「展示」って変(?_?)



 ズーラシアに限ったことではありませんが、動物園で「展示」という言葉が使われています。この言葉に疑問を感じた方から掲示板へ書き込みがありました(投稿日 : 2001年2月13日)。ひかりがおかも、最初この言葉を目にしたとき、ちょっと違和感を持ちましたが、じっくり考えてみると、特に間違ってはいないと思いました。レイさんが言われているように生態環境展示をしているズーラシアに関しては特にそう思います。しかし、このように重大と受け止める方もいらっしゃいました。投稿では、ズーラシアへ回答(対応)を求めていますが、こんな個人のHPにズーラシアが公式に回答するはずもありません。ズーラシアの回答を期待するなら「手紙クラブ」で直接に聞いていただいた方がいいかと思います。しかし、この一言の中には、いろいろな意味が込められています。そこで、ここでは動物も人間も意志疎通できないだけで、同じ生き物として本来どうあるべきか、ちょっと踏みとどまって一緒に考えてみたいと思います。また、このページを動物園関係者が偶然見て某か感じ取ってくれたら、ひかりがおかはうれしく思います。展示という言葉の使われ方が間違っているとは思いません。大事なのは、この言葉を使う動物園側がどう解釈して使っているのか、それを私達見る側が同じ解釈で理解することだと思います。もし、動物園側が間違った解釈をしているなら、どんどん意見をすればいいし、合っていたらそれを正しく理解すればいいと思います。ただ、これはとっても難しい問いであり、慎重な回答が要求されていることを理解してあげましょう。
YMさん、レイさん、動物園大好きさん、有益なご指摘と適切なご意見をありがとうございましたぁ。気づかなければ、なんてことのないたった一言の言葉ですが、いろんなことが秘められているんですね。

ひかりがおか

YM(462) 題名:「展示」という言葉について
先日初めてズーラシアにいって来ました。
残念ながらオカピーは体調管理のため見られませんでしたが、問題はそれを知らせる掲示板。その掲示板には「今日は展示しておりません」と書いてありました。
「展示」とは、広辞苑によれば、「品物・作品を並べて一般の人々に見せること」とあり、その言葉を動物、生き物に対して使う事は全くの不適切であり、私としては非常に不愉快に感じました。
これをいかにして動物園側に伝えようか考えたところ、受付の人に言うよりは、こちらの掲示板に書くほうが動物園側に伝わると考え、今回掲示させていただきます。この問題を重大なこととして受け止め、ズーラシア側が早急な対策をとってくれる事に期待します。


レイ(463) YMさんへ
 YMさんは、"展示"でなければ、どのような表現が適切であるとお考えなのでしょうか?
 私の考えでは、動物園や水族館は博物館法に基づいて運営されている施設ですので、そこで来園者に対して見せるものは全て"展示"であるということで、別に違和感は感じません。
 特にズーラシアでは生態環境展示ということで、動物の周囲の岩や、小川などの無機物も含めて展示していますので、もし動物のみに当てはまるような言葉を用いたら、逆に不適切であると思います。
 また言葉というものは、時と場合によって意味合いが変わるもので、辞書に書いてある意味が全てではありません。ですから広辞苑に書いてある事柄を基に抗議しても有意義なことだとは思えないです。
 ズーラシアで動物を広辞苑に書いてある通りに、単なる品物のように扱っていたという事実があって、初めて問題にすべき事なのではないかと思います。

動物園大好きさん
 こんばんは。
掲示板の御意見を拝見しました。
 動物園はこの世で初めて作られたとき、「生きている剥製を見せる博物館」でした。それまで博物館で剥製を見るしかなかった遠い地域の動物を、生きた状態で見せようというのがはじめの目的です。動物園とはそもそも「展示」をする場所だったわけです。日本でも動物園は、はっきり言って「見せ物小屋」として作られ、発展してきました。
 生き物の倫理を考えた場合、動物園など存在して良い施設ではありません。動物を見たい人のために「展示」しているのですから。野生の動物が見たければ、その動物が生息しているところに見に行けばいいというだけのことです。しかし私は少なくとも現在と近い将来は動物園が必要と言わざるを得ないと思っています。これを読んでいる方は、その理由はなんだと思いますか?
 「展示」。生き物にふさわしくない言葉です。「器物破損」、飼っている動物が危害を加えられた場合に適用される罪状です。動物を「器物」としています。はっきり言ってヒトのおごりに他なりません。万霊の長たる「霊長類」、うぬぼれているわけです。ところが自然の観点では、ヒトという動物は存続して良いとは思えない生き物です。少なくとも他の動物なら自然淘汰されてきたはずの状況でも、ヒトはちょっとした知恵でそれを乗り越えてきました。その度に自然の懲罰は度を増して行き、地球温暖化のような、規模の大きな障害を用意しているわけです。
 ヒトは地球という自然の上で生きていく以上、本来自然との調和をはかりながら生きていかなくてはなりません。しかし文明という妄想におごってしまい、自分がまだ自然の上に作られた箱庭に住んでいるに過ぎないということに気付かず、ゴミを投げ捨て、川を汚し、放射能をはじめ有害物質をまき散らし、それが自分の住処を汚しているということがわからない。野生の動物たちが絶滅に向かってもそれが自分たちの生活にいずれ影響することがわからない。自分の近所に生活する動物がいなくなったら自分が困るということがわからない、自分の近所に本来いないはずの動物が増えてしまったら自分が困るということがわからない。つまり、自分の置かれた状況の悪さに気付いていないヒトが限りなく多いのが現状なのです。
 動物園は貴重な動物たちを、環境が悪化したその住処から保護して、絶滅しないように維持して、環境が改善されたらまた自然に帰すということを目標にしているといいます。トキの失敗に見るようにそれが果たして正しい方策か、それはわかりませんが、少なくとも保護するだけだったらわざわざテーマパークにして不特定多数に見物させる必要はありません。「それで維持費を稼ぐ」と大義名分のように言う人もいますが、そういうところに税金や寄付金を使うのが本来の使い道で、何でもついでの金儲けが成立するなどという虫のいい話ばかりではありません。
 動物園が客に見せなくてはならない最大の理由は、教育にあると私は思います。これを読むあなたやあなたの周囲に生活する人は、日本から遠いアフリカ大陸の小さな爬虫類が絶滅したところで自分になんの関係があるんだと不思議に思いはしませんか?メダカが絶滅したらさびしいけど自分に直接関係はないと思いませんか?ところが明白に関係があるのです。そんなもの、実際そうなってしまわなければわからないと言う人は後を絶ちませんが、生物の多様性の現状を見れば明らかです。この「多様性」については高校で生物の授業を受けていればおそらく習っているはずなのですが、どうも覚えている人は少ないようです。多様性の破綻が流れを大きく変えるということは、物理学でカオスとかフラクタルの理論など勉強した方もおよそ想像がつくでしょう。なんだかわからないと言う方には一度調べてみることをすすめたいと思います。
 とにかく複雑化した生態系が結構な勢いで壊れるということは、気候や農業に大きく影響するということで、すなわちヒトの存続に影響を与えるということです。肝心なのは、それをマトモに、心に染み入るように教える環境がほとんど無いということなのです。最近の学校教育は荒廃しているようですし、「動物園は要らない」と主張している動物保護家の声もいったいどれだけの人の耳に正しく伝わっているのか疑問です。
 動物を見せながら「こんな状況が続いていいのか?」と知らせるのが現在の動物園の役割です。「展示なんて言葉で動物を扱っていいのか」「こんな寒いところに熱帯の動物を出して置いていいのか」「動物を『展示』しているばかりで教育しなくていいのか」と問題提起していくのは我々のような「大切さをいち早く理解した環境派」でなくてはならないと思います。慣例を当たり前と適当に逃げるのではなく、言うべきことはどんどん言って改善を求めましょう。ふさわしい代案を提議するのもいい方法です。
 まず変えるべきは「動物をモノ扱いする姿勢」の見直しから、でもいいと思います。大切なのはみんなで理解すること、面倒くさがらずに、家族や友人や職場の仲間でもとにかく考える機会を広めていきましょう。


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