GID研究会
3月23日、岡山駅前の会館・ママカリフォーラムというところで「第4回GID研究会」が開催され、私は岡山に22・23日と2泊しながらそれに参加した。昨年同時期に東京で開催された研究会に飛び込みで参加して以来、2回目である。GID研究会は日本精神神経学会の分会という立場であるから、定義上はおそらく学会ではない(とUPしたら、ある人から分会ではないとのご指摘をいただいた。双方、独立した研究会だそうだ。とすると、GID研究会は「学術団体」の定義から明らかにはずれるので、やはり学会ではないのだろう)。この研究会の特徴は、医療関係者を中心としながら、会員・参加報告者に多数の当事者が含まれているということだ。通常、法律関係の学会で、訴訟当事者が参加することはあまりなく、会員になることはまずない。宗教法学会では、宗教団体の関係者が会員になることもあるようだが、一般に学会では当事者抜きの研究者の学識交換会という様相になる。その意味では、この研究会は大変ユニークな存在といえる。
GIDの法的側面を対象にする一研究者として参加した私の視点から、感想をいくつか述べてみよう。なお、GIDはgender
identity disorder すなわち性同一性障害の略語で、自分の身体上の性別に違和感を持ち、他の性別への同一感を強くもつ症例・人々の総称である。精神障害に属する一疾患として「性転換症」という病名もある。この用語が定着するまでは、オカマ・オナベとかオトコオンナ、シスターボーイ、ブルーボーイ、近頃ではニューハーフ等の呼称で変態として扱われていた。GIDは性自認すなわち自分の性別に疑問を持つことが大きな特徴であるが、そういった視点の無い時代・地域では同性愛と混同され、性指向つまり恋愛対象の性別が典型(異性愛)と異なると理解されてきた。今日ではマスコミによる話題提供のおかげで、ある程度その実態が認知されつつあるが、私がHPで紹介している小西真由美さんのような、水商売とは関係のない普通の人々に対する理解が進んでいるとは思われない。
さて、そうした現実の中でこの研究会に参加した私にとって、その後の懇親会を含めて多くの当事者の生の声が聴けるということは、大変な収穫であった。通常の研究手法においては、つてを通して出会う個々の当事者のライフ・ヒストリーから得られる示唆もあるが、多くの当事者から多くの体験を一度に聞いて、専門家にしか分からないインスピレーションを得ることがままあるので、このような研究会での情報収集は貴重である。しかしそうした個人的利益を別にして感じたことは、これらの人々に対する社会的位置づけとしての法制度が全くの空白であり、しかもそれに対する専門家からの関心が異様に低いということだった。もちろん当事者は、日常生活のあらゆる場面で法制度の不備による不便を感じているのだが、その法制度に明るい側の参加者が殆どいないのである。
例えば、GIDを治療するための手術は、性自認に身体の外形を近づける形成外科的な手術であるから医事法・刑法関係者の理解が不可欠であるし、改名・改性に関する訴訟なら身分法=家族法(民法)の専門家の意見が必要である。就労に関する差別なら労働法、医療や生活の経済問題なら福祉法の専門家に聞くことは山のようにある。ところがそれら専門家の参加者・報告者がゼロなのである。法的側面としては唯一、神戸学院大学教授・大島俊之先生の、留置所における当事者の処遇についての日米比較考察が報告されたのみであった。当研究会の重要なメンバーである、GID研究で草分けの大島俊之先生は、本来のご専門が経済法(民法)とのことなので、厳密にいえば、GID当事者が必要とする法律専門家の存在は限りなくゼロに近いということになってしまう。
その結果、この研究会では医者と患者の私的なサロンという雰囲気が漂い、またホルモン治療や形成手術をすればGIDの苦しみはあらかた完了するかのような錯覚さえ感じる。またある面では、GIDを支援する市民団体の集会のようにも見える。しかし私は、アイデンティティの問題は、自分が自分をどう見るかを確立するだけでは不十分で、社会が自分をどう見るかを可能な限り一致させていかなければ解消されないし、それは法制度の整備を抜きにしては達成できないと強く思う。夫婦別姓の主張が、まさに呼称による自他認識の不一致を解消せんがための叫びであるのと同じように。社会、具体的には行政が彼らをどう認識して受け入れるのか、その部分を研究している専門家は私の知る限り多いとは言えないが、これほど少ないはずはない。今回初めて会員登録をした私を含めて、GIDに関心のある研究者はもっと積極的に研究会をアピールし、法律専門家を引き入れる努力をしなければならないだろうと、しみじみと感じた一件であった。