(核兵器廃絶ネットワーク京都)
宗教者平和リレートーク
1、大江真道氏(日本聖公会・京都宗教者平和協議会副理事長) 2006/10/18
昨年4月15日「宗教者九条の和」が発足した。キリスト教諸派は呼びかけ人に名を連ねたが、仏教者はなかなか集まらなかった。そこで京都宗平協の宮城会長にお願いをして、京都・滋賀・奈良の各派をまわった。そのうち幾人かの管長・宗務総長から、呼びかけ人の署名をいただき結果、仏教・キリスト教双方から訴えることができた。現在4000人〜5000人の賛同がある。
昨年3月世界宗教学宗教史国際大会が日本でほぼ半世紀ぶり2度目に開かれ、1700人が集まった。主なテーマは「宗教と平和」「戦争と平和」であった。そこで、ハーバード大学ライシャワー記念日本研究所の研究者より「今後の日本の平和の鍵は宗教者が握っているであろう」との発言があった。また「日本が憲法九条を変えて戦争をする国になるのではないか心配である」との発言し、宗教学の世界でも、平和の問題が切実なテーマとなってきていることをはじめにお伝えしたい。
キリスト教ではカトリックで「正義と平和協議会」というものがあり毎年全国大会を開いて500人の参加があった。カトリック信者の数が少ない割には活発であろう。京都では、自民党の憲法草案の勉強会を催した。20・21日には、大阪で日本宗教者平和会議があり、シンポジウムで天理教・本願寺の方と共に発言する。
靖国問題に絡んでは、クリスチャンで肉親が靖国に奉られている方々にお話をした。遊就館・九段会館も見学した。ビキニデイでは宗教者連絡会を開いており、焼津の駅前から久保山さんのお墓まで各派ののぼりを立てて行進をした。
橋川文三の『日本ナショナリズムの源流』に興味深い記述があった。ひとつは1945年10月に石橋湛山が東洋経済新報に、靖国神社を廃止する案をいうものを出している。また、ある学者の話として、靖国にはやくざものでもだれでも神様として奉られていることを疑問に思う子どもの質問に、なんとも答えようがなかったというものもあった。靖国は戦死者を奉る以上に、天皇を神とする国家一神教であったということを捉えなおさなければならない。1911年の川上肇『日本独特の国家主義』では、靖国神社ではしょうもない人も神になっていることを説明できないと書いている。大浜徹也は『日本人と戦争』で、日本国民は日清戦争以来10年おきに戦争をし、単一民族国家としての日本を自覚させられていく。日清戦争時、中国は大国であり恐ろしい相手であった。それが勝利し、日露戦争にも勝ち、自尊心をもち戦争自体が聖なる記憶として刻まれていく。それが天皇が統べる一神教の国として膨らんでいった。そして本来個別である生死の意味が靖国に吸収されていった。と書いている。
靖国神社の問題点は、日本の戦争によって生じた膨大な数の死者が日本国民の中にいる。戦災で亡くなった方は奉られていないし、官軍ではなかった会津の兵隊も奉られていない。アジアの人も沢山いる。A級戦犯も合祀されている。また、申し訳程度に世界の戦没者を奉る小さなほこらがあったのが印象に残っている。
日本聖公会は英国教会の系統でGOD SAVE THE QUEENと同じく、主よ天皇を救いたまえと書いていたのを読売新聞に攻撃された。現人神である天皇を救いたまえとは何事だというわけである。日本基督教団は政府の肝いりでプロテスタント各派をひとつの束ねようとしたもの。参加しなかった教団は解散し、戦時中は単立協会としてあった。主教二人が憲兵隊に拉致され戦後すぐ亡くなるということもあった。このようにプロテスタントは迫害されたということを言っていたが、よく調べてみると天皇制を支えていたのがむしろミッションスクールであり、教会であった。暦を皇紀に改めて忠実に実行していた。明治以来の国家の器になろうとした。
では、今どの器になるのか。それは平和の器である。「正義と平和協議会」では、かつての賀川豊彦や内村鑑三がいかに国家に奉仕したかを並べて自己批判とする講演を行った。私たちは国家の器であろうとしたことを反省し、国家の器であるよりも平和の器である、つまり個人とか基本的人権とか憲法とかを大切にしていくことを訴えていかなければならない。 |
2、橘 知紹氏(東本願寺・真宗大谷派僧侶) 2006/10/18
今春、靖国へ行ってきた。小泉さんは「死んだらみんな仏さん」と言うが、靖国では兵隊が軍服を着て奉られているといわれる。しかし、ほんとにみながそれを望んでいるのか。家族は、浴衣や着物をきてゆったりと家に帰ってほしいと思っている人もいるのではないか。坊主としては、家に迎えられる仏壇をどれだけの人が準備しておられるかなあとも、思っている。
真宗十派で小泉首相の靖国参拝に抗議文を出している。中心は東西本願寺であるが、私の属する東本願寺・真宗大谷派は、かつては徳川幕府の庇護を受け、明治維新に際しては鳥羽伏見の戦い以降、新政府の側についていた。江戸時代は松前藩の蝦夷地開拓の先頭に立ち、明治以降の植民地政策でも、積極的に布教に打って出た。つまり、キリスト教が宣教を端緒に植民地を拡大したように、大谷派も軍隊よりも先に海外布教を行った。
天皇の現人神信仰を考えるとき、それ以前に生仏信仰があったことを覚えておくことは無駄ではない。大谷派でも以前門主が入った風呂のお湯を有難がってもらいに行くということを聞いた。
戦争では「死」の問題に際して、それに「救い」をもたらさねばならない。それに靖国が大きな役割を果たした。本来慰霊は悪霊を鎮める、北野神社信仰などのこという。それが英霊を慰霊するという論理によって、すりかえられた。仏教でも戦時教学が用いられ、国のために死ぬことが極楽への道であると教えた。
仏教には慙愧という言葉がある。意味は、罪をはじること。慙は自分に対してはじること。愧は他に対してはじること。この慙愧に立って過去の戦争や靖国を考えることが必要であろう。そしてうらみに対してはうらみで応えてならない。軍隊についても、兵伐無用、軍隊はいらないとの立場である。
宗平協の一員として、後世に子どもたちのためにできることをしていきたい。
葛飾のビラまき事件について。荒川庸生さんは大谷派の坊主で、お父さんがクリスチャンでずっと宗教的な雰囲気の中で育った穏やかな男です。世の人のためを思い、共産党の議会報告と住民アンケートを配っていました。一軒一軒説明をしてまわった。ある家よりビラはいらないと言われ、どこですかそれでは配りませんと答えたところ、下で待っておけと言われ待っていると、警察が来て連行された。何で捕まったのかも分からない。それが12月23日。家宅捜索もされた。
判決は当然の無罪。検察は即刻の控訴。こんな形で表現の自由が侵されることは許しがたく、他人事ではいられない。許すわけにはいかないと思っています。
宗平協では、牧師も僧侶も正装で傍聴し、カンパもし支援しています。 |
3、大江牧師、橘僧侶とのQ&A 2006/10/18
Q1:宗教者平和協議会に参加していない教団が多いことについて
A1:立正佼成会が受け皿になっている。以前比叡山の山田恵諦さんがローマ法王と共にお祈りしたり、世界宗教者平和の祈りを催されたりしたが、これとは違う組織。宗教界にも平和を求める組織も保守的な組織もある。ラディカルにものを捉えているものもたくさんいる。
Q2:神社の中に平和主義的なところはないのか
A2:宗教法人としては神社本庁があり保守的。京都などの地の神社は別法人で、どちらかというと平和的なところもあり、神主さんも何人か知っている。
Q3:諸宗が一致しようとはしないのか
A3:カトリックとプロテスタントの差を越えていこうことが一番盛り上がったのは1910年のイギリスの世界宣教会議であった。これ以降エキュメニズム(呉越同舟)という言葉が広まった。第2バチカン公会議以降、世界は諸宗教一致しよう、理性のあるものは互いに平和のためにがんばりましょう、下の方で決定したことを上の方で覆してはならないということを原則としている。非常にラディカルな神学者もたくさんいる。世界の宗教思想も多元主義の立場をとり、宗派を問わず理性に立ち戻って平和を求めようという回勅が出ている。
Q4:宗教は体制に利用されるが、どういったとき体制に反しても趣旨を貫き、どういったとき順応するか
A4:教団は殉教しない。殉教するのは個人である。教団はその時その時にうまく立ち回ろうとする。
Q5:北朝鮮に宗教者の活動はあるのか
A5:キリスト教会はあることはある。ときどき連絡があるが十分な活動はできていないようだ。
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