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春になると季節の彩りを見せる外堀の桜並木を少し内に入ると、朝鮮総連中央本部を一つ隔て、コンクリートで敷き詰められた都会の一角に、与謝野鉄幹・晶子夫婦の居住跡があり ます。
大正4年〜12年、当事務所から歩いて5分位のその場所で二人は生活をしていました。
鉄幹は、詩人・歌人であり、それまでの形式にこだわる短歌の世界に対し「人生を赤裸々にして歌うことこそ新時代の歌」であるとその改革に燃え、東京新詩社を創立し、『明星』を刊行しました。この本は、明治30年代の青年女子に圧倒的な支持を受けました。
既に妻子のあった鉄幹との情熱的な恋愛を経て二人は結ばれることになったのですが、その鉄幹との恋愛について情熱的に歌ったのが『みだれ髪』。
現在でさえ「不倫」と呼ばれ決して歓迎されることはありませんが、当時はこの生き方、歌ともに衝撃的であり、当然のように批判の的になりました。
しかし、その歌は生命力に溢れ、歌の世界だけでなく国民の意識の中に革命を起こしました。
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その子二十櫛にながるる黒髪の
おごりの春のうつくしきかな
清水へ祇園をよぎる桜月夜
こよひ逢う人みなうつくしき
やは肌のあつき血汐にふれも見で
さびしからずや道を説く君
(みだれ髪より)
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また、晶子はヨーロッパでの鉄幹との生活を経て、その経験から「山の動く日きたる」と歌い女性の社会的自立を説き、女性に必要なものはまず教育であると神田駿河台の文化学院で教鞭もとりました。
そして、あまりにも有名な、日露戦争の戦地に向かった弟に向けた歌。
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あゝおとうとよ 君を泣く
君 死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃を握らせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや ・・・
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非国民といわれ、命さえ保障されない当時(明治37年)の歌です。
歌人として、女として、また11人の子女を育て世に送り出した母でもあった晶子は、明治から昭和の激動の時代を歌と共に生き、絶えず人々に新しい風を送り続けました。
今の世を、彼女ならどのように歌うのでしょうか。
15メートル四方ほどの二人の住居跡地は、ひっそりと緑に覆われています。
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