非核平和のために頑張っておられる関係者たちに対して、私たち「非核の会」の活動は、なにほどの役にたっているのだろうか、そんな粛然たる思いに駆られました。


 帰途に、市役所玄関先の「八幡市非核平和都市宣言」の碑文や駅前の平和モニュメントの堂々たる存在ぶりに、八幡市の平和啓発活動の「誇り」を感得させられました。   
                                (望田幸男記)
             
   
宇治市  今号からスタートする「非核宣言自治体めぐり」。初回は六月二九日午後、大きな看板をかかげる(写真@)宇治市を訪ね、望田幸男常任世話人会代表、須田稔常任世話人、長谷川長昭事務局次長が、非核・平和施策担当の総務部にお話をうかがいました。対応いただいたのは、佐野純二総務部次長、高橋辰夫総務係長、上田ひとみ主事の三氏。なお、宇治市の昨年度の非核・平和施策の詳細は本会ホームページでご覧ください。

 宇治市議会は一九八七年に「核兵器廃絶平和都市宣言」を決議した。今夏の平和事業としては、@市内の小・中学生四〇名を沖縄へ派遣し平和学習、Aシベリア抑留をテーマとした戦争体験講演会、B平和図書の展示と貸し出し、C被爆の子どもの写真などの展示、D平和コンサート、E平和祈念集会、F旧陸軍火薬庫跡に戦争遺跡としての銘板の設置、これらが予定されている。最後のF以外は例年通りの取り組みだが、昨年は戦後六〇年特別企画として吉永小百合原爆詩朗読会・平和コンサートを企画し、約一三〇〇人を集めている。

 これらの事業は、「平和都市推進協議会」のもとで行われている。これは、市や市議会とともに福祉・女性・商工会議所・労組・遺族会・原爆被災者の会など十数団体で構成される協議会である。行政当局の一人相撲にならない配慮であろうか。なお、これらの事業の年間予算は約五〇〇万円である。
 市役所入り口に設置された「平和の像」のかたわらに、沖縄・長崎・広島の各市長のメッセージがかざられているのは、印象的であった(写真A)。宇治市の平和行政は「よくやっている」と評されている。だが平和行政の最大の目的が、「催し」を行うこともさることながら、市民の平和への意思を激励し、その自発的活動を喚起することにあるとしたら、その道は宇治市にとってまだ遠いといわなければならないであろう。 
                                  (望田幸男記)
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