長谷川千秋 (元朝日新聞大阪本社編集局長、非核の政府を求める京都の会常任世話人)
斉藤 忠臣(元朝日新聞編集委員、前広島平和文化センター理事長、非核の政府を求める京都の会常任世話人)
 真期 孝夫 (元朝日新聞京都支局長)

39 2012/5/7 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌 25
6月2日集団訴訟勝利報告・近畿のつどい 被爆国民の「反核エネルギー」いまこそ発揮しよう!
長谷川  
38 2012/3/9 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌-23
大阪地裁で全面勝訴 入市被爆者らの心筋梗塞起因性認める 国に「認定せよ」と初の義務付けも 姿勢問われる厚労省
長谷川  
37 2012/2/22 東大寺のお水取りで流れた核兵器廃絶の祈り 長谷川  
36 2012/2/13 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌‐21
「核兵器のない世界」どこへ 米の新型核実験に怒り  広島・長崎・ビキニ・福島…被爆者のたたかい続く
長谷川   
35 2012/1/26 1月29日読売TV深夜0:50に「ビキニと原発事故」放送!  ―  
34 2011/12/21 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌S
国に痛撃、集団訴訟最後の近畿第3陣が勝訴!
大阪地裁が原爆症認定、内部被曝も考慮
長谷川   
33 2011/11/29 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌R
官僚のいいなりか小宮山厚労相、前向き発言なし
第2回定期協議で「即答できることあまりない」
長谷川   
32 2011/10/5 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌P
緊迫!厚労省「認定制度の在り方検討会」を注視しよう。「心筋梗塞なぜ積極認定しない」大阪地裁で2原告訴え
長谷川  
31 2011/8/30 テレビはフクシマをどう伝えたか―2011年4月・各局ニュース番組を記録して 放送を語る会
  
30 2011/7/29 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌N
 集団訴訟の東京第3陣勝訴、しんがりの近畿第3陣は結審 原発「安全神話」と原爆被害の矮小化は同根と原告側追及
長谷川  
29 2011/7/18 核をめぐるキーワードは「嘘」という言葉だった―「ただちに健康に影響はない」は本当?シンポジウム―
斉藤 「ねっとわ〜く京都」2011/9月号にも掲載
28 2011/5/31 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌L 小佐古前内閣官房参与への3つの疑問と1つの提案(筆者)「放射線の害悪の甚大さ再認識を」原告弁護団、弁論で強調 長谷川  
27 2011/3/24 原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌K 東日本大震災、福島第1原発を直撃「安全神話」崩壊  集団訴訟から学んだ「内部被曝」理解の国民的共有を 長谷川  
26 2010/11/15 必見!DVD「わしも死の海におった」
―ビキニ被災の真相を追う山下正寿さん
長谷川  
25 2010/10/30 沖縄と京都―先駆的だった原爆展をつなぎ合わせて考える 長谷川
真期
  
24 2010/7/7 書評:長谷川千秋著『にんげんをかえせ―原爆症裁判傍聴日誌』 斉藤  
23 2010/7/5 解決どころか一層不透明になってきた日米核密約問題 長谷川  
22 2010/3/16 緊急のお知らせ 密約問題と岡田外相発言 長谷川  
21 2009/9/23 09年総選挙報道に思う 長谷川  
S 2009/7/16 「非核3原則」破壊攻撃の新段階 長谷川  
R 2009/6/18 平和市長会議と2020ビジョン 斉藤 秋葉広島市長京都講演会実行委発足総会講演録
Q 2009/3/14 選挙報道は国民の『知る権利』にこたえているか 長谷川 京都ジャーナリスト9条の会発足集会での講演録
P 2008/12/28 ビキニ被災船追跡報道の苦い思い出 長谷川  
O 2008/10/1 不公正な選挙報道に駆り立てる21世紀臨調の提言 長谷川   
N 2008/9/1 拒否した力の支配、民主化を求めた光州事件の教訓―その取材記から 斉藤  
M 2008/8/31 08年夏・原爆報道から 長谷川
斉藤
「ねっとわ〜く京都」2008/11月号にも掲載
L 2008/7/27 50周年の国民平和大行進に参加して 長谷川  
K 2008/6/5 広島市の核兵器攻撃被害想定報告書を読もう 長谷川  
J 2008/5/8 08年憲法世論調査にみる民意 長谷川 憲法署名京都実行委員会HPにも掲載
I 2007/12/29 最終章《広島で思ったこと》 長谷川
斉藤
 
H 2007/6/2 施行60年の憲法記念日を日本のマスコミはどう迎えたか 長谷川 非核の政府を求める奈良の会主催・第21回非核平和の集い講演
G 2007/5/8 07年憲法世論調査報道を読む 長谷川 憲法署名京都実行委員会HPにも掲載
F 2006/12/27 日本核武装論は何を狙うか 長谷川
斉藤
 
E 2006/7/12 核廃絶と九条 長谷川
斉藤
 
D 2006/5/10 「マスコミの憲法世論調査の読み方」 長谷川 憲法署名京都実行委員会HPにも掲載
C 2006/2/8 ICJ勧告的意見から10年 長谷川
斉藤
   
B 2005/10/26 事実の提示 長谷川
斉藤
「ねっとわ〜く京都」2005/12月号 No.203に要旨掲載
A 2005/8/19 被爆60年・夏 長谷川
斉藤
「ねっとわ〜く京都」2005/10月号 No.201に要旨掲載
@ 2005/7/4 2005年NPT再検討会議 長谷川
斉藤
「ねっとわ〜く京都」2005/9月号 No.200にも掲載

 

@ 《2005年NPT再検討会議》 2005/7/4 

長谷川千秋 (常任世話人、元朝日新聞大阪本社編集局長)

■このトークの狙い

京太 元マスコミ人間が、京都で、核兵器廃絶を願う市民運動の末端にたどりついて改めて感じるのは、国際世論の重要な一翼を担うべき被爆国のジャーナリズムはこれでいいのだろうか、との思いです。長年、マスコミの世界に漬かってきた私一人では心もとないので、広島に住み、ヒロシマの心を知るあなたに、市民の目線で加わってもらい、折に触れ、「日本のメディアの核問題報道のいま」を点検してみようと思い立ったのです。

広子 近ごろは、自分の考え方や人格をさらけ出したくない、その代わり私もあなたの気持ちの中に踏み込んでいかないといった付き合いが多くなっているようです。とても重要なことがさしたる議論もなく、当たり前の顔をして通ってゆく。有事法制、イラクへの自衛隊派遣がそうでしたし、憲法や核兵器をめぐっても、同じように推移していくのでは、と心配です。いまこそ市民が様々な場で語り合うことを大事にしなければと思います。この意見交換が、さらに多くの市民の目に晒され議論が深まっていくことを願いましょう。

■年明けの憂うつ

京太 今回は、被爆60年の年明けから注目されていた5月、ニューヨークでの核不拡散条約(NPT)再検討会議をめぐる一連の報道を取り上げたい。被爆60年。この節目の年に、一歩でも核兵器廃絶へ向かって前進を―。そんな意気込みで正月の各紙を読んで、非常にがっかりしたのを思い出します。少なくとも全国紙には、そういう位置づけがまるで感じられなかった。記憶に間違いがなければ、松の内に被爆60年がらみの社説は全国紙には1本も出なかった。
広子 広島にいる全国紙の若い記者が、被爆60周年を迎えるに当たり上司から「いつまで広島・長崎にこだわるのだ。昔話はもういいと言われた」と憤然としていました。去年の年末のことです。また別の全国紙は去年の8月7日の社説で、原爆の日に広島市長が平和宣言で「政府は世界に誇るべき平和憲法を擁護し、国内外で顕著になりつつある戦争並びに核兵器容認の風潮をただすべきだ」と述べたことを取り上げ、「平和宣言で憲法改正問題に踏み込むのは異例のことだ。護憲を反戦や反核と結びつける主張は、冷戦時代の左翼勢力の思考だ」と書きました。

京太 その社説、読売新聞じゃなかった?

広子 そうです。被爆地にあって原爆被爆を「昔話」として片付けるメンタリティーともども、いまという時代のある一面を象徴しているのかもしれません。少なくとも被爆50周年にはなかったことです。この10年のメディアの風化を思います。日本が世界に向かって核廃絶を訴える一方で憲法の改定を容認することは大いなる矛盾ではないか。しかしマスコミはそこから目をそらしているのでは――という声を広島でよく耳にするようになりました。日本は長く核廃絶運動のリーダー的役割を担い、それを国際社会が認めてきたのは日本に平和憲法があればこそだという主張です。「国際紛争を解決する手段としての戦争」を放棄した最高法規を持っているからこそ、日本の核廃絶の主張に説得力があるのだということに思いを致さねば核廃絶運動が活力を取り戻すことは容易でないという訴えは、まったくその通りだと思います。だからこそ被爆者のみなさんの「われわれには被爆70周年はない」というあせりにも似た発言になっているのです。

■全国紙の論調の特徴

京太 日本のジャーナリズムは、今回のNPT再検討会議報道にあたり、「核廃絶」へのどんな課題を引き出して国際世論の一翼を担うべきか―そんな議論が各社の内部でどれほど行われたのだろうか。主要紙の社説を追ってみました。事前のものでは、中国新聞の2月3日付社説「NPT体制 軍縮へ流れ変えたい」が比較的視点を整理して提示し、分かりやすかった。▼前回2000年の再検討会議は、核保有国の核兵器廃絶への「明確な約束」を盛り込んだ最終文書を採択した。▼しかしアメリカのブッシュ政権の姿勢が、01年9・11同時テロ以降、大きく変わり、「明確な約束」の死文化をはかる意図が明白になっただけでなく、小型核兵器開発の追求などなりふり構わず突き進んでおり、非核国の不安が増大している。▼北朝鮮の脱退表明など、NPTのいっそうのほころびを食い止めるには米国の自制が欠かせない―との認識を踏まえて、同社説は「流れを戻さなければならない」と訴え、平和市長会議が提唱する「核兵器廃絶のための緊急行動」や、新アジェンダ連合と国際社会のNGOの連携、被爆国日本の役割に期待をかけた。これは私たちの思いとそれほどずれていないよね。

広子 その通りだと思います。

京太 ところが、会議が近づいた4月下旬から、開会したものの議題も決まらず迷走中の5月上旬にかけて、全国紙もいっせいにNPT問題を社説で取り上げたが、共通していたのは、@焦点は、NPT脱退を宣言した北朝鮮、NPTの一員でありながら核開発疑惑が消えないイランへの対応だ、としたこと。A核保有国の核軍縮への取り組みの重要性に一応言及はするが、事実上「つけたり」に終わっていること。B日本政府への注文がほとんどないこと―だったと思う。結局、05年再検討会議は、会議開催の事実を文書化しただけで、実質的成果を生み出せないまま5月27日閉幕したのですが、こうなった最大の責任をアメリカが負わなければならないことは明白だった。その点では、毎日新聞5月29日付社説「核保有国は責任を痛感せよ」が比較的率直に書いていた。でも、終わった後じゃねえ。

広子 米国は自国の安全を脅かしかねないテロリスト・グループやテロ支援国家への核拡散はあらゆる手段を通じて阻止するけど、その一方で米国自身の手足を縛る核軍縮は受け入れない―前回の再検討会議で合意した廃絶に向かうための「明確な約束」を反故にするこうした動きはとうに分かっていたことです。でも、今回の再検討会議前後の報道からはこうしたブッシュ政権の核政策の問題点を真正面から浮き彫りにするものは見当たらず、核拡散の危険性とその防止策こそが再検討会議の重要課題であることを力説する米国の主張に引きずられた感は否めなかった。95年の再検討会議でも核不拡散と核軍縮はパッケージとして扱うことが合意されているのに、核軍縮の必要性に十分に触れようとしなかったルール違反を、つまり核軍縮へ向かうべき大切な合意を「歴史文書」にしてしまった事実を、ジャーナリズムはもっと指弾するべきだったと思います。

■日本政府機能せず

京太 もう一つは日本政府の問題と、それに対する日本のメディアの対応の問題です。町村外相の演説を外務省のホームページで読んだけど、肝心の核軍縮については「現実的な核軍縮措置を漸進的に実現していかねばなりません」と、なんともまだるっこしい。現地で取材した毎日新聞長崎支局の小山内恵美子記者がコラム欄「記者の目」(5月18日付)に書いていた。「唯一の被爆国で、核兵器廃絶を訴えるべき日本政府でさえ、米国に気兼ねしてか消極的な印象が目立つ。被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が今回初めて国連で原爆展を開いた。被爆者の『国が主催すべきだ』との要請に日本の大島賢三・国連全権大使は『側面支援する』とあいまいな姿勢で終始した。惨禍にまず耳を傾けるべきは日本政府ではないか、とさえ思う。被爆などの教訓を込めたはずの平和憲法さえ、『改憲』という試練を迎えつつある」と。その通りだと思う。

広子 被団協の原爆展では当初、国連から「悲惨な被爆写真は避けるように」と注文がついたそうよ。

京太 なんということか。それなら日本政府はいっそう頑張らなければならなかった。メディア側も、小山内美子記者のような現場感覚に根ざした報道は、全国紙の論説陣や官邸、外務省担当の記者からは発信されないね。結局、何かといえば「日米同盟」なんだ。
広子 事態は想像以上に深刻だと思います。今回の再検討会議に臨むにあたり、消極的安全保障(非核兵器国に対して核兵器国は核攻撃をしないという保障)をめぐる日本の態度はどうだったでしょう。2000年の再検討会議でも消極的安全保障を国際法として確立する方向を確認していました。けれども日本は、「米国の北朝鮮への核攻撃の手を縛ってならないとし、裏で逆の行動をとったと思われる」とNPO法人ピースデポ代表の梅林宏道氏が「論座」(05年6月号)に書いている。日本の安全保障を米国の核抑止力によって担保するという「核の傘」政策が日本の核軍縮政策に与えている本質的な限界をみることができるであろう、と。日本が消極的安全保障の遵守に反対の立場にあることについてはもう一人、ウェブサイト「核情報」を主宰する田窪雅文氏が「世界」(05年6月号)で日本の核政策の課題は「ニューヨークにあるのではなく日本にある」と述べています。海外へ語り部活動に出かける被爆者が、各国の市民から「あなた方の言うことはまったく正しい。正しいけれど、それをまずあなた方の政府に言うべきではないのか」と切り返されることが少なくないと言います。被爆国の二律背反のしわ寄せがこのような形で被爆者にきているのです。

京太 正直いって、ブッシュ政権の核軍事戦略に追随していくだけのいまの日本政府に「同盟国として米国に物申せ」などときれいごとを言ったところであまり意味がないのではないか。政府は06年度から、アメリカの先制攻撃戦略のかなめであるミサイル防衛(MD)の日米共同開発に入りたいとして予算化の意向を明らかにした(6月6日付各紙)。このままいけば、日本の軍事力はとめどなく米軍事戦略の一部になっていくでしょう。同じ同盟国でもカナダ政府がアメリカのMD参加をきっぱり拒否した(05年2月)のと大違いだ。ジャーナリズムは、MDをめぐるカナダと日本の違いをもっとしつこく解剖してゆくべきでしょう。

■頑張った被爆者

京太 といって、今回のNPT会議の結果に何もかも絶望してしまったわけじゃない。05年再検討会議に照準を合わせて広島、長崎両市長が引っ張った「平和市長会議」の核兵器廃絶を目指す緊急行動「2020ビジョン」キャンペーンもあったし、1000人を超えるNGO日本代表団もニューヨークに結集した。米国の反核団体が主催したニューヨークでの4万人集会・デモも盛り上がった。世界の四つの非核地帯条約に加盟する諸国を中心に90以上の国・組織が初めて一堂に会した「非核地帯会議」も、4月下旬、メキシコ政府のイニシャチブで開かれ、核兵器廃絶の重要性を訴える宣言を採択した。核廃絶の原動力はやはり国際世論と運動であることを教えてくれた。あなたにも協力をお願いした核兵器廃絶を訴える署名は、日本原水協が音頭をとった国際署名が512万8507人(5月16日現在、日本原水協HP)、連合・原水禁・核禁会議が呼びかけたものが847万3522人(連合HPによる)だったそうだ。日本原水協は8月の原水禁世界大会に向けさらに続けている。いずれにせよ千数百万の反核署名は久しぶりだよね。ニューヨークから帰ってきた参加者の報告会が各地で行われているが、行ってきた人は結構元気で、悲観なんかしていないのが特徴です。

広子 広島に戻った被爆者の中には「がっかりした」「力が抜けた」という声もありましたが、NGOを含め大半の人たちは人類生存のための集会が持てたことをとても評価していました。あえて一つだけ注文をつけるならば、広島と長崎の市長の行動日程がほぼ同じだったことです。日程をずらすなど工夫していたなら、どちらかがNPT再検討会議の公式の非政府組織(NGO)セッションでのスピーチができたのではという思いは残ります。

京太 一番頑張ったのは被爆者ではないか。国連本部ビル内で開催した被団協の原爆展では、「語り部」の被爆者たちが来場者に懸命に体験を話していたし、NPT再検討会議の公式NGOセッションで、日本被団協の小西悟事務局次長が「被爆者からのアピール」として、広島での被爆体験を語り、核兵器廃絶の実行を強く訴えていた。このトークでは、「よい報道はおおいにほめ、悪い報道は徹底批判する」ことにしたい。よい報道としては、被爆者に視点を合わせた記事が結構目にとまったことだった。長崎新聞の連載「核大国に挑んで NPT会議ニューヨーク報告」(5月21日付から7回)▼朝日新聞の「原爆をたどる旅」(3月1日付から上中下3回の連載を5月20日付まで3部作で)▼毎日新聞の連載「消えゆく声を追って ヒロシマ被爆60年」(4月20日付から5回)同「響け被爆地の声 ドキュメントNPT会議」(5月2日―8日付)はよかった。なんといっても「被爆の実相」を国内でも国際社会へも、どんどん発信していく必要が今日ほど重要な時期はない。

広子 私は、朝日新聞の「原爆をたどる旅」3部作と毎日新聞の「響け被爆地の声 ドキュメントNPT会議」が印象に残っています。

■忘れられない人たちの死

京太 この間に、核兵器廃絶運動にも大きな影響力を持った原爆詩人「生ましめんかな」の栗原貞子さん(3月6日、92歳で死去)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(日本時間4月3日、84歳で死去)と訃報が相次いだ。広島の人たちには特別な思いがあるのでは。

広子 栗原貞子さんはうんと前にこんなことを言われたことを記憶しています。「私の詩はね、戦争とか暴力とか原爆はダメと激しく言っているのですが、でも行間の主旋律は愛であり希望であり夢なのです」と。ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は1981年2月25日、小雪舞う広島平和記念公園で平和アピールを読み上げました。「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです」「過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです」という言葉に、公園全体が感動していたことをいまでもよく覚えています。そして法王は原爆資料館の芳名録に「『私の思いは平和の思いであって、苦痛の思いではない』と神はいわれる」と記帳されました。お二人に共通していたのは、人間への限りない愛だったと思います。非戦闘員に不条理な死をもたらした原子爆弾の罪深さを告発しながら、これからの人間に希望を託されていたように思います。核兵器廃絶の国際的な世論の高まりこそが、人類の未来に希望と夢をもたらすと信じておられたと私は思います。

京太 ありがとう。次回は、被爆60年の夏が終わってから、ということに。
                                                         (京都発)
このトークは、長谷川千秋が、核問題に詳しく被爆地の心をよく知る広島の友人と討論し、長谷川がまとめたときは(京都発)、友人がまとめたときは(広島発)と記すことにした。最終的文責は長谷川が負う。素材の新聞紙面、テレビ報道内容等はそれぞれの居住地のものを対象にしている。報道各社のWEBサイトも参考にした。
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